四十三話 革命前夜②
…思ったより長くなってしまい、前夜は③まで続きます。
夜――後宮の見回りをするのが癖になってしまったのはいつからのことでしょうか。
三年前、両親の友人でありいろいろと面倒を見てくれたストラトおじさまが引き合わせてくださったご主人様は――どこまでも普通の人でした。
聡明で。
賢明で。
博識で。
優しくて。
でも、とても脆い人。
後宮で起こってしまった暗殺未遂事件は、その弱い心を完全に打ちのめしてしまうほどの衝撃をミノルさんに与え、その傷も完全に癒えることもないまま、ミノルさんは革命を指導し活動に没頭していきました。…それこそ、凄惨な記憶を忘れようとしているかのように。
…日中はそれでもよかったのかもしれません。しかし、夜はそうもいかないということをわたくしは知っています。
夜はどうしようもなく独りになってしまって。
その暗さが。
先の見えない不安さが。
傷の癒えないミノルさんに重く圧し掛かっていることを。
そのことを知っているのは…わたくしと、ミノルさんだけ。他の人も気付いてはいるかもしれないけれど、基本的に後宮深部――ミノルさんの寝室近辺はプライベートエリアということで、余程のことがない限りは近づかないのが暗黙の了解になっているから、確証には至っていないと思います。
事件から半年あまりは寝室にずっと居候していたのですけれど、ミノルさんの気持ちが安定してくるにつれて、革命の準備が忙しくなるにつれてわたくしの足は寝室から遠のいていきました。…ただのメイドでしかないわたくしが、いつまでも国王の寝所に居座るわけにはいかない、とそう思ったからです。…というのはただの建前で、心が落ち着いてきたのはわたくしも一緒のことで気恥ずかしさが芽生えたのです。ミノルさんにしてもそうで、わたくしの存在が逆に心を騒がせてはいけない、とも。
とはいえ、ミノルさんの心が急に強くなるようなこともなければ、不安がどこかに消えたわけでもありません。ましてや、目の前に山積みになった問題が減ったわけでもないのです。
状況は進んでいます。ですが、なにひとつ改善も解決もしていないのですから。
だからこそ、ミノルさんが心配でなりません。一時よりは良くなったとはいえ、ミノルさんが不安定なことに変わりはなくて。いつ、どこで、なにが引鉄となって恐慌に陥るか分かりません。主であるミノルさんに対しては失礼だとは思うのですが…心配というよりは過保護――あるいは不信の域にまで達しているのかもしれません。
そんな気持ちが、思考がわたくしを夜の見回りに駆り立てるのです。
どれほど疲れていても、深い眠りに就いていても、突然目が覚めてしまうのです。妙な胸騒ぎがして、飛び起きたことも二度や三度ではありません。そういうときには決まってミノルさんが悪夢にうなされているのです。そんなときは、声をかけるでもない、起こすでもなく、そっと手を握って差し上げる……たったそれだけのことで穏やかな眠りに落ち込んでいく。穏やかな眠りに戻っていく。その瞬間、わたくしは自分がここにいる意味を深く深く感じるのです。わたくしの役目は、この方の心をお守りすることなのだと、強く感じるのです。
…正直なところ、メイドの領分を超えているなぁ、とは思うのです。
メイドとして、教えを受けた内にも"主に過分な思い入れを持つな"という話を幾度となく聞かされました。本来、メイドというのは家に仕えるものであって個人にお仕えすることはありません。お付きのメイドであるにしても、一生をその主だけに仕えることはほとんどないからです。
…そしてもうひとつ。
"これだけは努々忘れるなかれ"と教えられたことがあります。
異性の主に仕える場合。それも身分の高い主に仕えるのであれば、使い捨てにされることも覚悟しなければならない。年若い娘は特に!と先生は常日頃から言っていました。
年若い娘をメイドとして雇いたいというのは大抵が特殊な場合です。貴族の令嬢にお仕えする場合か、あるいは貴族の道楽、愛玩用等々……"身の危険"が身近な場合が多いのだと教わりました。実際の話、一緒に教えを受けた方々はほとんどがある程度お歳を召してらっしゃいましたし、作業などもわたくしなんかよりずっと手際良くこなしておられました。曰く、「年季が違うのよ、お嬢ちゃん」と言って笑いながら、様々なことを教えていただきました。…話が逸れましたけれど、つまりはわたくしたちのようなメイドは非効率的なのです。そんなわたくしたちを必要とするのは先ほども申し上げた特別な方々です。…実はわたくしも特別な例なのですけれどね。
