十章の3 動物をスカベンジ
異世界生活76日目、夏の30日
乗ってきた馬車とは別れ、南に向いて足を進める。周囲の草原は歩くに支障はないが、サクラの姿を隠せる程度には草の背は高い。何か動物が潜んでいる可能性もあるだろう。
弩を手にしながら、地図の空白があった方を目指し、しばらく歩くと……地平線に生い茂る森が見えてきた。
「地図の端にあった森ですね……」
「つまりここからは未踏破の地域ってことでさ、旦那。どんな風に進んできたかは細かく記録しておいた方が良いですぜ。報告にも必要になりやすし、迷ったときにも役立つってもんで」
「ええ。さしあたり、この森に入る所から記録を始めます。植物などの採取に関してですが……」
「それは、私がやるわ。食べられたり、薬に使えそうな物や珍しい物を取ればいいんでしょ?」
「ええ、お願いします。私はその辺りがからきしなので」
役割分担を決め、森の中に足を踏み入れる。草をかき分ける音、落ちた枝を踏み折る音、遠くから聞こえる鳥の声。今の所聞こえるのはそれだけ。木陰からあの小柄な亜人が……ということもないようだ。
先頭は自分とウーベルト、その後ろにアルフィリアとサクラ。前回と同じ隊列を組み、同じように緑色の天蓋の下を進む。違う点と言えば、今回アルフィリアはフードを脱いでいるという所か。ウーベルトに彼女が『幽鬼』であることが知られている以上、隠す必要もない。長い青髪を誰はばかることなく背中に流し、地面のあちこちに生える草を見定めている。
「……使えそうなものは見当たりませんか?」
「薬草の類はね。木材は専門外だから解らないけど」
「その辺りはあっしも詳しかありませんが……見た所まっすぐな木が多い。きちんとした拠点を立てりゃ林業ができるかもしれやせんな」
「それができるかどうかは……組合の方で判断してもらった方が良いでしょうね」
鉈で木の幹を削り、来た道の目印とする。これもウーベルトに教わったが、いくつか種類を作る方が良いそうだ。来た時に着けた印、引き返して別の道を進んだ時の印、曲がることを決めた地点、等々。それを前の印が視認できる位置で付けることで、迷うことは無くなる……と言う理屈だそうだ。
「(しかしこれは……地味に手間がかかる……)」
地図埋めが不人気なのも頷ける。目印をつけ、記録し、また少し進んで目印……進むペースはただ歩くのに比べて半分以下だろう。報酬はおそらく調査の精密さと面積に比例するのだろうから手は抜けず、さりとて手間をかければ調べられる範囲も狭まる。
「(ジレンマだな……)」
顔にかかる木くずを拭い歩き出そうとしたとき、アルフィリアが地面を見つめていた。
「何か、ありましたか?」
「芋を見つけたんだけど……なんか、取られてるみたいなのよ」
「何? 見せて下せえ」
アルフィリアが掴んだ蔦が伸びる地面、そこの草や枝を鉈で除けると……土に穴が掘られている。スコップやらなにやらで掘ったというよりは、手で土を掻き分けたと言った様子だが……
「こいつは……」
「ベスティアン、でしょうか?」
前回のキノコ取りで遭遇した、人に似た生物ベスティアン。人間に近い知能を持つ彼らなら、芋を掘るくらいはしそうなものだが……
「いやあ、それにしちゃあ雑すぎまさあ。こいつはもっと知能の低い……動物の仕業でしょう」
「芋を掘る動物、ね……」
3人で穴を見下ろしていたその時……サクラが唸った。木々の間に顔を向け、しきりに空中の臭いを嗅いでいる。
「旦那……」
「……サクラの感覚は信用できます。ひとまず……隠れましょう」
それぞれ身を隠す。ウーベルトは手近にあった木の上へ。サクラは木登りができないため木の陰に伏せ、アルフィリアも木の幹に隠れた。こちらも彼女の近くで姿勢を低くし、弩に矢をつがえる。
どのくらい待ったか……4分か5分か、その程度に思える。無造作に、草むらから一匹の獣が姿を現した。茶色い毛皮、長い鼻、体長は1m強ほどか……口元には上向きの牙も見える。
「(猪……か?)」
ニュースでたまに見たことがある。民家に現れて問題になるアレだ。少なくとも外見はそれに似ているように見える。どうするか悩むところだが……野生動物のテリトリーに入った以上、攻撃される危険性は少なからずある。先手を取れるのなら、取るべきだ。
こちらに気付いていない様子の獣に対し、矢じりをその胴体に向け……ウーベルトに、ハンドサインを送る。
『撃ちます』
『どうぞ』
意思確認を済ませ、引き金を絞り込む。弦を抑えている留め金が下がり、矢を弾きだそうかと言うその時。不意に、猪が進む向きを変えた。
