10 悪魔召喚の術
デニスに殺されると、手の打ちようがないと半ば諦めかけたシルヴィアは胸元を掴み、ギュッと目を瞑る。
神様と、心の中で祈りを捧げ死の恐怖に備えた。
「これは……わたくし、成功したのかしら?」
どこかで聞いた事のある話し方に、恐る恐る目を開ける。
目の前にいるはずのデニスの姿はなく、記憶の奥にしまい込まれていた少女の、アメリアの姿が重なった。
いつも蔑むように顔を顰めていた年子の妹。母クリスティアーネが様変わりしてから些細な嫌がらせから、シルヴィアを貶めるようなものまでなにをしても許されてきた妹だ。
「……アメリア?」
どうして? なぜと? 疑問を声に出そうとして怪我の痛みに言葉が出ない。
「シルヴィア、姉様……?」
信じられないものをみたといったように見開かれた目に、シルヴィアは自分が死んだということになっていたと思い出す。
「死んだはずじゃ……あはっ」
見開かれた目は面白いものを見つけたというように細められた。
背筋を流れる汗は、怪我の痛みに耐えてのものだけじゃない。シルヴィアがまだ城にいた頃よくアメリアがシルヴィアに向けていた加虐的な表情だ。
「生きていたのね。お姉様! あはははっ! その傷……」
シルヴィアを労るようなことは当然なく、アメリアはシルヴィアを蹴り上げる。彼女のドレスに血飛沫が付いたことに嫌そうな顔をしてはシルヴィアの前髪を持ち上げた。
「お可哀想に、その怪我どうされたのですか?」
アメリアの前髪を掴む手から暖かい光が溢れ注がれる。怪我の痛みが和らいでいく。
信じられないとアメリアを見上げる。
怪我の心配をしてくれるような妹ではなかった。寧ろ面白がって新しい傷を増やしに来るような性格だったはずだ。今だって眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をしている。
「わたくし、治癒術は得意ですのよ」
得意と言うだけのことはあるのだろう。痛みは消え、傷はまるで無かったかのように消えていた。
「……ありがとう」
シルヴィアの礼を前髪を放すことで返したアメリアは近くの椅子に深く腰を下ろした。
「悪魔召喚の術で姉様がいらしたっていうのは……成功といえるのかしら?」
術で手元に寄せた本をぱらぱらと捲る。
「わたくしにとって姉様は悪魔だけど……」
「……わたしは悪魔じゃないわ」
地面に押さえつけられる衝撃にシルヴィアは息が詰る。抗おうと身を捩ることも出来ず、息苦しいと呼吸にだけ意識が向く。抵抗するまでに頭が回らず、そもそも術をはね除けるためのすべを知らない。
「姉様のせいでお父様はおかしくなって、お母様は変わられたのよ。悪魔じゃなければ何だというのかしら?」
憎しみの籠もった目に返答のしようがない。反論の言葉一つ浮かばないのだ。全てはシルヴィアのせいだとずっと思わされてきた。ドミニクに助けられてからは違うと知った。だが、デニスはシルヴィアのせいだと責めた。
違うと思っても、デニスからの怒りの籠もった表情に、否定しようにも、なんと言葉を並べればアメリアに伝わるのかわからない。
「わたくしにとって、姉様は悪魔そのものですわ」
閉じた本を座っていた椅子に投げ置き、シルヴィアへの術を解く。
妹から悪魔だと罵られたことよりもアメリアの根に絡むような恨みの強い表情に声が出ない。
体にのしかかかる圧が消え、起き上がろうと体勢を整えたシルヴィアに一陣の風が襲いかかる。声を上げることももままならない突風。
どうしてこんな仕打ちを妹から受けなくてはいけないのかと、縋るような視線を送っても、アメリアの虫をいたぶるような表情は変わらない。
「本当はお母様を失脚させるための悪魔が召喚されるはずでしたのよ。本当に最悪ですわ。だって、姉様なんですもの。死んだと聞いて清々しておりましたのに」
このままここで自分がどうなるのだろうかと、シルヴィアは今さらながらに恐いと感じ始める。妹のアメリアが自分に対して良い感情を持っていないことはわかっていた。それでも、実の妹。今だって怪我を治してくれた。信じたい気持ちもあれば、彼女に隙を見せてはいけないと一瞬たりとも気が抜けない。
「ねぇ、姉様。どうして生きていますの?」
不思議そうに首を傾げるアメリアは年相応に愛らしい。無邪気な年頃の娘が意中の男にその仕草を見せれば、その可愛らしい色香に惑わせることが出来るだろう。
だが、そんな作為のない仕草も、純朴な問いもシルヴィアを傷つける。アメリアは暗に『死ね』と語っているのだ。今生においてシルヴィアが幸せに生きる道はないと、シルヴィアが姉であることが嫌だと、言っているようなものだろう。
シルヴィアは涙を流すものかと、拳を握る。食い込む爪の痛みが気を紛らわせるが、堂々巡りのように押し寄せる思いに胸が苦しい。
ドミニクが助けてくれた虐げられるだけだった時間。
ドミニクの家族は笑うことが楽しいのだと思い出させてくれた。
ザシャが暖かく包むような安らぎをくれた。
わたしは生きてはいけないの?
そんなはずはないと、過ぎった一文を打ち消すように頭を振る。ザシャはシルヴィアを生かすために死んだのだ。そうでなくては彼女の体がシルヴィアを隠すように乗っていた理由が見当たらない。
死を望まれたからと、死んでたまるものかとアメリアに気が付かれないように魔法陣を小さく描く。
「姉様が死んだと聞いてから、お城は平和でしたわ。お父様が後崩御されたことは哀しかったけれど」
苦々しい思い出を振り返るように眉根が寄る。
「女王になられたお母様は厳しいですけれど、それはわたくしを思ってのこと。女王は大変なお仕事ですから……」
魔法陣に気が付いたアメリアは指を鳴らして、シルヴィアの魔法陣を崩壊させた。
「……術を使えますの?」
酷く冷ややかな目にシルヴィアの背中に汗が流れる。小さく頷く彼女にアメリアは口端を持ち上げた。
「やっぱり、姉様は悪魔ですわ」