二十三話 激情
刃物を突きつけられる、という経験は今までにない。
世界でも有数の治安の良い国である日本に生まれ育った僕だから、それは当然でもあるのだけど。それ自体サスペンスやアクションものの映画や小説なんかでは一度はお目にかかるシーンだ。しかし、自分が体験するのと客観的に見るのは根本的に違う。
実際には、緊張やら混乱やらで首筋に当たっているであろう硬質な何か――恐らくは刃物――が冷たいとか、冷や汗が流れるなんてそんなことを感じられる余裕などありはしない。声一つ上げられず、震えているのが精々だ。
本当なら国で一番安全なはずの後宮の最奥の寝室で僕は命の危機に瀕していた。うっかりミスで計画がバレたとか、疎まれて謀殺されかかっている…なんてものじゃなく極めて直接的に大ピンチだ。
時間帯は真夜中。
泣く子も眠る丑三つ時。
革命教育と身体の鍛錬。そしてリディアの語学教室を終えて疲れた身体をベッドにもぐりこませ、翌朝には可愛いメイドさんが優しく起こしてくれることが確定しているはずの未来に、こいつは割り込みを掛けてきたのだ。
年齢不詳。性別不肖。姿形不肖。凶器不肖。侵入経路不肖。ないない尽くしのアンノンウン。ついでに、寝起きにこの状況に陥ったために何がどうなっているのかも分からない。仮にこいつを暗殺者と呼ぶことにしてみるが、それも無意味だろう。とりあえずは殺されても堪らない。反撃の意思がないことを示すためにホールドアップ。
「――――――?」
何か言っている。
ぼそぼそと聞き取りにくいが、なにかを言っている。
しかし、今現在僕は意思疎通のペンダントをつけていないために理解不能。もう少し落ち着いた状況ではっきり喋ってくれれば単語の意味くらいは拾えるのだが、思考がほとんど回らない僕には無理な話。
なんだか冷静に状況を分析しているようにも見えるかもしれないが、突きつけられている鋭い恐怖が僕の正常な思考を奪っている。うつ伏せなんて妙な寝方をしていたのも問題だろう。恐らく暗殺者は僕の背中に馬乗りになっている。せめて仰向けであれば、その姿形から何らかの情報を読み取れたかもしれないのに。
「――――――?」
また何か言っている。
相変わらず何を言っているのかは全く不明だが、すぐに殺されるということはなさそうだ。となれば、話してみるしかない。力一杯暴れて抵抗して見せるのは最後の手段だ。…それが通用する相手かどうかはともかく。
「僕は言葉が分からないんだ」
指先で自分を指し、次いで話せないという意味を込めて手を振る。もちろんホールドアップしたまま、手首から先だけでだ。実際に僕が口にできた言葉は「僕、無理」というなんとも頼りない片言。一人称プラス否定。そんな意味の通らない内容で会話を試みる。せめて意思疎通のペンダントを身につけたいところだが…。多分、許してはくれないだろう。どんな効果があるか、分かったものではない。それでも一縷の望みを託して、サイドテーブルの上に置いてあるペンダントを指で差して示す。
それを(ちょいちょい)僕の頭に(ちょいちょい)かけてくれ(ちょいちょい)
といった感じ。間抜けこの上ないが、どうやら意味は伝わったようで僕の背中でなにかが動く気配がして、ほどなく僕の首に鎖がかかる。ペンダントだ。
「これで分かるか」
くぐもった無機質な声。ぞっとするほどに感情が篭っていない、機械的な音。男とも女とも分からない。
「お蔭様で。ようやく聞こえるようになりましたよ」
暗殺者さん? とは付け加えなかった。余計なことをして無駄に命を散らすこともない。
「貴様の真意を問い質しに来た」
「真意?」
「巷で流れる噂の真意を確認し、本当であれば殺し、そうでなければ生かせと。それが我が主からの命令だ」
噂、ねぇ。
「答えろ。返答如何ではその首掻っ切る」
ぐっ、っと首筋に押し付けられる力が増す。…なんかじんわりと熱いような感触がするのは鋭利に過ぎる刃がその肌を傷つけているからだろうか。
…正直、超怖い。ちびってないだろうな、僕。つか、震えを押さえ込まなければ自分で死んでしまいかねない。
「どんな噂が流れているのか、僕は知らないけどなっ…。この広いベッドに一人で寝ているのを見れば分かるだろう」
なけなしの根性を総動員して、震えを押さえ込む。
「そんなことはなんの証明にもならない。答えろ」
そんな無茶な、と思う。確かに証明にはならないが。僕の証言よりは説得力があると思う。