ほんの僅かなずれではあった。しかしそのわずかで、狙いをつけていた前足の根元から着弾点がずれ、矢は猪の横腹へと突き刺さる。
「外した!」
「え、当たったでしょ?」
矢を受けた猪は跳ねるように駆けだした。再装填の時間などない。立ち上がり、鉈に手を伸ばす。
「ちょっと! なんでこっち!?」
「木を盾に!」
白くて目立つからと言う訳でも無かろうが、その突進の行く手にはアルフィリアの姿。
「(間に入る……無理! なら……!)」
鉈を頭の上に掲げ、投げ放つ。鈍い光を伴って飛んだ刃が猪の喉元に突き立ち、突進の向きを変える。血を垂らしながらカーブして、猪は木々の間へと消えていった……
「……逃げた?」
「そのようです……」
体勢を低くし牙を見せていたサクラは、油断なく猪が去った方を見ているが、ひとまず撃退には成功したようだ。しかし……
「旦那、鉈を持っていかれやしたな」
樹上から降りたウーベルトが痛いところを突く。あれを買いなおすとなると今回の件は赤字になりかねないし、唯一の近接武器でもあった。となると、取るべき選択肢はおのずと決定される。
「追いかけましょう……サクラ」
地面には血の跡が残っている。ここはサクラの出番だ。呼ばれたサクラはアルフィリアの手を引っ張りながら、足元へとやって来る。
「追うの? 手負いの獣は危険ってのが常識よ?」
「ですが、刃物無しで森の中を探索はできません」
「血の量がそこそこ多い、急所ではないが悪くない所に当たってるように見えやす。恐らく、それなりに弱ってるかと」
「……行きます。サクラ、この血の臭いを追いかけろ」
一声鳴くと、サクラは地面にまき散らされた血を嗅ぎ、猪の逃げた方向へと歩き始めた。
弩に矢をつがえ、その後を追いかける。
「……やっぱりサクラ、人の言葉解ってるんじゃない?」
「魔獣ですし……そういうこともあるのかもしれませんね」
「その割に、あんまり私のいうこと聞いてくれないんだけど……」
隣でぼやくアルフィリアの言葉は適当に聞き流し、木に印を刻みながら、サクラの進む先に目を向ける。血は点々と地面や葉に残っており、追跡は難しくなかった。しかし、いつ死角から突進が来るか解らない。もし反応できたとして、この矢は猪の頭蓋骨を貫けるのか。牛追い祭りの記憶が脳裏をよぎる……
「イチロー……? 疲れてる?」
「いえ……大丈夫です」
「む、旦那……何か聞こえやす」
ウーベルトの言葉に呼吸を整え、耳を澄ます……聞こえるのは水の音。足元の黒土はいつの間にか粒の大きい砂利へと変わり、木々もまばらになっていく。そして目の前を横切る一筋の水の流れ……自分たちは、河原に出ていた。
「旦那、あれを」
白い砂利の上に点々と続く血の跡は川辺まで続き、そこで茶色い獣が横たわっていた。矢を向けながら近づき、その姿を確かめる。横腹に矢、首元に鉈。先ほどの猪に間違いない。
「死んでいるでしょうか?」
「猪が死んだふりをするってのは聞いたことがありやせんが……」
念のため、今度こそ心臓に矢を打ちこむが、反応はない。
「死んでいます……サクラ、良くやった」
功労者であるサクラの頭を撫で、猪に近寄る。鉈を引き抜き、川の水で血を洗い流した。見た所刃に欠けもなく、問題なく使えるだろう。武器を投げるのはもうやめようと心に決め、改めて横たわった猪を見た。
全身が剛毛に包まれ、口元には上を向いた鋭い牙。正面を向いた豚鼻は愛嬌と言えなくもないのかもしれないが、その穴からは黒っぽい血が流れている。
「雄ですな、捌きやすか? この時季の猪は脂が落ちていて今一つですが、まあ腹の足しにはなるでやしょ」
「そうですね……丁度水場ですし、お願いします」
「じゃあ、私は水を汲むわね。お昼にしましょ?」
森から薪を集め河原に積み上げたころには、猪は皮を剥され肉塊となって解体される最中だった。その横で、サクラが座り込み自分の分け前を待っている……
「……サクラの分だけでも先に切ってくれない?」
「いやいや、薬師殿。犬に取っちゃ食事の順番は群れの中の順位を決める重要な要素でさ。先に食わせちゃ、自分が群れの頭領だと思っちまう。躾のためにも、最後に食わせるんで」
「そうなの……サクラ、我慢よ」
「皮は、使えそうですか?」
「ああ、旦那。あちらに」
剥ぎ取られた皮は血を洗い流され、大きな石の上で干されていた。狼の皮は一頭銀貨5~6程度だったが、猪は果たしてどのくらいになるのだろうか。
「一応剥ぎはしやしたが、これだけの大物となると皮だけでも結構な重さだ。持って歩けねえわけじゃあありやせんが……長々持ち歩くと腐っちまいやすしな……」
