アホなのか?
アホなのか?
その時、―――俺は本気でそう思った。
王宮の奥に作られた、限られた者だけが入る事が出来る貴賓室。
目の前には、王様と王妃そして美しい王女が微笑みながら座り、俺と同じテーブルを囲んでくれている。
そのテーブルの上には、メイド達が運んで来た、豪華で珍しい料理の数々。
魔王を倒し、半死半生の体で魔族の勢力圏から脱出し、命からがら王宮にたどり着いたのは昨日の深夜の事だ。
そして今日、大々的な魔王討伐の発表の前に、一足先に王様によって労いの食事会が開かれたわけだ。
何故だ?
俺はまったくもって分からなかった。
数瞬前、俺がワイングラスを持った時に、王様やその背後の人間が緊張するのが分かった。
俺は何だろうと思いつつも、ワイングラスを口元に運んだ。
芳醇なブドウの香りに混じって、よく知っている微かな異臭を感じ取る事が出来た。
(まさか、そんな?)
馬鹿な事に、俺は本気でそう思った。
まさかあり得ないと、馬鹿な俺はそのままグラスを煽って、ワインを飲み込んだ。
王様も俺と一緒に、何も飲んでないのに大きく喉を鳴らしていた。
苦い。
この味はバジリスクの毒腺だな、……致死量は一滴で50~70人程度と少ないが、その分即効性があり、万が一生き残っても麻痺や石化の危険なバッドステータスを起こす、一級品の危険物だ。
ん?
「…………えっ……ああっ?」
王があっけに取られた顔で、こっちを見ている。
俺は面倒になり、一気にワインを飲み干し、ニッコリと笑ってやった。
「いや~、美味しいワインですね♪」
「……そ、そうであろ?ワ、ワシはかか、関わっていないが、大臣達がオヌシの為にと、かき集めた食材じゃと聞いておるでな」
引きつった早口で、言い訳のように王は言った。
そんなに脂汗をかいている時点で、何も知らないわけがないってのに、意味のない保身に走りやがって。
それにしてもありえねえ……。
俺に毒を盛るのは、まあいい。
今の今まで忘れていたが、賢者エレーヌから、魔王を倒した後に俺が排斥される可能性があるとは聞いていた。
魔王亡き後、人間同士の政治バランスがどうとか言っていたなあ。
そこら辺は知らないし、知る気もねえ。
だけど、だけどな……。
これは無いんじゃねえか?
俺たちが猛毒の瘴気の森を超えた事も、すべてを腐敗させる屍界龍を犠牲を出しながらも倒した事も、報告を出したんだから知ってるよな?
なのに……なのにだ。
たかが70人程度が死ぬ毒で―――たかが致死率100%程度の毒で、―――この俺が死ぬなんて本気で思っていたのか?
マジで?本当に?アホなのかこいつら???
おっと、この巨大カレイの煮付けには、死兆鮫の牙毒を入れてんのか、種類だけはバラエティに富んでやがる。
俺はもう全てが面倒になり、目の前の料理をバクバクと食べた。
ふぅん、スープにはギジリスタで、サラダには何も入ってないが、……ふむ匂いからするに、ドレッシングの方に植物系の毒を入れてんのか。
ああっメンドクセェ、……ほんとーにメンドクセーな。
俺は無造作にボトルを持ち、グラスにワインをドボドボと注ぎ入れた。
ワインのグラスを親指と人差し指でヒョイッと摘まむ。
王様たちはキョトンとした表情で俺を見ている。
俺はそんな奴らに向かって、―――ワイングラスの中身を投げ渡した。
猛毒の混ざったワインが、ビシャビシャと王様側の料理濡らしまくり、飛び散った雫が白いテーブルクロスを汚した。
「ひっ!ひぃいいっ!?」
王妃が必要以上に驚き悲鳴を上げた、ガタンッと椅子を倒しながら飛びのき、王女様は何が起こったのか分からないようで、引き続きキョトンとした表情のままだ。
王妃も計画を知っていたのか。
今の今まで表情を崩さなかったとは、王様よりも肝が据わっているな。
いや、平民の命に価値を感じていないだけなのかもな。
自分に毒が掛けられるかもしれないと飛びのいた姿は、周りの誰よりもみっともないものだった。
「な、な、何をするっ!」
「何って?そりゃ美味しい美味しい毒入りのワインを、皆さんにもごちそうしようと思いましてね」
