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06 林檎の木

 魔術の本を読み込む内に、シルヴィアは術が使えるようになっていることに誰も気が付かなかった。それはシルヴィア自身もだ。

 ザシャとのおしゃべりの中で、彼女に指摘され初めてシルヴィアは術を使ってみようと思い立つ。

 丁度手にしていた魔術の本にあった術と、目の前におかれていた籠一杯の林檎。

 そこに載っている術の内容に、林檎を持って外へ向かう。必要な物は林檎と日光、僅かな水だけ。

 地面に置いた林檎に手をかざし、術を構成していく。かざした手のひらにほんの少し熱を感じ、淡く光る魔法陣が林檎に降りていく。


「今の、見た?」


 大きく頷くザシャとシルヴィアは飛び跳ねる。林檎への効果は現れていないが、魔法陣が林檎に降りたのだ。成功の有無は別として術を為せたのだ。嬉しくないわけがない。

 用意していた水をかければ、林檎は芽吹き、小さな苗木へと成長した。


「ザシャ、見て! 凄いわ!!」


 興奮のまま二人は抱き合う。その楽しそうな様子にドミニクの二人の息子が近寄る。兄のアルミンと弟のデニスだ。

 嬉しそうに話すシルヴィアの足元にあるなんの変哲もない林檎の苗木に二人は顔を見合わせる。どこにでもある林檎の苗木に興奮するようなものはなにもない。

 術が成功したといわれても、二人からすれば術式を間違えなければ必ず成功するものとの認識だ。興奮して喜ぶようなものではなかった。


 翌日の朝、屋敷は大騒ぎとなってしまう。小さな苗木だった林檎は屋敷にもたれ掛かるように成長し、大樹となって沢山の実を付けていたのだ。

 そのあまりにも立派な林檎の木は、遠目からでもわかるほどよく目立つ。

 シルヴィアとザシャだけでなく、誰もがポカンと口を開けて林檎の大樹を見上げた。


「……シルヴィア様、これどうなさるおつもりですか?」


 隣に立つアルミンの問いにシルヴィアは答えられるはずもない。初めて使った術の果てがこれだ。彼女にこれを対処する力はない。

 同じように困った顔をしていたエーファは笑い出す。


「母さん! 笑い事ではありません」

「こんなに面白いことが起こっているのに? アルミンは少し堅物ですね」 

「かた……母さん! なにも面白くありません! こんな場所に大木が、こんな巨木があっては邪魔です」

「そうだけど……こんな立派な林檎の木、見たことあるの?」

「ありませんけど……でも」

「凄いわよね」


 二人やり取りに、唖然としていた使用人たちも落ち着きを取り戻す。


「こんなに沢山の林檎でなにを作りましょうか? シルヴィア様はなにがお好きですか?」

「僕はパイがいい!」


 手を上げて主張するデニスにみんなが笑った。小さな悪戯が成功したかのようにシルヴィアも笑った。笑うことが楽しいと、城を出でからはじめて思うのだ。


 収穫するだけでも、一苦労ある大きな木だ。梯子をかけるよりも、窓から手を伸ばした方が簡単に採れるが、上の方に実っている林檎を採ることは難しそうだった。


「屋根に上がってはどうだろうか?」

「そんな危ないこと、いいわけがない」


 デニスの提案にアルミンは危ないと反対する。


「幹に板を打って階段にしたらどうかしら」


 シルヴィアの提案には兄弟揃って首を横に振る。


「そんな事をしては林檎の木が枯れてしまう。無駄に木を傷めてはいけない」


 子供たちがあれやこれやとしているうちに、エーファの呼んだ近くの農夫たちが林檎を収穫していく。玄人の仕事の早さに子供たちはただ見ているだけだ。手伝おうと近づけば、領主の子供に怪我をさせるわけにはいかないと、離されてしまう。子供たちを思ってのことでも、彼らにしてみれば不満だ。


 ふて腐れた顔を取り繕うこともなく、子供たちは林檎の収穫されていく様子を見ていた。


「まあまあ、そんなにほっぺを膨らませて……あなたたちは彼らのように林檎を収穫出来なかったのでしょう?」


 エーファの言うとおり、上の方になっている林檎の収穫方法すら分からなかった。手の届く範囲でも、農夫たちのように素早く丁寧に採ることは出来なかった。


「彼らに任せたおかげで、もう林檎の収穫は終わるのよ。凄いわね」


 農夫たちは林檎を箱につめていく。市場に出すためではない林檎は、傷んでいる林檎とそうでない林檎にだけ分ける。


「さあ、アルミン。あなたは次期当主として彼らにしなくてはいけないことがあるでしょう?」


 アルミンはなにかを言おうとして、それを呑み込む。口にしてはただの我が儘になるからだ。いずれこのドルチェ領を引き継ぐのだと、耳にたこが出来るくらい言われ、アルミン自身もそのつもりだ。

 仕事で留守のドミニクに代わってその役目を果たせと、エーファにせっつかれるまで、子供じみた態度だったと、農夫たちのもとまで走り出す。

 走っていくところはまだまだ子供だ。後ろをついていくデニスに、少しでも年長者らしくあろうと背筋を伸ばす。


「シルヴィア様はこちらに。あなたは……ね?」


 エーファの笑みがいくら優しいといっても、その声には有無を言わせないものがある。大人しくエーファの後をついて部屋へ戻るシルヴィアは、隣を歩くザシャの真っ直ぐ前を向く顔を見ては、エーファの背中に視線を戻す。


「エーファ、わたしは……人前に出せないほど汚いのですか?」


 唐突な言葉にエーファは振り返る。


「父からあんな……色々なことを言われましたが、母からは……」


 胸の前で組んだ手に力が入る。


「シルヴィア様は綺麗ですよ? 人前には……お立場をお考え下さい」


 シルヴィアが生きていることをクリスティアーネに知られてしまうわけにはいかない。それのために、人前から彼女を遠ざけた。シルヴィアを守るためだ。


「神様はあなたにとても綺麗な黒い髪と、白くて林檎のようにツヤツヤの肌を下さったのですよ。どこが汚いと言うのですか?」


 頭を撫でるエーファにシルヴィアは恥ずかしそうに俯いた。

 エーファに言われるまで、自分の立場を忘れていた。両親から受けた仕打ちは忘れもしないのに。自分は今、身を隠す立場にあるのだと。クリスティアーネに生きていると、気が付かれてはいけないのだと。

 城にいた頃のような腫れ物に触るような態度を取られることも、後ろ指を指されるようなこともなかった。あったとしても、シルヴィアがそれに気が付かなければないと同じだ。ここで過ごす内に、シルヴィアは自分が王女だという事を忘れていたに近かった。

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