キーボード
ほのぼのファンタジー
流れるように打ち出されていく文字。それはまるで旋律のように紡がれていく。
一定に奏でるリズムはたまにテンポを変えて、それでも止まることなく続いていく。
それはまるで音楽だ。音楽がやむとき、創造主は文章の校正というものに入る。
校正というのは、言ってみればその旋律がしっかりとしたメロディーを奏でているかどうかを確
認する作業のようなものだ。
彼が完全に作業を中断する時、それはキーボードの近くに置かれているコーヒーを飲むためだ。
これは彼の娘…と思われる幼い少女が淹れてくれるものだ。
彼女は彼を”お父さん”とも”パパ”とも”ダディ”でもなく”おじさん”と呼ぶ。
『おじさん』という言葉にはお父さんの類語に当たる意味は含まれてはいない。
親戚の叔父さんでも伯父さんない。ただの小父さんという意味の”おじさん”なのだ。
「おじさん。コーヒー淹れたよ。」
彼女は決まってそういって彼にほかほかのコーヒーを渡す。その時は決まって彼は旋律をつむぐ作業を中断し、たったそれだけの彼女の声をまるで味わうように聞いている。
彼女の作り出す世界を聞いているのだろう。
音でできた世界はよく耳を澄ましていないと聞こえないほど脆く壊れやすいものだ。
彼女が話し終わったとき彼は決まって静かな声で一言
「ありがとう。」というのだ。
すると彼女は決まって嬉しそうな明るい表情になる。
私はそれが好きだ。
もし私がしゃべることができたなら
彼女にその人がお父さんだと伝えることが出来たならどんなによかっただろうか?
そんな心配せずとも時が流れても笑顔は保たれつづけた
「おじさん。コーヒー飲むでしょう?」
もう立派な大人の女性になった彼女は今も彼をおじさんと呼ぶ。
それでも、それでもあの時と変わることなく
「ありがとう」
と彼が言うと彼女はふっと微笑むのだ。
私はあの時と同じようにただ音を奏でながら世界を紡いでいくのだ―――
2009.6.16