顔を青くしたまま激高する王様に、俺は心底小馬鹿にした態度で、人差し指と親指で摘まんだままのワイングラスをフリフリと揺らして答えてやった。
「ひっ、ひいっ!!!」
気づかれている事は薄々気が付いていただろうに、俺にハッキリ言葉にされて事によって、王様は驚き腰を抜かしながら地面に座り込んだ。
「出会え!お前たち出てこい!殺せ!こいつを殺せっ!」
何時もの王様らしい、ゆったりとした威厳のある言葉使いも忘れたのか、耳に障る金切り声で叫んだ。
「皆の者!囲め!」
王を庇う様に立った執事姿の青年が大声を出すと、奥の衝立と入口のドア、俺の前後を挟む様に、ゾロゾロと全員甲冑の騎士たちが出てきた。
王様側に5人、ドアから入り俺の背後に立ったのは15人。
フル装備をした戦闘のプロが合計20人。
いや、執事の姿をした青年もカウントすれば、戦える人間が21人か。
……まあ、全部知っていたけどね。
全身甲冑の足音なんて、俺じゃなくても目端の利く者なら気が付いて当然ってもんだ。
「動くな!丸腰で、精鋭たる我ら王都守護隊に敵うと思うてか!」
王を庇う様に直立した青年が、凛とした姿で宣言する。
多分コイツが、出てきた騎士たちのリーダーって所か。
それにしてもよう、それにしてもよぉ……こいつ等は、どれだけ俺を唖然とさせてくれるんだ?
お前たちが勝てないから、俺たちが魔族領に入り込んで魔王を倒して来たんじゃねえか。
丸腰?丸腰だからって、王都でケツを温めてた奴らが、俺に敵うなんて本気で思ってるのか?
もし剣士のゴドルフが居たら、20人の精鋭騎士なんぞ、5秒で膾になってるつーの。
「あははっ」
俺は思わず笑いを漏らしてしまった。
それを聞いて、王と王妃が身を寄せながら、悲鳴を漏らす。
「ふっ、ふざけるでない!」
ふざける?毒を盛って殺そうとしたのはそっちの方だろ?
ちょっと笑っちまったからって、怒られる筋合いなんてない。
怒っていいのは、こっちの方だっつーの?
ふてぶてしい態度を崩さず、ニヤリと嗤う俺に、怒ったのかそれとも恐れたのか、王様は言わなくても良い事を続ける。
「こ、こ、この部屋には、王宮魔術師と聖教会が貴重な魔法遺物を使い、だっ、誰も魔術が使えない様にしてある!」
ああ、そうですか。
「ま、魔力の一滴も活用出来はせんぞ!きっ、貴様の化け物じみた回復力も、ここでは何の役には立たんのじゃっ!!!」
はいはい。良かったですね。
「王の言うとおりだ、この部屋では死霊王ですら魔術を使えんし、火竜ですら満足に火も吐けん。大人しく首を差し出す事だな。
だからさぁ~、何で王都でヌクヌクしていたお前たちが、そんなに自信満々なんだよ?
死霊王は俺と僧侶セレイヌのたった二人だけで倒したし、火竜なんて序盤の方で倒し、旅の最後の方にはドラゴンステーキが飛んでるなんて言い合っていたもんだ。
「なるほど、それは大変だ」
俺はそう言って、テーブルに置かれた紙巻タバコを左手で持ち、右手で魔法の火を付けて吸い込んだ。
「…………ごほっ」
…………マッズ。
タバコってこんなに不味いのか。
ゴドルフの野郎、何でこんな不味いモンを、あんなに美味しそうに吸ってやがったんだ?
まったく理解出来ねえ。
「なっ!そんな馬鹿な!有り得ん!?」
ざわざわと動揺が広がる。
だが。
「ええいっ!うろたえるな!たとえ勇者だろうと、その豆粒の様な炎が関の山という事だ!もし自由に魔術が使えるのならば、今頃は我々に向かって放っているはずだ!」
執事服の青年は、右手の剣を高々と掲げて、周りを鼓舞する。
へえ、坊ちゃんにしては肝が据わってやがるな。
泣き虫カインとは大違いだ。
アイツはいっつも嫌だ嫌だと悲しそうな顔をして、兄貴のアベルにこづかれていたっけな。
……ああっ、すべてが懐かしい。
「行くぞ!皆の者ッ、一斉に掛かれ!」
おっと、ようやく来なさるか……。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
青年が剣を振り下ろすと同時に、20人の全身甲冑の騎士たちが丸腰の俺に襲い掛かる。
「アハハハハハッ!」
俺はもう、笑いが抑えきれなかった!
