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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

酷く美しい

作者: ユめリ

空はどこまでも灰の色に染まっていました。

そこから抱えきれずに、藍色の雨が零れ落ちる様に降りしきっていました。

普段都会の喧騒のやまない路地裏には、いつものような賑やかな街の鳴き声は聞こえず、アスファルトにぼつぼつと、水玉がひたすらに跳ねる音のみが聞こえています。

この大雨を凌ぐすべの無い私は暗く落ちた外れ道の中、ただ冷たい地べたの上に座り込むばかりでありました。




私が独りになったのは5歳の時でした。

母からの愛とかそういうのに甘えっきりで自分では何もできない癖に、身勝手な駄々っ子になりやすい時期。

例に漏れず私も母からの寵愛に甘んじて生きていました。

そんな時期に田舎から突然都会の街へと連れ出されました。

何もかもがいつもとは違いました。

田んぼは辺りになく、走る車は1つ2つではなく連なってとどまることを知りません。

普段と違う環境に泣きそうになっていました。

そんな私に母は言いました。


「ここで待ってて。すぐ戻るから。」

あとから知ったが、都会に突然連れ出されて子1人母にこう言われた場合高確率で捨て子になるらしい。

そんなこと知る由もない私はただただ母の帰りを待ち続けました。



帰りが来ないことを悟ったのは、目の前の信号が青から点滅して赤に変るのを何度繰り返した頃だったでしょう。

ハチ公の様にずっと信じ続けることが出来たら幸せだったのだろうけど、そんなことを出来るほど人の心は器用に出来ていません。

それに5歳の女の子が母親から離れて何時間正気を保っていられるか、なんて知れている。突然降り出したのは丁度同じような雨でした。

傘もなくずぶ濡れの私に伝う涙は、心の何もかもと混ざってよく分からなくなっていました。



そこからの私の人生はめちゃくちゃでした。

目の潤いは乾いて光すらも捉えていないような私に、目をつけたのは優しそうなおじさんでした。

飴のようなものをわたされ、それを舐めました。

それは味わったことの無いような味でした。

途端によだれがダラダラと止まらなくなり、気の狂うような高揚感に包まれました。

その感覚に酷く魅入られてしまいました。

それに惹き付けられるように私はその人について行きました。その後のことは、もう思い出しません。

私が私でなくなって行くような日々は心を壊していくのには十分すぎました。



十分に壊れた私をおじさんが捨てたのはつい最近の事です。

いつの間にか私はもう14歳をすぎていました。

泣く気力なんてこの頃の私にはありませんでした。

この路地裏に辿り着いたころには何もかもを失っていました。

希望とか愛とか片目とか舌とかそんなものです。

だからこの藍の冷たさの中にうずくまる私の命が、空から落ちる雫のひとつに紛れて地面にこぼれるのだって時間の問題だったのです。




そんな時でした。私の前に立った一人の間…。

"彼"は丸く屈んで座り込む私に大きな傘を被せました。

そうやって雨が当たる恒常的な冷たさの間隔から解かれたあとも、私が顔を上げることはありません。

ただ目をつぶって、こぼれるものを引き止めることもせず、内の冷たさの中に沈んで行こうとするのです。

そんな私に彼は力ずよく、今まで聞いたどんな声よりも真っ直ぐに、私に語りかけました。



『生きることを諦めるのはやめなさい。』

もういいのだ。母に見捨てられた時から私の命など、小さな虫の程度の価値もないのだから。


『幸せなら私が分け与えましょう。』

幸福なんていらない。

感情なんていらない。

もう心を動かすことなんてしたくない。

一度止めた感情をまた得てしまったら、私はどうなってしまう。


『欲望を恐れないで。』

あなたに私の何がわかる。

私はもういいのだ。命なんてどうだっていいのだ。

何かを求めることは、もう私には許されていないのだ。ほっといてくださいお願いします。


『私についてきなさい。』

やめて、何かにすがる惨めな感覚は雨と共に流れ落ちたのです。

私の心を揺さぶるのはやめてください。

命を捨てさせてください。

お願いしますお願いお願いお願いお願いお願い


『あなたは、"暴食"に、幸福を求め続けて良いのだから。』

やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて。もう、私を誘惑するのはやめて。生きる希望を私にうえつけるのはやめて。私に命を捨てさせて。





………あれ?

