十一章の1 生きる上で避けられないこと。
見やすさを考慮し、台詞間や地の文との間の空白を増やしています。
以前までの形式とどちらが見やすいか、よろしければご意見いただきたいと思います。
異世界生活87日目、夏の41日
「はい、取ってきてあげたわよ、あんたの服」
畳まれた服の上下一式。普段自分が使っているものだ。前から汚れる度に自分で洗濯をしていたのだが、今回は胴に穴が開いたうえかなりの出血をした……要するに素人の手作業で何とかなる範囲を超えていたので専門業者に頼んだのだ。
穴は同色の布を当てて塞がれ、こびりついた血もどうにか洗い落とされているようだ。
「ありがとうございます。さすがに、奴隷服で出歩くのははばかられますので……」
「あんたそう言うの気にしない方だと思ってたけど。あ、代金建て替えたからね。銀貨3枚」
銀貨を渡して服を受け取る。当然服を出したときにも今着ているこの奴隷服を使っていたわけだが、服を変えただけでも周囲の視線と言う物は変わる物だ。具体的には道端の物売りが声をかけてこなくなるだの、酒場から食べかすが飛んでくるだの。
その他一応傷の経過を見ることもあり、ここ3日ほどアパートの敷地に引きこもっていたのだが……これで活動を再開できる。
「まとまったお金が入ったんだし、防具の一つでも買ったら?」
「さて……どうしましょうか」
流石に胸を撃ち抜かれたとあっては、防御面をこのまま放置するのもはばかられる。何かしらまともな防具を手に入れたいという考えは確かにあるのだが……
「(鎖帷子が金貨3枚ということを考えると……胴体だけなら板金も何とかなるか? いや、維持費も考えないと駄目か……)」
洗濯された服に袖を通しながら思案する。そもそも前回は幸運にも遺跡を発見したからこその収入でありあぶく銭なのだから、以後もこれと同じような収入を期待しない方が良いだろう。しかし……
「(流石に、急所くらいは守らないとか……)」
胸の傷は数mmの痕を残すだけになっているが、これで済んだことこそ幸運という物だ。将来への投資として、防具の一つも買っておくべきなのは間違いない。さしあたり店を見て回ることにして、部屋を出たところで……鼻に感じる違和感。
「(臭う……?)」
海上ということもあり、基本的にはこの街は潮の香りがする。だが今、それとは別の……ごくごく身近な悪臭がしていた。
「(サクラか?)」
日差しを避けて小屋に引っ込んでいるサクラだが、その首紐は長めに取られている。そのためいつの間に覚えたのか、庭の隅にあるトイレを使えるようになっていた。器用に水まで流すが、出来るのはそこまで。水道と繋がっていないトイレは手動で水を補給する必要があるのだ。使った人が足すのがルールではあるが、誰かがサボれば……つまりそう言うことになる。
「(まったく……)」
水汲み場で水桶を手にし、給水作業に取り掛かる。水洗と言ってもごく単純な高低差を利用した物で、高いところにあるタンクへ水を入れるのはちょっとした労働だ。嘆息しながらも、水桶片手にそのトイレの戸を開くと……
「んん……?」
トイレは綺麗なままだった。流されずに残っているものなどもなく、タンクにも水は充分溜まっている。
「(勘違いだったかな)」
ひとまず、この汲んだ水は無駄だったようなのでそのまま便器に流し、トイレを後にした時。背後から異音がした。重力に従って流れていく水の音ではなく、泡立つ様な。振り向くと……便器では濁った汚水が水位を上げ……たちまち、あふれ出す。
「……掃除、ちゃんとしなさいよね」
悪臭と暑気の中、通りかかったアルフィリアの声はどこまでも冷たかった。
「はあ……」
あふれ出した汚水を雑巾でぬぐい、絞る。不人気労働上位十位には間違いなく入るであろうその作業を終えようかという頃には、五つの鐘が鳴り響いていた。
日差しの中出歩くのもおっくうなのか、アルフィリアは出かける事も無く自分の仕事に取組み……大家であるサンドラは意外にも手伝ってくれた。
「まったく、便所を詰まらせるなんて初めてだよ。よほどデカい糞でも垂れたのかい?」
軽く笑いながら桶で水を流すサンドラだが、それは濡れ衣だ……少なくとも半分ほどは。なぜ急に下水が詰まったのかはわからないが、ただ水だけを流して詰まるのであればそれは下水側に問題があるのではないだろうか。
「おーい、お昼できたよ~」
