なんでも欲しがる妹に婚約者を取られたら、拾った従僕に駆け落ちを誘われました
「イヤイヤイヤ! アマレッティはハロルド様と結婚したいの!」
双子の妹のアマレッティが叫ぶ。はしたなく応接間の床に座り込んではいるけれど、愛らしい顔を真っ赤にしてはらはらと涙をこぼす様子は、庇護欲をそそる。とても。
「だって私はいつ死んでしまうのか分からないのよ! 結婚というものをしてみたいわ! でも知らない人はイヤ! お優しいハロルド様がいいの! 彼を好きなの!」
アマレッティは生まれたときから体が弱く、すぐに天に召されるだろうと思われていたらしい。だからお父様もお母様も使用人たちも、細心の注意を払って彼女を丁寧に、宝物のように扱い、甘やかしてきた。私と違って愛くるしい容姿も、そのようにされる原因だったと思う。おかげで彼女の要求ははなんでも通った。
十八歳になった今でもアマレッティは我が家の宝物でお姫様。
そしてついに私の婚約者をほしいと言い出した。昔から私のものを横取りしてきたアマレッティだから、いつかは言い出すかもしれないとは思っていたけれど。本当にこうなるとは。
向かいにすわる婚約者ハロルドを見る。その顔は困惑と歓喜がいりまじっていた。
彼は最初からきつい面立ちで生真面目が過ぎる私より、可愛らしいアマレッティに興味があるようだったから、彼女に望まれて嬉しいのだわ、きっと。ただ常識はあるから、どう反応していいのか困っているのだと思う。
とはいえ私たちの婚約は政略によるものなので、我が家の女性なら誰でも構わないのよね。体が弱く、いつ死ぬか分からないアマレッティより私のほうがいいだろう、ということで私が選ばれただけで。
でも実際を見て? アマレッティは多少は病弱だけれど、元気に生き延びてきたのよ。
死と背中合わせだったのは幼少期だけ。あのころは確かにすぐに風邪をひいたり熱を出したりして大変だった。ベッドから出られない日も多くて、毎日のように医師が診察をしに来ていた。
けれど今は私とほとんど変わらない生活をしている。彼女は丈夫になったのよ。本当はみんな、気がついているはず。都合が悪いから知らないふりをしているだけ。
もうこの騒動の結果は見えたわ。アマレッティの望みが叶わないことはないもの。
ため息をつきたいけれど、我慢する。
フィリシア、あなたはアマレッティのワガママにも姉妹格差にも慣れているでしょう?
予想どおりに、私を置き去りにして両親とハロルドの間で話が進む。政略といっても田舎貴族の、身分と見栄だけを気にした婚姻だから変更も気軽にできるのだろう。アマレッティは涙を拭きながら彼をうっとりとみつめ、私に見向きもしない。
彼女のワガママに慣れてはいるけれど、さすがに腹が立つ。どうして譲ってもらって当然と思っているのかしら。ハロルドに執着する気持ちはないとはいえ、それとアマレッティの傍若無人ぶりは別よ。
――と。視線を感じて首を巡らす。すると窓の外からリベラートが応接間を覗いていた。目があうと彼は肩をすくめ、やれやれとでもいうように頭を左右に振ったのだった。
◇◇
私は必要なさそうだったので応接間を出て、庭に向かった。リベラートと合流して屋敷の裏手側の庭に向かう。
「アマレッティお嬢様のワガママは今に始まったことじゃないが、あれはひどい。まるで子供のふるまいだ」とリベラート。彼は私とふたりきりのときは友達に話すような口調だし、私はそれが好き。
「だが丁度いいんじゃないか。ハロルドは悪いヤツじゃなさそうだけど、明らかにアマレッティお嬢様のほうに興味があった」
「そうね」
「フィリシア。傷ついている?」
「少しね。嬉しそうな顔をされたら、さすがに」
「俺は断然、フィリシア派」
リベラートがにっこりとする。
