07. 配慮
ノック音が広間に響く。
「遅くなり申し訳ございません、メルティ・シャルロットです。」
私が名乗ると公爵は「どうぞ。」とだけ言った。
扉を開くとそこには大きなテーブルとイスが並べられていた。
公爵はすでに一番奥の左側の席に座っていた。私は何処に座るべきか一瞬悩んだが公爵の前、つまり一番奥の右側の席に着くことにした。
「お待たせしました。」
そう言って私が座ると公爵は「そんなに待っていない。」と顔色一つ変えずに返答した。
そのまましばらく無言で使用人が運んでくる料理に目を向けていた。
…気まずいわね、初対面で公爵は気まずくないのかしら。
しばらく黙っていた公爵はようやく口を開いた。
「部屋は気に入ってもらえただろうか?」
開口一番に答えにくい質問をしてきた公爵。これはエルヴィスから私の発言を聞いての言葉なのか、それともただ単に聞いたかによって返事が変わってくる。どうこたえるべきだろうか。
「…はい、とても素敵なお部屋をご用意していただいたみたいでありがたいです。」
とりあえず今は様子見することにした。下手に勘がいいことを理由に警戒されるわけにはいかない。
「そうか…まあ何か他に必要なものがあればエルヴィスに伝えてくれ。」
「ご配慮に感謝いたします。」
これはさすがに公爵もこれ以上は踏み込んでこないようね。
目の前にきれいに並べられていく豪華な食事。こんな食事はシャルロットの屋敷でも毎日食べることはなかった。さすがハウリット帝国は食材が豊富なだけあるわね。まぁこんな初日に貧相な食事を出してしまったらシャルロット家、そしてサンピアーノ帝国にまで馬鹿にされかねないと考えると当然のことだ。
お互いしばらく食事に集中していたが、そういえば聞かなければいけないことがあることを思いだした。
「公爵様、私はこれからクロエト公爵家でどのような公務をお手伝いすればいいでしょうか?」
私の言葉に公爵は悩んでいるようだったが、しばらくすると食事の手を止めた。
「特にしてほしいことはない。もうすぐ簡単な式をあげるからその準備を進めてくれ。公務に関してはこれまでと変わらず俺が執り行う。」
…やっぱり私のことはよそ者扱いね。まあまだ来て一日目だから当たり前と言えば当たり前なんだけどここまであからさまだと笑っちゃうわね。前世の私はよくここで気分よく過ごせたものだわ。
「…それではせめて名前だけでも呼び方を変えてはいけませんか?」
私の言葉にクロエト公爵は怪訝な顔をした。何の意味があるのだと言わんばかりに。
「これからは同じクロエト家で過ごすことになるのに、これまでもクロエト公爵様と呼んでいては世間体もよくないですし、私の実家から何を言われるかわかりません。せめて呼び方だけでも変えたほうがよいかと思います。」
これは事実だ。たとえ家の中で仲が悪くとも世間にでるとたちまち仲のいい関係を繕う家庭は多く存在する。それはその家の弱点になりかねないからだ。ましてや私たちは国同士を結ぶ重大な結婚だ。失敗するわけにはいかない。
「好きに読んでくれて構わない。」
クロエト公爵も同じような考えに至ったのかそのまま食事に戻った。
「わかりました、ではリアム様と呼ばせていただきますね!」
私の言葉に公爵は少し驚いたような顔をしたがすぐに無表情になった。とにかく今は距離を縮めて中を深めていくことが第一優先ね。
そんな風に食事を済ませ、リアム様はすぐに席を立ってしまった。まぁ一緒に食事をとれただけでも大きい。私も自分の食事を終わらせるとすぐに自室に戻ることにした。部屋に戻りながらこれからのことについて考える。
クロエト公爵と仲良くなるにはまず周りから固めていくしかないか。例えば…あれ?そういえばクロエト公爵って前世ではお姉さんがいたような…?
