09. 疑いと我慢
あの事件から数日たち、ソフィーリアの体調不良の原因が毒であったということが屋敷中に知らせられた。そう、クドクソウである。
たしかにシノアールは私にクドクソウでソフィーリアを貶めろと指示したが、私は一切従っていない。なのにどうしてソフィーリアにクドクソウの症状がでているのだろうか。偶然にしては気持ち悪いくらいだ。
そして当然屋敷の中では私を怪しむ声がいくつかある。
当たり前だ、あからさまに毎日ソフィーリアの部屋を訪ねていたし、他国から嫁いできた悪女なのだから。そんな印象が付くのは仕方のないことだった。あの事件があってから私はあまり部屋から出ないようにと公爵から言われていた。
わかっていたことだけどやっぱり怪しまれているのね…。理解していたつもりだったけど実際に行動にされると案外傷つくものだ。
「それにしても一体だれが…。」
そんなことを考えていると扉がノックされエルヴィスが入ってきた。
「失礼いたします。本日、昼食を一緒にどうかと公爵様からです。」
私はきょとんとした。
私のことを疑わしいと思っていたんじゃ…?
「ええと…そうですね。わかりましたとお伝えください。」
思わず動揺してしまった。
「かしこまりました。それでは失礼いたします。」
深々とお辞儀するとエルヴィスは出ていく。
初日に感じた不躾さは気のせいかしら…。
それにしてもあんなことがあっても一緒に食事してくれるってことは一応まだ弁明の余地はあると考えていいのかしら。まぁ弁明もなにも本当に私じゃないのだけれど。
あれからソフィーリアの体調がよくなったという話は聞いていない。というよりあの事件からソフィーリアの情報については箝口令が敷かれている。公爵唯一の姉だ、当然のことだろう。
首元に身に着けていたペンダントの先端の魔石が光った。
そう、私はシノアールから送られたペンダントを肌身離さず持っていることにした。それは大事なものだからとか、高価なものだからなどではない。こんなものがこの屋敷の人間に見つかるとどう考えてもまずい展開になるだろうから。まだこの屋敷にきて少ししかたっていない。私も公爵に仕える使用人たちもお互いに信用が足りない。このペンダントを見られれば私への疑いがさらに深まってしまう。
それにしてもこんな朝からなんの連絡だろうか。まさかソフィーリアについてか。
私は部屋の扉に鍵をかけ、ペンダントの魔石の裏を押した。
「おはようございます。シノア兄さん。こんな時間にどうしたの?」
そこには前と同様にホログラムでシノアールの姿が映し出されていた。
だけどなんだろう…シノアールの表情は少し機嫌が悪そうに見える。
「ああ、おはようメルティ。前から二週間程度たったかな?前回お願いしたことの進捗状況を聞こうと思ってね。」
やっぱりソフィーリアについてね…。さて、どうこたえるべきなのか。
「あのことでしたら順調です、この間は大きく体調を崩していたようです。ただ…やはり何度もとなると警戒されますし、タイミングも難しくなってきました。」
とにかく幸か不幸かクドクソウでソフィーリアは寝込んでいる。今はその状況を利用するしかない。
「うん、なるほどね。まあそれも一理あるね。やはりクドクソウとなると摂取させるのも手間がかかるか…。」
なんとか誤魔化すことができそうだ。
「だけど、嘘はいけないよ?メルティ。」
っ!?
