二十六話 疑念
文章の一部に誤解を生じるのでは?とのご指摘を受けましたので、その部分について加筆修正を行いました。
どうにか泣き言ばかりの身体を叱咤してプライベート区画である安楽室まで戻り、ソファに身を投げる。リディアはストラトとジルヴァに一言断ってお茶を用意しに安楽室を出て行く。
ぱたん。
…鳴るはずのない扉の閉まる音が聞こえるほどの静寂。
殊、僕の素行――というのは聞こえが悪いが、作法などには五月蝿い二人が僕のだらしない様を見て黙っているなどありえないことだ。ストラトからは遠まわしな嫌味が、ジルヴァからは直接的な叱責が飛ぶのが常で、それは僕が本調子であろうがなかろうが容赦はない。しかし、その二人が部屋に居ながら何も言わないというのは他に言いたいことのほうが大切だからだろう。現にジルヴァは今にも踊りかからんばかりの形相だ。ストラトは年の功か、なんとか表情にこそ出していないが目が口ほどに物を言っている。
「……言いたいことがあるなら言っていいよ。だからそんな目で僕を見るな」
…正直、ちょっと怖い。感性が変わってしまったのか、それとも別の何かか。恐らく、至極真っ当な正義感に燃えているだろうジルヴァがなにか別のことに憤りを感じているように思えてしまって恐ろしい。普段通り、筋骨隆々といった感じの立派な体躯を執事服に押し込めたかのようなストラトもどこか僕を見る目が違って見える。非難されているわけでもない、ただ釈明を求めているだけのはずなのに、空恐ろしいことを考えているように見えてしまう。…ましてや、今この場にリディアはいない。縋る手も、庇ってくれる者もいない。
重傷だ。頼るべき仲間を信じられない。彼らの目を見るのが怖いなどとは。
「では陛下。言わせて頂きますが、あまりにも軽率です! 革命のためにありとあらゆる手段を講じるのはまだ理解できますが、アレはなんです!? これまで入念に隠してきたのに、帰って伝えろ!? 貴方は馬鹿ですか、どこにあの暗殺者の雇い主が味方である根拠があるというのですか!」
…ああ、なにもやり方に文句があったわけではないのか。ジルヴァが激昂しているのは僕の軽率な発言に、だ。暗殺者を主の下へ帰し、わざわざ秘匿してきた革命について明かしてしまったことだ。無論、身の安全を保障する、と言った約束を反故にして抹殺してしまえば秘密は漏れない。約束を一瞬で破ってしまったという罪悪感だけ。これまで通り…とはいかないが、秘密が露呈することに比べれば安い代償だ。暗殺未遂というだけで理由も十分すぎるほど。…そのつもりはないけれど。
「一応、根拠がないわけじゃない。腐敗貴族たちは今のところ僕を殺すメリットはないよ。僕は不正腐敗の親玉で、今の生活が苦しいのは僕が豪華絢爛な生活をするために貴族たちは過剰に税を取り立てる。それに異世界の技術を僕から引き出せれば凄い利益になる…。そしてなにより、彼らならそんな面倒な手段を採らなくても、もっと真っ当な大義名分があるだろう? 後宮に美男美女を集めて淫蕩三昧。諸悪の根源として打ち倒すには十分すぎる理由だし、なにより暴虐の王を倒した貴族たちは救国の英雄。ちょっと税を下げて適当な理由付けをしてやれば正当に暴利を貪れる」
「なるほど、陛下の仰りようも確かですが、それは我々とて重々承知していること。ジルヴァが問うているのは、地方領主だと断ずる根拠です」
へぇ、ストラトはジルヴァのことを呼び捨てなんだな、なんてストラトの渋い声を聞きながら思う。まあ、父親であるヴェルドとも親密な仲であるらしいと話に聴いた覚えがあるから、息子に近いものを感じているのかも。……いけない、思考が逃避しかけている。頭を振って意識をはっきりさせる。
「暗殺者が所持していたという、後宮勤めの腕章さ。アレで後宮の出入りを管理しているらしいじゃないか。リディアに確認してもらったが、元より後宮にあった分は全部揃っているし誰かの手引きがあったわけではない。つまり、想定外のところからの入手だ。その昔、後宮に勤めていた貴族連中なら持っている可能性があるらしい…というのも聞いている。でも、さっきも言ったように腐敗貴族連中には僕を殺すメリットがなくて、むしろデメリットの方が大きい。だから地方領主だと思った」
気持ち悪い。吐き気がする。
世界がぐるぐる回っているようで、目を開けていられない。
早くこの責め苦から開放されたいがために口を開く。
「異世界の技術は、この国の歴史を大きく変えてきたはずだ。鉄や農耕、造船・航行技術…どれだけのものかは知らないけど、地方領主たちは異世界の技術を腐敗貴族たちが握ることで不利になる。反乱を起こすにしても、なにをするにしても…余計なことをされる前に真意を確かめるか、殺すかしなければならない。僕は待ってすらいたよ、彼らの使者がやってくるのをね。ただ、暗殺者が予想より馬鹿だっただけ…話が通じないとはね…。ああ、馬鹿は僕も同じか…」
