十二章の3 初体験は突然に
異世界生活98日目、夏の52日
前回同様馬車とは別れ、森の中を目指して進む……一度歩いたルートということもあり、歩みに迷いはない。青々とした夏の草原は風こそあるものの、照り付ける日差しをやわらげる程ではなかった。最初は髪を風になびかせていたアルフィリアも、早々に日差しに屈したのかフードを被りなおしている。
「あっつい……」
「夏ですからね……」
「水、多めに持ってきた方が良かったんじゃないの……?」
「川があるんですから、そこで補給します」
この世界、水が汲み放題のテルミナスが例外で、殆どの所では水も有料だ。さほど高い物でもないが……交通費と宿賃だけで銀貨3枚は出したし、何より今回は金銭的な収入を見込めないのだから、節約できるところは節約したい。
アルフィリアの喉に水を注ぎ込む水筒へ、サクラが後ろ足で立ち上がって口を近づける。
「ふふ、サクラも水ちょーだーい、ってさ」
「サクラ、もう少し我慢だ……それにしても」
「ん?」
「成長しましたね、サクラ」
「そうね……毎日見てるとあんまり気付かないけど」
拾った時には中型犬程度だったのが、今は大型犬と言った方が近いように思える。全体的に丸めのフォルムはさほど変わらないが……魔獣と言うのはこういう成長をする物なのだろうか。
「ま、ちょっとくらいはいいわよね?」
「甘やかすのも良くないと思うのですが……」
「私の水だもん、誰にあげたっていいじゃない?」
アルフィリアはサクラ用の皿を持ち歩いている。それに水を注ぎ、目の前に置かれたそれにサクラは長い鼻を近づけ……不意に、天を仰ぐ。
「サクラ? どうしたの?」
鼻を高く突き上げたサクラは、その視線を10mほど離れた繁みに向ける。草原に点在する比較的背の高い草の集まり、どこにでもある物だが……サクラはそれに、唸り声を上げる。
弩の弦を引き、矢をつがえたのと、繁みから何かが飛び掛かって来るのとは、ほぼ同時だった。手足のある姿、低い頭身と背、咄嗟に引き金を握る。距離は間近、狙いは正中線。矢は敵の眉間を貫いた。
「え、敵!?」
「ロヴィス……!」
ロヴィス。毛の無い類人猿、あるいは縦に縮めた原始人と言うか……端的に言えばゴブリンとでも言った風貌の種族。ウーベルトと雑談がてらに聞いた話では、その名前は『ゴミ漁り』と言う意味だという。開拓地で出たゴミを漁っていたところが人間との初遭遇だからだと言うが、少なくとも……今の彼らは、ゴミ漁りではなく積極的に攻撃してくる明確な敵だ。
「まだ居るはず、注意を!」
弩を投げ捨て鉈に手をかける。次の瞬間、奇声と共に繁みから影が3つ飛び出した。手には棒やそれに多少改良を加えた程度の雑多な武器。しかし殴れば十分人を殺せる。アルフィリアが居るとはいえ気安く受けて良い物ではない。
先陣を切った一匹は血を流して倒れ……死んだはずだ、おそらく。それを見てか、突っ込んでは来ない。
「(どうする……)」
3対1、言うまでもなく不利な状況だ。1匹を相手取っている間に背後から攻撃でもされればたまった物ではない。
動きあぐねていると、3匹のうち左の1匹に、横から火の玉が命中する、イルヴァの炎に比べると随分小さいが、それでも相当熱いのに変わりはないはずだ。火の玉の飛来した方向に目線を向けると、アルフィリアが戦杖を両手で構えている所だった。
「(自分から仕掛けるなんて……自信があるのか……!?)」
少なくとも、ロヴィスたちはこの状況を予想していなかったらしい。戸惑っているのか、正面に居る自分と、右手に居るアルフィリア、視線がばらけ左右へ動く。
「(やるなら、今!)」
刃を腰だめに構え、踏み込む。面食らった3匹は左右に分かれた。こちらに2匹、アルフィリアに1匹。先頭の1匹が棍棒を振り上げた。
「(受けるな、ってウーベルトは言ってたな……!)」
