第10話:記録を喰らう者たち
《君は“死を視る者”ではない。死を“記録し直せる”者だ》
一ノ瀬の言葉は、脳の奥に杭のように刺さっていた。
死視。それはあくまで、「死者の視点を追体験する能力」だと、そう思っていた。
だが、一ノ瀬は違うと言う。
「君の視ている死は、ただの記録じゃない。“動いている”」
「記録なのに、動く?」
「そう。君が視た“死の映像”には、常に変化が起きてる。これは、死視では説明がつかない。誰かが——あるいは君自身が、“書き換えてる”んだ」
一ノ瀬は、白紙のノートを取り出した。
中には、簡単な系譜図のようなものが描かれている。
「……これは?」
「《記録者》の構成図だ。噂レベルではあるが、過去数十年、政府・民間問わず、極秘に“予測不能な死”の記録を蒐集しているグループがある」
「死を、記録する?」
「そう。“起こった死”ではなく、“起こるはずだった死”を」
それができれば、人間の行動・犯罪・病死・事故——あらゆる“未来”に先回りできる。
だが、その情報源は常に限られていた。
「君のような“書き換え可能な死視能力者”は、その中でも……特異中の特異だ」
「それって……」
「“未来を支配できる”ってことだ」
次の瞬間。
結月の頭が、ずきりと痛んだ。
視界が、赤に染まる。
そしてまた——“死”が流れ込む。
今度は、見知らぬ場所。
白い防護服を着た男たち。
無機質な部屋。
薬剤の充填、注射、心拍モニタ。
ベッドの上には——自分。
呻き、嘔吐し、血を吐き、痙攣する自分。
「……あれ……私……?」
男たちの会話が聞こえる。
「まただ。死の記録が書き換わった」
「身体がもたない。やはり“再記録”には耐えられないか」
「でも、収束率は増えてる。“記録”が“未来”に追いつこうとしてる」
画面が崩れる。視界が途切れた。
息を切らして目を覚ました結月を、一ノ瀬が抱きとめる。
「また、視たのか?」
「……たぶん、私、前にも“死んだ”……その上で、生きてる……」
彼女は震えていた。
「書き換えた“死”を、身体が覚えてる。私の中に、“何度も死んだ記録”が……残ってる……」
一ノ瀬は黙っていた。
しかし、その表情が物語っていた。
——彼は、すべて知っていたのだ。
「君は、もう《記録者》に“書き換えられている”」
「え……?」
「過去に一度、君は死んでいる。そして、その“死の記録”が再生されている限り、君は命を削り続ける。これは……能力ではない。“呪い”だ」
「……一ノ瀬さんは、なぜ私に近づいたの?」
思わず、問いが口を突いていた。
彼は、静かに目を伏せた。
「俺は——元《記録者》の一員だった」
部屋に、凍りつくような静寂が走る。
「組織にいた頃、君の母親を追っていた。彼女もまた、“未来の死”を読み取る力を持っていた。だが、逃げられた。代わりに、君が——」
「……母も、死視者だったの?」
一ノ瀬は頷いた。
「そして、彼女は“君の死の記録”を守るため、命を投げ出した」
その夜、結月は母の遺品を取り出した。
日記帳。すでに読みつくしたと思っていたその中に、気づいていなかったページがあった。
最後の一文。
《この子の“死”だけは、書き換えさせない》
結月は、ページを閉じた。
母は、《記録者》の干渉から自分を守ろうとした。
——ならば、私はもう、守られる側ではいられない。
彼女は静かに、瞼を閉じた。
ふたたび“死視”に入る。
そこには、“顔のない影”が待っていた。
「ようやく、覚悟ができたか」
「私は、お前の正体を突き止める。どんな記録の中にでも、踏み込んでみせる」
影は、ゆっくりと笑った。
「では、深層へようこそ——《再記録者》」