最後の手紙
メール全盛のこの時代、どうして手紙なんかで書くのだろう、と君は不思議に思うかもしれない。でも僕はどうしても、形として残したかった。この世界に生きてきた証を、そして君への思いを。だから不審がらずに、この手紙を最後まで読んで欲しい。
僕は高校入学とともに、こっちに引っ越してきて、初めは友達が誰もいなかった。というより、知っている人なんて一人もいなかった。もともと内気で、人間関係もうまく作れない僕。この先の高校生活はどうなるのか、と正直なところ期待より不安のほうが大きかった。
そんな時、君は僕に話しかけてきてくれたね。たしか、昼休みのこと、僕が読書していた時だった。
「市川君、だよね。私、篠原。よろしくね。私も友達がいないんだ」
「あぁ、そう。うん、よろしく」
今考えてみるとそっけない返事だったな、と思う。だから君は気付かなかっただろう。僕がどれだけ嬉しかったか、その嬉しさに逆に戸惑ってしまったから、あんな返事しかできなかったということに。
結局僕はそれ以上何も言わずに、再び目を机の上に広げられた本に落としてしまった。君も、落胆したように自分の席に戻っていってしまった。
あの時は信じられなかったんだ。君のことがこんなにも好きになるなんて。だって、初めて話しかけてくれたときは別に君のこと自体は何とも思わなかったのだから。それは誰かから声を掛けてもらえたという意味では嬉しかったけれど。 僕に対して落胆したように見えても、あの日以来、君は毎日のように僕の所に来てくれたね。時には鬱陶しく思えるほどだった。それで、他愛もない話をたくさんしたね。
今では、あの日がとても懐かしい。もう一度あの頃に戻りたいと、つい思ってしまう。
「ねえ、一緒にご飯食べよう」
ある日、君は弁当を持って僕の席にやってきたね。僕は嬉しかった。けれど、同級生たちの目が何となく恐かったんだ。だから、教室で食べるのはちょっと憚られた。
「外行こう、外」
そう言って、僕は君を促してそそくさとテラスに出た。テラスとは呼べないかもしれないけど、君なら分かるよね。あの廊下から出られる、広いベランダみたいになっている場所のことだって。
幸い、そこには僕たちのほか、他のクラスの人が数人いるだけだった。
「そういえば、篠原さんはどうしてこの学校にきたの?」
「えっとね、私、第一志望だった公立に落ちちゃって。それで、この学校になったの」
普段の君は快活でてきぱきと話すのに、このときは歯切れの悪い口調だったね。もし、この会話が君を傷つけてしまっていたのだったら、ごめん。今さらだけど、謝るよ。
そして君は中学時代の話をいろいろとしてくれたね。
「え、それじゃ篠原さんも友達がここにはいないの?」
「初めて話したときにそれ言ったじゃない。だからひとり者同士友達になろうって。市川君、わたしの話聞いてた?」
「ごめん」
口では僕のことを責めておきながら、君の眼は笑っていたね。
「今度は、市川君のこと教えて」
むちゃぶりだな、と思いながら、僕は自分のことをゆっくりと話し始めた。嘘や誇張にならないよう、慎重に言葉を選んだつもりだけど、ちゃんと君に伝わったかな。
それから僕たちは一緒に毎週のようにどこかへ出掛けるようになった。
映画館に行って切ない話を見た。たしか戦時中の日本を舞台にした映画だった。一人は兵役に取られ、もう一人は体が弱いために兵役義務を免れたという設定の二人の青年が出てきて、そして片方が戦死してしまうという物語だ。戦争の残酷さというか悲劇を描いていた。普通はカップルで映画に行く場合、恋愛ものを見るものかもしれない。でも、僕はどうしてもその映画が見たくて、君に我儘を言ってしまった。君は初めこそあまり気の進まない顔をしていたけど、見終わったときには目に涙を浮かべていたよね。だから僕は、ちょっと安心したんだ。君にとってもその映画はつまらないものではなかった、ということが分かって。
水族館にも行ったね。三頭のアシカが微笑ましい芸を連発して観客を笑わせていたアシカショー。僕たちも目に涙を滲ませながら笑った。そしてウミガメやたくさんの魚が優雅に泳ぎ回っている大きな水槽の前で立ち尽くし、じっと見つめている君の姿は、今でも僕のまぶたの裏に残っているんだ。
「何見てる?」
「ほら、あの二匹のアカウミガメ。まるで私たちみたいじゃない?」
「本当だ」
そこでは、カメが二匹寄り添って泳いでいたね。それを見たとき、なんとなく僕は厳粛な気分に打たれた。君はどんな気持ちで二匹のカメを見ていたのかな。
動物園に行ったこともあった。クジャクの檻の前で僕たちは思わず吹き出してしまったよね。だって雄が美しい羽を広げ、奇妙な声で鳴いて、メスの気を必死に引こうとしているのに、雌は全く知らん振りなのだから。それでも雄はあきらめずに、雌にアタックを繰り返す。その滑稽さといったら。でもその反面、人間の世界にも何か通じるものがあるような気が、僕はしたんだ。
