十一章の7 下水に潜む怪物
下水道を調べる中、目の前に現れた何か。それは白い、何か無機物のような物。弩を向けたままもう一歩近づくと、それが巨大な歯の生えた顎だということに気が付いた。一切動く気配のないそれへとさらに近づき……その全体像が明らかになる。
「これは……」
一目見て浮かんだのは「恐竜の化石」という言葉。実物を見たことは無いが、下水道の直径ほどもあるその骨格は、太古の地球に存在した巨大生物の残滓を思い起こさずにはいられない。
相手が骨とわかって安心したのか、後ろに居た2人も近寄って来た。
「骨、か……? にしても、デカいな……」
「これは……なんと言う生き物なのでしょう」
「えっと……骨格全体の特徴は……ネズミの仲間に見えます。大きさは異常ですけど……魔獣だったと仮定するとそれも説明できます」
「あ~、言われてみればこのデカい歯……けど、ネズミやろ? いくらなんでもこれは……デカすぎやろ」
「魔獣はもとになった生物より大型化する傾向があります。過去には元の種類の十倍以上の全長を持った個体も発見されていて、巨大化にはマナ密度や栄養状態などの条件が大きく影響するとも言われていますが……」
「すいません、学術的な話はまたの機会に。今ここに骨がある以上、魔獣であれ何であれ巨大生物が存在したのは確かです」
「むう……まあ、そらそうやな……」
巨大な白骨死体を見上げる。問題は、この骨が今回の件に関係あるかということだ。個人的な見解を述べるのなら、その可能性は低いように思える。下水の詰まりはここ数日の事。白骨化するほど前の死体が関わっているとは思えない。
その先を調べようと、水を流している顎とあばらの横をくぐろうとしたとき。
「あ、れ……?」
「今度はどないしたん?」
「これ……えっと、どういうことでしょう……ううん……?」
「何か気が付いたことでも?」
「はい、あの……この骨、なんだか……おかしいんです」
「おかしいって、どこがや?」
「その……綺麗すぎるんです。全体から肉がそぎ落としたように無くなっているのに、骨の内側の組織がかなり残ってて……まるで、死後数日程度みたいな……」
「それは……妙な話ですね」
死体が奇妙なのもそうだが、数日と言えばこの下水詰まりが始まった頃でもある。これは果たして一体何を意味しているのか……
「妙は妙やけど……その原因とかまでわかるん?」
「い、いえ、そこまでは……」
「ほな、今は先に進もうや。ここでぼーっとしてても何にもならへんやろ?」
「そ、そうですけど……」
「アイゼンヴァッフェさんの言う通りです。しかし……この下水道で異常な何かが起きているということも確かなようです、警戒を強めましょう」
ひとまずその骨の事はおいておき、さらに奥へと進むことにする。少しの間まっすぐ進むと通路の幅が広がり、小さな泉のような物があった。水路はそこで行き止まり……と言うよりはむしろここが始点と言うべきなのか。泉の中央では水面が盛り上がり、下から強い水流があることをうかがわせる。
「ここが揚水設備ですね……深さは、わかりませんが」
「少なくとも、壊れてるようには見えへんで」
「そう、ですね……」
どのような仕組みかはわからない。ポンプが下の方にあるのかもしれないが……少なくとも見える範囲に機械装置の様な物は無いが、水流は安定していて、何かしら調子が悪いということは無さそうだ。
途中あった分かれ道も覗いてみたがどこも同じような物……規模の大小はあれど、水を持ち上げる穴か、あるいは細くなり通れなくなるかで終わっていた。時折マンホールはあった物の、そのどれもが全く動かず……結局、T字路まで戻ってきてしまった。
「なんや……無駄足ばっかりやな……」
「今一体何時でしょう……」
「(疲労がたまってきてるか……?)」
今のところ、こちらの体調にも特に変化はない。感染しているかもと言うのは杞憂だったのかもしれない……時間感覚は失われているが、多少空腹を覚えることから恐らく夕方は過ぎている。
「……一度、引き上げましょうか」
「そうやね~……」
「はい……」
T字路を曲がって来た道を戻る。あの骨はもう少し詳しく調べておきたいところだが、それには恐らく準備が必要だろう。水の流れに沿って進み、そろそろ最初の入り口が見えてこようかと言う所で、風景に変化が生じた。