「おおおおおおおっ!!!」
以前から練習していたのだろう、5人が上段から斬りかかり、もう5人がその横から鋭い突きを差し込んで来た。
残りの騎士達は、それぞれ王と入口の扉を守っている。
「はぁ……」
遅い、遅すぎる。
この程度の斬撃、いくら逃げ出す隙間が無いとしても、仲間内で一番とろ臭かったセレイヌですら、カウンターで両手杖を騎士達の顔面に叩き込めた事だろう。
ふむ、こっちにするか……。
俺は遅すぎる騎士達の剣に対して、一回転、二回転と回る。
一回目の回転で斬りかかった騎士の剣が、二回転目で突き込んで来た騎士の剣が宙に打ち上げられ、そのまま天井に突き刺さった。
騎士達は全力の剣戟を手首のスナップだけで弾かれたのが信じられないのか、アホみたいに口を開けて斬りかかった姿勢のままだ。
「ったく……これ以上アホが増えてどうする」
俺は無造作に蹴り倒して、騎士達を壁にぶち込んだ。
「何故じゃ……何故?そんなわけが……???」
「この……化け物め……ッ!」
王様と騎士のリーダー、それぞれ青い顔でつぶやいた。
ああ、アベル、カイン、貴族生まれのお前たちが忠誠を示した相手は、こんなもんだったぞ。
エレーヌ、王達を警戒していたお前だって、こんなお粗末な結末は想像すらしていなかっただろうな。
「さて、もうこれで終わりか?なあ王様?なあ騎士さんよ?」
違うと言ってくれ。
「ちっ!ちかっ!近寄るなッ!」
ああ、俺は自分でも知らないうちに、歩いていた。
一歩、二歩……テーブルが邪魔だな。
そうら。
―――ドゴンッ!
二百キロはくだらない豪奢なテーブルは、蹴り一つで壁を壊しながら隣の部屋に吹っ飛んで行った。
「はぁ……なんだったんだろうなあ……」
「は?……え?」
「ゴドルフ」
剣士ゴドルフは、骸骨だらけの死者の大草原で、十数万の魔獣軍から俺たちを逃がす為に、一人馬車から飛び降り、敵を引き付け死んでいった。
数千の魔獣・巨獣を斬り殺し、その上、右手と左足を失った死ぬ寸前の姿で、激高して見境を失っていたとはいえ、魔獣軍の軍王である”獣王”を騙し切り、止めを刺そうと近寄って来た所を突き刺して相打ちに持ち込んだ。
流石は命を持つ魔剣”雷命剣”の使い手である剣士ゴドルフといった所だろう。
天命の術を使ってゴドルフの最後を見た時、セレイヌは俺たちに涙を見せない様に、背を向けて震えていたっけな……。
豪快で形式ばった事が嫌いなゴドルフと、神に身を捧げ優しくも礼儀正しいセレイヌは、一番喧嘩をして、―――そして旅の終盤には、一番理解し合っていた……。
「……ゴドルフ?」
ああ、何も分からないって面だ。
「アベル、カイン」
辛い辛い……生き物を殺すのが、とても辛いと。
口には出さずとも、戦いの後、何時も悲しそうな泣きそうな表情をしていた、優しすぎた”騎士カイン”。
カインとは真逆に、何時もしかめっ面の無表情。
だが、折れない巨木の様な精神力で仲間を支えていた、無口な大魔導士アベル。
二人は俺たちが魔王城へ入る為に、―――二人だけで転移の門を守り切った。
『……すまんなカイン』
『フフッ、最後の最後で兄さんに頼ってもらえるなんてね』
『……』
『まあ今まで兄さんに迷惑を掛けた分を、これで相殺って事にさせてくれるとありがたいね』
『ふんっ……お前が生まれてから今までの分か』
『そうそう、今まで生きてきた時間なら、命と釣り合うってもんでしょ』
『…………すまん』
『さて……そろそろ来たみたいだね。……行こうか兄さん』
『……ああ、そうだなカイン』
俺達は、転移の魔法陣の上で、何も助けてやる事が出来ずに居た。
石門一つを挟んだ背後で、二人が死んでいくのを、何も出来ずに居た。
魔族式の転移術を解析し、そして作動させる事だけに集中して実行した。