だが、無言でいればその分刃が僕の首に埋まっていく。
「ただの噂だ。実体はないよ」
「その証明は」
「明日にでも後宮を見て回れば良い。悪いことはしていないつもりだよ」
「そのようなことができるとでも?」
客観的に見て無理。…なんて言わないけど。常識的に考えても暗殺者を野放しにしておくなど許されるはずもない。
相手に話をする気はなく。証明も不可能。となれば消去法で抹殺しか残らない。
「冗談じゃない」
全くもって冗談じゃない。
そういえばすっかり警戒するのを忘れてしまっていたが、異世界召喚と国王というキーワードがくれば暗殺という危険性があるのは王道ではないか。ストラトの言うほど後宮の防備というのは厚くないのかと疑ってしまう。そのあたりの警備体制は生き残れればもう一度見直すことにして、現状を打破しなければならない。やっとやりたいことが見つかって、それに向けて動き始めたというのに、おいそれと殺されてやるわけにはいかない。…それに、物凄く痛そうだ。
しかし、相互理解という道が閉ざされてしまっている以上、一方通行の抹殺しか残らない。
―――いや、僕にもあるか。一方通行の武器が。
あるいは届くかもしれない、この思考が。
意思疎通のペンダント。これは言葉の意味を伝えてくれるだけではない、強い感情をも伝えてくれるマジックアイテムだ。
感情を、思考をぐるぐるぐるぐると取りとめもなく垂れ流し、感情を鬱積させていく。悲しい思い出ばかりを思い出して涙を流そうとする、そんな感じにどこか似ている。ありとあらゆる思考と感情の枷を外していく。普段、知性や理性といったもので抑制している情動を引き出して作り上げる思考爆弾。わざわざ嫌な記憶ばかりを思い出してストレスを蓄積させることで意図的に感情の大爆発を引き起こす。
一見、難しそうだが僕にとってはなによりも簡単なことだ。
異世界にやってきたのが自分の意思であるにしても、不満の種がなかろうはずもない。できる限りそれらから目を逸らして見ないようにすることで、リディアのように僕を慕ってくれる人たちを落胆させないために我慢しているに過ぎないのだ。ちょっとしたきっかけがあれば大爆発を起こすのは容易い。今、このときのように。
そうなってしまえば、もう首元に当たっている刃物のことなど気にもならない。やれるものならやってみろや、コラァ! という状態。
端的に言うなら逆ギレであり、ヒステリーだ。
僕は理性を手放した。
「ざっけんなコラァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」
大音量、開放。
夜の後宮、静謐に叫びは吸い込まれていく。うつ伏せで、腹の底から声が出たとはいえないまでも、あくまでもそれはきっかけでしかなく、正しくその混沌とした感情は暗殺者を襲った。
「……っ!?」
得体の知れない感情を突然頭に流し込まれた方は堪ったものではないだろう。僕の上から素早く飛び退いて距離を取る。一方の僕もベッドの上から転がるように降り立ち、暗殺者と正対する。
ここまで誰にも気付かれることなく忍び込んできた暗殺者と、新米兵士にすら遠く及ばないようなひょろ男。どちらが強いかは明白。ましてや相手は武器を持っている。
だけど、そんなことは今の僕には関係ない。そんなものは、僕の目には映らない。命の危険に直に晒されたことと、自分自身で急速チャージしたストレス。そして今、僕が置かれている様々な理不尽に対する恨み言。その他エトセトラなどが連鎖爆発――完全にプッツンしてしまっている僕に理性はない。完全に感情のみの存在な成り果てている。そして猛り狂った感情は絶えず暗殺者に向けられ、大変な苦痛を強いているようだった。
そして―――
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!」
拳を硬く握り締め、獣の如き咆哮を上げて僕は暗殺者に向けて突撃していく。
相手が迎撃の素振りを見せても、全く怯むことはない。今の僕には目の前の暗殺者こそが全ての元凶、諸悪の根源にしか映っていない。刺し違えてでも殺す。そんな激情が僕を支配していた。
ミノル暴発(笑)
ストレスの多そうな環境ですしね。
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