十一章の9 再び、地下へ
異世界生活90日目、夏の44日
「……説明してもらいましょうか」
自分は今、床に正座させられてアルフィリアの刺すような目線に晒されていた。その原因は、はっきりしている。昨夜、疲れと空腹で頭が回っていなかったというのもあるが……ヘルミーネとイルヴァ、女性2人と雑魚寝と言う形になった。
加えて、今は夏。夜もかなり暑く、魔法で温度調整が効くというイルヴァはまだしも、外出用の服は寝苦しかったのだろう。意識してか無意識かは知らないが、ヘルミーネは相当……露出の多い姿になっていた。
「そうカッカするもんじゃないよ、良いじゃないか女の一人二人連れ込むくらい。男の甲斐性ってもんだ」
「サンドラさん、誤解を煽るような言い方は止めてください……昨日夜遅くなって、疲労が限界で倒れただけですから」
「そ、そうです……何も、変なこととかしてませんから!」
「あぁ~、あっちこっち痛む……もうちょっと寝かせといてくれへん……?」
一番の原因であるヘルミーネは暢気な物で……結局朝食の準備ができるまでの時間は、アルフィリアの誤解を解くために費やされることになった。
「ふぅん……下水道がそんな事になってたんだ」
「はい……いたっ、いたたた……!」
「我慢しなさい。まったく、薬塗るだけで一晩放置なんてするからよ」
「起こすわけにもと思い……」
「あんたね……これ放置してたら、下手すりゃ感染症で腐り落ちるところよ? 別に起こしたって構やしないわ。不機嫌にはなるけど」
「(なるのか……)」
2人が帰宅した後、ゼリーに食われた腕をアルフィリアの魔法で治療してもらいながら、事の仔細をアルフィリアに語る。傷は薬で鎮痛こそされていたものの、範囲が広いためかまだ生々しい肉の色をしており、魔法を受けると針で刺すような痛みと共に肉が盛り上がっていく。
「痛っ、あっ、た……!(まさか、わざとやってるんじゃ……!)」
「うるさい、気が散る……はい、これで良いでしょ」
疑惑を持ちながら魔法を受ける事1~2分。全体に薄皮が張ったようになり一先ずの手当ては完了する。後は傷の様子を見ながら、事情を組合へ報告するだけだが……礼を言って早速出発しようとしたその時、袖を掴んで引き止められる。
「で、組合への報告はまだなのよね?」
「ええ、今日にも済ませようと思っていますが」
「……それじゃあその前にもう一度、私とその下水道に来てもらいたいんだけど」
「はい?」
「その話、ちょっと気になったのよ」
「危険です。巨大ゼリーを全て倒せたかもわからないんですよ?」
「対策はするわ。危険を冒しても確かめる価値はある……と思うの」
既にその気になっている。大体においてこうなった彼女は考えを曲げない。そして……それを放っておくわけにもいかないというのが、パターン化している。今回は手当てを受けた直後というのもあり、尚更立場が弱い。結局……相当不本意ではあるが、再び下水道へ赴くことになった。
「うえぇ……ひっどい臭い……」
「私は慣れましたが……なるべく手短に済ませましょう。それで『気になったこと』というのは?」
「うん……とりあえず、その鉄格子の所まで案内してくれる?」
「ええ……」
ランタンと鉈を手に下水道を行く。よくよく目を凝らせば、時折壁にあのゼリーを構成していた生き物がへばりついているのが見えた。存在を知ったからこうして発見できるが、知らなければこの薄暗い中、小さく透き通ったこの生き物に気付くのは難しい。
「これがその……ゼリーの正体ってわけね」
「はい。触らないでください、齧られますよ」
「触らないって。うーん、これがかあ……ふーん……」
アルフィリアはしばらくナイフの先でそれをつついていたが、飽きてまた歩き出す。目指すのは鉄格子で塞がれていた場所だが……
「気になったことってのはね。この下水の構造なのよ」
「構造、ですか」
「うん。イチローは下水って最終的にどこに行くと思う?」
「それは……海でしょう。ここは孤島なのですから」
「そう。けれどこの下水、島の中央に向かってるでしょ? それが気になったこと一つ目」
「二つ目は?」
「あの変な生き物よ。不自然すぎると思わない?」
「……魔法やらなにやらがある世界に来た時点で不自然も何もあった物ではないと思っていますので」
