十章の5 遺跡をスカベンジ
異世界生活78日目、夏の32日
あの赤い光は現れることなく、ひとまずは平穏と言って良い夜が過ぎ去った。時折ウーベルトが樹上から目標との方角を確認、確実に近づいてきているが……その正体は依然として不明のままだ。直線的なシルエットから人工物らしいが、それ以上の事は近寄らないとわからない。
「こんな所に建物かぁ……まあ、前時代の遺跡よね」
「へえ。目印になり、調査の評価も上がる。調べるに越したことはねえ」
「しかし、そう言った所には普通罠があるものでは?」
「物によりますな。遺跡ってのは前時代の奴が日常で使うもんだったわけで。そんな所に罠を仕掛けちゃ不便でしょうがねえはずでさ」
「それはまあ、たしかに……」
「色々言うけど……結局の所出たとこ勝負ってことじゃないの?」
「身も蓋も無い事を……」
緊張と多少の期待の混じった空気。遺跡と言えば隠された財宝がつきものではあるが、そんなものは映画の中だけの話だろう。もっとも……
「(こうして違う世界に居ること自体映画みたいなもんか……)」
そんな考えを頭に浮かべていると、異質なものが目に映る。川と土と小石と植物、それら自然一色の中へ落ち込んだ影のように横たわる黒い物。川を横断したそれは、何かの骨組みのように見えた……
「こいつあ……」
「橋? にしてはなんていうか……変な形よね」
「橋と言うよりは……」
周囲を見回す。すると川向こうの木々から頭を出す、その横たわるものと同じ色合いの構造物があった。
「あれが、倒れたのではないでしょうか?」
「あっちが本命ね……行ってみるんでしょ?」
「まあ、ここまで来てやっぱやめた、とは言わんでしょう」
倒れた構造物は長い柱が4本、四角柱に伸び……さらにその柱の間をつなぎ合わせるように同じ素材の棒がいくつも交差している。地球の鉄塔のような構造だ。あちこちが曲がっているのは倒れた時にそうなったのだろうが、試しに体重をかけてみてもそれ以上曲がったり折れたりする様子はない。そのまま橋代わりにして、向こう岸まで渡ることにした。
「一応聞いておきやすが、お二人は泳げるんで?」
「荷物無しなら、溺れない程度には」
「泳いだことは……ない、けど……」
「では、一応お互いを繋いでおきやしょう。誰か落ちたら残り二人で引き上げる。山道でも使える方法でさあ」
サクラは対岸に荷物を置いてから回収することにして、腰に縄を巻き、一列になって鉄塔の柱をつたう。鉄塔と言ってもそれが本当に鉄なのかはわからない。夏の日差しで熱を持ち、靴底に噛んだ小石で甲高い音を立てる様子は金属のそれだが、その一方で継ぎ目やネジの類が全く見当たらない。錆びた様子もなく表面は滑らかだが、艶消しというのか、金属らしい光の反射は見られない……アルフィリアは歩きながらもこの謎の素材を拳で軽く叩き、呟く。
「いったいこれ……何で出来てるのかしら」
「あっしらは粘金って呼んでやすが……実際の所良くわからねえってのが正直な所で」
「ねんきん?」
「粘土のような金属ってことでさ」
「なるほど……」
「表面も滑らかで、錆びたりしている様子もない……これが前時代の遺跡か……持って帰ったら何かの役に立つかしら?」
「ほう? 薬に金物が何か関係あるんで?」
「え? あー、えっと」
「最近、同じくらいの年頃の鍛冶職人と知り合ったんです。何やら意気投合したようで」
「ははあ、なるほど。しかしこいつを材料にしたって話はとんと聞きやせんな」
「何か、問題でも?」
「あっしは鍛冶屋じゃないんで詳しくは……まあ、頑丈で切り出すのも一苦労だからじゃあないですかね?」
ウーベルトの説にある程度の納得を覚えながら、川の向こう岸へと足を付ける。あとは元の場所に置いてきたサクラを回収するだけだ。
「あれ? サクラ……?」
対岸にサクラの姿は見えない……あの真っ白い毛皮は相当目立つはずだ。もしや渡っている間に何かあったのかと考えたその時。顔に水しぶきがかかった。
「サクラ!」
アルフィリアの声。飛沫の飛んできた方を見れば、ずぶ濡れのサクラが体を捻じるように振っていた。
「そう言えば、狼は元々泳げる動物でしたね……」
「ですが、習いもせずに泳ぎきるたあ中々大したもんで」
「よしよし、偉い偉い。でもサクラ、心配するからあんまり勝手に動いちゃ駄目よ?」
その言葉を聞いて理解しているのかいないのか。サクラが一声鳴いた。しばらくサクラを河原で天日干しにして、早めの昼食をとる。
「……さて」
コンディションを十分に整え、倒れた鉄塔を伝いながら、すでに木々の間に見えている遺跡へと歩み出す。河原から緩い坂を登り、繁みを抜けて開けた場所に出ると……植物に侵食されつつある建物が目に飛び込んできた。
地面は何らかの素材で舗装されており、植物はひび割れから草が生えている程度。見た所舗装された敷地の広さはそれほどではない。おおむね四角形だが、長い辺でも50mには届いていないだろう。
