【第6章「予選の午後」
スクリーンの中で出会ったふたりは、
やがて現実のどこかで交差するかもしれない。
けれどその“かもしれない”は、
お互いを傷つけないための優しい壁でもある。
午後の陽射しの中、隠しごとを抱えながら、
ふたりはそれぞれの選択をしようとしていた。
「ねぇ凛、出るの? 校内のやつ」
放課後、教室に残っていた数人のうちのひとりが、そんなふうに話しかけてきた。
「……え?」
凛は一瞬、自分が誰に話しかけられたのか分からず、顔を上げた。
「eスポーツ部の大会。FPSのやつだよ。知ってるでしょ?」
「ああ……うん、知ってるけど……」
机の上には、配布されたプリントが置かれている。
夏休み特別イベントとして開催される、校内オンライン大会。
形式は個人参加。エントリーは匿名アカウントでもOK。
何気ないその告知に、凛の心はそわそわと揺れ続けていた。
(Reiとして出てもいい。でも……)
Reiとして出るということは、Kuroに何も言わずに、ひとりで戦うということ。
それが後ろめたく感じるのは、
ゲームのパートナーとして、ただのフレンド以上の存在になっているからだった。
「べつに、バレなきゃいいじゃん?」
友人が軽く笑って言った。
その言葉に、凛はなんとなく背中を押されたような気がした。
(……うん、出よう)
そう思った瞬間、心の奥にわずかな罪悪感が灯った。
Kuroには、言わないまま出る。
大会のことも、学校のことも、
きっと話したら、何かが壊れてしまいそうだから。
凛がエントリーを決めたその日の夜も、ふたりはいつものようにログインしていた。
「今日はいつもより動き軽いな、Rei」
「そっちもね。連携、完璧だった」
バーチャルな銃声が鳴り響く中、ReiとKuroのコンビは驚異的なキル数を稼いでいた。
サーバー内でも有名な“影のペア”として、一部では知られている存在だ。
だけど、画面越しに見えるKuroのアイコンが、ほんの少し遠く感じた。
(言わなきゃって思うけど……言えない)
校内大会に出ること。
匿名で参加すること。
そして、自分がKuroに嘘をついていること。
大会のことを隠したまま、Kuroの隣にいる。
それでも、壊したくないと思ってしまうのは、自分のわがままだ。
⸻
翌日。
教室では、生徒たちが賑やかに笑い合っていた。
その中で凛は、誰にも気づかれないようにイヤホンをつけ、スマホを操作していた。
仮のアカウントでログイン。
使用する名前は“R_in”。
微妙に変えてあるけれど、Reiを知る誰かなら、気づくかもしれない。
(バレなければ、いい)
そんな気持ちと、少しの期待。
そのどちらも胸に抱えて、凛は大会予選へと飛び込んでいく。
教室の隅で小さく息を吐き、凛はスマホを握りしめた。
(よし……始まる)
画面に表示されたマップは、草原地帯に点在する廃工場エリア。
スタートの合図とともに、彼女は銃を構え、一気に走り出す。
敵の足音、地形の遮蔽、射線の確認。
すべては体に染み込んでいた。
Kuroとの連携で磨いた戦術が、いま、彼女の中で一人分の強さとなっている。
「R_in、1キル!」
「R_in、ダブルキル!」
画面の隅に自分の名が何度も浮かぶ。
まるで、この仮名が新しい自分の一部になっていくようだった。
(あとひとり……)
最後の相手を冷静に仕留めたその瞬間、教室の中で静かに歓声が上がった。
──R_in、予選突破。
だが、凛はモニター越しのどこかにいる、もう一人のプレイヤーのことを考えていた。
(……Kuro、ごめん)
⸻
その夜。
Kuroは自室のPC前でログインしながら、ひとり呟いた。
「……あれ? この戦い方……」
ランダムに表示された大会リプレイ映像の中、
無名のアカウント“R_in”の動きに、彼は違和感を覚えていた。
遮蔽物を使うタイミング、裏取りの経路、射撃のリズム。
まるで、それは誰かとプレイした記憶の焼き直しのようだった。
「Rei……まさか……」
でも、決定的な証拠はない。
だから、疑念として胸に残るだけ。
そしてKuroのもとにも、別の招待が届いていた。
「全国高校eFPS大会への特別エントリー」──。
彼もまた、別の選択を迫られていた。
それぞれが、それぞれの午後を戦っていた。
交わらないようで、少しずつ近づいていく二人の軌跡。
だけどその距離感が、いちばん優しくて、いちばん切ない。
声をかければ壊れてしまう気がするから、
彼らはまだ、沈黙を選び続ける。