二十七話 発起
一部差別的な意味合いの言葉では?とのご指摘を頂戴しましたので修正しました。ありがとうございます。
後宮には動揺が走っていた。
いや、動揺などという生易しいものではない。激震だ。
誰もが大きな声で語ることはないが陛下が倒れた今、誰がこの革命騒ぎを収拾するのか誰が責任を取るのか。そんな話で持ちきりだ。しかし、そのような浮ついた話を表立ってしないだけの分別はあるのか、貴族の子弟とその従者百名以上が詰めているはずの後宮は異様な静けさを保っていた。
嫌な空気。
つい先日までの活気は鳴りを潜め、その代わりに不穏な気配が漂っていた。
ボクたちを蹴り飛ばすかのような罵り声も、一点の文句もつけようのないほど整然とした論理も、尽きることのない泉のように湧き出るアイディアも。その全てをこの場にもたらしていた人物が今はいない。たったそれだけのことで、こうも静まり返ってしまうものなのか。ボクたちが目指そうとしたものは――
「ジルヴァ・ブランデン」
「レヴェッカ・マッケンゼン」
背中に向けられた呼びかけ。それに答えるボク。
振り向くまでも無く、豊かな小麦色の髪を縦に巻いた髪型が印象的な少女の姿が脳裏に浮かぶ。忘れられようはずもない。幼い頃からの仲だ。お互いの呼びかけをフルネームで行うのは、なんというか礼儀のようなものだ。子どもの頃から、ずっと仲良くしたが年頃になるにつれ次第にそうもいかなくなる。貴族にとって婚礼は駆け引きの延長でしかない。恋愛結婚など物語の中の絵空事。妙な噂でも立とうものなら家名に傷がつきかねない。…なんて幼いながらに考えたボクたちは明確な線引きとしてそうするようになった。
「なんて顔してるのよ、アンタ」
不細工ったらないわ。なんて笑うレヴェッカには、ボクの顔は見えていないはずなのに。…いや、分かるか。最初の遣り取りだけでお互いの調子を計ることぐらいは造作もないことだ。
観念して振り返ってみれば、口ほどには笑えていないレヴェッカの姿。その口元は笑みというよりは自嘲。
「王国、滅亡前夜…そんな感じがしないかい?」
ボクはそう呟く。
白い大理石の回廊。
不気味なほどの静けさ。
中庭の木々の葉擦れの音。
そして絵になる男女が二人。
駆け落ちの算段でも始めれば立派な王侯ロマンスの出来上がり。
「そんなの、お断りですわ。まだ始まってすらいないのに止めてなるものですか」
「そうはいうけど、この調子じゃ…」
貴族然とした強気とも高慢ともとれるレヴェッカの態度はそれは心強いものだが、現状は如何ともし難い。つい先日まで共に革命の理想を語り合った仲間でさえ、今は保身の算段をしているのだ。最悪の場合、革命を密告することで自己の安全を図ろうとするものが現れないとも限らないのだ。
「この程度のことがなんだというのです。皆が馬鹿なことを考えているというのであれば、殴り倒してでも目を覚ませてやればよいだけのこと。違って?」
殴り倒してでも、とは過激だ。
苦笑いが漏れる。そういえば、ボクがうじうじと悩んでいるときはいつだってレヴェッカが頬を張りにやって来たっけ。いつだって彼女の答えは単純明快。
「もとより"あの男"は私たちをアテになんかしていませんわ」
「っ!? それはどういうことだ!?」
「使える者は一握り。他はその他大勢。実際の政治でもそうでしょう?」
さも当然であるかのようにさらりとレヴェッカは言う。彼女の言うことは確かに間違ってはないない。しかし、武人として育てられてきたボクにはおいそれと認められるはずもない。個人の武勇は確かに意味がある。しかし、どれほど鍛錬を積んだ達人でも一人で千人もの兵士を擁する軍隊とは戦えない。数はもまた力だ。
「ほんの一握りって君は言うけど、たったそれだけの人数で国が動かせるとでも?」
「いいえ。実際に国を動かすとなれば数も必要でしょう。
私が言いたいのは、あなたが"使う側"なのか"使われる側"なのか、ということですわ」
頭脳となるのか、手足となるのか。
一握りの使える人間として、その他大勢を使うのか。その他大勢として使われるのか。
「ボクは――」