どうして私は彼の顔を見ているの?

どうして私の手は彼の方に伸びているの。

どうして眼球の乾きが潤んできているの?

どうしてどうしてどうしてどうして。





彼の手に引かれ立ち上がった私は、連れられていつの間にか歩き出していました。

彼が私をどうするかなんて分かりません。

彼が善人であるとも限りません。

だけど、彼が見る先はどこか明るく見えるきがして。

そうしてぎこちなく歩く私の目には久しぶりに潤うことを喜ぶように、決壊したダムのように空とおなじ藍色の涙が溢れ出していました。




久しぶりに現れた感情の波に私は酷く動揺していました。

その心が落ち着いた頃、彼は私に喋りかけました。


「キミ、名前はあるのかい?」

もう、そんなものは捨ててしまった。

あの日母に捨てられた時から、私を個体識別する必要性は無くなったから。


「そんなものないよ。」

そう言いたいが残念なことに、私にはもう舌は無いのでただ首を振ることしか出来ない。


「そっか。じゃあ、君が僕を認めてくれた時に、名前を決めよう。」

罪を知らないかのような、真っ赤に輝く笑みを浮かべて彼はそう言った。

ここで名前を貰うよりも、いつか彼に決めてもらう日が来ると思っていた方が私にとっては幸せだと、彼には見透かされていたのでしょうか。


「ごめん、僕自身のことを何も言っていなかったね、僕の名前は―――だ。これからよろしくね。」

人の名前を聞いたのも私にとっては久しぶりのことでしたので、彼の名前を忘れまいと頭の中で何回も―――、―――と復唱しました。

その様を傍から見ていて感じ取ったのか、彼はまた真っ赤な笑みを浮かべました。



そうしているうちに、彼の家に着きました。

彼の家は都会にそびえ立つビル郡のうちの一つにある、マンションの一室でした。

その中では比較的中層の辺りには位置するものの、彼がある程度以上はお金を持つ人であることが見て取れました。



彼は私を優しく丁寧に扱いました。

薄汚れた私にシャワーをくれました。

壊れ物でも扱うかのように優しい手つきで私に触れ、丁寧に私の汚れを落としてゆきます。

まるで心の汚れまで、穢れた私の体から滲み出て泡と共に流れ落ちて行くようでした。



ずっと満足な睡眠を取れていなかった私に、彼はふかふかのベットをくれました。

でも、飴以外で眠る方法を忘れてしまっていた私はずっとまぶたを閉じられませんでした。

そんな様子を見て彼はそっと私の片目にまぶたをかぶせて、その後に私を抱きしめてくれました。その温もりの中でやっと、暖かな眠りに落ちることが出来たのです。



ボロボロの服を身につけていた私に、彼は大層な洋服をくれました。

私がぐっすりと寝ている間にタンスの中から引っ張って来たそうです。

ちょうど君ぐらいのサイズの女の子の服があって良かったと、そう言いました。

その服に包まれた私は、精一杯のありがとうを込めて満面の笑みをうかべたのです。

そうして彼は私をどこまでも優しく受け入れてくれました。


そんな私に勿体のない彼との日々は、太陽のように白く輝いているように思えたのです。




「食事だけは欠かしてはいけないよ。食べることが幸せへの1番の近道なんだ。」

彼がよく言う台詞です。

彼は何よりも食べることを大事にしていました。

