08 お伽噺の魔女
シルヴィアと一緒に読んでいた本にあった術。一体どこでどんな使い道があるのだろうかと、気になり頭に残っていた。まさか、こんな時に使うとは、こんな日が来るなんて思うはずもない。
仮死にする、死を偽装する術。
こんなことをしてはシルヴィアは怒るかもしれない。許して貰えないかもしれない。また、一人で眠れない夜を過ごさせてしまうかもしれない。
許して貰えないだろう。
だけど、シルヴィアが死んでしまうことに比べれば、なんでもないことだ。
ザシャがシルヴィアに字を教わって、話しの出来ない寂しい世界から救われたように彼女は、これからも色んな人を助けるのだろうと確信がある。
ここで死んでいいはずがない。
ザシャはシルヴィアの死んだような眠り顔に微笑む。屋敷が襲われてから止まらない涙がさらに増す。
祈りを届けるために胸の前で手を組む。
シルヴィアの側で泣くザシャは兵からしたら格好の獲物だ。
抵抗もなく斬り殺される娘は悲鳴もなく先に倒れている黒髪の娘に倒れ込む。
「掃討終了しました」
兵からの報告に女王クリスティアーネは笑う。小さな笑い声は周囲に響きわたるように大きな声となる。満足げに、体を揺らし笑う。
美しい女王の満足した様子に、周囲は固唾を呑む。女王が率いる大きすぎる行軍。それも、街や村に向けてではない。評議会七人のこびとに名を連ねている有力貴族とはいっても、ただの屋敷だ。家人が使用人たちと生活を営む家。
屋敷を制圧するのではなく、殲滅。それも、皆殺しだ。
この行軍に参加した者たちは、いつ女王の爪が自分に向けられるかわからないと、体の芯が凍りつく思いをそれぞれの胸の奥底に押し込める。
一頻り笑ったクリスティアーネは死に飾られた屋敷に興味もなく、兵を引き上げていく。
体にのし掛かる重みに身を捩ったシルヴィアは徐々に意識を取り戻す。なにがあっただろうかと、鼻先を掠める血の鉄臭い匂いに、慌てて体を起したシルヴィアは周囲の陰惨な状況に目眩を起す。思い出したくも考えたくないと思っても、この光景に恐怖が戻る。背筋を走る寒気に、恐怖からくる震え、瞬きのために僅かにでも目を瞑る事も恐ろしい。
重たいと視線を動かせば、血に染まったザシャがシルヴィアの体の上にいる。
「ザシャ……?」
体を揺さぶっても動かない。開いたままの瞳に光はない。
「ザ……シャっ……」
悲しみに、恐怖に、むせび泣くシルヴィアの声だけが辺りに響く。
どうしてこんな思いをしなくてはいけないのと自答しても答えはない。わかるはずもない。
誰のせいでと、浮かび上がるのは死んだと聞かされた父アロイスだ。父親に無理やり体を開かれる恐怖に、殴られる恐ろしさ。死んだ人間にこんな酷い事は出来るはずがないと、目をギュッと瞑り打ち消す。
殺戮を繰り広げる兵たちが口を揃えて掲げていたのは……『女王』だ。
「麗しき女王のために」
「女王の憂いを晴らすために」
クリスティアーネにシルヴィアは死んだと伝えられていたはずと、ドミニクの話を思い出しても、現実はこれだ。
シルヴィアが生きていると気が付かれてしまったのかと、背筋が凍る。生きている限り、クリスティアーネの影に怯えて生きなければいけないのかと戦慄が走ると同時に、命を命と思わない所行に怒りが湧く。
シルヴィア一人の命だけでなく、関係のない者まで殺されている。
クリスティアーネに対してシルヴィアがなにをしたのだろうか?
父に嬲られている娘を助けることもなく、汚らしいと蔑み、痛めつける。
助けて欲しいといくら願ったことだろうか。母と慕っていたクリスティアーネが、いつかはこの苦しみから解放してくれると信じていた。
クリスティアーネがシルヴィアを殺すように命令を下したと聞いても、母はそんなことをしないと。時が経てば再び家族として穏やかに暮らせる日が来るのだろうと、どこかで信じていた。
そんな日が来ることはないと、この惨状が証明していた。止まらない涙に、天を仰ぎ見る。
「もう、わたしに優しい……っ笑顔を向けてくれるお母様はいない……の」
自分に言い聞かせるように呟く言葉。
「頼れる人はみんな……大好きな人っ、たちを殺したあの人は……」
涙にむせかえりながら声に出す。
「お伽噺と同じ……魔女だぁ!!」
自分の中にある母を慕う気持ちを消すために、怨嗟を込めて叫んだ。
母を慕って泣いた夜を恥じるように涙を拭う。それでも溢れた涙は横たわるザシャに落ちる。
表情も消え動く事のないザシャ。彼女が側に居てくれたことでシルヴィアは笑うことが出来た。アロイスの影に怯えることもなく、夜は安息した時間を過ごすことが出来たのもザシャのおかげだ。
「一緒にいてくれて、ありがとう」
開いたままだったザシャの瞳を閉じ、これが最後と抱きしめる。手を胸の前で組み冥福の祈りのために目を閉じた。