「命の恩人だものね」
私はそう答えて、大木の影に置かれた椅子に座った。リベラートもはす向かいに座る。
彼は一年ほど前に私が助けた。領地の視察をしていたときに、小麦畑の中に倒れているのをたまたま発見したのだ。ボロボロの旅装姿で、お腹には深い刺し傷。従者や警護たちは到底助からないと言ったけれど、私は見捨てたくなかった。
できる限りの治療を受けさせ懸命に看病したら、このとおり。見事に回復して、後遺症もほとんどない。本人曰く、雨の日に傷跡がうずくくらい。
そうして行くあてがないという彼を、従僕として雇うことにした。
リベラートは物知りで一緒にいて楽しかった。お兄様が家を出て以来、うちには話が合う人がいない。それに彼のケガは盗賊によるものだそうで、そのようなヤツラを取り締まれていないことへの申し訳なさもあった。
ただ彼は美しい顔立ちに優雅な立ち振る舞いで、しかも博学。名のある貴族の令息にしか見えない。けれど本人曰く、そのようなお屋敷勤めをしていただけの平民なのだそう。
信じられないけれど、そう言い張るのだから詮索はしてはならないのだろうと思っている。
「命の恩人なのはもちろんだが」とリベラートが言う。「話が合うのも一緒にいて楽しいのもフィリシアだ」
「……ありがとう。嬉しい」
鼓動が早まる。
私はリベラートが好き。婚約者がいるから誰にも打ち明けたことはないし、いなくなった今も口外するつもりはないけれど。つい先ほど、新しい目標ができたから。
「これからフィリシアはどうするんだ?」リベラートが尋ねる。「決まっていないんだったらこんな家は捨てて、俺と駆け落ちしないか?」
「か……けおち?」
『そう』とうなずくリベラート。すごく自然。いつもどおり。だいそれた提案をしたようには見えない。
でも、かけおちって、あの『駆け落ち』よね?
「どうして?」
「フィリシアを好きだから」
ドッと顔が熱くなる。
本当に?
リベラートが私を好き?
両思いなの?
信じられない!
「どうかな?」
「ええと、すごく嬉しい。私もあなたを好きよ」
「良かった」にっこりするリベラート。
「でも家を出たら、お給料を払えないわ」
「払ってもらおうなんて考えていないが?」
「それにやりたいことは決まっているの」
「え。なに?」
「王都に行って、色々と学びたいの。リベラートと話していると、世の中には私の知らないことがたくさんあるみたいだから」
両親は女の子の教育は、必要最低限でいいという人たちだ。だから多分、私は知識が少ない。足りないぶんを読書で補いたくても、屋敷に書物は少ないし、買おうとしても父が勝手にキャンセルしてしまう。
私が領地の視察に出ることも、両親はよく思っていないし。だけど私が出ないと、一般市民の声はこちら側には届かない。
とにかくも、私は学びたい。
「王都で官吏をしているセドリックお兄様のところに居候させてもらって、働くの。それでお金が溜まったら、家庭教師か学校か、それはまだ分からないけれど、勉強するわ」
「働くって、なにをして?」
「売り子なら経験のない私にもできると思うのだけど、どうかしら?」
「君ならばできそうだ。計画としては、いいとは思う。だけど俺は? この先のフィリシアの人生に俺はいらないか?」
「必要よ。それにさっきアマレッティが騒ぎ始めてから思いついただけだもの。詳細を決めるのはこれから」
「ならば駆け落ち決定だ。どうせラツォリ伯爵夫妻は娘を王都で働かせも学ばせもしない。俺と一緒に行って、結婚してからすべてやろう」
結婚。リベラートと。しかも好きに学んでいいなんて。こんな夢みたいなことがあるのかしら。
「あなたがそれでいいのなら」
「よし。では今夜にでも出発しよう」
「今夜? 旅程の下調べとかは?」
