十一章の6 テルミナス下水紀行
組合前の広場でイルヴァとヘルミーネを待つ。衛生状況の悪化を懸念してか組合前の噴水は止まり、苔と共に水気を失いつつあった。乾いた水場に入るせいか、真上からの日差しは実際以上に暑く感じられた。
「おまたせ~、ほな早速いこか?」
「いいえ。あと一人来ますので」
「あと一人?」
「お、おまたせ、しました……」
「あれ、イルヴァはん?」
2人が合流したのはほぼ同時。ヘルミーネは最初出会った時に着ていた旅装束。イルヴァの方は……相変わらず夏だというのに妙に厚そうな黒い服。見ているだけで気分がうだってくる。
「なんやそれ、我慢大会でもするん?」
「違います……野外活動用の防具です……付与術の重ねがけで下手な鎧より強いし、温度調整も効くんですから……」
「ほー、魔法の服ってわけやな。ええな~、ウチも防具作るようになったら、かけてもらおうかな~」
「あ、あの、ベタベタ触らないで……」
「ええやん減る物や無し。生地も上物使うとるな……やっぱり名門は違うわ~」
「あうぅ……」
「……では揃いましたので出発します。お互い顔は合わせていますし、自己紹介は不要ですね?」
どうにも緊張感に欠ける空気の中、2人を引き連れて下水道入り口を目指した。道中、壷や桶を持った人物とすれ違うが、その度に街中に漂う臭気が一段と濃くなる……容器の中身を確かめようとも思わない。確かめるまでも無いというべきか。
「ほんでイチローはん。下水道言うてもそこら中にあるけど、どこ行くん?」
「その辺りは調べています。島の南側に昔調査にも使われた出入り口があるとか」
「な、なら……実は結構すんなりと……」
「行っていたらこんなことにはならないでしょうね」
「ですよねぇ……」
6時の鐘がもうすぐ鳴ろうかと言うころ、地図にあった下水道の出入り口へたどり着いた。重要な都市インフラの入り口であるはずだが意外に簡素で、物置のような建物が2mほどの木の柵で囲われているだけで、警備も衛兵が2人いるのみ。建物自体は以前にも見た粘金と呼ばれる素材のようだが、扉は後付けされたらしく木製だ。一応錠前が付いた、ちゃんとした扉のようではあるが……
「開いとるな……」
「いいんでしょうか……?」
「まあ……開いてないと調査になりませんし、上水ならともかく下水ですからね……」
その辺りの事も、もしかしたら依頼票に書いてあったのかもしれないが。とにかく衛兵に話しかけ、中に入れてもらうよう頼む……と言うほどの事も無く、大した質問も無しに通された。
「(いいのか……? 色々と)」
好都合と言えば好都合だが、警備体制やらなにやらに疑問を覚えざるを得ない。
「これで何組目だ?」
「3組だろ、まったく税金の無駄遣いだぜ」
「まあいいだろ、危険なところに突っ込んで死ぬくらいしか役に立たない連中なんだ」
背後から聞こえる衛兵の言葉からすると行動に移っているのは少数派のようだ。それとも自分達だけではないと考えるべきか。
「何やけったくそ悪い連中やなあ。そんなに言うなら自分らでやってみいゆうねん」
「あ、あの、私達死んだりしませんよね? ね?」
「運と努力次第です」
建物の中はそのまま下り階段になっており、すぐに入り口からの光も届かなくなる。ランタンの明かりに切り替えてさらに少し下ったところで。少々の熱気と強い湿り気に、大よそ人が発生させる全ての悪臭をぶち込んだような空気が体を包む。
「うえ……」
「くっさ! 上よりずっと酷いわ……!」
「すぐ慣れるでしょう」
どこか粘ったような水音を聞きながら進むと、階段から広めの空間に出た。灰色をした般円形の通路。直径は3~4mほどだろうか。床部分は汚水の流路と、壁際に歩行用の通路が設けられている。
「ほーん、ここが下水道なんやな……材料はなんや? 石造りでもなさそうやけど」
「前文明の遺跡ですし……粘金でしょう……」
「なんやそれ、知らん材料やな」
後ろでしゃべる2人はひとまず置いておき、周囲の様子を探る。自分達が居るのはT字路で、左右からの流れが合流して正面へと流れていっているようだ。コの字を描くように水路をまたぐ橋があり、反対側の通路へと渡れるようになっている。
「ひとまず、ここは水の流れに沿ってみましょうか」
「ん~、まあ任せるわ。うちその辺は素人やし」
「私も……」
「(どうするか……)」
案内人無しで進路を決めなければならない。出来る限り無駄足は避けたいところだ……
少し考えたが、水の流れを追いかけることにした。今回の目的はあくまでも下水の詰まりの解消なのだから。
「あちらに進みます。今回の目的からして、水が来る方に向かっても意味は無いでしょうから」
「ほい。っていっても結構水路の幅あるなあ」
「ま、まさか泳ぐとか……」
「恐らくどこかに水路をまたぐ橋があるはずです。それを探しましょう。隊列は私が先頭、次がメストさん、このチョークで通ってきた道に印をつけてください。アイゼンヴァッフェさんは後ろで警戒をお願いします」
弩を取り出して矢をつがえ、地下の探索を開始する。茶色と灰色を混ぜたような色合いの水は、おそらく歩いて渡れる程度の深さだが……だからと言って足を踏み入れたいものではない。