手を洗っていると、エプロン姿のアルフィリアが食堂から呼ぶ。さすがにトイレ掃除直後の相手に食事は作らせたくなかったのだろうか……豆と豚肉の煮込みをスプーンで突きつつ、午後の予定を思案する。
「(防具を売ってそうなとこか……どこがいいか)」
「で、詰まりはもう直ったの?」
「ええ、恐らく」
「そ」
食事時にあまりそっちの話題はしたくないだろうが……そうもいかない事情という物もあるだろう。食べ終わり、そそくさと食堂を後にするアルフィリアを尻目に食器を片付けて……
「うやあぁあ!?」
なにやら、情けない悲鳴が聞こえてきた。悲鳴は悲鳴なので様子を見に行くが……そこには、開け放たれたトイレ、汚水を溢れさせる便器、そして……それらの手前で尻もちをついたアルフィリア。そのズボンは……上がり切っていなかったようだ。その顔が、見る間に赤らんでいく。
「~~~~っ! サクラ! 嚙め!」
「えぇ……」
ヒステリックかつ泣き出しそうな声でこちらを指さす。サクラは困惑した様子を見せながらも、こちらの右足に近寄り……軽く、一噛みした。
「サクラ、痛い」
拾って来た時と比べ、だいぶその体が大きくなったサクラの牙は、甘噛みでも中々の威力……間違っても散歩中に人を嚙んだりしないようにしないといけない……などと思いつつ、サクラの口から足を引き抜く。そんな一連の流れの中、アルフィリアは部屋に駆け込み……後には悪臭と沈黙だけが残された……
「……で、どうしましょうか」
「どうもこうもないよ、これじゃあ素人にゃ無理だ。市役所に行って役人に修理を頼んできな」
「私がですか?」
「どうせ暇だろう?」
「はあ……」
大家の命令とあっては逆らえない。部屋に籠って何やら悶えたり呟いたりしているアルフィリアはとりあえずおいておくとして、普段あまり縁のない施設……テルミナスの市役所へと向かうことになった。
テルミナスは島の中央に行くにつれ、標高が高くなっていく。坂やら階段やらを登り、島中央付近に広がる高級住宅街を抜け、中心部へと足を踏み入れた。市の政府機能が集まっているのであろう、整えられた芝生に立ち木と立派な建物が並ぶ広場。、そしてその中心にそびえ立つ巨大な給水塔……まさにファンタジーの庭園と言った風景の中、給水塔の根元近くにある市庁舎へと立ち入る。訪れるのはこの街に来てすぐの時以来だが、その時とは中の雰囲気が違う。
「おい、どうなってるんだ!」
「担当者を出せ担当者を!」
「これじゃあ商売あがったりだ!」
奥の方にある窓口の一つに住民が押しかけている。天井から下がる札には『水道』と書いてあるようだが……
「ただいま情報を集めておりまして……」
「一体いつまでかかるんだ!」
「そのうち道路まで糞があふれ出すぞ!」
どうやら皆同じ用件らしい。しかもその数……100人は優に超えている。異変は家や区画規模ではなく、島全体で起こっているらしい。となれば今この場で対応を頼んだとしてどうにもならないだろう。
「(出直すか……)」
島全体で下水が詰まっているせいか帰り道でも悪臭は途絶えないままで、標高の高い高級住宅街はまだしも、少し下がって中流以下となると……それと認識したせいか、はっきりと汚物の臭いを感じられた。
「はあ……島中がこの有様かい」
サンドラに報告はしたが、それはこの状況が当分の間改善する見込みがないということだ。さしあたり、アパートの片隅にある物置きから大き目の壷を用意するなど当面の対応をし、念のため上水も汲めるだけ汲んでおく。そして……
「見てませんから……」
「……本当に見てないの?」
「私に背を向けて尻もちをついていたでしょう。ですから何も見えませんでした」
「じゃあ見ようとしたんだ」
「それは、突然座り込んでいたら何があったのかと……」
「見えたんでしょ」
「……」
「見えたんでしょ」
「……太ももが、少しだけ」
「それだけ?」
「それだけです」
「……」
少しだけ開いたドアの隙間から恨みがましい目を向けるアルフィリアをどうにかなだめ、夕食の席に着かせる。必要性があるのかと問われれば否としか答えられないのだが、気分的な物だ。
「じゃあ、しばらく直りそうにないわけ?」
「ええ、役人の対応がどれだけ早いかはわかりませんが」
「まあ、とろいだろうね。まず金持ち。次が観光地。次が普通の家でその次が探検者地区さ」
「世の中お金かぁ……」
公共サービスも、この街では金で優先順位が付くようだ。当分の間は不便を甘んじて受けるしかないとして……話題は誰が壷の中身を捨てに行くか、に切り替わっていった。