人里育ちのエルフ…そんな特異性は、わたくしにはとても悪い方向に作用しました。…それこそ、主のもとへ送り出すことができないほどに。
先生はとても強い信念と矜持を持ったお人でしたので、自分が大丈夫だと判断した人間にしか教え子を託すことをしませんでした。…そのお陰で今のわたくしがあるのですが、このご時世に"エルフの年若いメイド"などを連れ出せば大変なことになる、と先生は分かっていらっしゃったのでしょう。どのような"酷い目"に遭わされるか、考えたくもない…そう吐き捨ててずっとわたくしを手元から離しませんでした。ストラトおじさまから、声がかかるまでは。
先生はそれにもいい顔はしませんでした。身の危険はもとより、王宮などという魔窟に教え子を送り込むような愚かなまねはできないと反対しました。わたくしも最初は断ったのです。お仕えする最初の主が国王陛下だなんて、恐れ多いにもほどがあるし、なによりあまりに突飛な話で怖くなってしまったのです。そんなわたくしに、ストラトおじさまは「あの方にはお前のような人がそばに必要なのだ」と頭を下げて「主として気に入らなければ、私が責任を持って返す」とまで言ってくれたのです。恩人でもあるストラトおじさまにそこまで頼まれて断り切れなかった部分もありますけれど、気になったのも確かでした。ストラトおじさまにここまでさせる国王陛下とは、いったいどんな人なのだろうか、と。
…結局、わたくしの心配は杞憂に終わりました。わたくしのご主人さまは、拍子抜けするほど普通のお方でした。その知謀は恐ろしいほどに切れるのに、どこまでも平凡で…親しみやすい人でした。…そして、とても臆病な人。
後宮に召し上げられた人間で、誰一人としてミノルさんと夜とを共にした人物はいないのです。数ヶ月間、とかいう期間ではなく召喚されて以来三年間――ただの一人も。
…強いていうのであれば、わたくしがそうですけれど、身体を求められたことはただの一度もありません。恐怖で気も狂わんばかりであった事件の直後ですら、快楽に逃避することがなかったのです。
…それはミノルさんの強さでしょうか。…わたくしは弱さだと思うのです。その行動一つで何かが大きく変わってしまう…そんな変化をとても恐れている――それがミノルさんの一番近くにいるわたくしの印象です。
革命を指導しているのに変化が恐ろしい、などと言えば可笑しいと思われるかもしれません。ですが、間違っていないと思うのです。この三年間、ミノルさんと後宮に召し上げられた人々の関係が変わったことは一度もないのです。
革命の教育者と教え子という関係が崩れたことはありません。ジルヴァさまやレヴェッカさまのように、信頼の度合いが違うことはあってもそれ以上ではないように思うのです。
あるいは、わたくしがそう感じているだけかもしれません。でも、わたくしにしてもストラトおじさまにしても従者と主の関係が崩れたことは一度もないのです。"極めて私的にお仕えしている"わたくしですら、そばにいることを望まれたことはあっても、それ以上を望まれることはありませんでした。
…はじめは自分の身体の心配をしていたはずなのに、いつの間にか危なっかしくて仕方ないご主人様の心配ばかりしています。
不満とストレスを溜めこむばかりの生活ではないのでしょうか。
皆の手前、愚痴も弱音も吐けないのではないでしょうか。
いっそ、この身でその苦しみを受け止めることができれば、と思ったことすらあります。"…馬鹿なヒロイニズムに酔うんじゃない"と叱られてしまいましたけれど。それは本心でしょうか?わたくしの目に映る今にも泣き出しそうなあなたはわたくしの妄想でしょうか?
ねえ、ミノルさん。
あなたは。
きっと眠れない夜を過ごすのでしょうね。
臆病で弱いあなたは。
もはや逃げ出すこともできないあなたは。
この夜をどう過ごされるのでしょうか。
話相手がほしいと思ってらっしゃいませんか。
僅かに光の漏れる寝室の扉を控えめに叩き
「ミノルさん。起きておられますか?」
声をかけた。
2011/01/08
最後のほう≪ヒロイズム→ヒロイニズム≫に変更しました。