噂の人
「中田さん、そろそろ毎週木曜のお客さまが来店する頃じゃないかしら」
遅い昼食を取り終えた私の元に、仕事終わりの桂木さんが立ち寄ってきた。
従業員の間で話題になっているその客は、年の頃二十
代後半の男性で、毎週水曜13時過ぎに来店し、巨大カートに四つ買い物かごを乗せ、モヤシを中心に野菜やパンを大量購入する。
菜果や日配、チェッカー主任らが、大量に商品を必要とされるなら取り置きしますが。と幾度となく声かけをしているけれど、選んで買いたいと、断られ続けられている。
と、エプロンのポケットの中の店内用ピッチが震えた。店内放送ではなく、個別に入るレジ応援要請は、厄介な客が来店した合図でもある。
「あら、要請が来たのね。この食器は返しておくから、すぐに行ってらっしゃい」
「ありがとうございます」
私はロッカールームに駆け込み、身だしなみを整え、小走りにレジに向かった。
明日が定休日とあって、やや客足が多く、すれ違う客に会釈をしながら、レジに向かう。
大量購入の客は、菜果主任が呼び止め、先週と同じやりとりをしているのを目撃し、今、いる厄介な客の顔を確認しながら、休憩終了のチェックに書き込む。
その厄介な客は、若い女性のレジに決まって並び、大量の商品をレジ打ちしている間、卑猥な話をてくる。そうして今レジに入っている一番若い女性は新人の新名さんで、先週そのお客との不満を打ち明けられたばかり。
「新名さん、休憩に行って」
新名さんがホッとした表情を見せ、休憩バッチをつけ、お昼を買いに売り場へ行き、程なく戻ってきた。
「要注意のお婆ちゃんが、パンコーナーにいます」
新名さんが目撃したその人は、年の頃は八十代前半の多分女性。腰が曲がり推し車を押しながら店内を回り、その押し車に商品を入れる。
「主任」
新名さんの昼食のレジを打ち、棚戻し商品を回収している主任に声をかける。程なく、棚戻し商品が詰まったかごを持ってそちらへと急いだ。
先々週、そのお婆ちゃんは、いつものように押し車に商品を詰め、レジを通さずに帰ろうとした。うっかりなのか、それとも意図的だったのか、それは私達にはわからない。
どちらにしても、窃盗、未遂を含め、悪い噂の人になると、お婆ちゃん自身、生活に支障が出てしまう。それを思い出してもらうのも私達の役目だ。
そうこうしていると、あの卑猥な言葉をかけてくるあの客が全レジを見廻った後、私に向かってやって来るのが見えた。
コロナになってから助かっている一つに、レジ打ちの始まりに、いらっしゃいませの声かけと、お買い上げ商品の値段を読み上げなくてもよいことになったこと。故に客との会話は最小限。さらに客との間にビニール製の幕が張られていること。
「なあなあ、先週この時間、このレジ打ってたコ、今日は休みなんか?」
数え間違いがないように、声に出さないように数えながらかごに入れる。
「なあなあ、あんたいくつなん?」
新名さんの報告どおり、その客は私にやたら話しかけてくる。
「なあなあ、休みの日ぃ何してるん?」
コロナになってから助かっていることの一つに、四六時中マスクを着けること。おかげでマスクの下で、私が今、どんな表情をしているか、客に知られることはない。
……いけない、今はレジに集中。
と、その客の後ろに、主任と、あのお婆ちゃんが並んだ。
後はこの客が新名さんに声をかけたように、私にも行うだろうかということだけ。
男女兼用の制服を身に纏い、年少頃から間違われるそれが、さらに増したこの私に。
「明日定休日やろ? 暇やったら、ワイとええことしぃひん? 姉ちゃんやったら、そやな三万……」右手でお金のジェスチャー、そして左指の人差し指をその輪に……
「一万八千七百六十三円になります」
男のジェスチャーを遮るように、私は地声で金額を告げる。
「……あんた、男やったんか」
男は目を見開く。
「従業員への迷惑行為、通報しますよ?」
間髪入れず、主任が男に告げた。
男は万札二枚出し、おつりをむんずとつかみ、そそくさとレジから立ち去った。