傍らの花
朝ごはんがカレーライスだったあの日は、いつもとひと味違った。
電車の遅延に気づいたのは、プラットホームに着いて直ぐのことだった。高校生が電車に飛び込んだらしい。眉間にしわを寄せて電話をしている者もいれば、その場を離れて、改札に向かう者もいた。私もその例に漏れず、彼らのうちの一人であった。人の波に乗り、ベルトコンベアのようにその場所へ向かう。その間に、柱の傍らで電話をしている、中学生と思しき女児の目に涙が浮かんでいるのが見えた。遅延証明書を貰うための列の、真ん中よりも少し後ろでスマートフォンを触る私には、他人事であった先の出来事に袖を濡らす彼女の心情が分かりかねた。SNSで遅延情報を探っていると、遅延を喜ぶ声のほか、電車が来ないことへの恨み辛みに、引き起こした当人へのささやかとは言い難い悪態が瞬間的に綴られていた。その中には、当人を思い憚る声も少なくはなかったのだが、画面を下へ流せば、大衆にのまれてしまう程のものであった。鑑みて、先の女生徒のあの涙は、単なる、目の前の恐怖へのものだったのかもしれないが、何よりも純粋無垢なものだったのだろうと、ささやかな同情が沸くのが分かった。しかし、振り返っても、柱だけが存在しているだけであった。
翌日、改札の横に花束が置かれていた。誰が置いたのかは分からない。白々しいとは思ったが、私はどうしても、手を合わせざるを得なかった。