T字路の所まで戻り、イルヴァが矢印型に目印をつけるのを確認してから、汚水の流れる先……島の中央方向へと足を進めた。
「しかし……あれやな、下水が詰まってるはずやのに別にどうってことないな」
「そう、ですね……見たところ流れも特におかしくないですし……」
「それを調べるのも目的ですので。油断せずに行きましょう」
水の流れに沿って行けば、いずれ詰まりを起こしている所に行きあたる。それで原因を発見できるはずと踏んでいたのだが……その認識は甘かったと、すぐに気づかされることになった。
「鉄格子……」
「こりゃあ、通られへんな……」
一体何のために設けられたのか、金属の棒がいくつも交差して道を塞いでいた。水の流れはその向こうへ続いており……追いかけるためには迂回路を探さねばならない。
「ここまで来るのに、分かれ道……10個は有りましたよね……」
「……しらみつぶしにする以外無いでしょう。戻ります」
「うぅ、疲れてきた……」
汚水の流れる地下をひたすら歩き回る。分かれ道はあるいは狭くなって通れなくなり、
あるいは行き止まりでと、次々無駄足を踏まされることになったが……そのうちに、イルヴァが不思議そうな声を出す。
「あれ……?」
「どうしました?」
「ここ……」
指を指すのは、自分達が今行戻ってきた分かれ道の入り口。そこには道に迷わないようチョークで印をつけておいたのだが……こすり取られたように半分消えている。
「水がちょっと溢れて消えたんちゃうか?」
「それにしては濡れていませんし……」
「ほな、うっかり踏んだとか。あんたトロそうやしな~」
「と、トロくなんて……ない……ない……はず、だと思い、ますけど……」
「あ、あ~……冗談、冗談やて、そんな落ち込まんといてえな。悪かったって。な? な?」
「恐らく大きめのネズミが通ったとか、そんな所でしょう……ほら、立ってください」
落ち込んで蹲ったイルヴァを何とか動かそうとして……自分の言葉に疑問が浮かぶ。下水道と言えばネズミやゴキブリといった生き物が居るはずだが、ここまでまったく見かけない。
もちろんこちらの足音や光に反応して逃げているという可能性もあるが、糞などの痕跡すら見当たらないというのは妙に思える。見逃しただけかもしれないが……とにかく、この下水道は妙に清潔に感じるのだ。
「(長年放っておかれたのならもっとこう……カビやらなにやらありそうな物だけどな)」
「はあ……とりあえず、床じゃなくて壁に印つけるようにしますね……」
ひとまず立ち直ったイルヴァと共に再び歩くが、結局最初に下水道へ入ったところまで戻ってきてしまった。
「はあ……無駄足かいな」
「構造のわからない地下施設ですからね……迷うよりはましです。次は東の方へ回ってみましょう」
T字路の横棒にあたる道を進み、探索を続ける。鼻はすっかり麻痺してしまい、変わり映えのしない光景に自然と口数も少なくなるが……いつしか、またT字路へと出ていた。しかし縦棒部分の向きが先ほどとは逆。つまり島の外側に向けて伸びている。丁度分水量になっているのか、流れ込んだ水は二手に分かれて自分たちが来た方向と進んでいる方向へ分かれている。
「(外側からの合流か……)」
水の流れは島の中央に向いていた。わざわざそれに逆らう意味もないと、先へ進もうとしたが……
「あの、こっち、見てみませんか?」
「ええ? そんなん、水が流れてくる方見たってしゃあないやん」
「そうですね……下水詰まりの原因ではないということですし」
「で、でも……外側ほど海抜が低いのにそっちから水が流れて来るってことは……揚水設備があるはずなんです。ここは普通に流れてるように見えても、その揚水設備が駄目になってると……」
「その先が詰まる原因になる、ですか……」
イルヴァは頷いた。確かに彼女のいうことには一理ある、現状詰まりの原因がわかっていない以上、一つの理由に決め打ちするのではなく様々な理由を探ってみることも必要なのかもしれない。
「……わかりました、調べてみましょう」
「まあ、イチローはんがそう言うんならそうしよか」
手近な橋を渡り、流れをさかのぼる形で島の外縁方向へと進む。滑らかだったであろう外壁にはところどころ穴があけられ、石の管が雑に継ぎ足されていた。
「う~……なんや、この……見ててイライラするなぁ……」
「な、なにが、です……?」
「これやこれ! 元は綺麗にできとったろうに、あとからゴチャゴチャ継ぎ足して台無しや! 何考えてこんなふうにしとんねん!」
「その場に住む人が使えない設備に意味はありませんからね……」
「それでも、こう、やり方ってもんがな……ん?」
ヘルミーネの足音が止まる。振り向くと彼女は、目を細めて前方を凝視していた……
「どうしました?」
「前に、なんか……居る」
「え、なんかって……何、ですか……?」
「はっきりとはわからんけど……かなり、デカい……」
「……2人は、3歩下がってついてきてください」
前方に弩を向け、イルヴァにランタンを預けて足を進める。三歩分その距離を縮めた暗闇が、こちらが歩くのに合わせて後退し……その中から、その「何か」が姿を現した……




