第十一章 界を製る者
「おや。お客人かと思えば、遠岸くんか。ゆっくりしていくといい」
「………!」
「そうそう。遊びに来たの久々でしょ」
あり得ない。
陽子の親父さん、正しくは並行世界のその人は、とっくのとうに死んでいるはずだ。だから今目の前に現れるはずがない。しかし外見は本人そのものだ。ちょっとくすんだオレンジ色の長髪、切長の目と柔らかな物腰、。記憶にある人物像と一致する。
「どうしたんだい、そんなところでぼうっと立って」
ふと目を離した隙に、俺の真横に陽子の親父さんが立っていた。
「っ」
「遠岸くん、なんかおかしいわよ?」
「それはこっちのセリフだ!」
【【どうしたんだい?】】
「がっ……、!」
視界がブレた。一拍置いて、何かに激しく殴り飛ばされたと理解する。その途端、道場に漂っていた静謐な空気が一変した。
「これは」
こんな場所に懐かしさを覚えていたのか。目が醒めたことで、そこが見知った道場では絶対にないと気付き、忘れていた頭痛に襲われる。
【【なンだ。キミは、取り込マレテいる訳じゃなイノか。奇妙ダナ。キミョウ、だ。ダダダダダダダダダダダダダダ】】
壊れた人形のようにガクガクと蠢き、陽子の親父さんだったモノが、輪郭を崩しながら正体を現した。
それは、天より落ちてきた闇の巨人そのもの。人間大にまでスケールダウンした姿だが、威圧感は本物。吐き気を催すような深く不快な虚の感覚に頭蓋を揺さぶられる。
「ぐっ…。陽子、ここはお前の家なんかじゃない。思い出してくれ!」
【【む、ムム、無駄だ・その人間ハ、もう、己の心カラ、抜け出せナイ】】
「黙れよ。第一、なんなんだよここは!!」
『落ち着きたまえよ。ソコは終骸が生み出した、桐立陽子の心から奪った情報で模った箱庭のような空間だ。彼女が失っている深層記憶でもある』
もう慣れてきたもんだが、頭の中で『管理者』が教えてくれる。
【【異物、排除】】
「っ、されてたまるか!」
たまたま目についた足元に転がる木刀を足で蹴り上げ掴むと、眼前に迫る終骸の刃を受け止め、鍔迫り合う。
『そいつを押さえ込んだまま聞いてくれ。今、桐立陽子の精神は彼女が元いた世界同様に不安定化し、このままでは自我を失い闇に取り込まれかねない。だから、そうなる前に君の手で救い出してやってくれ』
「簡単に言うけど…。具体的には!」
『ああ簡単さ。君の手で彼女を殺すんだ』
………………………は?
なん、だ。それ。
『聞こえなかったかな? 言葉のままだよ』
「意味が、わからない。どうして…。お前言ったよな、他の世界のやつと絆を繋ぎ直せって。なんで、それが殺すなんててことになるんだよ!?」
【【異物、イブツ、きえ、ろ】】
「うるさい黙ってろ!!」
苛立ちに任せて木刀を振り回し、終骸を壁際まで押し飛ばした。ダメージはない様子で、周りの闇を取り込むと再びゆらりと立ち上がろうともがいている。
『なぜなら。彼女がそれを望んでいるからさ。何かあれば君に殺して欲しいとね。もっとも、その願いは本来別世界の君に向けられたモノだったようだが』
並行世界とやらの俺は、何やってたんだ本当に。いざとなれば彼女を殺して世界を救えと言われていたとでも?
「ふざけんなよ…!!」
『だが事実だ。その場所は、彼女の諦めの象徴。抜け出すことの出来なかった悔恨の箱庭なのだから。ゆえに君はその世界を終わらせる他にない』
知ったような口ぶりで『管理者』は酷薄にも、そう告げてくる。自分の荒くなった呼吸がうるさい。考えがまとまらない。
「……嫌だ」
『ならばどうする。もう外は闇で満たされ始めているんだ、一刻の猶予もない。愛する妹くんと、幼馴染みとはいえ赤の他人。どちらを優先するというんだい。今なら、彼女の望みをかなえることで、妹くんを救えるのだよ?』
わかっている。認めたくはないけど、俺は、多分真に相手が望むのならばきっとそれを叶えるだろう。どこの世界だろうと、そこは同じ自分のことだし確信がある。
「どうしたのよ蓮。こっちで一緒に修練しましょうよ。子どもの頃みたいに」
陽子のその呼びかけにハッとする。彼女は、さっきまで俺を苗字で呼んでいた。きっと元いた世界では、俺はそう呼ばれていたのだろう。
けど、〈イグニア〉に来て陽子が出会ったのはここにいる俺で、今彼女のそばにいられるのも俺しかいないんだ。
「……悪いな、向こうの俺。お前と同じようにはできない」
『待て。何をするつもりだい』
「決まってる。コイツをブッ倒して陽子も真耶も助けるんだよ」
『馬鹿か君は。子どもじゃないんだ、できもしないことを……』
『管理者』の声を無視して、陽子の前でかがみこむ。正座したまま虚ろな目を向けてくる彼女の頭にそっと手を置いて、安心させるようにポンポンと叩いた。
「蓮……?」
「助けてやる、なんて偉そうなことは言えないよ俺には。殺して救う責任も負えない。けど、一緒に悩んで一緒に解決する覚悟ならできると思うんだ。そのために、お前を縛ろうとするヤツをぶっ飛ばしてくる」
答えは待てない。背後を見やると、終骸がとめどなく膨張する闇と同化し終わっていた。人型は留めておらず、剣や槍で構成された無数の触腕が檻のように空間を覆い隠して、もはやこの空間そのものが敵対してきている有様だった。
「俺に世界を救う力があるんなら、今ここでどうにかしてやる。なにも諦めたりしない。どんな世界でも手を伸ばして、俺が関わる全てを守ってみせる!!」
一歩前に進むごとに圧迫感に潰されそうになる自分を鼓舞して、木刀を構える。ジリッと淡い熱が心臓から手足の先に広がっていくのを感じる。陽子のいた世界の俺も剣士だったのだろうか。空間を通して、陽子の思い出や願いの中に生きる“別の世界の自分”を理解した。
守るための剣技、救うための力。そうして足掻いた結実。
「 “我思うゆえに我在り、我在るゆえに界在り”…!」
木刀をゆっくりと両手で握りしめ、切っ先を顔前で真っすぐに据える。明確な力のイメージが脳裏に浮かんだ刹那。
「―――『製界ノ剣』ッッ!!」
ただの木刀は、本物の『剣』へと変わっていた。




