十章の2 いざ未知のエリアへ
湯と綿を用意し、人であったものを拭いて穴に綿を詰める。運び出して消毒を済ませ、死人の居た部屋は何事も無かったかのように再利用に回され、痕跡は消える。人の死と言うのはかくもあっさりした、特段意義も意味も無いもの……宗教をはじめとした飾りを取り払えば、それが真実なのかもしれない。作業として片づけていると、自然とそう考える。
「(当然、自分も……)」
自分が突然死んだとしても、こうして淡々と片づけられ、自分の抜けた穴は速やかに補填される。いうなれば自分の存在そのもの、特に意義も意味も無い物なのだろう。
「(まあ、意味がないからと言って生きるの止めるかと言われたら嫌なんだけどな)」
せっかくの休憩時間を哲学のまねごとに費やすのももったいない。仮眠でも取ることにして、休憩部屋で天井を仰ぎ、年季の入ったソファに転がる。藁の乾いた音が耳元で……
「(……穴が開いてる)」
アパートの、決して上等とは言えないシーツは穴が開き、中身の藁が漏れて出ている。とりあえず上下を入れ替えて使うとして、まずは朝食を摂ることにした……
異世界生活74日目、夏の28日
ベスティアへ続く門は今日も馬と人の喧騒が満ちている。ある者は希望に満ちた顔で、ある者は何か達観したような顔で、ある者は憔悴した顔で……果たして自分はどのような顔をしているのか。鏡が無いので確かめようもない。
待ち合わせ場所にしている時計台の下で、アルフィリア、サクラと共にしばらく待つ。ウーベルトとの約束にはまだ少し時間があった。ベンチに並んで座り、街の方からくる人影を眺める。
「……そう言えば、ガラスの件はどうなったんですか?」
「ああ、ちゃんと渡してきたわ。加工から先はあっちの持ち分ね……あんまり早いから、驚かれちゃったわ」
「大丈夫でしょうか? 制作方法がばれたりしたら……」
「職人街の工房から薬の代金代わりに貰って来たってことにしてる。もうちょっと時間置いてからの方が良かったんだろうけど、流石に10日も待たせられないでしょ?」
こちらを見る視線が暗に
「あんたのせいよ」と言っているように感じるが……考え過ぎだろうか。目を逸らすと、ウーベルトが人ごみから姿を現すのが見えた。
「旦那、お待たせしやした……おや、薬師殿と狼もご一緒で?」
「ええ、今回も一緒に行くわ。薬もしっかり用意してあるから、怪我や病気も安心よ」
「まあ、旦那が良いと言うんでしたらあっしは構いやせん。それじゃあ。行きやしょうか」
3人でまずは一番近い村、プリモパエゼ行きの馬車に乗る。1泊してからさらに先の開拓地へ向かう馬車に乗り、途中下車。そこからは徒歩と言うのが計画だ。馬車に揺られながらそのことを話していると……ふと、ウーベルトが年齢的に尋ね人の年齢に引っかかることに気付いた。
「ところでウーベルトさん。雑貨屋を経営する母親が居たりしませんか?」
「へえ? あっしのお袋は今も元気に牛の乳しぼりをしているはずですがね……」
「そうですか。あなたほどの歳の探検者を探してくれと、あるお婆さんに言われたもので」
「あ、それってサクラの首輪を買った所のお婆さん? ときどき小物買ったりするけど、良い人よね、なんていうか理想のおばあちゃんって感じ」
「ええ、その人です。子供が10年前、ベスティアで行方知れずになったきりだとか」
「行方知れず、かぁ……」
「そいつは……どう考えても死んでやすな。骨でもみつかりゃ幸運ってところだ」
「でしょうね。まあ、わざわざ探すつもりはないです。死体を見かけたら思い出すくらいで良いでしょう」
一通りの話を終えて、馬車に詰まれた荷物に背を預ける。プリモパエゼまではほぼ安全の確保された領域。そこまで気を張る必要はないだろう。ウーベルトも同じ考えなのか、ごろ寝など始めている。アルフィリアは……どこか浮かない様子だ。
「どうかしましたか?」
「ううん、なんていうか……こう……やるせない、って言うの? お婆さんの気持ちを考えると」
「確かに、育ち切ってこれから返してもらおうという所ですからね。ですが、そう言う損失もあるのが人生かと」
「損失……か」
アルフィリアは俯く。視線の先に居たサクラは何事かと飼い主を見返すが、それ以上彼女が口を開くことは無かった。
その後何事もなく、馬車はプリモパエゼに到着。乗車賃銅貨4枚と宿賃銀貨1枚を支払い、馬小屋を借りて眠る。ここまでは予定通りだが、問題は明日以降。自分にとって未知の領域に足を踏み入れてから。
ゲームではあるまいし、村のこちらと向こうでそんなに変わりはしないだろうが、それでも未知への不安は消しがたい物だった。
異世界生活75日目、夏の29日
プリモパエゼの一つ先の開拓地……あるいは集落へと向かう馬車に便乗させてもらい、草原を貫く踏み固められた土の街道を進む。道は間違えていないはずだが、GPSはおろかきちんとした地図も無いのでは確かめようがない。行く手に見えてくるはずの池に注意しながら、背後のウーベルトに声をかける。
「ところで……地図埋めはあまり儲からないと聞いたのですが」
「ああ、そいつぁ……程度問題って奴でさ」
「つまり?」
「調査に使うのは往復も含めて10日から20日、遠出するともっとになる。その間の食料やらなにやらを……まあ、実際旦那も用意したわけでやすが、そこそこな額だ。だがそれに対して組合の出す金は少々渋い」