平日はしっかりと働きに出ている彼ですが、朝食も白いご飯とお味噌汁といった健康的なお食事がいつも出ました。

彼のいない昼の間もちろん私は1人です。

でも彼は仕事場に持っていく為のお弁当のほかに、私のためのお弁当まで作ってくれました。

夜のご飯は女の子のわたしには少し多いんじゃないかと思うぐらい、豪盛な食事がふるわれました。

夜ご飯の時は決まってお手伝いさんが、立派なお食事を作ってくれるのです。

彼はよく言います。

食べることが一番幸せになれるのだと。

たしかセロトニンとか、ドーパミンみたいなやつが脳内で形成されて体が勝手に幸せになってくれるそう。



だからこそ私は彼からもらったご飯は全て食べるようにしています。

ベロがない私はこぼさないように、ゆっくりに丁寧に、ご飯の一粒だって残らないように食べるのです。

飴への依存も彼のご飯を食べているうちに気にならなくなっていました。

私がご飯を食べている時、彼は一番幸せそうに笑います。だからでしょうかいつしか彼のご飯を食べる時間が、何よりも待ち遠しくなっていったのです。




彼は私に短い間でたくさんの幸せをくれました。

笑顔のなかった私の心に晴れた気持ちをもたらしました。

雨空のように灰色の私の日々を明るく照らし出してくれました。

だけどやっぱりわからなくて。

「どうして、こんなに優しくするの?」

いつか、ちゃんと彼に言葉で問いかけるんだ。




彼の仕事はタレント事務所のプロデューサーでした。

それを初めて知ったのは彼の姿をテレビで見た時です。

敏腕プロデューサーと紹介される彼を見て、私はどこか誇らしげな気分になりました。

彼のプロデュースするタレントさんは美男美女ばかりです。

でも、みんなが口を揃えて言うのです。


「こうしてここにいられるのは、彼がいてくれたおかげです。」

どんなに品行方正で言いようのない美人であっても、彼への敬意は絶大でした。

まるで彼に取りつかれるかのように、敬服するように、どこか遠くの手の届かないもの、ちょうど神のようなものを見ているかのように。

そういう時いつも彼は、私ではなくみんなが凄いんですよと決まって言いました。

テレビの中、彼はいつも笑顔でした。

ただご飯の時の笑顔の方が何倍も輝いていたから、他のたくさんの人が知らない彼を知る自分がとても自慢になりました。




テレビの中彼の周りにいるタレントさんはみんな素敵な人でした。

でも、みんな決まって大変な過去を背負っていました。

それはちょうど私見たいな感じで。

だからこそテレビの中で、貧困の中から才能を見つけ出す天才だと祭り上げられていました。

いつも私にしてくれたことと同じことを、みんなにしているんだなと知りました。

それは私が特別では無いんだなと少し残念にも思ったけれど、それよりも善い事を続ける彼のことが、一層好きになるばかりでした。


「君もみんなと同じように、テレビに出てみるかい?」

そう彼に言われたのは、この家に来て3ヶ月がたった頃です。

最近の世の中のこともテレビでちゃんとわかり始めて、丁度それに興味を持ち始めた頃でした。

彼が私を養ってくれたのはテレビに出るみんなと同じように、良いタレントとして育てあげるためなのでしょうか。