「もうしてある。実は所用で休暇をもらって都に行くつもりだった。だから必要なのはフィリシアの準備だけだ」
◇◇
我ながら急展開すぎるとは思ったものの、こういうのは思い切りが大切だろうし、リベラートならば大丈夫という安心感からその晩に駆け落ちを強行した。
夜を縫っての出発は少しばかり不安だったけれど、リベラートが護衛を雇ってくれていた。ふたりきりではなかったことに、がっかりして。その代わりに安心して旅に出ることができた。
長旅を終えてたどり着いた王都。私は初訪問だったものの護衛はよく知っているとのことで、住所を頼りに兄の借家まで案内してくれた。
駆け落ちなんてだいそれたことをしたのに、すべてが順調に進む。きっと天が味方してくれているのねと思っていたのだけど――。
私たちを出迎えたセドリックお兄様は、文字通り飛び上がった。
「殿下っ! なぜフィリシアも一緒なのですか!」
「え? 殿下って?」
戸惑いリベラートを見る。彼はニコニコとして、
「ごめん。本名はリアンドロ。この国の第二王子だ」と言った。
「えええっ! どういうことなの?」
愕然とする。第二王子は病没したと公式発表されているはずだ。
「父王が崩御したとき、王位を狙う叔父上に暗殺されそうになって――」
リベラートの話では、危険回避のために亡き母親の実家にいったん避難することにして、少ない供で極秘逃避行をしている最中に、叔父一派の襲撃を受けたのだそうだ。供とはぐれ、ひとりで旅を続けていたものの追手にみつかり、深手を負った。ただ幸いなことに敵はリベラートが死んだと思いトドメは刺さずに去り、彼は九死に一生を得たそうだ。
けれど瀕死であることには変わらず、死を覚悟したころに私に発見されたのだという。
「死にかけてカラスにつつかれていたのに、フィリシアは必死に俺を助けようとしてくれた。薄汚れた俺の頭を膝に乗せて、一生懸命に水を口に含ませてもくれた」
「だってまだ生きていたから」
「天使がいると思ったよ。あの一瞬で、俺は恋に落ちた」
リベラートが私の手を取り口づけた。
「だから療養と隠伏を兼ねて、君のそばにいようと思った。そのためなら従僕だろうが下働きだろうがなんでもよかった」
「ちょっと待った殿下!」
お兄様がリベラート――ではなかったリアンドロ殿下と私の間に割り込んでくる。
「私にもちゃんと説明を! 手とはいえフィリシアにキスは許しません! ちゃんと順番を踏むと手紙では仰っていたじゃないですか!」
「すまん。事情が変わって駆け落ちした」
「か……!」
お兄様の体にがぐらりと揺れる。
「落ち着け、セドリック。ちゃんと説明するから」
「リベラート。私もなにがなんだか……」
つまるところ。リベラート改めリアンドロ殿下と王宮で官吏をしているセドリックお兄様は旧知の仲で、私のことは聞いていたらしい。偶然にも助けられて以降、お兄様とは定期的に手紙を交換していたのだそう。その中でリアンドロは、私と結婚したいと伝えていたという。ただ彼はややこしい立場だったから、時期を待つことにしていたのだとか。
そうして極悪人の叔父が病没し(本当かしら……)、亡命生活を送っていた第一王子が帰国し即位することが決まったから、リアンドロは王都へ戻る準備をしていたのだそう。そこに私の婚約解消騒動が起こったという。
「フィリシアを置いてラツォリ邸を出るのは心配だったんだ」と、リアンドロはお兄様と私に説明をした。「伯爵夫妻は短絡的で古臭く、アマレッティばかりにかまってフィリシアの気持ちを把握できていない。あのままなら、近日中に新しい婚約者を見繕っただろう。俺の留守中にそんなことをされたら困る」
すべてを聞いたお兄様は頭を抱えている。