国家の統治形式は複雑だ。真なる頭脳は国王だたひとり。しかし、その手足であるボクたちもまた頭脳でなければならず、その手足となる部下たちもまた――と幾度も繰り返す。本来、下から一つずつ上らなければならないところを、極めて高い位置からスタートできるのが今のボクたちだ。バレれば即刻処刑というリスクを抱えることにはなるが、そこは己の才覚を遺憾なく発揮すれば、そしてその才覚が腐敗貴族連中よりも長けていれば歩の良い勝負になる。
功名心や出世欲、権利欲なんてどうでも良いと思っているけれど、この国を変えるのには権力はあったほうが良い。
「"使う側"だ。ボクは陛下を見捨てたりはしないし、裏切りもしない」
力強く断言。特別自分を無能とも思わないし、自負や矜持もあるつもりだ。ましてや、今の後宮にボクやレヴェッカほどに骨のある若者は他にいない。陛下の意思に賛同した者ばかりが集められているが、それも様々だ。従っておけば重用されるだろうという下心のある者もいるだろうし、本当に国民のことを思って参加した者もいるだろう。そのどれにしても、能力まで伴っているものは非常に少ないのが実情なのだ。
「なら、使う前に従えて来なさい。私はもう駒を束ねましてよ?」
切れ長の瞳が、更に細められる。ボクを値踏みしているような目だ。
"私にできて、貴方にできないことがありまして?"
声にこそ出さないが、ボクにそういっているのだ、レヴェッカは。
「言われるまでもない。そんなことは大したことじゃない…。問題は――」
伊達に陛下の補佐――という名の教育係兼お目付け役をしていたわけではない。陛下に協力してくれている人物のことは全て頭に入っているし、考え直すように説得する自信もある。そんな単純なことも思い付かなくなるほど頭を悩ませていたのはもっと別のことだ。
「問題は?」
「指導者がいない。ボクたちが皆を引っ張っていくにしても、明確な指針を示してくださっていた陛下が倒れられたとあっては…」
「革命の戦術は、それこそ繊細なものだけど、別段目新しいものではなくてよ。私たちでも十分に継続できましてよ?」
もちろん、細心の注意を払って、ですけども。とレヴェッカは補足する。
「そうじゃない。このまま進めてしまった革命は、本当に国民のためになるのか? 陛下はまずボクたちに"国や貴族のために国民があるのではない。国民のために、国や貴族があるのだ"と仰った。その意図が分からないままに進めていいのだろうか?」
多分、陛下が考えておられるのはもっと根本的に違うなにかだ。ボクたちが考え付き、できることはといえば所詮は首の挿げ替えでしかない。もちろん、成功の暁には善政を心がけるつもりだし、陛下が血迷ったのであれば命を賭けてお諌めするつもりだが―――
「それは…"あの男"にお出まし願うしかないのではなくて?」
頑なに"陛下"という言葉を避けるレヴェッカも、流石に思うところがあったのか眉を顰めた。懐から扇子を取り出して玩ぶ。それが物事に行き詰ったときの彼女の癖だと、ボクは知っている。
「…結局は陛下頼りなのか…」
「ちょ、ちょっと。そんなに調子が悪いんですの?」
ぱっ、と扇子を広げて表情を隠すが、うろたえているのが全然隠せていない。
「ああ、レヴェッカは知らないんだっけ」
他の誰にも漏らさないことを宣誓させて、ボクは事の経緯をレヴェッカに話した。話を聞く彼女の顔色は赤くなったり青くなったりを繰り返し、最終的には真っ赤で落ち着いた。
「なんたる惰弱! 貧弱! 信じられませんわ! たかだかその程度のことで!? 甘ったれるんじゃありませんわよ!? 王とも在ろうものが暗殺程度でビビッってんじゃないですわよッ!?」
「ちょ、レヴェッカ落ち着いて!」
「散々大見得を切ったくせに、なんという様ですの!?」
「声が大きいよ!」
「~~~~~~ッ!!!」
なんとか大声で陛下を罵倒するレヴェッカの口を塞がせることには成功したが、その怒りが冷めることは無くまた貴族の誇りからか地団駄を踏むこともできず――代わりに扇子を力一杯締め上げていた。
しかし、レヴェッカの叫びはボクの心中の代弁でもあった。
「言いたいことは、分かるよ。いくら召喚された王とはいえ――」
あんまりだよね、とは続けられなかった。
「召喚…それですわ!」
「いや、なにが?」