「えーい、異界人め……」
下水道を進みながら、アルフィリアの講釈は続く。今の所下水の流れは変わっておらず、少なくとも近くにはあの巨大ゼリーが居ないことは確かだ。
「つまり……あの生き物はどこから来たのかってことよ」
「もともと生息していたのでは?」
「ここは完全に人工の空間なのよ? 当然後からあの生き物が来たことになる。けどこんな生き物、世界のどこでも見つかってないわ。勿論この島でも」
「前時代と言うからには相当前の物でしょう。特殊な空間で独自の進化をしたとしてもおかしくないのでは?」
「それなら進化のもとになった生物がいるはずでしょ? けどこの……あ。ここね」
話をしている間に鉄格子の所までたどり着く。頑丈で通り抜けられそうな隙間もないが……アルフィリアはその鉄格子に向けて、錬金術を行使し始めた。
「どんなに固かろうと、マテリアに分解してしまえば同じということですか……」
「そう言う事。まあ、素材の良くわかってない物に使うと……あ」
「あ?」
「走って離れて!」
「え、え!?」
後ろで見ていたこちらを押しのけて、アルフィリアは猛然と走り出す。半ば釣られるようにしてそれを追いかけ……背後からの衝撃と轟音で床に殴り倒される。
「な、何が……」
「い、ったあ~……」
ひとまず、お互いに怪我は無いようだが……先ほどの
「あ」という言葉から察するに……
「ま、まあ……こういうこともあるわね、うんうん」
「笑って誤魔化せる規模ではなかったと思うのですが」
「うーん、地上用と地下用じゃ成分が違うのかしら……」
「(どうあっても流す気か……)」
鉄格子の所に戻ると、錬金術を使っていた所を中心に鉄格子が曲がり、分解されて脆くなっていた部分は直径1mほどの穴となって口を開けていた。
「こんなことして、ばれたらどうするつもりですか……」
「ずっとほったらかされた下水道でしょ? 穴の一つや二つ開いたって大丈夫よ。なんならその巨大ゼリーとやらのせいにしちゃえば」
「楽観的な……そこまでして、この先に何があるというんですか」
「下水をわざわざ、島の中央に集めてるのよ? 何もないはずないでしょ」
鉄格子の穴をくぐり、一直線の道を進む……ほどなくして、その行く手に丸い大穴が口を開けていた。大量の汚水が音を立てて流れ落ちるその穴の壁には、らせん状の足場が据え付けられている。軽く調べた所、錆びたり軋んだりと言った様子は無い……
「……降りますか」
「うん」
手すりが付いているとはいえ角度は急で、足を踏み外せば一気に底まで滑り落ちるのは間違いないだろう。すぐ横は汚水の滝、滑り落ちてこれに呑み込まれるなどということはあまり想像したくない。
一歩ずつ踏みしめるように、高さにして二階建ての家ほど降りると、何か……広い空間に到達する。足場はその空間の天井にぶら下がるように続いていて、いわゆるキャットウォークの体をなし、闇の中へと伸びていっている。下はよく見えないが……ランタンの明かりが揺らいで反射しているということは、おそらく水面なのだろう。
「確かに何かありはしましたが……何なんでしょうか、ここは」
「ただのため池……ってことは無い筈よ。先に進んでみましょう」
足場を進む。天井にごく近いところを進んでいるため、上からあのゼリーが降ってくるということは無いが、先の見えない闇の中に続く人工の通路と言うのはあまり気持ち良いものではない……ふと、後ろを振り向く。
「え、何?」
「いえ……ちゃんと付いてきているかと」
「ええ? 大丈夫よ、こんな所で離れたりしないし。何かあったら大声出すから」
水の音で足音が聞こえないのは、どうにも不便だ。だが背後の汚水の滝から離れるにつれて、どうもその水の落ちる音は後ろだけでなく周囲からもしているのに気が付く。
「他にも同じような滝があるのでしょうか」
「そうね……多分蜘蛛の巣状に張り廻らされてるんだと思う。そして島中から集められた汚水は……あ、あそこ!」
アルフィリアとほぼ同時に自分も気づいた。前方に天井からぶら下がった箱状の物……何かの施設が存在する。明かりも何もなく、ただランタンの光に照らし出されるそれは完全に死んでいるかのように見えた……