「今回の主目的である探索を考えると……荷が重い、と」
「ええ。冬場なら良かったんですがね」
「……どこかに置いておきましょうか。帰りに食われて無ければ御の字、ということで」
「承知で……後で代わりに牙でも取って行くとしやしょう。魔除けだ何だって買う奴がいるんで……よし、こんなもんでしょう」
塊肉がいくつか猪から切り離される。血の色が多少ついてはいるが、それでも見た目は地球の豚肉とよく似ていた。
「……うーん、なんていうか……結構クセがあるわね」
「血抜きがどうしても不十分でしてなあ……本当は吊るして何日か置いておくもんですからな」
味は豚肉を硬くして何段か臭みを増したような味……あまり旨い物でも無かったが、食料の節約にはなる。焼いた肉を齧る自分たちの横で、足を一本と内臓をいくつか貰ったサクラが、待ちわびた様子でかぶりついていた。
「時に旦那、薬師殿はどういうお方なんで?」
「えっ? 私?」
「いやね、あっしはよく効く薬を売ってるってことしか知らねえもんで。もしこれからもこうして一緒に来るんでしたら、人となりって奴を知っておいた方が良いかと思いやしてね?」
「人となり、と言われましても。腕のいい……薬師で、仕事には誠実で意欲も有り、基本的に善人だと思います。ただ……」
「ただ……何よ」
「少々……押しが強いかと」
「うぐ。そりゃ、別にお淑やかなつもりはないけどさ……」
「ははは! まあ旦那は探検者にしちゃ物静かな方だ、お相手は多少気が強いくらいが上手く行くってもんで」
「べ、別にそんな関係じゃ……」
「まず今回の仕事を上手く行かせたい所ですが……さしあたり、川上と川下のどちらを目指しますか?」
川と言う目印があるのだから、あえてそこから離れる必要もないだろう。であればどちらに進むかだが……
「普通は、川下ほど平坦よね」
「ふーむ、川上だとベスティアの奥の方ですな……」
「やはり、奥地の方が危険ですか?」
「一概にそうとも言えやせんが……まあ、その傾向はありやす」
「なら、川下にしましょう。わざわざ困難な方に行く必要はありません」
ひとしきり猪肉を食べ終わり、目印に石を積んでから川の流れに沿って歩き出す。川幅は大よそ20mほど。流れは穏やかで深さは良くわからないが、少なくとも底が見えない程度にはある。時折鳥が水面に飛び込み、魚を咥えて出てくるのが見えた。
「動物の記録もしておきやしょうか。実は富裕層に人気の動物ってことも無くはないですからな」
「珍しい動物を飼ってみたいのは、皆同じなのでしょうかね……」
猪、そして先ほどの鳥の事を、簡単な地図と共にノートに併記していく。それを横からアルフィリアが覗きこみ……
「うっわ」
犬の糞を踏みでもしたかのような声を上げた。その理由は……察しは付いている。昔から図画工作は苦手だった。5段階評価の3以上を取った試しがない。
「うっわぁ……何よこれ。ミミズに墨つけて這わせみたいな……それにこの字、よね? 全然読めないんだけど」
「字は私の世界の物で……帰ってから、清書するつもりだったんです」
「ふーん、これがねえ……な~んか、グニャグニャしてたりバラバラだったり、見てて不安になる」
「ほう、旦那は異界人だったんで?」
「ああ……言っていませんでしたか」
「聞いていませんでしたな。カタワと異界人と『幽鬼』の3人組! 中々どうして、味な取り合わせですなあ、はははは!」
半ば強引に話に割り込んで、何が愉快なのか笑いながら歩くウーベルト。対して『幽鬼』呼ばわりが気に入らないのか、話の腰を折られたからか、アルフィリアは不機嫌そうに黙ってしまった。
川沿いをそのまま進み、やがて日が暮れ始める。薪を集め水を汲み、夕食分に確保しておいた猪肉を……せっかく水があるので、今度は茹でてみることにした。火が通りやすいよう薄切りにし、煮立った湯の中へと沈める。薄切り肉は熱で出来た水流に乗って踊るように動く……十分煮てから各自にとりわけ、持参している数少ない調味料……塩と酢、粉末状の辛子で味付け。臭みは幾分か落ちたが、同時に味気も無くなったように感じた。
「(……これは、しゃぶしゃぶ……になるのか?)」
「うーん……ちょっと食べごたえが無いかなあ」
「あっしはこっちの方が良いですな……夏場とは言え脂がちときつい」
「ソースがあればまた変わりそうよね。柑橘系とか」
猪肉を食べつくし、今日はここでキャンプをすることにした。2交代の見張りで後半の担当になり、枝に釣ったハンモックへ体を横たえる。石の多い河原でも、ハンモックは有効だった……




