十章の6 かつての残滓
鉈でつつき、特に何も起こらないことを確認してから、謎の物体を手に取る。材質は金属……にしては軽い。プラスチックに似た若干の柔軟さを持つ素材でできている。円の一部を切ったような……アルファベットのCに近い形をしているが、指輪にしては大きすぎ、腕輪にしては小さすぎる。建物の大きさからして、前時代の人間は今の人間とさほど変わらない大きさのはずだが……
「こいつは……ふーむ……聞いたことがあるような無いような……たしか、前時代の遺物にはマナやオドに反応する物があるとか」
「反応とは?」
「さあ、そこまでは……ま、試しにやってみやしょうか」
ウーベルトが右手の小指にオドの光を灯す。彼が魔法を使うイメージは無いので少々違和感があるが、この世界の人間にとってはごく当たり前の能力なのだ……その光が道具に近づくと、両端部が突如白い光を発する。
「うおっと!?」
「動いた……!」
「え、何々?」
その光は床に図を描き……
「(いや、違う……)」
床ではなく、50cmほど先の中空に投影している。ホログラフと言う奴だ……この装置の大きさでそんな事が可能とは、前時代と言うのは地球の科学技術を上回っていたらしい。床を向いているのは……向きの問題だろうか。
「ちょっと、貸してみてください」
何度か持ち替えた結果、Cの字の切れ目を前に向け、縦にするのが正しい方向らしいとわかる。三人で投影された画像を眺めるが……それは何かの紋章のようでもあり、文字のようでもある。
「それで……これは何でしょうか」
「さーて……薬師殿、読めますかい?」
「これ、文字じゃないわよ。どうすればいいのかしら……」
装置である以上、何かしらの操作ができるはずなのだが……その使い方がまるでわからない。本体のどこを触っても押しても反応は無く、道具はただ一つの画像を投影し続ける。
装置を弄るのに合わせて空中を左右へ動く画像を、サクラが目で追い……飛びついた。
「サ~クラ~。これは玩具じゃなくて……」
たしなめる様なアルフィリアの言葉と、画像が変化し、四角い枠になったのはほぼ同時だった。枠の中には細長い四角形の上に何か……文字が記されている。
「あっ!?」
「動いた……まさか、この狼が?」
「恐らく……ということは、多分……」
ロッカーや建物を見るに、前時代とやらは地球の技術……というよりは思想と言うべきだろうか、それに似ている部分がある。ならその道具に関しても似通ってくるはずだ。そしてこれに似た画面を持つ道具は、地球にも普及している。
「その四角形の文字、読めますか?」
「えっと、何々……『郵便箱』『計算機』ん、ん~……『光学』かしら?」
「やはり……予想ですが、この画像に触れると何かしら反応があるはずです」
「反応ね……やっぱり、オドは要るのかしら。じゃあこの、『光学』ってのを……」
アルフィリアがオドを灯してその画像に触れると、細長い四角が上方にスライドし……一行の文章が表示された。
「『情報が壊れている』だって」
「……まあ、古い物ですしね」
「旦那、どうして使い方がわかるんで?」
「似たような物が私の世界にもありました。これと比べれば、ずっと技術的に劣っていますが……」
「ふむう……不思議な話ですな。旦那は異世界人だってのに同じような物があるたあ」
「収斂進化、ってやつよ。似た身体構造、似た環境、ならそこから出てくる発想や求められるものも似て来るの」
二人は興味深げにあれこれ弄っているが、どうにもこの道具は使いにくいような気がする。投影される画像が遠く、一人で使うためには片手をかなり引かなければならないし、縦向きと言うのもおさまりが悪い。どう考えても横向きの方が手に乗せても安定するが……
「(まてよ……)」
その装置を耳にかけてみる。Cの字が丁度耳たぶに引っかかり、ホログラフの距離も丁度、机でノートを取る程度の距離に収まった。おそらくこれが、本来の使い方なのだろう。
「見づらい」
……アルフィリアに取られてしまった。
「……なんにしても、これはそれなりに価値がありそうですね」
「そうですな。それじゃあそろそろ」
「うーん、もうちょっとちゃんと調べたいけど」
「それは後にしましょう。目的を忘れてはいけません」
見慣れぬ遺物に少し盛り上がってしまったが、まだ一つ目の部屋を調べたに過ぎない。気を取り直し、ロッカールームを後にした。
反対側の部屋も同じ手順で開ける。長いテーブル、それと共に並ぶ椅子の残骸がそこにはあった。壁には窓だったらしい四角い穴も空いており、外の光が差し込んでいる。
「さて、ここは……」
「会議室……にしては手狭なような気もしますが……」
何歩か足を踏み入れた時、水たまりを踏んだ。窓から雨でも吹き込んだのか思いきや、壁に開いた穴から水が滴っている……
「この穴は……水道かしら、テルミナスの給水場みたいな」
「水道があるということは……ここは休憩室だったのかもしれませんね」
「なるほど、ここで茶でも淹れていたのかもしれやせんな」
水道跡らしき穴の周囲には幾つかの装置が残されていたが、動く物は一つも無い。もし生きているものがあれば高く売るなり自分達で使うなりできただろうが……無い物はないと諦めるしかないだろう。
「これで、終わり?」
「この建物はそうですな。やはり気になるのは……」
「あっちの大きな方……ですか」
こちらの建物がロッカーと休憩室。となるとこの施設の機能はもう片方に集中していることになる。その大きな建物の出入り口に付き、扉の無くなったそこから中へと侵入すると……そこには予想とは違う光景が広がっていた。
「……荒れていますね」
