十一章の5 準備:ヒト・モノ・情報
下水を探索するにあたり、準備をしておく必要がある。目指すは職人街。以前は工房から響く作業音とどなり声でうるさいくらいだったが、今は随分と静かになってしまっている……多くの工房が休業状態のようだ。この悪臭の中、作業などしていられないということだろうか。
そんな中、釘を打っているような音をさせている一軒の工房。そのドアをノックする。
「はいはーい、ちょお待っててなー」
建物は他と比べても小さく、古びたというか煤けているが……そこの住人は新進気鋭だ。少なくとも本人はそう思っている。
「あら、イチローはん?」
「お忙しいところすいません。少し、よろしいでしょうか?」
職人志望のモンシアン、ヘルミーネ・アイゼンヴァッフェ。赤みを帯び、桃色にも見える金髪は高めに纏められ、半袖シャツに汗をにじませているその姿は、まさに作業の真っ最中と言う様子だった。
「んん? まあ丁度頼まれてたものが終わったところやし、構わんで。立ち話もなんやし、狭いとこやけど入ってんか」
玄関をくぐると、そこは作業場になっていた。狭い空間に可能な限り道具を詰め込んだと言ったような様相で……鋸や釘と言った木工用の物、鍛冶に使うらしい竈、いつぞやの拡大鏡の乗った机など、雑多と言うべきか多様と言うべきか、とにかく様々な作業ができそうではある。代償として居住スペースは削られ、部屋の片隅にベッドとタンスが置いてあるだけだが……ストイックな職人の住居だと言えるのかもしれない。
「それで、なんなん? 注文やったらいつでも受け付けとるよ」
「注文、というか……以前捕まった時、モンシアンは暗闇の中でも物が見えると聞きましたが、具体的にはどの程度の暗さまで見えるのですか?」
「どの程度って……光のない洞窟でも見えるし、どんだけ暗うても平気や思うけど。それがどないしたん?」
「今下水が酷いことになっているのはご存知と思いますが……その原因の調査と解決のために、下水に入ろうと思っています」
「ほんほん、で?」
「恐らく一切光源が無いでしょうから、暗視能力のあるあなたに同行していただければ、と」
「なんや……注文とちゃうんかいな」
あからさまにガッカリされた。職人志望にこんな話を持ってくれば当たり前かもしれないが……しかし、ヘルミーネは俯いて考えるそぶりを見せながら、何やら一人で呟く。
「うーん……でもまあこんだけでかい街の下水ってのも、いっぺん見といた方がええかなあ。滅多に入る機会なんて無いやろうし……」
「先にお伝えしますが、危険が伴うかもしれません。なぜ下水が使えなくなったのかも不明ですし、前時代の遺跡ということで……人を殺傷するための機械などがある可能性もあります。不潔な環境による感染症などの可能性も捨てきれないでしょう」
「イチローはん……そう言うこと聞いたら行こか思てても尻込みしてまうわ」
「言われずに現地で明かされるよりは良いだろうと思いまして」
「ん~……んん~~~」
目を閉じ、腕組みをして悩む様子を見せ……「うん」と一言頷いてから、閉じていた目を開ける。
「ま、ええわ。その代わり、危のうなったらウチの事ちゃんと守ってや?」
少々冗談めかしたウインクと共に、承諾の返事が返ってきた。
「努力はします」
「そんで……いつ行くん?」
「できれば、今日のうちにでも出発をしたいと思っています」
「今日? また急な話やな……さすがにちょっと準備せなあかんわ。昼……そうやな、5時半にあんたらの……組合、やったけ? そこの建物の前で待ち合わせしよ」
「わかりました。よろしくお願いします」
これで、間接的にではあるが暗視能力を手に入れたことになる。地下空間の探索において心強い味方だ。しかしそれでもまだ不安は残る。その不安を解決するべく、再びイルヴァの所を訪れることにした。
「あ……お早いお戻り……」
「お尋ねしますが……出張は受け付けていますか?」
「え、出張……?」
「端的に言うと、下水道の探索に同行して頂きたいのですが」
「ええぇ……下水道ぅ……?」
「事前に魔法をかけてもらおうにも、いつ何が来るかもわからない以上限界があります。やはり現場に来ていただくのが最良かと」
「嫌です……下水道なんて臭いし暗いし不潔だし……ううっ……」
どうもトラウマを刺激してしまったようだ。泣き出しそうな顔をするイルヴァだが……彼女の魔法の有無は大きい。多少の無理をおしてでも、同行してもらいたいところだ。帰還の希望である彼女を連れて行くのに抵抗が無いわけではないが、そもそも自分が死んでしまっては希望も何もあった物ではない。
「臭いし不潔なのは地上も変わりませんよ。下水が使えないままでは」
「うう……」
