第3話:“映らなかった”女
「映っているのに、犯人だと認識できなかった……?」
警視庁特別捜査室の片隅。
一ノ瀬悠は、神代天音の言葉を繰り返すように呟いた。
「それって、“死視”が通用しないってことじゃないか」
「通用しないんじゃない。“すり抜けられた”のよ」
神代は、机に並べた写真の中から一枚を抜き取った。
第二の被害者――美大教授の遺体と、その視界に映っていた「スプレー缶」のような金属筒。
「この“缶”ね、ガスでもペンキでもない。多分、冷却スプレーだわ」
「冷却……って、氷点下に?」
「ええ。死後硬直の進行を誤魔化す。視覚と現実の“時差”を操作して、証拠の時間軸をズラす手口」
「つまり、“死んだ直後”の状態を“数分前”に偽装する……?」
「そう。犯人は“死視”されることを前提に、見せるべき映像の順番をコントロールしてる」
「視えるものすら、演出する……ってのか」
そのとき、新たな通報が入った。
都内のアトリエで火災が発生。現場から、女性の焼死体が発見されたという。
現場は静かだった。
消火後のアトリエには、ススと焦げた匂いが充満している。
遺体はまだ残っていた。全身に火傷。だが、顔は――不自然に“焼け残って”いた。
「……これは、誰かが“顔だけ守った”?」
神代は遺体に近づき、躊躇なく触れた。
だが次の瞬間――彼女の表情が、わずかに揺らいだ。
“死視”が始まる。
視界に映るのは――壁にかかった鏡。
鏡の中の自分が映る。
だが、それは自分ではなかった。
見知らぬ女が、自分の顔を見て微笑んでいる。
手には、ライター。
部屋の床に、ガソリンのような液体が撒かれている。
女が口を開く。
「借りた顔、そろそろ返すわ」
次の瞬間、炎が広がる。視界が赤く染まり――終わった。
「……え?」
神代は目を見開いた。
一ノ瀬が駆け寄る。
「どうした、何が“視えた”? 犯人か?」
「違う……視えたのは、“この女の顔をした、別の女”だった」
「どういうことだ……?」
「この死体、誰かに成り代わられてる。つまり、“犯人は死んでない”」
一ノ瀬は息を呑んだ。
「焼け残った顔……本人じゃなかったとしたら、誰なんだ?」
「顔立ち、骨格、髪型……全部、模倣可能。でも、決定的な違いがあったわ」
神代は震える指で、被害者の目元を指差した。
「義眼。……つまり、もとの顔は似てても、視覚情報はまったく違った」
「“死視”の映像が歪んでいた理由か……」
「ええ。死者自身が、“見えない”人だった。だから、死の直前の“視界”が極端に狭くて、“鏡”を通してしか情報がなかった」
神代は鏡の中の“犯人の顔”を思い出していた。
美しかった。だが――どこか、既視感があった。
その夜。
神代のもとに、またしても小包が届いた。
中には、封筒。手紙。そして――一枚の義眼。
手紙にはこう記されていた。
「私の目は、まだ生きてる。あなたの“目”も、奪ってみせる」
神代は、その義眼を手にとったまま、静かに呟いた。
「なるほど……あなたは、“視られる”ことが怖くないのね」
ふっと微笑む。
「でも、“視えたもの”が、必ずしも真実とは限らない。……その言葉、私にも返ってくるのよ」