体を左に捻る。目の前をすり抜ける棍棒。見えたうなじに刃を叩きつける。短い悲鳴。
「(すぐに、次を!)」
柄に力を込めて肉から引きはがしもう1匹に向き合う。2匹倒されたのを見てか、太い棒を正面に構え防御の姿勢を見せているが……その腕に、サクラが飛び掛かった。
「良いぞサクラ!」
相手は小柄。成長したサクラなら片腕程度抑えられる。武器を持った手に噛み付かれ、殴る蹴るで引きはがそうとするロヴィスの腹に鉈を突き立て、斬り下ろす。耳ざわりな絶叫と共に、太い縄の様な物が血と共にあふれ出した。
「(残り1!)」
かなり手早く片付けたつもりだが、アルフィリアの方はどうなっているか。視線を向ける。すると……
「やあっ!」
突き出した杖がロヴィスの額を打つ。横に避ければ薙ぎ払いの一撃が襲う。予想に反してアルフィリアは善戦……むしろ圧倒していると言ってもいいかもしれない。長い棒は相手を近づけないまま一方的に打撃を加えられる。そしてそれを可能にする技量も、アルフィリアは持っているようだった。
「(本当に『ちょこちょこ』習っただけなのか……?)」
何にしてもただ見ているだけと言う訳にも行かない。一撃加えて終わりにするべくロヴィスの背後に近づく。敵は一瞬、こちらに視線を向け……自分が最後の一人であると悟ったのか。泣き声とも雄たけびともつかない声を上げてアルフィリアへ突進する。
「たあっ!」
その突進も、突き出された杖の先端が喉にめり込んで止められ、ロヴィスは武器を手放して仰向けに倒れた。杖の先端が振り下ろされるのに2秒もかからない。歩みを緩め、最後の一撃が加えられるのを待つ。しかし戦杖を振り上げたまま……アルフィリアは動きを止めてしまった。
「(何……?)」
怪我をしたようには見えない。その表情は戸惑っているようにも見える。ロヴィスは……両手を顔の前で交差し、動かない。
「(……怯えている?)」
それ以外に、思いつかない。2秒、3秒、奇妙な静寂が流れる。
最初に動いたのは、ロヴィスだった。攻撃が来ないことに気付き、地面に落ちた自分の武器に飛びつく。
「や、やあっ!」
振り下ろされた戦杖の先端がその頭にめり込み、濁った音を立て……ロヴィスはもがきながら立ち上がろうとする。そこへ二度、三度、振り下ろされる杖。ロヴィスは頭を変形させ、手足をでたらめに痙攣させてから、動かなくなる。
「やった……のよね……」
肩で息をするアルフィリア。新手が繁みから出てくる気配はない……4匹で、全てだったようだ。
「平気ですか? どこか怪我を?」
「大丈夫……怪我はしてないから……」
「……少し、休みましょう」
仕留めたロヴィスから、耳を切り取った。予定外の戦闘だったがこれで奨励金が入る。先手を取られたのは反省すべきだろうが、とりあえず結果としては儲かったことになる……が。
「……先、行きましょ」
「マテリアにはしないのですか?」
「ああ、うん……そうね、手早く済ませる」
どうもアルフィリアの様子がおかしい。実戦を経験して……と言うのも今更だ。前にロヴィスとは戦っているのだから。
いずれにしても先に進まないといけないのは変わらない。死体から矢をえぐり取り、アルフィリアが死体の分解をするのを待ってから、再び遺跡への道を歩き出した。
以前歩いた道ということもあり、進むペースは速い。今回は猪が出ることも無く、河原までたどり着くことができた。日が高くなっているということもあり、そこでいったん昼の休憩を取ることにする。
「落ちないな、血の汚れ……」
「まあ……木ですからね」
何かしら表面に塗るくらいはしているのだろうが、頭蓋骨を叩き割ればそれなりに禿げるだろうし、血も染み込もうという物だ。鉄と違って別に錆びるわけでも無し、放っておいても良さそうな物だが。
「湯も冷えました、食事にしましょう」
「ん……」
沸かした湯を今度は川の水で冷やし、飲用とする。パンとチーズを齧る昼食の最中……