「覚えておりませんこと? 歴代の召喚王は在位が極端に短いことを」
『列王記』という書物がある。
これは歴代国王の中でも国家の繁栄や発展に著しく寄与した名君のみが名を連ねることの出来る国家の記録である。『列王記』に名を残した国王は、その生涯を永遠に讃えられるべく記録に残されるのだ。国家の体現とも言われる王侯貴族はもちろんのこと、国民にも広く知られている書物である。もちろん、生涯であるから生年から没年まで記載されているわけだが……。生年の書き込まれている王はいない。――その全員が召喚王であるからだ。
建国王とも呼ばれる初代国王は、今はグラーフ王国の領土である一帯を別々に治めていた豪族たちを平定、統合しその名の通り国を立ち上げた一代の英雄である。その血筋が途絶えたあとには、二代目の召喚王が統治し、粗野であった農耕を洗練され生産性の高いものへと昇華させた。三代目の召喚王は製鉄の技術を。四代目は造船・航海技術をグラーフ王国にもたらしその名を『列王記』に残している。建国王は齢七十余りまで生きたが、他の召喚王は軒並み短い。異世界の技術をもたらしそれが根付いたのを見届けると王位を子に譲り退位している。その間、長くて二十年。
「そう、"長くて"二十年ですわ。記録によれば、召喚された当時の王は皆若い。にも拘らず二十年で退位するというのはどうしてかお分かりになって?」
「……陛下と同じなのか? "王"であることの重圧に耐えられなかった?」
「"あの男"が特別なのではなく、召喚王そのものが精神虚弱なのではなくて?」
至極大真面目に語るレヴェッカだが、話が逸れている。学院などに論文を提出すればそれなりの評価はもらえるかもしれないが…その前に不敬罪で投獄だろうか。
でも、それなら辻褄は合う。絶対の権勢を手に入れておきながら大した未練も見せずに投げ捨てるのは、権力が惜しいのではなく身に降りかかる重圧から逃れんがためであったとしたら。
―――ミノルさまは勇者でも英雄でもない―――ただの人間です
平和な世界の住人であったというのなら。その精神の脆弱さは納得できるのだ。
「ともかく、陛下は臥せっておいでだ。話したとおり」
「…惰弱っぷりには呆れますけれど、その根性は褒めて差し上げますわ。…まだ諦めておられないのでしょう?」
「必死に足掻いておられるそうだ」
死相にも似た陛下の顔色と、それを労わるリディアさんの優しい微笑が思い出されて拳を握る。
陛下は戦っておられるのだ。なのにボクたちときたら――
「…外に出るのが駄目というのなら、書簡は大丈夫なのかしら」
ぽつり、と。ボクの思考の間隙にレヴェッカの言葉がするっと入り込んでくる。
「書簡?」
「ええ。対面が駄目というのであれば、文字があるではないですか。侍女が常に傍にいるのなら文字の読めない"あの男"でも意味くらいは解するのではありませんこと?」
「その手があったか!」
「…私、極稀にですがあなたの事が心配になりますわ…。脳味噌まで筋肉にだけはならないようにしてくださいましね?」
ボクはもうレヴェッカの言葉を半分も聞いてはいなかった。
まだ陛下から学ぶ術はある。ただこれまでのような一から十まで手取り足取り教えてもらうことはできなくなる。しかし、それは望むところだ。陛下にばかり頼っていられない。グラーフ王国はボクたちの祖国だ。ボクたちが良くしていかなければならないのだ。
「感謝する。レヴェッカ・マッケンゼン」
「どういたしまして。ジルヴァ・ブランデン」
顔を上げて、胸を張る。
実際にどうなるかは分からない。しかし、今は少しだけ見えた目標に向かって突き進むのみ。
今の後宮は箱庭だ。この中では何が起こっても外には影響しない。ならば思いっきりやってみればいい。後先を考える必要はない。ただ全力でぶつかっていけばいいだけ。
ボクとレヴェッカは別れの通過儀礼を済ませて互い違いに白い回廊を歩き出す。
兎にも角にも、まずはこの居心地の悪い空気を入れ替えるべきだろう。まだ何も始まっていないのに終わらされては堪らない。
姿勢を正して、靴音高く歩みを進めた。
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