そんなことをを考えていると前に立ち尽くしてこちらを見ている人がいた。
あ…。
まさに噂をすればなんとやら。そこにはクロエト公爵家の一人娘である女性が立っていた。
「あ、えっと…。」
あまりに突然のイベントで思わず言葉に詰まる。
「初めまして、メルティ・シャルロットさん…でしたよね。私はリアムの姉のソフィーリア・クロエトです。本当はもう少しはやく挨拶に行く予定だったのけですけれど、今忙しくて…遅くなってしまったことをお許しください。」
ソフィーリアは軽く頭を下げた。私は慌てて両手を振った。
「やめてください!とんでもないことです、まだ来て一日もたっていないのですから十分早いです!こちらこそ挨拶が遅くなってしまい申し訳ありません。サンピアーノ帝国から参りました、メルティ・シャルロットと申します。これからお世話になります。」
ソフィーリアは前世では早くに病に伏せって屋敷から出ることはなかった。そしてそのまま弱り果てて亡くなってしまった。それはシノアールに指示された私のせいだった。ソフィーリアには何も恨みはなかったが当時の私は何も考えたくなくて言われるがままシノアールの人形として動いていた。だから前世ではあまり関わりがなかった。今回は殺させない、シノアールの指示を無視しソフィーリアを殺さない。
「もし不便なことがあれば気軽に教えてください、すぐに改善させますから。」
こんなに私を思いやってくれる人を私は躊躇なく殺したのだ。罪悪感に襲われる。
「お気遣いありがとうございます。また頼らせていただきます。」
そう返事するとソフィーリアは静かにうなずいてそのまま去っていった。
そう、確かシノアールが私にソフィーリアに毒を盛らせるように指示し始めたのはこちらについてすぐのころだった。どうせ今回も同じような指示を出してくるはず。それに今回は黒魔術で私の支配力をさらに強めているから失敗するはずがないと高を括っているだろう。
しかし、私はそうやって油断しているところを大胆に裏切ってやるつもりだ。今度こそ思い通りになんてさせない。
その後、そそくさと用意された自室に帰った。
自室でゆったりと過ごしていると扉にノック音がした。
「はい、どちらさまですか?」
「し、失礼いたします、午後のティータイムにお紅茶とお茶請けを持ってまいりました。」
そういうと屋敷の侍女と思われる使用人が入ってきた。しかし、その様子はどこかビクビクと怯えているようだ。
どうしてこの子はこんなに怯えているのかしら?私が何かしたのかしら…?
侍女はティートローリーを押しながら恐る恐る部屋に入ってきた。
「どうかしたのですか?」
「い、いえ!!!失礼いたしました!」
あぁ、なるほどね。私はすっかり忘れていた。私はもともと祖国で悪名を轟かせていたのだ。その噂は自国だけでなく他国、もちろんこのハウリット帝国にまで広まっている。今この屋敷でこの悪名高い女が何をしでかすのかわからない。下手に機嫌を損なうと即刻処分もあり得ると考えるのが当然のことだろう。つまるところこの侍女は私自身に怯えているのだ。
私はこの子や他の使用人に危害を加えるつもりは毛頭ないのだけれど、まぁそんなにすぐに私の悪い噂を払拭できるとも思わない。しばらくは仕方のないことだ。
「ありがとう、そこのローテーブルに置いておいてくれるかしら?」
「…っはい!承知いたしました。」
侍女は急いでローテーブルにティーセットなどを置き、部屋を後にした。
さて、せっかく持ってきてくれたことだし、ゆっくりとお茶でもいただきましょうか。…とそんなことを考えているとまた扉のノック音が部屋に響いた。
今日はやけに来客が多いわね、まあ初日だから仕方のないことかと自信を納得させつつも私が返事を返すと使用人が私への届け物を持ってきてくれたみたいだった。すぐに受け取るとそれはきれいに封をされた手紙のようだった。
…思い出した、前世でも同じように私に連絡を寄こしていた。
封を開けるとそこには予想通りの名前が記載された手紙と不思議なペンダントが入っていた。
「…シノアールめ。」