「さっきのロヴィス、さ……怯えてた……わよね」
隣で、硬いパンをちぎって口に運んでいたアルフィリアが小さく呟く。2人でなければ、誰かほかの人に向けたのかと思ってしまう様な、そんな声だった。
「え? ……確かに、そうも見えましたが」
「やっぱり……そっか」
また小さく呟くと、細かくなったパンを口に入れ、無言で噛む。
「……敵に同情ですか?」
「う……だってさ、あんなふうに人間みたいな仕草されると……やっぱり躊躇っちゃって」
「しかし、事は殺し合いです」
「わかってるわよ、襲われたんだし言葉も通じない、戦うしかないって。でも、それとこれとは別って言うか……」
「この前は、死体を捌いて薬の材料にと持ち帰っていましたが」
「死んで動かないのと、生きてるのとは違うの! 何て言うか、手に伝わる感触って言うか……ああ、自分が殺したんだって……」
何とも今更な話だが……生肉を料理できる人間が生きた動物を殺して解体できるかと言うと、そうとは限らない。とどのつまり、こういった物の線引きは非常に曖昧で、人によってその線も違うのだから。こういう価値観に関わる問題の話になってしまったら、下手に突き詰めるのではなく、適当に同調しておく。これが正解のはずだ……
「共感はしかねますが……理解はします」
「……なんか曖昧な言い方」
「他に言いようが思いつきませんので……戦うのに抵抗があるのであれば、私が何とかしてみます」
「まあ……せめて自分の身くらいは守るわ。これからもベスティアには来たいし……こんな所で死ぬわけには……ひゃっ」
重い空気を察したのか、サクラがアルフィリアの頬へ顔を擦り付ける。犬は人間の感情を察して慰めると言うが、狼も同じなのだろうか。
「よしよし。私が居なくなったら、サクラにご飯あげる人も居なくなっちゃうもんね」
「私も、一応世話はしているのですが」
「干し肉用意してるのは私だもん」
サクラを撫でて、少し気分が持ち直したようだ。単純と言うべきかなんというか……あるいは感受性が強いとでもいうべきなのか。
「そろそろ出発しましょう。急いでいけば、明日には遺跡につけると思います」
「そうね、水も十分汲めたし……」
荷物を仕舞い、出発して川を下る。足どり軽くとは行かないが、確実に遺跡へは近づいていった。やがて日が傾き、河原で夜営を行うことにした。木々の作りだす暗闇の中にあの赤い光が無いか探してしまうが……動く物と言えば焚き火に寄って来る、名も知れぬ羽虫ばかりだった。
夕食を終え、見張り当番を決め……ハンモックで横になるアルフィリアを焚き火の向こうに見ながら、今日の事を思い返す。
「(そうそう、うまい話は無いものか……)」
アルフィリアの棒術……一対一でロヴィスを正面から圧倒してみせたそれが当てにならないというのは残念だが、やりたくない物を無理にやらせたところで、良い結果につながるとは思えない。もともと彼女は戦力として計算外、それが計算通りになっただけだと考えることにする。
「(それにしても、敵にまで同情するか……? それとも……人型の物を攻撃するのは本能的に抵抗があるとか、そう言うのか……? いや、普通に火球は当ててたしな……)」
色々考えては見たが、これと言って納得のいく理由は見つからない。
「(要するに……善人だってことなのかな)」
結局、そんな結論に行きつく。彼女は確かに善人なのだ。怯えている相手への攻撃をためらうくらいには。
「(まあ……それがこの状況で正しい事かどうかは別として)」
多少皮肉めいた考えが頭に浮かぶが……そもそも今回彼女が同行しているのも善意によるものなのだろう。ならばそれは尊重しておくべきだ……お互いのためにも。
焚き火の中に枝を投げ入れ、踊る炎の向こうにあるアルフィリアの顔を何となしに見やる。その寝顔は……穏やかな物だった。




