大きな楠の下で
二十秒おきに時計を見る。
緊張し心臓がバクバクいっている。
その緊張を和らげようと靴のつま先をとんとんと鳴らした。
恋人との待ち合わせに20分前から駅で待っている。
25にもなって、そんなことしている自分が少し空しくなる。
まるで付き合い始めた学生時代の時のようだ。
「瑞貴さん待った?」
瑞貴…さん?あいつならそんな風には呼ばない。
名前を呼ばれ顔を上げると、待ち合わせ相手とは全く違う相手が自分を呼んでいた。
「由宇…ちゃん?」
恐る恐る尋ねると彼女は大きく頷いた。
彼女は俺の恋人楠由一郎の…妹だ。
「兄貴は…ちょっと来れなくなったからって。」
久々に会えると思っていたから残念だ。
由一郎とは小学生のときからの幼馴染で親友でそれは高校のときに恋人という関係に変わった。
初恋の相手だ。
お互いに社会人になり毎日一緒に居たあの時から一変、会えない日が続いていた…。
一週間前に、久しぶりに来たメールで会う約束をし、楽しみにしてたのだが。
思うようにはいかないな…ということを実感した。
メールしてくれればよかったのに。
携帯を取り出すが、新着メールは一件も着ていなかった。
「瑞貴さん…あのさ…お兄ちゃん…」
一旦言葉を切る。
「ん?どうしたの?」
いつもの癖で少し屈んで話をする。
これをやるといつも由宇は怒るのだが、真剣な顔を崩さない。
「兄貴…結婚するんだって。」
あまりに突然すぎる事に驚きもせず俺は冷静に考えていた。
あまりに驚きすぎて冷静に考える事が出来てしまったのだろう。
あまりに有り得な過ぎたから。
昔、由一郎が言っていたことを思い出した。
(俺達…いつかは別れないといけない時がくるんだろうな。)
まさに今がその時ということなのだろう。
まぁ、25歳という年齢を考えても、結婚するには妥当な歳なのだろう。
「あのね…兄貴ね…?瑞貴さんにごめんって伝えてって…。」
自分よりも、結婚相手の用事を優先しなければならないのだろう。
メールすら出来ないほどの大事な用事なのだろう。
その位の事はどんなに馬鹿な自分にだってよく分かっていた。
いや、そう思いたかった…のだろう。
「いいや?真実を伝えてくれて…ありがとう。」
由宇をそっと抱きしめる。
むにゅっという擬音語が聞こえそうなほどに彼女のやわらかい胸がみぞおち辺りに押し付けられる。
その初めて味わう違和感に慌てて腕を解いた。
「ごめん!!間違えた!」
殴られる事を覚悟して目を強く瞑った。しかしその感覚はいつまでもやってこなかった。
おそるおそる目を開けてみると由宇はぽーっと宙を見ている。
「由宇ちゃん?」
名を呼ぶと、われに返った由宇は少し微笑んだ。
今時の高校生の考えている事は良く分からない…。
「瑞貴さん…。今日は一日…私に付き合ってくれない?」
前に由一郎が言っていたのを聞いた事があった。確か由宇ちゃんは俺が好きだったとか…。
「由宇ちゃん…。慰めなら…いらないよ? 俺も大人だから…。」
「違うもん!!私はずっと瑞貴さんのことが好きだったの!!だから…悪いとは思ったけど…チャンスだと思ったの!!」
「由宇ちゃん…あんまり大人をからかうなよ。」
笑いながら瑞貴は言う。
「からかってない!!本気だもん。」
「じゃあ俺のどこ好きなの?俺は別に格好良くも無いし、頭だって別に良いわけじゃない。ニートなわけでもないけど金銭的に豊かな暮らしをさせてあげる事もできないよ?おまけにホモ気質だ。」
昔からどうも男ばかり寄ってくる。女子に好かれたことなんて生まれて初めてだ。
それに自分よりも9才も年下だ。
「瑞貴さんは、優しいし一番に兄貴の事考えてたじゃん。それに格好悪いなんて謙遜だよ。瑞貴さんは十分格好良いよ。」
由一郎も同じようなことを言っていた。まぁ由一郎は可愛いといっていたが…。
「でも俺、ホモなんだよ?」
「知ってる。兄貴たちの一番近くに居たのは私だよ?それでも駄目だっていうの?」
強く押されてしまえばもう抵抗することは出来ない。
「分かった…。今日一日だけだよ?そういう条件なら良いよ。」
「瑞貴さんありがとう!!大好き!」
可愛く笑顔を見せる由宇に瑞貴は苦笑いを向けたのだった。
「瑞貴さん早く〜!!」
どんなに大人っぽくなったといえどもまだまだ子供らしい。
遊園地に着くなり走り出して名物のジェットコースターの列に並ぶ。