「という訳で」リアンドロが改めて私の手を取り、キスをした。「フィリシアの想定とは少し違うかもしれないが、よろしく、フィリシア。兄夫婦は俺が運命の女性をみつけたことを喜んでいる。会うことを楽しみにしているぞ」
「……私の仕事と学びはどうなるの?」
「王子妃としての公務がある。そのために勉学が必要だ。本筋は変わっていないだろ? 売り子は、悪いが結婚前に体験しておいてもらうしかないが」
あ、そこはやっていいのね。
「そうね。考えていたのとは違うけれど、最高の教育を受けられそうだから、譲歩するわ」
「良かった。嫌だと言われたら、別の都市に駆け落ちするしかないと思っていたよ」
「まあ、本気?」
「もちろん。俺にとってはフィリシアが一番大切だから」
「そんなことになったら新陛下に俺が殺される」とセドリックお兄様が、まだ頭を抱えたまま呟いた。
◇◇
それから私は第二王子を救った英雄として新国王に勲章を授かり、おまけで彼の母君の実家の公爵家の養女となった。そこで王子妃としてふさわしい教育を受け、リアンドロと結婚。王族の一員になってからも、望んだものはすべて学ばせてもらえた。
すごく幸せ。
今でも一応、家族との縁は続いている。両親は私の駆け落ちにはさすがに驚き、心配したらしい。兄の元に到着した直後に彼らから、私が来ていないかとの問い合わせの手紙が届いた。
彼らに対して思うところはあるけれど、忘れることにした。私にはリアンドロがいる。
ただ最近、思うのだ。アマレッティはどうしてハロルドを欲しがったのかな、と。
彼女のワガママは幼いころからで、私は物を横取りされたり、理不尽な我慢を強いられたりしてきた。
けれどハロルドのことはどこか違和感がある。
床に座り泣き叫ぶ、なんてことはあのときが初めてだった。
アマレッティとハロルドも結婚して仲睦まじく幸せに暮らしているようだけど。もしかしたら彼女は私がリベラートを好きなことに気がついて、私から奪う決意をした――というのは考えすぎかしら。
「どうかしたか」
私の夫となったリアンドロがやって来て、額にキスを落としてとなりに座った。
「アマレッティのことなのだけど――」
彼女への疑問を打ち明ける。すると彼は、『ああ』と言って微妙な表情になった。
「実はあの前の日、アマレッティにフィリシアを好きなのかと問われたんだ」
「まあ」
初耳だわ!
「それでどうしたの?」
「『好きだ』と答えた」
ということは……
「アマレッティは私がハロルドと婚約解消になっても、あなたがいるから問題ないと考えていたかもしれないわ」
「ラツォリ邸で従僕を始めたころ、彼女に言われたことがある」
「なんて?」
「『フィリシアは私と違って頭が良くて、セドリックと話ができてズルい。屋敷の外にふたりで出ると、領民はみんなフィリシアを囲んで来訪を喜ぶ。自分は遠くから容姿を褒められるのが関の山』とね――ずいぶん僻んでいるなと思った」
アマレッティがそんなことを?
私は一度も言われたことはない。
「彼女はワガママなだけのお姫様だと思っていたわ。お互いにコンプレックスがあったのね。気づかなかったわ」
「でもフィリシアを嫌いじゃなかったんだろうな。だから俺に確かめてから、ハロルドを譲れと騒いだんだ」
「そうね。――アマレッティに手紙でも書こうかしら。たまには遊びに来て、と」
「いいんじゃないか。もてなすよ」
リアンドロにもたれて目をつむる。
「あなたに出会えて幸せだわ」
「残念ながら、そうじゃない」
目を開き、リアンドロを見る。笑っている。
「フィリシアが俺の命を救ったから、だ。俺の天使」
「……恥ずかしいからその呼び方はやめて」
「嫌だね、最愛の天使」
「意地悪」
だけどあのとき、小麦畑に倒れているリベラートを見つけた私に喝采を送りたい。あなたは最高の幸せを発見したのよ、と。