孤独は海に消える
都会に行けば自由なのか、田舎で何もないから不自由なのか。
どこで生きるかより、誰と生きるか、の方が人生を豊かにするために必要なのかもしれません。
この町は、海の近くにあって、人口はそれほど多くなくて、みんな顔見知りで、誰と誰が付き合ってるとか、セックスしたとかすぐに噂になる。そういう噂の中心にいる奴は都会に憧れたりしていて、海水浴にきた大学生なんかと夜の海辺ですぐにセックスする。ぼくは陰でそういう噂をしている人や噂の中心にいる人を軽蔑しないし、そういう人を理解しているつもりだ。この町は、自分が存在していない気がして居心地がいい。
「なんか、さみしくない?」
高橋はスマホを見ながらぼくにいった。高橋は高校を卒業したら東京の大学に進学するらしくて「東京に遊びに来いよ」と誘ってくれるただ一人の友達だ。
「どうでもいいんだ」
ぼくは、必死にスマホの画面をスワイプする高橋の隣で、ぼうっと海を眺めている。高橋は「東京でヤリまくる」と息巻いて、マッチングアプリを始めた。授業もほとんどなくなり学校に行かなくていい日がたくさんあった。高橋は「この子かわいい」「こいつブスすぎ」とか言いながらスワイプを続ける。
「おれ、あした東京に物件見に行くんだ、一泊二日で。だれか会える人いねえかなあ…… あっ!」
ピロンという音がして高橋のスマホを除くと「マッチ成立」の文字とハートのエフェクトが画面を埋め尽くしていた。
「おい、見ろよ、田辺! めっちゃかわいくね?!」
「おう、かわいいな」
「しゃー! メッセージ送るか」
ポキポキとぼくのスマホが鳴り、フェイスIDでロックを解除すると母親から「今日は焼肉」というメッセージが届いていた。
「おれ、そろそろ、帰るわ」
「おう、明日この子とヤるの楽しみだわ」
まだ会う約束もしてないのに高橋は会えるつもりでいるらしく、にやにやしながらメッセージを送っている。
「ただいま」
「おかえり、お父さん帰ってきてるよ」
ぼくの家は、父が東京で働いていてほとんど家に帰ってこないが、月に一度は必ず帰ってきて、母は父が帰ってくる日はいつも化粧をしている。家族三人そろっての食事は、先月父が帰ってこれなかったから、二か月ぶりくらい。
「進路決めたのか」
「ここでバイトするよ、どこか、コンビニとかで」
「東京に行きたかったら……、父さんもお前ぐらいの年は早くここから出たくて仕方なかったし……」
「別に東京、行きたくないよ」
高橋が東京の大学を受験すると聞いて、ぼくも一応同じ大学を受験したが、東京にそれほど行きたいと思っていなかったし、まじめに勉強もしていなかったから案の定、受験に落ちた。両親は落ち込んでいたが、ぼくは正直どっちでもよかった。
夕食の片づけをして、母が食器を洗っているあいだ、父はビールを飲みながらテレビを見ていた。ぼくはワイヤレスのヘッドホンをつけて外に出た。父が帰ってきた日は決まって夫婦の営みが始まる。去年、ぼくが風呂から出ると、父と母がリビングでセックスしているところを見てしまったことがある。その時は、見てはいけないものという認識があり急いで自分の部屋に戻った。そのことがあってからぼくは、父が帰ってきた日の夜は家を出ることにしている。街灯も少ない道をひたすら歩いて23時くらいに海に着く。深夜の海は暗くて、飲み込まれそうになる。靴と靴下を脱いで、足だけ海に入る。真っ暗な海でスマホの明かりだけが、ぼうっと光り、ヘッドホンから死にたい人のための歌が流れている。
人の話し声が聞こえた気がしてあたりを見回すと、男女が砂浜を歩いていた。ぼくは堤防の方に移動してスマホを眺める。特に繋がっている友達もいないSNSをなんとなく眺めていると、ポキポキという音がして高橋からメッセージが来た。「今日マッチした子と会えることになった(ピースの絵文字)」ぼくは、「よかったね」とだけ送ったら、「お前も東京来たらやり放題だぞ」と帰ってきたので、よくわからないスタンプだけ送って画面を閉じた。