中央にそびえる鉄塔……の残骸の周りに二つある建物はどちらも簡素な四角形をしていて、素材は粘金とやらのようだが色味が白っぽくなっている。何か違いでもあるのか、それとも単に真っ黒では日常使用するのに差し障るからか……どちらにしても敷地の内側に向けて窓や出入り口があるのは共通設計のようだが、一つは2階建てアパート程度の大きさで、もう一つは一回りほど小さい。その他建物と言うよりは据え付けの設備らしい物も見受けられる。
「(外からわかるのはこのくらいか……)」
「……いつまでも、外をウロウロしてたって仕方ないわよ」
「そうですな。さしあたり……どっちから調べやすか?」
「……小さい方からにしましょう」
出入口は両開きの普通のドアだが、外側から強い力がかかったようにへこみ、片方の扉は倒れ込んでいた。中は一直線の廊下がこの建物を半分に区切っていて、左右には一つずつ扉。窓は無く、光は壊れた入り口からのみ。床に横たわるボロは敷物だったのか、それとも壁紙だったのか……その判別は難しい。
「旦那、あっしが灯りを。薬師殿は後ろを見張っていて下せえ」
「わ、わかった……」
ランタンを手にしたウーベルトが先行し、左側の扉の横に着く。こちらは扉を挟んで反対側へ。
「あっしが開けるんで……中に何か居たら、頼みますぜ」
引き戸になっているそれがゆっくりとスライドし、ランタンの明かりがまるでワイパーのように闇を払っていく。その光の中に、動く物は無い……ただ、長年溜まった埃だけが空気の流れに乗って空中を舞った。
「……イチロー? 何か居た?」
「……いえ、何も居ないようです」
アルフィリアにそう返し、部屋の中へと足を踏み入れる。まず目につくのは壁に並んだ小さな扉付きの箱。ロッカールームのような所だったのだろうか。だとすれば、部屋の片隅に転がる錆びたパイプは、もともと椅子か何かだったのかもしれない。
「何か、あるかしら?」
「開けてみないことには何とも」
「では……端から見ていくとしやしょうか」
ロッカーは軋んだ音を立てて開く。その中には……
「空、ですね」
「まあ、普通はそうでしょうな」
「まだあるじゃない、そういうのは全部開けてからにしましょ」
端から順に開けていく。ロッカーは全部で12個。そのうち一つは鍵がかかっており、開いた残る11個の中身を集めたところ……
・手のひらに収まる程度の茶色のビン、ラベル付き:1
・ひどく痛んだ衣服:4
・錆びついた針金(元はハンガーのような物と推定):13
・金属の筒(筆記用具の残骸と推定):2
・何かの袋。表面には判読できない模様:1
・判読不能な本だったらしき物:1
ものの見事にゴミばかり……遺跡と言えば聞こえはいいが要するに廃墟なのだから当たり前と言えなくもないが……ひとまずその中でも比較的興味を引く物を手に取ってみる。
「この袋はなんでしょうか。何か書いているようですが……」
「こいつあ、前時代の文字ですな。しかし内容までは……」
「『りんごと蜂蜜のやわらか飴』よ」
謎のビンを手にして眺めていたアルフィリアが、袋には目も落とさずに述べた。驚きの表情を浮かべたウーベルトが、彼女を見る。
「薬師殿、読めるんで!?」
「珍しい技能なんですか?」
「そりゃあもう……物好きな研究者くらいしか読もうとしやせんからね。文献だってどこにあるか……」
「親に色々叩きこまれたのよ。ま、その時はこんなの何の役に立つんだ~って思ってたけど……まさかこんな形でなんてね」
そう言って苦笑を浮かべる。本人にとってはその勉強は不本意な物だったようだが、遺跡探索においてこれは大きなプラスになるはずだ。
「それでは、その瓶の表示も?」
「今読んでる。けど……字が細かくておまけに回りくどい書き方なのよね。えーっと……『眠気と疲れに』……『高い濃度のマナ配合』……『一本だけ』……『休まず働く人』……一番大きいこれは多分固有名詞ね。あとは注意書き? 『1日5粒まで』……」
「(要するに栄養剤か……)」
「マナってのは、薬にして飲めるもんなんですかい?」
「さあ……すべての物にはマナが含まれてるし、当然この薬にも含まれてるんだから……飲めると言えば飲めるんじゃない? 高い濃度って書いてるだけで具体的な数字は書いてないし」
「はあ……何だかインチキ臭い話ですなあ。それに疲れたなら家で寝るもんでしょう。病気でもないのに薬を飲んでまで働くなんざ……」
「そういう社会だったということでしょう。しかし、前時代と言うのがいつかは知りませんが……飴にしても薬にしても中身に期待はできなさそうですね」
「そうですなあ……飴は腐らないとは言っても、前時代といや少なくとも300年以上前。流石に口に入れる勇気は……」
結局見つかった物は全てゴミ。となると残る一つのロッカーもさほど期待はできないが……一応調べるだけ調べてみることにした。
「うーん、疲労回復の薬か……見た感じ遮光瓶だし封は金属製で錆びてないし開いてもいない、これなら……」
まだ薬瓶を気にしているアルフィリアを尻目に、ロッカーの蝶番部分へと鉈を振り下ろす。薄い金属板製のそれはけたたましい音と共に変形し、その機能を失った。
「わっ!? もう、急に大きな音立てないでよ」
「すいません……」
叱られながらも、壊れた扉を取り外し、中を覗くと。
「これは、一体……?」
そこには見たことのない『何か』が残されていた……