分かっていて、二人を見殺しにした。
時間稼ぎの設置魔法を唱えた後、命と引き換えに全魔力を注ぎ込み、極大魔法をわざと暴走させたアベル。
そして、極大魔法を完成させるまで、全身を切り刻まれながらも、兄を守り切ったカイン。
「セレイヌ」
オーガよりも大きい巨大な体躯、それ以上に巨大な剣を携えた、黒騎士。
狂ったユニコーンに乗り、魔力を使い10本もの白槍を自在に操る白騎士。
魔王を守護する、最大最強にして―――最後の個別戦力。
俺とエレーヌ、それぞれが敵を見定め戦った。
セレイヌはそんな俺達二人に、回復と支援魔法を、たった一人で掛け続けた。
そして、俺達二人が黒騎士と白騎士を倒し振り返った時。
そこには、白い法衣を真っ赤に染め、倒れ伏すセレイヌと、その更に奥には黒騎士と白騎士の手下なのだろう、カラクリ兵達が壊れ散乱していた。
死ぬ必要なんてなかった。
ゴドルフ、セレイヌ、カイン、アベル。
わざわざ魔族が本領を発揮できる、魔族領でなんぞ戦わなければ、一般兵士に被害は出ただろうが、皆が死ぬ事なんてなかったはずだ。
なのに、強い奴と戦いたいとうそぶきながらも、見知った相手が傷付くのを嫌い自分から率先して戦った豪快な剣士。
神の為に、そして膨れ上がる孤児や傷痍兵に心を痛め、旅立ちを決めた、清く生き抜いた僧侶。
王家に忠誠を誓い、民を守るのが騎士の務めだとクシャクシャの顔で言った、泣き顔の騎士。
『今まで取り立てた税金の分、領民を守る義務がある』と、長い旅の間で、たった一度だけジョークを言い放った、無口な大魔導士。
みんなみんな、誰かを守りたい、誰をも危険にさらしたくない、―――と思いさえしなければ、死ぬ必要のない者達だった。
……エレーヌ。
彼女だけは、コイツら……いや、この王都で惰眠を貪っていた全ての人間に、名前の一かけらですら聞かせたくは無かった。
最後の最後―――、一緒に魔王と戦ってくれた……エレーヌ。
「……じゃあな」
もう此処に居る必要性は無い。
あの勇敢な、俺以上に勇者と讃えられるべきの勇者達の偉業を、欠片すらも感じられないコイツラの居る此処には、必要も義務も、何も無いと寂しいほどに理解してしまったからだ。
勇者を召喚して、そして魔王と戦わせる。
たとえ千人の魔術師を犠牲にしたとしても、王や大貴族たちにとっては、しょせん計算された犠牲なのだろう。
命令を出して、そして経過を見守るだけの、単なる退屈な作業だったのだろう。
例え俺が全身を焼かれ、数日間生死の境を彷徨ったとしても。
美しい白い肌を持つ僧侶が、瘴気の沼でその美貌を爛れさせ消えぬ傷を負ったとしても。
大柄な騎士が、仲間を守るために三日三晩拷問にさらされたとしても……だ。
誰も彼も、傷が無い者など居ない。
指先も含めるなら、欠損の無い者も居ない。
そう、勇者の加護を受けた俺以外は……だ。
俺は死ねなかった。
岩すら溶かしてしまう魔炎を喰らっても、数日間苦しみ悶えるだけで済んでしまった。
腕を切り離されても、断面を合わせれば、数十分でくっ付いてしまった。
仲間よりも、俺自身が一番、俺の事を”化け物”だと感じ、恐怖した。
そんな化け物の俺にとって、唯一の救いは、仲間達だけだった。
だがもう、意味は無いと知った。
アイツらの偉業を知らない……いや、知ろうともしないコイツラ……。
「………………」
背後から悲鳴と怒声がノイズの様に聞こえる。
もうどうでもいい……、聞こえる声も意味を理解する気にはなれない。
さて……、何処に行こうか…………。
~FIN~
ああ、次に行く所は、アホが居ないといいな……。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。