さっき歩いていた男女は海に入りはしゃいでいる。雲が動いて月が顔を出し、明るくなった。寒いのに男女は服を脱ぎ下着姿で海に入っている。男女がキスしたり、男が女の胸やお尻に手を伸ばしたりしている。きっとぼくがここにいることなんて気づいていないのだろう。二人は立ったままセックスを始めた。波が二人の膝ぐらいの高さで揺れている。ぼくは月明かりに照らされている二人の行為をみながら自慰行為をした。白い液体が地面にこぼれた。ぼくは星をながめた。二人はいなくなっていた。
乱れたズボンを履きなおし、横になって星空を眺めていた。
足音が聞こえて振り返ると、逢坂がいた。ぼくは見られたかと焦ったが、逢坂はそんな素振りを見せずに話しかけてきた。
「やっぱり、田辺君だ。何してるの?」
「ちょっと散歩に……、 逢坂こそこんな時間にどうしたの?」
少し声が震えたが、逢坂は気づいていない様子だった。
「なんか家に居づらくて……」
逢坂は中学2年の時に転校してきた。この町は保育園から高校までみんな一緒なので、きっと途中から入ってきた逢坂は居心地が悪かっただろう。
逢坂は、「少しだけ一緒にいてもいい?」と言って、ぼくの隣に座った。
「田辺君と話すの久しぶりだね、中学ぶり……?」
「そうだね」
中学の卒業間際、ぼくと逢坂は文集づくりの担当になった。あまり時間がなかったので急いで、お世話になった先生にインタビューしたり、クラスメイトにアンケートをとったりして、あの頃が中学生活で一番楽しかった。「田辺君、いつもひとりでいたから友達いないのかと思ってた」と言いながら笑う逢坂を思い出した。高校では三年間違うクラスだったからほとんど話すことはなくなった。
「なに聞いてるの?」
「たぶん知らないと思うよ」
逢坂は、ぼくの首にかかっているワイヤレスのヘッドホンをとった。
「なんか流して」
ぼくはスマホを操作して最近よく聞いているバンドの曲を再生した。逢坂は何も言わずに、ヘッドホンに手を当てて音楽を聴いている。ぼくは空に輝く無数の星を眺めていた。
「いい曲だね」
「最近、メジャーデビューしたんだ、このバンド」
「そうなんだ、歌詞がすき」
「わかるよ」
「田辺君は、高校卒業したらどうするの?」
「決まってない、でも、この町でバイトして適当に生きるよ」
「そんなんでいいの?」
「…………」
逢坂はかわいいし、転校してきてすぐに友達ができていたみたいだし、東京に行って幸せに生きていくんだろう、と思っていたから「わたしも、この町に残るんだ……」と言う逢坂に驚いた。
「東京、行かないの?」
「うん、ちょっといろいろあって……」
「逢坂は東京にいくと思ってた」
「なんで」と悲しそうに笑うきみが月明かりに照らされる。ぼくは逢坂に見惚れて言葉に詰まる。
ポキポキとぼくのスマホが鳴り、画面を見ると高橋から変なスタンプが送られてきて、もう日付が変わろうとしていることに気が付いた。
「そろそろ、帰らないと」
「田辺君、また話せる?」
ぼくは少しの期待を込めて「話せるよ」と言った。
朝、目が覚めると逢坂から「おはよう~」と、太陽の絵文字付きのメッセージが来ていた。ぼくも「おはよう」と返し、制服に着替えた。父はすでに東京に向かったらしい。母は少し寂しそうだった。
今日は卒業式の練習だけで、午後には下校できる。高橋は東京で物件探しに行ってしまったので、ぼくはひとりで歩いて帰っていた。この静かな町がぼくは好きだった。生きていても誰にも知られず、いつ死んだって世界に影響を与えない、そんな安心感が好きだった。ポキポキとスマホが鳴る。画面を見ると逢坂からメッセージが届いていた。「海で待ってる」というメッセージに「OK」とだけ返し、ぼくは海に向かった。
逢坂が靴を手に持ち、裸足で海辺に立っていた。
「逢坂」
と声をかけると、きみは笑顔で振り返った。「友達いないの?」と笑うきみがかわいかった。
「みんな、カラオケ行ったりして、友達との時間を大切にしてるよ。卒業したらみんな離ればなれなんだから。」
「逢坂だってひとりでおれなんかと会ってるじゃん」
「それはわたしが会いたいからだもん」
それは、どういう意味?と聞きたかった。
「田辺君は、なんでこの町が好きなの?」
「え……」
「だって普通何もないこの町なんか早く出たいと思うでしょ」
