五話 一時間目 宗教学
ファンタジー世界のご多分に漏れず、グラーフ王国でもしっかりと宗教という概念が存在していた。
とはいっても、キリスト教やイスラム教、仏教のような類のものではなく、この異世界全体で信仰されている広範なもので、教義というよりはモラルを高める道徳教育っぽいものらしい。
義神、愛神、智神。
約束を守り礼儀を大切にする、規律を重んじる義神。
あらゆることを愛と寛容を以って慈愛を説く愛神。
教養を身につけ己を律し、凛とした気品を身につけることを説く智神。
この三神が主な信仰の対象であるらしい。
「これは、本当に宗教か?」
少なくとも、僕からすればこんなものは宗教でもなんでもない。
宗教というのは本来多様なはずの価値観の統一のための道具、というのが僕の考えだ。敬虔なキリスト教徒などに言えば殺されかねない暴言だが、宗教観念の薄い日本人なのでそのあたりは御寛恕願うことにする。
だが、厳然たる事実として宗教は国の運営にとても便利な道具であったのも確かなのだ。思想・思考誘導の道具として、である。異なった価値観を徹底的に廃絶させるのにも便利だ。異端扱いすれば、それだけで自動的に外敵を排除できる。
「ええ。己の良心に反することなく生きることこそが、三神の願いである。と」
寛大すぎる上にゆる過ぎる。うっかり入信して信者になってしまいたくなる。…もちろん皮肉だが。
「もちろん、このような緩やかな信仰が根付いているのはグラーフ王国だけです」
なぜかおわかりで? とストラトが目で問いかけてくる。
「地理上の問題?」
「そうです。他国から攻めらない代わりに交易などもほとんどない閉鎖的な国ですから」
人々は純朴で三神の教えに忠実に慎ましやかに生活していたらしい。
先代国王が存命で、腐敗貴族連中が暴走を始めるまでは。
「それに、未だに国家が転覆していないのは三神の教えと教会の慈善活動のお蔭でしょう」
政治色の薄い、国民の間でこそ真に頼られているのが教会なのだという。
身近な相談業務から、冠婚葬祭。町内会の意見のまとめ役まで、あらゆる市民生活の要。
その他にも孤児院の運営、貧困民の救済、学童教育などの福祉業務も引き受けているというのだから、その偉大さが窺える。
「純朴…にも程があるな」
眩しいくらいに純粋だ。
「意外とそうでもないかもしれませんが、貴族に比べれば毛ほどのものでもありませんな」
「なに、教会が健全に機能しているのならそれは喜ばしいことだよ。政教商での癒着が普通だと思っていたから」
改善点が減って助かる、というものだ。
「で、やっぱり神官っているの?」
「ええ。おりますとも。
三神の声を聞いたもの、そしてその御力を借りた神聖魔法を扱うことの出来るものが神官です」
「神の声?」
「然様です。ですが、どのようなものかは存じません。神官ではございませんので」
…どこかで聞いた話だ。
魔術師。神官、とくれば――
「もしかして、精霊使いなんてのもいたりするのか?」
「もちろん居りますとも。魔法は三系統ありましてな。
私のような魔術師が使う古代語魔法。三神の神官が使う神聖魔法。そして精霊使いが使う精霊魔法があります」
よくよくどこかで聞いた話だ。
「この分だと、エルフとかもいたりする?」
「御慧眼ですな。特に我が国は多様な種族が暮らしております」
「やっぱり…」
「国境山脈の麓の森にエルフの里。
国境山脈の切り立った崖にはフェザーフォルクの集落。
海岸沿いには人魚族の棲家。
ドワーフなどは人々と同じように街中で暮らしておるものも多くおります」
想像以上の大所帯だ。
「そんなに色々な種族が居て喧嘩にならないのか?」
肌の色のが違うだけ、たったそれだけの理由で差別が起こる。ましてや種族が違っては――
「なりません。彼らは迫害の果てに、この国に辿り着き受け入れられたのです」
グラーフ国民すげえ。とてつもないお人よし国民。
「集落への交易もありますし、街に出てきて暮らすものもおります」
本当に、豊かな国なのだろう。グラーフ王国は。
他国で迫害されていた難民を受け入れることができる、というのは国が、そして人々が豊かな証拠だ。
「その全てが、とは申しませんが三神の教えによるところが大きいでしょうな」
「自由に身動きできるようになったら、是非とも話を聞かせて欲しいものだな」
「そうなさると良いでしょう」
少しばかり毒気が強すぎますからなあ、陛下は。なんてストラトは笑う。
「うるさいよ」
全く。容赦の無い臣下である。
本当に、書かなくてはならないことが多いっ!