「ですが、陛下。それはあまりにも短絡ではありませんか」
朦朧とし始めた意識で、彼はなにを言ったのだろうとぼんやり考える。あれ…そもそもストラトとジルヴァどっちだろう。
「二人は―――味方だよな?」
もはや言葉にならない呟きとともに、僕の意識は闇に落ちた。
* * *
何事かを呟いて主君たる黒髪の青年――姿形を見るだけならば少年でしかない――は力無くソファに伏した。
「陛下!!」
私が叫ぶよりも先にジルヴァが声をあげ、ソファに駆け寄る。
しかし、私はすぐには動けずに居た。この者は、本当にグラーフ王国の命運を預けるに足る人物かと今更ながらに値踏みしている。
確かに、この主は明晰な頭脳を持っている。それは、私からすれば貧弱そのものでしかない身体能力を補って余りある美点だ。カリスマも気品も持ち合わせてこそいないが、異世界の知識の詰まっている頭脳から捻り出される考えは恐ろしく切れる。
だが、しかし―――その思考に似合わず精神は驚くほどに脆弱だ。
ミノル・キリシマは、王の器ではない。
それはストラト・ツェーリンゲンの経験からくる確信だ。
王に必要なものは明晰な頭脳でもなければ、頑健な身体でもない。決して折れることのない精神だ。決して揺らぐことのない巨石でなければならない。
暗殺の憂き目に遭ったことを恐れるなとは言わない。怯むなとも言わない。しかし、その程度のことで精神を折られては絶対にならない。
だが、私はこの王に成り得ぬ若者を気に入っているのだ。王たる器にこそないが、同時に王たる全てを知っているように感じるのだ。
「ストラトさま」
「リディアか」
いつの間にかリディアが背後に立っている。思考に没頭しすぎるなど、これでは私も陛下のことをとやかく言えない。
「やはり、ミノルさまは倒れておいででしたか…」
「…なに?」
やはり、とはどういうことだ。
落胆を隠せずにいるリディアを気遣うこともせず私は問い詰めた。しかし、彼女は取り合わずに用意してきた銀盆をテーブルに置いて、熱したタオルを手にソファへ。
「ジルヴァさま、ありがとうございます。あとはわたくしが」
「え、ええ。御願いします」
慌てふためいていたジルヴァは脇に退き、入れ替わったリディアは慣れた様子で陛下の顔を拭っていく。
「…っ!!」
現れたのはとても生きた人間とは思えぬ土気色をした肌。そして目元には黒々とした隈。そして紫色の唇。
「化粧か!」
ジルヴァが叫ぶ。私は叫ぶことすらできなかった。
何故気付かなかった!
力ない様子には気づいておきながら、どうしてその良すぎる顔色に気付かなかったのだ。
「わたくしはお止めしましたが、聞き入れてはくださいませんでした。ミノルさまはわたくしたちが思っている以上に、弱いお方です。ですが、それもそうでしょう――?」
丁寧に丁寧に、優しく優しく顔を何度も拭ってゆく。
「ミノルさまは勇者でも英雄でもない―――ただの人間です」
「それがどうしたというのだ」
苛立っているのが自分でも分かる。
少し前まで面倒を見ていたはずの友人の娘が、主に仕えるようになってまだ幾許も立たない新米でしかないリディアに何が分かるというのだ。
「ストラトさまは、ミノルさまにあまりに多くのことを求めすぎておいでです。わたくしたちだって、ミノルさまが求められるもののどれほどを持っているというのでしょうか」
"若くて美人で護衛までこなす完璧なメイドなど夢想の中にしかおりませぬぞ"
そう言って、陛下をお諌めしたのはいつのことだったか。
どれほどの情けない姿を晒しても、決して無い物ねだりだけはしてこなかった。常に足りないのは自分自身と決め付けて、誰かにそれを求めることもない。泣き言は言っても我侭は言わなかった。
"足ることを知る"人物だからこそ、気に掛けて心を砕いてきたのではないのか。
「ボクたちは甘えていたのか。求めるばかりで、なにもしてこなかった」
ジルヴァの口から漏れるのは苦りきった独白。
頑張れ頑張れと盛んに捲くし立てた自分はどれほどのことをしてきたというのか。そう自分を責めているのか。
「ミノルさまは強いお方ではありませんが、足掻いておいでです。今このときに、強くなろうと足掻いておいでなのです」
今このときも。
化粧までして顔色を誤魔化し、平気であるかのように振舞って見せたこの青年は。
一体なにを目指しているのだろうか。
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