でも彼に見つけて貰えたことが嬉しいから、別にどうだっていいのです。

私は大きく首を縦に振りました。

その様子を見た彼は、いつもと同じような慈愛に溢れた真っ赤な笑顔を浮かべました。




私が最初に貰ったお仕事は雑誌のモデルでした。

片目しかないことを何とか隠しながらの撮影です。

でも彼の名前は私の想像以上に効力があるらしくて、不利な条件を持っているはずなのにスタッフさん達は全員私を丁重に扱いました。

―――がプロデュースする期待の新人。

片目を隠したミステリアスな美少女。

みたいな過大評価を受け、瞬く間に私は有名になりました。

その大袈裟な紹介文にいつも私は気が引けてしまうのですが、彼のためにも頑張らなくてはなりません。

いやそれよりも、よく頑張ったねと笑う彼の姿が見たかったから、身の丈に合わない役回りも進んで受けたのです。



そうして、テレビに出るお仕事も徐々に増えて行きました。

こうなると隻眼のことは隠しきれませんから、眼帯をつけることになりました。

何故かそのような体の不自由でさえも、独特な雰囲気があるだとか言われて更に私の名前を広めることに一役を買ったのです。

あと、テレビに出る上で私にはとっても重要な問題があります。

そう、舌がないから私は喋ることが出来ないのです。だけどそれも彼が何とかしてくれました。

それというのもAIが私の思考を勝手に読み込んで、それを機械音声として発言してくれるプログラムがあるというのです。

AI技術の発展は最近著しくて、遂に人間の心の領域までもを理解するに至ってしまったと言います。

だけどどうやらこのシステム、頭のおかしな自殺者が残していった自己意識をコンピュータ上に引き出すというプログラムを流用して作られているそう。

変な人というのは時として常人には思いつかないような、斬新な何かを生み出すのかもしれませんね。

そんな経緯もあってか、初めこのシステムは世間に受け入れられなかったのですが、他でもない彼が実際に所属タレントにそれを使用してもらうことで、広めていったらしいのです。

彼が貢献する場所の多さに屈服するばかりです。

私には機械とかの難しい話は分かりませんからこの話はやめましょう。

そういった新しい文化の面が強いことも、彼がプロデュースするタレントの人気の火種となっていたりもするのです。

こうして私はどんどんと、この身にそぐわない評価を着々と、上げてゆくことになるのです。




「この評価は私には、あまりにもそぐわないです。」

彼に機械越しに伝えたのは私が番組に出始めて間もない頃でした。

あまりにもこの評価は私にあっていないと、不安だけが私にありました。

だから機械越しではあれど、言葉にして彼に伝えたのです。

君は十分素敵なのに、と彼は言います。

ですが私はそれだけで安心はできませんでした。

それ程私の知名度の上昇率は、許容できる範疇を逸脱していたのです。

そっか、と彼は呟きます。そして



「じゃあ、よく食べなさい。食べることは君の体を良く保つ1番いい方法なのですよ。食べることで生成されるホルモンが1番美容にいいんだから。だからいっぱい食べなさい。不安がある限り食べなさい。心の暗い部分が無くなるまで飽食しなさい。初めて話したあの日に伝えたとおりに、"暴食"に幸せを求めなさい。」