「ぼくは、誰にも認識されないこの町がすごく居心地がいいんだ。いつ死んだっていいし、生きていてもいい。何もないって本当はとても自由なことなんだ」
「田辺君は、死にたい人?」
「なにそれ」
と、ぼくは笑った。
ぼくと逢坂は中学の話や、高校で話さなくなったこと、高校生活で感じたことなど今までのことを話した。
その日から、逢坂と毎日メッセージのやり取りをするようになった。朝起きるて、おはようと送り合い、寝る前に、おやすみ、と送り合う。バンドやユーチューブの話をしたり、逢坂が好きなアイドルを教えてもらったりして、ぼくはあまりアイドルを聞かなかったけど少し聞くようになった。だが、それは長くは続かなかった。いつも朝起きると来ていたメッセージが、来ていなかった。ぼくは、おはようとメッセージを送った。しかし、夜になっても既読はつかなかった。たまに学校で逢坂を見かけることがあったので病気ではないと少し安心したが、何週間も未読のままのメッセージがつらかった。
今月も父が帰ってきた。
ぼくは、夕ご飯を食べた後家を出た。ワイヤレスヘッドホンで音楽を聴きながら海まで歩く。白いワンピースを着た逢坂が、月夜に照らされ立っていた。逢坂もぼくに気が付き、微笑んだように見えた。
「元気?」
と、ぼくは聞いた。
「元気だよ」
と、逢坂は答えた。なんで返信してくれないの? ぼくのことどうおもってるの? たくさん聞きたいことがあったが、聞いちゃいけない気がした。
「もうすぐ卒業式だね」
と、逢坂が言った。卒業式まであと、一週間だった。
「わたしね、卒業したら、やっぱり東京に行くことにしたの」
なんだよ、それ、と思った。
「わたし、東京でアイドルになるの」
これに受かったんだ、と言い、逢坂はスマホを見せてきた。
「最初はね、不合格の連絡が来て、諦めてここで生きていこうと思ってたの。その、不合格の連絡が来た日、夜中にここで田辺君と会った日ね、田辺君もこの町から出ないって聞いて少し安心したの。わたし、中学の時から田辺君のこと好きだったんだよ」
ぼくも、ずっと好きだった。世界で一番だいすき、と伝えたかった。ずっと一緒にいたいと思っていた。
「そうなんだ」
と、ぼくは言った。何にも無関心な自分をひたすら演じ続けるしかなかった。
「田辺君って、人に興味なさそうだよね」
ぼくは、「ははは」と笑い、傷をかくした。
ぼくと逢坂は星空を反射してキラキラ輝く海を眺める。
男女が海辺を歩いているのが見える。二人はこんな寒い夜に下着姿になり海に入って騒いでいる。ぼくは、なんだか見たことあるなと思っていた。逢坂は「やばくない?」と言いながら海で騒ぐ二人を見ていた。二人は体を密着させ、月夜に照らされるとセックスしていることがはっきり分かった。ぼくは逢坂を見た。逢坂もぼくを見た。目が合う。逢坂の目は大きくてきれいだった。ぼくは、好きだと伝えたい気持ちを抑えるのに必死だった。
「田辺君は優しいね」
と逢坂は言い、ぼくにキスをした。ぼくたちは止まらなかった。
ぼくと逢坂は手をつなぎ、星を眺めていた。
「田辺君は、この町で生きて死んでいくのかあ」
「そうだよ、逢坂は東京でアイドルになってイケメンと結婚してしあわせにいきていくんだろうな」
逢坂を見ると、目があった。
「忘れないでね」
逢坂は、ぼくにキスをした。
「忘れないよ、死ぬまで」
ぼくたちは家に帰った。
卒業式でも、ぼくは逢坂と会わなかった。
卒業式の三日後、高橋は東京に引っ越していった。その一週間後、高橋から「今日会った女の子」というメッセージと一緒に女の子との2ショット写真を送ってきた。ぼくは適当にスタンプだけ送った。
ぼくは、この町にひとつだけあるコンビニでバイトを始めた。
休憩時間に、特に繋がっている友達もいないSNSをなんとなく眺めていると、あるアイドルの公式アカウントが、新メンバー加入のお知らせというタイトルで、アイドルになった逢坂の写真とアカウントのリンクを投稿していた。ぼくは逢坂のアカウントをフォローした。
拙い文章だったとは思いますが、読んでいただきありがとうございます。
また機会があればお会いできることを願っています。