「獣がやったにしては……随分と派手ですな」
元々は十字路だったであろう廊下の右手は瓦礫で塞がれている。天井が妙に黒いのは、火事でもあったのだろうか。
「地震か何か……だったらさっきの建物にも被害が無いとおかしいわよね」
「兎に角、気を付けて進みましょう。歩いている時に崩れでもしたら最悪です」
右手は進めないので、残るは左か奥かということになる。奥はそのまま階段になっていて、左手は奥に扉が一つ、右の壁に二つ、左の壁に一つ。
「右の扉から調べて行きましょう」
「了解でさ」
まず一つ目。開けてみるとそこはごく狭い空間で、人が一人座れそうな……
「……便所ですな」
「次に行きましょう」
右の扉二つ目を開ける。そこは……妙な部屋だった。広さは大体20平方mほどか。先ほどの休憩室の椅子の数から考えると、あの人数がここで仕事をするには狭いように感じる。また、ここまでの部屋はその使用方法や意図が多少なりともわかるものだった。だがこの部屋は……なんに使うのか見当もつかない。
部屋の壁は暗色で窓もなく、ある程度住環境に配慮されていた廊下と違い普段は使わない部屋なのは推察できる。中央の床には腰程度の高さの立方体……どうやらこれは床と一体化しているようで、押しても引いても動くことはない。その真上にも、天井と一体化した立方体があるが……
「ここは……一体何なのかしら」
「さーて……見当もつきやせんな」
「この四角いところに座らせて自己反省をさせる部屋、でしょうか」
「いやあ……それは、無いと思うけどな……」
しばらく部屋の中を探ったが、これと言った物も見つからないため次の扉に移る。廊下左手にある扉を開けると、中は大き目の棚とベッドの残骸が二つ。
「医務室、でしょうかねえ。施療院の診察室がこんなかんじでやした」
「えっと、棚の中身は……『胃に効く』『熱冷まし』……そうね、医務室みたい」
棚の中の瓶やら箱やらを取り出しては、アルフィリアは自分の荷物に詰めていく。薬を売って生活している身として気になるのはわかるが……
「そんなもの持って帰っても、使えないと思いますよ」
「研究材料よ研究材料」
「大昔の薬でやしょ? 作り方なんざ……」
「んーと、色々やり方はあるのよ。成分がわかれば同じような物が作れるかもしれないし」
「はあ……まあ、良い薬が増えるに越したことは有りやせんがね」
普通の薬師であれば、成分がわかったとしてそれを役立てるのは難しいだろう。成分の抽出、配合、それぞれに多くの手間が必要なはずだ。しかしアルフィリアの見せた錬金術ならば……そう言った諸々の手間を無視できるのかもしれない。もちろん、それを今ウーベルトに知られるわけには行かないのだが。なんにせよ彼女の薬のレパートリーが増えるのならばそれは良いことだ。
アルフィリアが一通り薬を漁って満足したところで、次の扉へ。廊下の奥にある扉だが……ここは、他の扉と雰囲気が異なっていた。これまでのドアが多少の差異は有れど、自分たちの良く見る精々2~3cmほどの……いわゆる普通のドアだったのに対し、この扉は明らかに重厚だ。
「いかにも、何かありますって感じよね……」
「ええ。旦那、準備は良いですかい?」
「はい。しかし……」
開け方がわからない。持ち手も無ければ押しても動かず、ならば左右かと思いきやそれでもびくともしない。
「鍵がかかってるのかしら?」
「かもしれやせんが……鍵穴らしいところも見つかりませんな」
「気になるのは……」
扉の横に、小窓の様な物が付いている。ここに何かをすれば開くのかもしれないが……触れても何の反応も無かった。
「うーん、オドにも反応しないか……」
「壊れている……ってえ線も考えられますな」
「実際、反対側はあんなことになっているわけですしね……ここは後回しにしましょう」
一先ずその場を離れ、階段の方へと向かった。明かりが全くないはずの屋内だが、踊り場を通ると前方から明かりが漏れているのが見えた。足を進めると2階はL字の廊下で、曲がった先から光が差している。曲がり角から覗くと……
「これは……」
「うはあ……こりゃあ、何があったんでしょうな」
「天井が……」
天井に大穴が空いていた。直径はかるく3mはあるだろうか。分厚い天井を貫き、穴の縁からはヒビが広がっている。廊下は壁もろとも崩れ落ち、天井と一緒に瓦礫となって一階部分に散らばっていた。
「外から見ると大して痛んでなさそうに見えたのですが……」
「外壁は頑丈だったんでしょうな……」
「変な壊れ方ね。金属ってもっとこう、粘りがあるって言うか……外の塔なんか、割れたりする前に随分曲がってたじゃない? なのにこっちはまるで陶器みたい」
「それが粘金の不思議なところなんでさあ。時には金属のようで、時には焼き物のようである……ああ薬師殿、端に行くと危ない。崩れるかもしれやせん」
2階にも部屋はあっただろうが、この有様では到底探索は不可能だ。あの重厚な扉の手がかりがあるかと思ったが……
「(ん……?)」
差し込む光に、何かが反射した。瓦礫の一部かと思ったが、よく見れば確かに何かが足元、崩れた瓦礫の合間で光を放っている。
「ちょっと、待っていてください」
「え、何?」
足元を確かめながら、瓦礫を伝い降りる。靴底からする感触は不安定で、ここが決して安定した足場でないことを物語っていた。
「旦那ぁ、何かあったんですかい?」
「ええ」
金色の腕輪。それが光の正体だった。そしてその持ち主も。
「イチロー、何が……」
上から覗き込んだアルフィリアの声が止まる。彼女と自分の目線の先には、かつての生命の残滓。人間の白骨死体が埃をかぶっていた。