そう話す彼は見たこともないような幸福感に包まれていました。

それは彼の生き方が全てそこに詰まっているかのようでした。

初めて感じた彼の異様な雰囲気に違和感を覚えたけれど、彼の言うことは多分本当だから。

だから、私は好く食べることを決めたのです。




その日から、より一層彼のご飯を食べることが幸せになりました。

突然私に不安が襲ってきたとしても、常にバックに保存してある彼のご飯を食べることで落ち着きました。

いつしか、彼の笑顔の為の食事は無くなっていきました。

ただ私のためだけに、食事をとるようになってゆきました。

彼への親愛が薄れた訳ではありません。

ただ私の幸せのベクトルが彼から貰う食料へと方向を変えただけなのです。

ただ、ご飯を食べる私の姿を真っ赤な笑みで見つめる彼の姿は、いつの間にか私の視界から消えていっていたのです。




そのような頃でした。

ちょうどその日は、ボツボツと弾く藍色に染まる日でした。

私に入ったお仕事は簡単な食レポのお仕事です。

ただ私の体のことを気にしてか、そういった仕事は一切今まで入ったことはなかったのです。

だけどどうやら、この仕事は彼自身が番組プロデューサーに持ちかけたことらしいのです。

「幸せそうにご飯をたべる彼女の姿を、多くの人に見てもらいたい」と言ったそう。

「私が受け持つどの子よりも、幸せそうにご飯を食べるんですよ」とも言っていたらしいです。

最近食事中に彼の顔は見ていませんでしたが、きっと満足気な笑顔をしていたんだろうなぁと伺いしれます。

初めて行うお食事の仕事に不安は沢山ありました。

でも彼のご飯がそばにあって、それを食べることができるから、平気だなと思っていました。



だけど、全然ダメだったのです。全く違ったのです。



店に入って目の前に食事がでてきて、そこまではなんの問題もありませんでした。

だけどそれを口に入れて、噛みしめて、味わい、飲み込むと、直ぐに私に違和感が襲いました。

これじゃダメだと。

こんなものは食べるものでは無い、と体が訴えかけました。

その感覚に忠実に従うように、私はそれを吐き出しました。

体の内側のどこにもそれが残らないように、1度喉を通ってしまったそれを全て吐き出そうとしました。

私はその場に倒れ込んみ、それの交じった胃液を吐き出し続けました。

吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いてハイテハイテハイテハイテハイテハイテハイテ。

私の思考を忠実に再現する機械からは、言葉で表現できないようなぐしゃぐしゃぐちゃぐちゃした音が響き渡り、外のボツボツした雨の音とまざってなりやみませんでした。

そうして私の中に広がった歪を全て吐き出して、そのまま意識まで、吐いてこぼしてしまったのです。




もちろん、撮影は直ぐに中断されました。

あたりは騒然としていたようです。眠ってしまった私はその様子を何も覚えてはいませんでした。気がついたら病院で寝ていたのです。

起きた時、彼はそばに居てくれていました。

目が覚めるまでずっと私に着いてくれていたらしいのです。

凄く嬉しいけれど、でも申し訳なさの方が勝っていました。

なにせ彼に貰った仕事を台無しにしてしまったのです。それに彼が是非と言ったものだったから、余計に。

この1件で彼の信用が落ちてしまったら、私の命では償いきれません。

「僕のことは心配しないで。今は自分のことだけを気にしてくれれば良いから。」

私の思考を読んだかのように彼は言いました。

「どうして、こんなに優しくするの?」

これはいつかの私が、彼にうかべた疑問です。

いつか私の声で聞こうと思っていたことです。

今はまだ借り物の声だけど、それを聞いておきたくて。

「それはね、







彼が差し出した食料は私にとって、それだけを求めていたかのように思われました。

だから私は、それを嬉々として受け取りました。

病院では配給される物以外を食べることは良くないことなのですが、そんなことはどうでもいいことです。

ただ体が求めるままに、食べ物を私に運び入れます。

心待ちにしていたものが、やっと体に広がっていく感覚になりました。

1度穢れた私の体が浄化されて行くようで、とても心地が良いものでした。

いつの間にか私の体は、彼の食料以外を受け付けないようになってしまっていました。

でも、それが私が求めるべき幸せだと彼が言うのだから__。

「君の名前を思いついたんだ。―――なんでどうかな?」

一瞬固まってしまった私は顔を上げて彼を見ると、ほおを紅くして、大きく頷いて答えたのでした。






彼にはたくさんの幸せをもらいました。

私が捨てた命をもう一度輝きに満たしてくれました。

感謝なんてものでは表して良いものではありません。

恩返しに足りうるなにかを私の力ですることは到底できません。

ただ少しでも、彼の幸せを助けてあげることだけが私に出来る全てのことなのです。

だからどんな事があっても、彼の幸福と、私の幸福だけは守りたいのです。







ある日、雑誌に彼の記事が乗りました。



「敏腕プロデューサー麻薬を所持。薬で所属タレントを洗脳!」



世間は彼を批判する声で溢れました。

彼と親しそうにしていたタレントの誰もが、口を揃えて彼を罵倒しました。