シノアールがそういった途端に首元がブゥンと光り、不思議な文様が浮かび上がった。
「っあぁ!!!!」
瞬間に実家でシノアールに黒魔術をかけられたときと同じ激痛が身体中に走った。あまりの痛みに脳が思考を放棄する。地面にうずくまりペンダントを睨みつけることしかできない。
痛い…痛い、どうすればこの痛みを散らせるのか。
そんなことを考えながら痛みに耐えていた私は気づかないうちに自身の腕にもう片方の手の爪を立てていた。爪が強く刺さり、深く刺さった傷からは血が流れた。
「いいかい、メルティ。あのクドクソウでの毒は私がそちらに潜ませている者の行動によったものだ。メルティが思ったより行動に移すのが遅かったからこちらから指示を出したんだ。
やっぱりスパイを仕込んでいたのね…あんな偶然が起こるはずはなかった。
「お、お願い…シノア兄さん。これを、とめて…。」
「可哀想なメルティ。だけど、素直に私の指示を聞いてくれなかったことは傷ついたよ。いつもは迷うことなく行動してくれるのに…何がメルティの視界を曇らせているんだろう?」
シノアールはわざとらしく悩むような素振りを見せる。
苦しい…止めてもらえない。腕の血は止まることを知らない。さらに爪を突き立てる。だれかこの苦しみから私を救って…。
「メルティ、今後はこんなことがないようにいつも通り私のいうことを聞いてくれる?」
「…聞く、聞くわ。ごめんなさい、私が悪かったの。次こそは失敗しないわ。」
考えるよりも先に口が動いた。
「そう、わかってくれてよかった。信じてるよメルティ。じゃあ今度は…そうだね、公爵の食事にクドクソウを盛ってくれ。一度でいい、その報告がこちらに来たら私もメルティを再び信用できる。」
い、いったい何を考えているのか。公爵にクドクソウを…?
「うん…わかったわ。」
「よかった、信じているよメルティ。」
そういってシノアールが通信を切ったと同時に痛みが引いた。
私はとんでもない指示に絶望しながらも痛みの反動でそのまま意識を手放した。
私が次に目を覚ましたのはお昼時を過ぎたころだった。部屋へ来た使用人のノックで目を覚ました。
まずい、今何時なの…?公爵との約束をすっぽかしたかもしれない。
ハッとなって周り見渡すと床は腕からの出血で赤く染まっていた。
こんなところを公爵家の人間に見られたらどんな噂話が回るかわからない。とにかく使用人を部屋に入らせるわけにはいかない。
「すみません、少し体調がよくなくて寝込んでいたのですけれど…。」
「そうだったのですね。それでは公爵様にはそうお伝えしておきます。メルティ様がなかなか来られなくて公爵様が心配していらっしゃいましたので…。」
公爵様が?
心配なんて冗談でしょう?公爵が私のことをそんなに気遣う理由がない。建前ということかしら。
「お手伝いする侍女をこちらに来させますか?」
「いいえ、少し横になったら落ち着くはずだから大丈夫よ。…あ、それと少し包帯をもらってもいいかしら?」
「包帯、ですか?」
侍女は明らかに不思議そうな反応をした。
「ええ、少し躓いてしまってかすり傷ができたのだけれど、傷が広がってはいけないから。」
「かしこまりました。それでしたら包帯だけすぐにお持ちいたします。」
なんとか事なきを得たと思う。
すぐに侍女が部屋に包帯を持ってきてくれたので部屋の前に置いておくように伝えた。
なんとか誤魔化すことはできたけどせっかく公爵の私に対する印象を挽回する機会を棒に振ってしまった。
「痛い…。」
思っていたより深い傷になった腕を包帯でぐるぐると巻いていく。
これはしばらくは腕の出る服装を控えなきゃいけないな…。
時期のおかげでまだ助かるけど、屋敷の人たちには悟られないようにしなければいけない。
床の血は何とかふき取って痕跡はすべて完全に処分した。ばれないように捨てるのは大変だったけど何とかなってよかった。
包帯を巻き終わってベッドにゴロンと横になる。
「はぁ,,,疲れた。これからどうしたらいいんだろう。公爵にクドクソウを盛るなんて私にできる気がしないしする気もない。だけど…。」
さっきの激痛を思い出し身の毛がよだつ。
逆らったらまた同じようなことになるに違いない。
気が重く感じているとだんだん瞼も重くなってきた。うとうととしているとノック音と「今大丈夫か?」という低めの声が聞こえた。
こ、公爵…!?
まさか私が昼食の会をドタキャンしたから問い詰めにきたの!?まずい、あの公爵相手に私の嘘が簡単に通じるとは思えない。どうにかしないと…。