「おじさんをこんな所に並ばせるなよ。由宇ちゃん一人で乗ってきな?」
そういい、列を後にしようとすると何も言わぬまま由宇は服の端を掴んでくる。
すこし細まった綺麗な目は離れないでと訴えている。
「分かったよ。乗ればいいんだろ?」渋々列に並び直す。
由宇は嬉しそうに頷いた。
「うっ…。」
連続で三回ジェットコースターに乗らされて、その後にコーヒーカップ。
もう、気持ち悪くてたまらない。
隣で笑っている風船売りのピエロさえ悪魔に見えてくる。
「由宇ちゃん…。お願いだ。トイレに行かせてくれ。」
由宇は申し訳なさそうな顔をしながらただ頷く。
「ごめん…。瑞貴さんがもう歳だって事忘れてた…。」
酷い…。結構地味にこれは傷ついた。
「い…いや、まだまだ平気に決まってるだろ!?」
俺は無理に元気そうに見せた。
何故だかこの子に弱みを見せたくはないと思った。何故だかは分からないけれど。
その後も由宇の行きたい場所に好きなだけ行かせてやった。
嬉しそうな彼女の表情を見ているとこっちまで嬉しくなってくる。
クマのヌイグルミを買い与え、アイスクリームを舐め、昼食はハンバーガーをかぶりつく。
由一郎とのデートコースとは違うそれに少し戸惑いながらも十分楽しむ事が出来た。
最寄の駅で別れの挨拶をする。家自体は近いのだが買い物して帰りたかったからだ。
「今日は一日付き合ってくれてありがとう。」
由宇はそっと俺の頬に唇を押し付ける。
「…くすぐったいだろ。」
つい癖でいつも由一郎に言うように俺は彼女を笑いながら引き剥がしてしまった。
「ごめんなさい…。」
由宇はしょんぼりとする。そして走って帰ってしまった。
「あ…。」
悪い事をしてしまったと今更思っても、もう遅いだろう。
しょうがないので俺は実家へと向かう。
実家は楠家の隣にある。
駅の外を見ると雨が降りそうだった。
コンビニで傘を買い、由宇の後を追って全力疾走する。
大分疲れがたまっていてへとへとだったが結構なスピードで走ることが出来た。
俺は由宇ちゃんを好きになってしまったのだろうか?
自問自答をする。
その答えは…?だった。
頭の中にぽっかりあいてしまった穴のように深く…暗く先が見えない。
「あ、由宇ちゃん。」
ではなかった。
「由一ろ…ぅっ。」
急に抱きしめられ肺が詰まるような感じがした。
「ずっとまってたんだぞ?どうして来なかったんだ?」
「え…だって今日は由一郎は婚約者と一緒に出掛けてるって…。」
俺は戸惑いを隠せずにいる。どうして?何で?由宇ちゃんは俺を騙したのだろうか?
「…俺はお前と以外結婚する気なんてねぇよ。つか何回も携帯に連絡入れたのに…。」
「あ…。」
全く気づかなかった。いつの間にか新着メールが三十件も着ていた。
「…由宇とデートでもしてきたんだろ。あいつならやりかねないからな。」
由一郎は溜息を吐く。
由宇ちゃんはさっき罪悪感から先に帰ってしまったのだろう。
悪いことしたな…と思う。
「もしかして由宇の方が好きになったとか言わないよな?」
不安そうに由一郎は俺の顔を覗いてきた。
俺は笑う。雨の中。二人で一つの傘を使いながら。
「二人とも…大好きだよ。」
自己中なくせして人の顔を不安そうに覗き込む癖のある二人が。
一番に俺を思ってくれる二人が。
「由一郎、子供みたいだって笑うかもしれないけど俺は両方が好きなんだ。どちらかなんて選べないよ。」
由一郎はそれを聞くとふっと笑って駆け出した。
「あいつのところまで競争だ。」
雨がシャツにしみこんでいく。気持ちが良いというよりは寒いくらいだったがそんなこともどうでもよくなっていた。
「由宇ちゃん。」
クマのヌイグルミを大事そうに抱えて歩く彼女に俺等はそっと声をかけた。
「瑞貴さんごめんなさい。お兄ちゃんごめんなさい。」
彼女は泣きながらそういった。
「大丈夫。怒ってないよ。」
俺は彼女をそっと撫でる。
「これからは…本気で行くからね。」
ぼそりと彼女は呟いた。
「へ?」
「俺も手加減はしないぞ。」
兄妹の目が鋭くなっている。
火花が散っているように見えるのは気のせいだろうか?
「何を?」
二人はびしっと俺の方に指をさす。
「お前(瑞貴さん)を守る(手に入れる)為に。」
なんだかややこしい事になってしまった気がする。
まぁ今はとりあえず三人で家に帰ることにした。
その間も右には由一郎左には由宇ちゃんで大変だったのだが…。
2009.4.25