そんな中でも、彼が慌てる姿を見せることはありません。

警察がここに来ることが決まって、私ばかりが取り乱しました。

だって、それは彼と私の幸せを邪魔するものだから。でも、私にできることなんて全然ありはしなくて。

「せっかくだから、最後に2人で食事をしよう。」

彼はそう言いました。不甲斐ない私は、それに従うことしか出来ませんでした。



「君と出会えて本当によかったよ」

ご飯を食べる私をじっと見て、彼は言いました。

それは私なんかが受け取っていい言葉ではなくて。

むしろ私が彼と出会えて幸せなんだから。

なのに彼から受け取ることしか出来ない私には、そう言って貰える権利はありはしないのだ。

機械越しの声なんて使わずに、首をいっぱい振ることで彼の言葉に返答をします。



「他の誰も君のように、僕を満たすことはなかったから。」

それも、私にはそぐわない言葉です。

私にとって彼が特別だとしても、彼にとっての私が特別なんてことは求めないし、認めません。

あなたの真っ赤に輝くような笑顔は、私なんかによってだけもたらされるなんてことはあってはなりません。あまりにも、勿体ないから。

私は大きく力強く、首を横に振りました。



「君が食べる姿は、本当に誰よりも素敵だ。」

食事の中、久しぶりに見た彼の顔はやはり屈託のない笑顔を浮かべていました。

食べている私を見て、どこか満足そうでした。

それを彼は望んでいたのです。でもそれをするのが、私なんかでよかったのでしょうか。

もっとその器にあった人がいたはずです。

あの時私が素直に死んでいればここにはもっと枠にハマった、素敵な人がいたはずなのです。

彼はまた首を振ろうとした私の頭を、片手で優しく支えて止めます。



「君が、僕を幸せにしてくれた。」

彼は私と目線を合わせて、真っ直ぐ見つめて言いました。

その顔は満足そうでありました。

ついこの間、病院で聞いた彼の思いを考えればその言葉の通りなのです。



食べることで、美しくなる誰かを見たい。

食べることで、救われる誰かをみつけたい。

食べることで、幸せになる誰かと暮らしたい。

食べさせることで、誰かを幸せにしたい。



それが彼の思いでした。

彼に過去何があったのかなんて解りません。

何かが、彼をそうさせたのだけは確かです。

でも、そんなことは関係ないです。

私が彼に幸せにしてもらったことだけが重要なのです。だったのです。

だけどこうなったら仕方ありません。

彼にとって私が大切であることも認めます。

ちょっとだけ、恥ずかしいけれど。



「君も、幸せ?」



言葉のない私は、片方だけの目を閉じてそれに応えました。



唇に感じる初めての感覚は、ゆっくりと私を満たしていって。

まるで水の藍色の中に沈みこんでいくように、私を包み込んで行きました。












幾らかの時が経ちました。


もうそろそろ、幸せを邪魔する人達がここに来る頃です。


それまでに、2人だけの幸せを完成させなければなりません。


私は彼から貰うものを食べることが幸せで、


彼は私が受け取ったものを食べることが幸せで、


だからもう、何をするべきかなんて分かるでしょう?




食べてしまえば良いのです。私が、彼を。


2人だけの幸せを、永遠に2人に刻むために。





彼は自分を刻める確かなものを持ってきて


彼自身を切り刻みました。


彼から降り注ぐ雨は、あの日のような藍色ではなく、


真っ赤に輝くように鮮やかに


ボツボツと私に降りそそぎました。



私がたべる彼のご飯は


それだけを求めていたかのようで


私はぐしゃぐしゃぐちゃぐちゃと食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べてタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテ食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べてタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテ食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べてタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベ食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べてタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテ





最後に見た彼の笑顔は



暴食に求めた幸せに満たされたように





赤く紅く藍好く光り輝いていた。




























駆けつけた警察が見たのは現実とは思えない光景だった。

人が人に食べられていたのだから。

でも、それよりも、


全身を紅くした少女が

もはや頭だけとなった男を抱えて唇を合わせる姿が







酷く美しいように思えてしまったのだ。





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