確かに、初期投資があったとはいえ銀貨40枚近くを既に使っている。それで貰えるのが金貨1枚……反面、普通に馬車護衛でも請ければ、1日で銀貨5枚にはなる。確かに割に合うかと言われれば首を横に振らざるを得ない。
「でも、何で? そういう元手が要る仕事こそ、沢山お金がもらえる物じゃないの?」
「それが貰えないから誰もやらないということでしょう」
「まあ、薬師殿の言ってることももっともだ。しかし旦那の言う通り、実際の儲けは渋い。なんせ、未踏の地を探索したところで金になりやせんからな」
「……じゃあ、何でやらせてる訳?」
「ま、色々あるんでしょうな。大事なのは、これのおかげで依頼が無くても食うことができるし、たまに大儲けができるってことでさ」
確かに、裏事情を考えたところでどうしようもない。目の前の事に集中した方が建設的という物だ。
東へ向かう馬車に日の光が差し込み始めた頃、行く手に小さな池が見えた。資料室で教えてもらった物と形も一致する……そのほとりに馬車を止め、キャンプをすることになった。
食事を終え、空の濃い赤を反射する水面に方位磁針を浮かべる。針は西に見える太陽と直角を向き、矢印状になった方を北に向けた。
「(きちんと使える……と)」
針を拾い上げ、水面を眺める。流れ込む川も流れ出る川も無いことから、湧き水で出来た池なのだろうが……それでも水中に動く小さな生き物を見ることができた。
「魚は居ないのね……」
いつの間にか隣にアルフィリアが屈み、水を覗き込んでいた。その隣ではサクラが水を飲み、一息ついたかのように座る。
「さすがに、ただの水たまりでは薬の材料は見つかりませんか」
「そうでもないわよ? 例えばこの水草なんか、根に鎮痛作用があるからいつもの軟膏に使えるし……結構沢山生えてるわね。帰りに取ってこうかしら」
「(……多分自分が取らされるんだろうな)」
「……ねえ、イチロー」
水面に黄色い花を突き出している水草からこちらに向き直り、どこか真剣な面持ちでこちらを呼ぶ。
「その……気にし過ぎなのかもしれないけど。昨日の事でさ」
「昨日の?」
「あんた、お婆さんの子供探しで……損失、って言ったじゃない」
「ええ……言いましたが」
「喪失、ならわかるのよ。けど……なんていうのかな……あなたの命に対する考え方っていうのか……ちょっと、気になって」
「考え方……とは?」
何とも、焦点のあやふやな話だが……そういう話をしたいときと言うのもあるのだろう。どうせ後は朝まで待つばかりなのだから、付き合うことにした。
「私はさ、なんだかんだ言っても、人の命ってのは大事な物だし、それが失われるのは悲しい事だと思う……友達や家族だったら、なおさら」
「(……思っていたのと違うな)」
もっと、この世界の文化や宗教についての話かと思いきや……文字通り個人個人の考え方の話だったようだ。
「そりゃ、人は死ぬわよ。絶対死ぬ。けど、誰もそれが今日や明日だなんて思ってないし……やっぱり、死ってのは非日常なんだと思う。ましてやお金とか物みたいに、『損失』なんて言葉で片づけて良いものじゃないと思うの」
「……私の言動が不快感を与えたのでしたら、申し訳ありませんでした。以後、気を付けるようにします」
こういう面倒な話題は早く切り上げるに限る。早々に謝ってしまい、馬車の方に戻ろうとするが、背後からアルフィリアの声は続く。
「そういうことじゃなくて……! あんたはどう思ってるのかって話!」
「申し訳ありません。そういった個々人の価値観が大きく反映される話は、するべきではないかと」
「……なに、それ」
「双方の考え方が異なっていたとして、それをどちらか片方に合わせることは不可能だからです。表面上変えたように見えても、内心まで確かめることはできないわけですし」
「それは……」
「価値観を衝突させれば禍根が生まれます。それがたとえ小さなものでも、いついかなる時に足を掬われるかわかりません。そう言った危険性を、わざわざ作り出す必要はないかと」
私情と行動を完全に切り離すのは難しい。避けられる争いごとの種は避けるべきだ……ましてやここは社会秩序の及ばない土地、命を落とす危険などその辺りにいくらでも転がっているのだから。
「それじゃあ……お互いに用事だけ言い合ってれば良いってこと?」
「私たちは危険な地域に足を踏み入れようとしています。なら優先するべきは安全と確実な帰還であって、他の事はそれに差し支えない様にするべきであると……」
「お仕事が優先ってわけね……わかったわよ」
不機嫌そうに去っていった……こういうことになるから、議論と言うのは好きではない。それが今後の行動に関わらない世間話の部類であれば特にだ。
「(錬金術にプライドは持ってるみたいだし、やるべきことはしっかりやってくれるだろうけど……)」
アルフィリアは基本的に大人だ。たった一人で自営業をやっているのだからそれは自明なのだが。しかしその一方で、なんというべきか……その感性に、どこか子供じみた物を感じるのも確かだ。
「(口に出してくる分まだ対応しやすい、のか……?)」
暗さを増した空を見上げて息を吐き、馬車の方へ戻ることにした。本番は明日から……いきなり化け物と出くわす、などということも無かろうが、それでも緊張は消しきれない物だった。