前方に明かりが灯っている……頼りなさげに揺れるそれは先に入ったという探検者たちの物に思えたが……近づくとそれが間違いだとわかった。
それは、自分達のランタンが反射しているだけだった。何にかと言えば……表現に困る。例えるなら、図工の時間で絵筆を洗う水、最後に多様な色が混ざって表現しがたい色になった物にゼラチンを流し込めばこうなるだろうかとも思える、そんな物体が下水管を完全に塞いでいた。
「これは……」
「な、なんや、一体……」
「お、汚水の、お化け……?」
足元で水音がする。視線を下ろすと、流れる汚水はそのゼリーにせき止められたのか渦を巻き、水面が通路を上回ろうとしていた。
「水が……そうか、こいつが下水詰まりの原因やな!」
「そ、そうなん、でしょうか?」
「……ひとまず、どいてもらわないと帰れませんね」
見た目は鈍重そうに見えるが意外とその足は速く、子供が歩く程度にはある。相手は得体の知れない存在……ひとまず鉈を手にし、その表面を軽く突いてみる。水面を突くようなわずかな手応えと共に刃は沈み、そして……
「うっ!?」
思わず引き抜く。そのゼリーからは異様な……まるで無数の口で噛みつかれているような感触が、刃に伝わってきた。こちらに迫って来るゼリーから距離を取り、様子を見る。あくまで一定の速度のままこちらに近づいてくるそれに、意志らしきものは感じられない。少なくとも鉄の刃を数センチ刺し込まれて、何の反応も見せていないのは確かだ。その傷跡もまた、すでに目で確認できない程度に塞がっている。
「あかん、水かさがどんどん増えとる!」
「沈んじゃう……離れないと……!」
「……仕方ありません、反対側に行きます。どうにか迂回かやり過ごすかして凌ぎましょう」
駆け足でゼリーから離れる。この下水道が島を取り巻く物である以上、すべてが行き止まりとは考えにくい。どこか一か所が詰まっても水を迂回させるようなルートが存在することは十分考えられる。正体不明の相手とわざわざ戦うことは無い……何しろ今回の相手は、走れば逃げられるのだから……
この考えは前方で汚水をせき止めながら迫って来るゼリーを見た瞬間、霧散することになる。
「前からも……!」
「嘘やろ!? 一匹ちゃうんかい!?」
「は、挟まれちゃいましたよ……!?」
今居るのはT字路を少し越えた所。道を塞がれたことで、取れる行動は限られてくる……
「と、とにかく攻撃や! やられる前にやるのが一番に決まっとる!」
「そんな、相手の正体も掴めないのに危険……!」
「しかし何か手を打たないと終わりです!」
弩の狙いをつけ矢を打ちこんでみるが、矢全体が潜り込んだ辺りで止まり……小刻みに振動して、軸が削り取られるように無くなり、矢じりだけが振動を続けながらその半透明のゼリーに浮いていた。
「効かないなら、まだしも……!」
「うちらも、あの中に取り込まれたらああなるってことやんな……」
「……ここは魔法の出番ですね。メストさん、お願いします」
「うぇ!? は、はい、えっと、えーっと……何、使いましょう?」
「何かしら攻撃用の魔法を!」
「うぅ、直接攻撃はあんまり得意じゃないですけど……」
いったん距離を取ってからイルヴァを前に出し、彼女の魔法が炸裂するのを期待する。少し迷ったようなそぶりを見せてから……イルヴァは指にオドの光を灯した。
「輝く赤い火の槍よ、敵を貫け、流星のごとく一条に……」
光が宙に軌跡を残し、円を基本とした図形を描き上げていく。完成したそれに手を突くと、中心にひときわ強い光、そして。
「当たって!」
赤い輝きが図形の中心から一直線にゼリーに突き立ち、弾ける。顔にぶつかる光量と熱に思わず目をつむり、自分の周りに何かが飛び散る音を聞いた。瞼越しにもわかる強い光が収まってから目を開くと、そこには……変わらず、下水管を埋めるゼリーがあった。
「あかん、ぜんぜん効いてへん!」
ヘルミーネの悲鳴じみた叫びが木霊する。どうやら、物理が効かないなら魔法が効くだの、スライム状の敵は雑魚だのと言った「お約束」は通用しないらしい……自分達は手に余る強敵と相対してしまったようだ……