また、ある時は二人だけでカラオケボックスに二時間くらい籠ったこともあった。とにかく歌えるだけ歌い続け、そこを出た時には、完全に喉が潰れていた。今から考えると無謀だったな、と思うけど、あの時は本当に楽しかった。
確実に死への道を歩き始めている僕にとっては、どれも大切な温かい青春の一粒なんだ。
その年の7月7日、一緒に郊外へ天の川を見に行ったね。自転車を飛ばして、一面に田畑が広がる静かな小高い丘へ。途中のコンビニで、500mlのペットボトルをひとつずつ買って。君は麦茶で、僕はファンタだった。
目的の場所には四十分くらいで着いた。そこから見える夜空は、本当に星が降るという表現がぴったりなくらい、きれいだった。見たかった天の川も、しっかり見ることができた。
「きれい」
君はうっとりとしながら言って、その場に立ち尽くしていたね。今も、僕のまぶたの裏には、あのときの君の姿が焼き付いている。ちょうど水族館での君と同じように。
「一年に一回しか会えないなんて、その時間を無駄にできないよね。もし私が織姫で、市川君が彦星だったら、どうするのかな?」
「わかんない。けど、何もしなくてもいいんじゃないかな。一年に一度しか会えないなら、その会うということだけで、僕は満足なような気がする。その時間を一緒に過ごすだけでね」
君は僕の言葉にうなずきはしたけれど、どこか不満そうだったね。何が気に入らなかったのかな、やっぱりこれは今になっても僕には分からない。だって、今の僕もこのことに関しては、当時と同じ考えなのだから。
それっきり会話は途切れて、結局ふたりで仰向けに倒れて黙ったまま星空を見上げていた。その迫力に圧倒されていた。僕は、あの空を思い出すたびに、世の中のことはすべて小さなことのような気がするんだ。だから、何があっても絶望することはないって、そう思えるんだ。こんなに広い世界だもの、どこかにきっと希望はあるはずだよ。
「そろそろ帰ろうか」
僕の言葉に、君は夢の中から現実の世界に戻ったような顔をして、起き上がった。
あれから四年の月日が流れた。憲法の九条が改正されてから三年になる。
君は覚えているかな、あの日のことを。朝礼の時に全校放送が流れたよね。
「今朝の新聞やニュースで知っている人もいると思いますが、本日より、国民投票の結果、正式に日本は軍隊を持つことのできる国となりました」
教室のスピーカーから流れる声は、まるで機械のようなものだった。T先生(ほら、あの眼鏡をかけた担任の先生)は悲しそうな顔をしながら、「今年から、高校を卒業した男子は全員、一年間の軍隊生活を経験することになる。つまり君たちも再来年は軍事訓練を受けることになるということだ。だから、今日からはそのことを意識して、規律正しく生活するように」と言った。そういえば、あの先生はことあるごとに九条は守るべきだって、言ってたよね。でも、正直当時の僕には全く実感が湧かないものだったんだ。多分、君もそうだっただろうし、あのときの高校生は、みんなそうだったんじゃないかな。それどころか、改正した方がいいんじゃないか的な雰囲気が、学校の中にあったと思う。テレビとかでも、あまり取り上げられなかったし、取り上げられたとしても改正した場合の利点が強調されることの方が圧倒的に多かったから仕方ないよね。それに憲法の話よりも勉強のこと、遊びのこと、そういう話の方がよっぽど身近だった。
だけど、今ならあのときのT先生の意見が分かるような気がする。戦時体制に入ってから分かるなんて、僕はバカだよね。
今年になってから僕は再び軍隊生活に戻ることになった。戦争が起こる可能性があるということで。
「どうしても行くの?」
僕が軍隊に戻らなきゃならないと言ったとき、君は不安そうな声で言った。
「僕だって本当は行きたくないけど、そうしなきゃならないんだから仕方ないよ」
そう言って僕は君に召集の令状を見せた。そのとき君の眼には涙が浮かんだ。でも、泣こうとすまいと思ってか無理に笑ったよね。すごく切ない笑顔だった。あれで、時間が夕方だったら映画のような光景になっていただろうな、そう思うくらい君の笑顔は綺麗だったんだ。
案の定、それからすぐに戦争は始まった。そして、僕は明日アメリカの援軍としてアフリカに出征することになってしまった。
でも、もしも僕たちが行くことで戦争が早く終わるのならば、ここで死んでも犬死ではないと思うんだ。だって大切なのは、長く生きることじゃなくて目的をもって生きることだから。君なら分かってくれるよね。だから君は僕が死んでも、いつまでも悲しまないで欲しい。僕のせいで君の人生まで殺してしまったら、とっても辛いから。
なんか、手紙っぽくない書き方になってしまったけど、「ですます」体で改まって書くと、よそよそしくなってしまいそうで、恐かったんだ。まだまだ伝えたいことがあるような気がするけど、頭の中が混乱していて、これ以上書くことがうまく見つからない。
最後に、僕は君と出会えて本当に良かった。ありがとう。そして、さようなら。