二十四話 深淵
ついに一万ユニークに到達しました!
これも読者の皆様のおかげです!これからも鋭意努力して参りますのでよろしくお願いします!
寝室の中は様々な負の感情、混沌とした思考が渦巻く魔境と化している。
その発生源たる僕は理性を失い、暗殺者は拒絶のしようもなく入り込んでくる激情に顔をしかめていることだろう。
総大理石で作られた寝室は広いが、精々10m四方の広さしかなく、その中央にはキングサイズのベッドが鎮座しているために空間的な余裕はさほどない。
その狭い二人の距離を詰めるべく、僕は駆ける。薄暗い寝室のなか、黒装束に覆面という影に溶け込むような衣装のその鼻っ面に拳を叩き込む、そのことしか僕の頭にはない。
そんな僕に応じるように暗殺者は僕に黒塗りの刃を突き出してくるが、あまりにも短い。カッターナイフ程度の長さしかないそんな刃物では怪我はしても余程のことがなければ致命傷にはならない。そのナイフの軌道上に左掌を突き出し、突き刺すことで刃を封じれば、目標はもう目の前。勢いを殺すことなく突き出した右拳はしかし、虚しく空を切る。が、それでもまだ終わりではないとばかりに全身で体当たり。二人して床に転がる。
子供の喧嘩とばかりに相手に組み付いて離すまいとするが、そこはそれ暗殺者とまともな喧嘩経験もない僕との差が明確に現れる。
思考爆弾の効果は永続ではない。僕が理性を手放し、向けられる感情が殺意・害意に収束してゆけばそれはただの殺気と大きく変わらない。そしてそれは、暗殺者にとってはある意味慣れ親しんだ感覚。ぶつけられた感情の残滓こそ残ってはいても、実力が違う。
転がるうちに背中を取られ、袖口から取り出した細い糸のようなものが僕の首にかかる。それを防ぐ術は僕にはなく、糸は絞られる。
「ひゅ……ぁ……っ」
気道閉塞。
頸部大動脈圧迫による脳への血流阻害。
僕の視界は急激に暗くなり、次いで白く染まった。
あっけないことに、ただそれだけ。それこそ、苦しむ間もなく僕は死を迎えるのだろう。
それが僕の最後の記憶だった。
* * *
ゆさゆさと身体を揺らされ、柔らかな声音が僕の耳朶を打つ。
「ミノルさん、朝ですよ。起きてください」
「ん……」
リディアが僕を呼んでいる。
つまりは朝が来た、ということだ。
後宮では僕が一番最後に目覚める。というのも、この世界の皆に比べて貧弱な僕はしっかりと休養を取らせなければまた倒れるかもしれないと、心配されているためと、寝起きだけはいいためにゆっくり眠ることが許されているというのが実情だ。
いつもなら、リディアに声を呼ばれるだけでぱちっと目が開くのだが…今日はたったそれだけの動作が億劫で仕方がない。酷い虚脱感と疲労感――そして、激痛。
「っぅ……」
思わず口から漏れる呻きも消え入らんばかりの小さなものしか出ない。
「ミノルさん……」
霞む視界の向こうには、青い瞳に涙を一杯に溜めたリディア。カチューシャはなく、前髪も左右に分けてその双眸を僕に晒している。
…その涙を拭ってやりたいとは思ったが、腕が上がらない。そして何より、彼女の涙が僕の身に降りかかった事実を肯定していた。
「……夢じゃなかったか」
痛むのは左手、そして首。どこか虚ろな記憶の中で負傷した部位と一致する。
そこから導かれる答えは暗殺者と一悶着やらかしたのは確かだということ。そして僕が生きているということは誰かが僕を助けてくれたということだ。
「リディア、何が起こったか把握してる?」
「…はい。ストラトさまから、ミノルさんにお伝えするようにと、伝言を言付かっております」
「聞くよ」
「暗殺者は捕縛したのち、無力化。ミノルさんの回復を待って煮るなり焼くなり好きにするように、と」
そう、リディアが強い声で教えてくれる。
…助けてくれたのはストラトだったか。高位の魔術師でもある彼だからこそ、僕は助かったのだろう。ストラトが戦士であったなら、助けられるまでに僕が死んでいる。
そう、首を絞められて死んでいる。
「…っ!」
そう思うだけで息が苦しくなったような錯覚を覚える。右手を首元にやって、なにも絡まっていないのを確認する。そこには包帯が巻かれている…それだけのことなのに酷く気に障る。
重い腕を気力で動かして、包帯を毟り取ろうとする。爪を立てて、剥がそうとする。
「ミノルさん」
剥がれない。
気持ち悪い。
息苦しい。
こうなったら痛む左手を使ってでも―――
「ミノルさん!!」
声と共にベッド脇にいたリディアが、その身体ごと腕に抱きついて僕を止める。
「いけません…。ミノルさんは怪我をなさっているんです…そのようなことをしては」
でも、そんな彼女の言葉も僕の耳には届かない。
ただ気持ち悪い。ただ苦しい。
どうしてもそれを剥がさなければならない。
リディアに抱きつかれている右腕はダメだ。左手は酷く痛むが、それでも不快の元を取り除くためならば大したことはない。ずる、と引きずるように左腕を持ち上げていく。
「ミノル…さん…」
気の抜けたような…呆然とした声でリディアが呟く。
左手がようやく首にまで届く。右手の拘束も緩んでいる――外せる。この忌わしいモノを。
でも、その両手は包帯に届くことはなく、厚手の布地に触れるだけに終わった。
リディアが、僕の頭を抱きかかえるようにして、僕の凶行を阻んでいた。
震える腕で、声で、全身で――守ってくれていた。
これ以上僕が傷つかないように。
「大丈夫、大丈夫ですからっ。ここにはミノルさんを傷つけようとする人なんか誰もいません。大丈夫ですから…っ」
リディアの熱が伝わる。
優しい、においがする。
恐慌に陥っていた精神が静まってくる。
痛みでもなんでもいい、恐怖から逃れたかった。
あまりにも直接的な死の臭いに。
あまりにも無意味な死に様に。
あまりにも呆気なく訪れる死に。
僕は怯えていたのだ。
遠い世界で語られる"死"ではなく、自分の身に降りかかった"死"は僕には重すぎた。
事故ではなく、病気でもない。偶発的な死ではなく、誰かが望んだ必然の死。嘆こうが叫ぼうが祈ろうが、人によって容赦なく振り下ろされる死神の鎌だ。奇跡でさえ覆すことのできない確実の"死"。
涙が零れる。
歯がガチガチと音を立て始める。
喉の奥からは心から零れ落ちた恐怖が止め処なく溢れ出ていく。
その全てを。
リディアが震えながらも受け止めていた。
…と、めでたいことがあった割には話の内容はダークです。
確かに、異世界召喚国王モノだと暗殺ってのは一度は通る道ですが…そもそも、命の危険に遭遇するという可能性の著しく低い日本人だと正直再起不能なトラウマになるんではないかなあ、とか思ったり。
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