三十八話 幕間
剣閃が走る。
とはいっても木剣でしかなく、余程の事がない限り大きな怪我にはならない。しかも、扱っているのが素人同然とあっては。
しかし、妙な緊張を強いられているのは篭められている気迫の違いだ。訓練でしかないはずなのに、真剣以上の力がその目には宿っている。
次々と繰り出される剣に打ち合わせるように剣を振るっても彼は決してその手を離すことはなく、更なる剣戟を重ねてくる。
「……ッ!」
このままでは気に飲まれかねない。
そう判断して、対応を切り替える。防御から攻撃へ。いくら気迫が篭っていようとも手数は圧倒的に少ない。攻撃の合間に反撃を加えることは極めて容易。
振り降ろされる剣を軽くいなし、これまた軽く突きを見舞うだけで盾に身を隠し攻撃の手が止む。気迫と腕が全く釣り合っていない。何度言っても手が止まる。
――しかし、確実に進歩してもいるのだ。盾の上から力一杯殴りつけてもこの身体は揺らぐことがない。以前扱っていたよりも大型の騎乗盾は小柄な全身のほとんどを覆い隠すほど。その分重く、扱いも難しいというのに上手く扱えているようだ。
…あるいはほぼ全身を覆い隠せるという点が有利に働いているのかとも思う。
「まだまだ、こんなものでは終わりませんよ、"陛下"!!」
ボクは声高く宣言し、猛烈な連檄を加え始める。
袈裟、逆袈裟、横薙ぎ、刺突。それも半端な力しか篭らない片手ではなく、両手で叩き込んでいく。こちらがボクの元々のスタイルだ。後宮に来る前は騎士団に所属していたから騎馬戦闘も学んでいるが、徒歩戦闘がボクは得意だった。それも盾を使うよりも、両手剣で戦う方が。
普段から愛用する得物は俗にバスタードソードなんて言われる片手半剣。片手でも両手でも扱えるというシロモノで斬るにも突くにも適した一見便利そうに見える武器だが、普通騎士が所持しているロングソードよりも長く、また重い為に好んで使うものは少ない。
父ほど体格に恵まれているわけではないが、訓練を怠らなかったこともあってそんな難物を扱うにも不自由は全くない。
木剣と真剣ではかなり勝手は違うけれど、本気で剣を叩きつけている。――なのに、揺らぎはしても決して崩れない。木剣を通じて伝わる感触は頑強そのもの。
前に稽古をしてからもう随分になるが、その成長は目ざましいものがある。打ち合うことに退けていた腰は、今やどっしりと構えている。そして筋力も増しているのだろう、生半な攻撃では打ち崩せない。
これも陛下の恐怖への防衛反応なのだろう、とボクは思う。
リディアさんから聞いた話だが、陛下はかなり念入りに筋力トレーニングをなさっていたらしい。他でもない、身体的劣勢を補うためだ。あの殺されそうになった夜を克服せんがために。
そう、これは負けないための戦い方だ。
分厚い板金鎧を身に纏い大盾を構えいかなる攻撃をも耐え忍ぶ。子どもの頃に読んだ騎士の御伽噺に良く似ている。常に民衆の盾であり続けたその騎士は最後にどうなったのだっけ?よく思い出せない。
もはや鈍器による殴打と変わらぬ斬檄の嵐の前に、ついに大盾が弾けとんだ。腕をもぎ取らんばかりの勢いで訓練室の端まで転がっていく。それを目の端で追いつつ、最後の反撃とばかりに突き出された木剣を跳ね上げた。
試合終了。
訓練室の天井に跳ね上げた木剣が当たり、一拍置いてからんと軽い音を立てた。
黒い髪の、ボクから見れば幼く見える年上の主君――陛下はそのまま崩れ落ちるように床に大の字に寝転がった。
「やっぱ、勝てねー……」
ぜっ、ぜっ、と全身汗まみれで、粗い息を吐いている。
「子どもの頃から剣を握っているんです、そう簡単に負けるものですか」
それこそ、つい先日まで食器のナイフも握れなかった人間に負けるはずもない。…むしろ今日になって突然、今まで手に取られることもなかった木剣を持ち出し、訓練に呼び出されたことの方が驚きだ。
前回会ったのは陛下の暗殺未遂があって一週間ほどした一度きり。それから一ヶ月近く、書簡のやり取りだけでとても会える状態ではないと聞いていたから尚更だった。
久方ぶりに対面した陛下は、人が違ったようだった。
悪い意味ではなく、良い意味で。
少し痩せたように思う身体も、相変わらずの目の下の隈も気にならないほどの落ち着いた雰囲気がそう感じさせたのだと思う。
自棄でもなければ、努めて前向きになろうとしているわけでもない。はたまた諦観でもなく。
一体この一ヶ月の間になにがあったというのだろうか。
「なあ、ジルヴァ。今日の動きはどうだった? 久しぶりにしては悪くなかったと思うんだが」
「守りに徹したやり方としては悪くなかったと思いますが、盾はもっと柔軟に扱わないと真剣で戦ったときには割られますよ。力任せに受け止めるのが盾の本来の扱い方ではありませんからね」
本来は致命的な一撃を防ぐ、矢を防ぐといった予防的なものでしかなく、破壊力を増すように作られた鎚矛の一撃などを受けようものなら腕ごと砕け散りかねない代物だ。主な素材が木と革ということもあるが、腕で保持する以上は鉄製にするわけにもいかないのだ。
「今日みたいな使い方は駄目、ということか」
「少なくとも、常道ではありませんね」
「…元より、常道など歩いてこなかったよ」
軽い笑い声が漏れる。
確かに、静かに息を潜めて転覆の機会を作り出しひっくり返してやろうとあの手この手を使おうとしているボクたちは、常道からかけ離れている。
「しかし、陛下。剣の扱いはお粗末なものです。よくよく訓練なさってください」
「…分かった」
元々武道の心得があるわけでもない人間が急に上達などするはずもないが、陛下は良く頑張っているといえる。
それに、不自由な身の上で身の丈にあった武具が用意できないのも問題だ。一口に剣とはいっても種類は多岐にわたるし、鈍器や長物まで含めればどれほどあるやらといった数になる。
不穏な行動と思われないように物資の移動に関しては、厳重すぎるほどに神経を使っている。少しでも疑われるようなものを運び込んではいないのだ。
…後宮で武器戦闘をしなければならなくなる状況というのがまたありえない話でもあるのだけれども。
「そうそう、ジルヴァ。近いうちに革命の指南書を手渡せるものと思う。よくよく皆で話し合って理解を深めてくれ。
革命の精神が理解できたら次にやってもらわなければならないことも山積している。これからは忙しくなるぞ」
大の字のまま、口角を僅かに持ち上げて意地悪そうに陛下が笑う。
その表情になんとなく悪戯心を刺激されてボクもつい言い返してしまった。
「陛下も、盾の扱い方というものをボクがみっちりと叩き込んで差し上げますよ」