第8章「夏の仮面」
誰かと繋がっているはずなのに、どこかで孤独を感じる。
画面越しの声に、鼓動が跳ねる。だけど、名前を知らない。顔も知らない。
仮面のようなハンドルネームが、二人を守りながら、少しずつ距離を生み始める。
交錯する大会。交差しない日常。
匿名の“夏”が、熱を帯びていく──。
夕立の気配を含んだ風が、校舎の廊下を吹き抜けた。
窓の外では入道雲が、まだ空の高みに居座っている。
放課後の教室で、凛は一人モニターを見つめていた。
その日、校内に設けられた特設ブースでの準決勝戦が行われた。
「次、R_inの試合、始まります!」
軽音部のドラム担当が実況を担当していた。
文化祭さながらのにぎわいに、周囲はざわついていたが──
凛の表情だけは、静かだった。
(集中しなきゃ。……Kuroくんも、どこかで頑張ってる)
小さく深呼吸。
ゲームの開始音が響いたと同時に、彼女は仮面をかぶる。
R_in──
そう名乗ることで、自分の素を隠せる。
戦うことも、無口でいることも、無理じゃない。
でも──
「ナイス!」
「さすが、R_in!」
勝ち進むたびに、周囲の声は彼女を“特別”に仕立てていった。
(仮名のはずなのに……。この名前で呼ばれると、嬉しくなるなんて)
動揺しそうになる心を、彼女はリロード音でかき消した。
──決勝進出、R_in。
試合後、誰かがハイタッチを求めてきたけど、
凛はそれには応えず、そっとその場を離れた。
⸻
その夜、
晴翔は、自宅のPCの前で、別のステージに立っていた。
彼が出場していたのは、全国高校eFPS交流戦。
オンライン限定で開催されるこの大会は、招待制で──
彼は、ゲーム内での実力と連携力を買われていた。
「味方、そっち任せた」
「ラジャー。左から回る」
普段はソロプレイが多い彼も、ここでは即席チームの一員。
だが、ゲームが始まれば冷静沈着。的確な指示と動きで味方を勝利へ導いていく。
(……Rei、今日はどうしてるかな)
その名を口に出すことはない。
でも、リプレイの合間にふと見たSNSのトレンドには、こうあった。
「#R_in準決勝進出」
瞬間、心臓が跳ねた。
(やっぱり……似てる。あの動きも、癖も、呼吸の合わせ方も)
仮名。
声。
そして距離。
全てが、絶妙に曖昧なままでふたりの心をくすぐる。
夜。
クーラーの効いた自室。
黒川晴人は、ヘッドセットをつけたままじっと画面を見つめていた。
リプレイ映像の中で、“R_in”という名の少女が、鮮やかな連携で敵を仕留めていく。
動きは冷静で、ミスはない。
それでいて、時折見せる「判断の一瞬」が、彼には既視感として刺さった。
(……やっぱり、あれは)
思わず、目を細める。
タイミング。リズム。
遮蔽に隠れるときの癖──
すべてが、あの人と同じだった。
「Rei……」
ぽつりと、声に出す。
でも、それ以上言えなかった。
彼女は「現実では名乗らない」と言った。
本名も、顔も、学校も──
全部、ゲームの中にだけある約束。
それを破ったら、きっとこの関係は壊れる。
その確信だけが、彼を止めていた。
(でも……もし、今、聞いたら)
画面の中の“R_in”が、最後の一人を撃ち抜いた瞬間、
画面が一瞬、フリーズした。
ネット回線の一時的な遅延。
再接続のタイミングで、彼のチームのVCが一瞬だけ開放された。
「Kuro、戻った?」
「──……うん」
その声を聞いて、誰かが応じた。
「おかえり。ってか、さっきの試合……すごく似てたな。あの子に」
「……だよな?」
ぽつりと、誰かのつぶやきに、Kuro──晴人は沈黙した。
彼だけが、あの「癖」に気づいたわけではない。
もしこのまま勝ち進めば、もっと注目される。
“R_in”がReiだと、他の誰かが先に気づくかもしれない。
(それだけは、避けたい)
でも──守りたい、という気持ちは、何に対してだろう?
彼女の「匿名性」か。
それとも、「いまの関係」か。
その答えを見つける前に、また通知音が鳴った。
──《eFPS全国大会:オンライン本戦 出場確定》
別の世界で、彼自身の名前が光っていた。
⸻
同じ時間、凛の部屋。
スマホを握りしめたまま、彼女もまた悩んでいた。
(もし、Kuroくんに……本名、知られたら)
あの日、声を聞いたときと同じ不安が、胸を締めつける。
名前。
仮面。
距離。
そのどれもが、今の関係を守っているようで、
少しずつ、二人の間にヒビを入れていた。
⸻
画面の向こう。
すれ違い続けるふたり。
夏の空の下で、それぞれの「仮面」は少しずつ、揺れていた。
この章では、お互いの「正体」に気づき始める二人の揺れを丁寧に描きました。
現実では名前も知らないけれど、ゲームの動きや声だけで相手を感じ取る。
そんな微妙な空気感を、夏の仮面というモチーフに重ねました。
仮面は、外すためにあるのか、守るためにあるのか。
二人の答えはまだ見えません。
でも、だからこそこの関係は儚くて、眩しいのかもしれません。
次はいよいよ、第9章「熱を帯びる指先」──。
「会わない」と決めた約束の意味が、より切実になっていく瞬間を描きます。
引き続き、よろしくお願いします!