「ましてや、この状況が続いて観光客や商人が寄り付かなくなれば……生活は不便になる一方だと思いますが」
「うううっ……き、きっと誰かが解決してくれるはずですし……」
「役所は探検者に丸投げ、その探検者はほとんどが同じように『誰かがやってくれる』と考えて日和見中です。一体解決はいつになるでしょうね」
「うううう……」
「まあ……来ていただけないなら諦めて行くだけですが。別にその結果下水道で野垂れ死んだとして……もっとたくさんの探検者が警戒して様子見になるだけでしょうし」
「ふぐううう……」
一言ごとに目線を背けたイルヴァの肩が震える。どうやら効いているようだ……
「わ、わかりました……行きます……行けばいいんでしょう……」
泣き出しそうな声……戦闘などとは無縁の生活を送っていたのが、突然何が起こるかわからない下水についていかされることになっては、無理もない事だろう。
だがとにかく、これで強力な支援を受けられる。彼女の弱気に付け込んだ形ではあるが……
「割増料金、1.5倍はいただきますからね……わ、私以外にこんな危険冒す人居ないでしょうから、絶対譲りません……」
……訂正、弱気に見せて意外と強かだ。とはいえ危険手当は当然の要求でもある。参加報酬だけでも3~4回は使える計算、ここは飲んでおくことにした。
「わかりました。では今日の5時半、探検者組合前にお願いします」
「え、今日……?」
ヘルミーネとの約束もある以上これは崩すわけには行かない。何か言いたげなイルヴァの言葉を半ば遮るようにして席を立ち、地下探索用の道具を買いに行くことにした。
向かった先は商店街にある雑貨屋。老婆が経営する店で、探検者組合で働くジーノの実家でもある。サクラの首輪など細々した道具を買い求めるのに使っている店で、今日も老婆は温和な顔で来客を迎えていた……
「おや、いらっしゃい。この前は本当にありがとうね、ちゃんとしたお礼もしないままで……」
「いえ、頼まれていたことを果たしただけですので。それで……チョークは置いていますか?」
「白墨だね……はい、1本銅貨5枚だよ」
銅貨5枚のチョークを予備も含めて3本購入する。分かれ道があったとしてもこれで印をつけることができるだろう。
「(後は……)」
「下水の調査に行くのかい? 今街中が大騒ぎだものねえ」
「ええ。解決するのを待っていようかと思いましたが……そうもいかなさそうなので」
「お気をつけよ。自分に何かあったら悲しむ人が居るということを忘れずにね」
「居ませんよ、異界人なんですから」
「ふふふ。まあ人間誰でもそう思う時期はあるさ」
「……では、失礼します」
老婆の良くわからない助言? を適当に聞き流し、次の準備に取り掛かる。ここまで下水道内で活動するための準備はしてきたが、肝心の侵入口についてまだ調べていない。市役所で聞いても良いのだろうが……単純に、遠い。丸投げしてくるような役所の対応にあまり期待はできなさそうだということもあり、組合の資料室に向かうことにした。
「下水道への侵入口か……なら、ここはどうじゃ?」
調べるのに時間を食うかと思ったが、資料室の老人に尋ねてみた所、すぐに答えは返ってきた。街の地図を広げて指で示したのは、島の中央から少し南に行った辺り。丁度高級住宅街と港湾地区の境目だ。
「ここはちょっとした崖があってな。そこから下水道……この街ができる前からある大本の所に入っていくことができる」
「そこまではっきりしていながら、なぜ……」
「最初は定期的に調査されてたんじゃが……そのうち、魔獣が出るという噂が立ってな」
「魔獣……ですか? にわかには信じがたいですが……」
通常よりはるかに強い動物、魔獣。そんなものがこの人口密集地の下に居るとは思い難いが……
「実際行方不明になった調査隊もおったそうじゃよ。まあ真偽はさておき、これと言って発見も無かったので調査は打ち切り、今に至ると言う訳じゃ」
「(普通に考えたら単に迷ったとかだけど……)」
流石に魔獣など想定はしていなかった。狭い地下空間での想像など、想像もしたくないところだ。しかし幸いと言うべきか、魔獣の体は光る。暗い下水道においては、こちらが先にその姿を捉えることができるはずだ。後はとにかく、逃げる。それ以外に対処法は思いつかない。
「ありがとうございました。情報は活用させていただきます」
「うむ、情報は大事じゃ。確実に危険を減らしてくれる……地味じゃがの。腕が上がってもこのことを忘れるでないぞ」
「はい。上がれば、の話ですが」
待ち合わせまでさほど時間は残っていない。下水への出入り口の場所を頭に刻み、酒場でパンと水の簡単な昼食を済ませて待ち合わせ場所へ向かった。




