九章の1 午前
異世界生活72日目、夏の26日
「お手」
こちらが声をかけると、サクラの肉球が掌に置かれる。弾力のあるそれは触っていて心地よい。
「伏せ」
白い体がその場に伏せる。目立つ体色ではあるが、草むらなどに伏せればそれなりに隠れることができるだろう。
「次! 次、私! それサクラ、とってこい!」
アルフィリアがどこかから調達していた木の棒を投げる。サクラは宙を舞うそれに追いすがり……見事、空中でキャッチを決めた。
「やった! 偉いサクラ!」
棒を咥えて戻ってきたところをアルフィリアにこれでもかと撫でまわされ、サクラは白い毛皮に図形のような光の筋を体に浮かばせる。サクラと言う名の由来でもある薄桃色のそれは、この子狼が魔獣と呼ばれる生物の証だ。子狼でありながら、中型の成犬を上回るほどの体躯は、成長しきった時どれほどの大きさになるのか予想もつかないが……今の所は、こうして飼い犬生活に甘んじてくれている。
「(この光の筋って、昂った時に出るんだよな……戦いとか探索とか。嬉しい時も出るのか……?)」
いずれにせよ、アパートの中庭はのんびりとした空気だった……ここ数日暇な物だから、サクラに構うくらいしかやることが無い。その間に何か芸でも教えてみようかと思いついたのだが……驚くほどに覚えが良い。何しろ動物を飼ったことなど碌にない自分の指示を理解するのだから。
「(まさか本当に言葉を理解できてたり……いや、まさかな……)」
「……ところで、イチロー。依頼探しにはいかないの?」
「行きたいのは山々なのですが……」
前回の件に関して、進展はまだない。市内に居るよう言われてしまった以上、依頼を請けて出歩くわけには行かず、結果としてこうして暇な時間を過ごしている……どうにも焦燥感を覚える状況だ。
「まあ、休めるときに休むのも大切だものね。ところで暇でしょ? ちょっと配達手伝ってよ」
休むという言葉の定義に疑問が生じるが、どの道やることもない。筋トレはあまり続けても意味がないというし、彼女の申し出を了承することにした。
「それで、配達はどちらに?」
「今日は南の方。職人街でいくつか注文貰ってるのよ」
「あちこち手を広げているんですね……仕事、回せるんですか?」
「今の所はね。ま、きつくなったらその時はその時で考えるけど」
大きなカバンを背負い、2人でアパートを出発する。街は真夏の日差しで昼前ながらすでにうだるような暑さとなっており、早くも服の下が汗ばむのを感じた。そしてアルフィリアはといえば、いつも通り白地に黒のアクセントが袖や裾に入ったフード付きのコート……流石に気になる。
「この季節に、その服はいかがなものかと。暑さで倒れますよ」
「ああ、見た目は同じでも薄手なのよこれ。下も薄着だしね。あんたこそ服変えてないんじゃないの?」
「……洗濯はしています」
「代えの服が無いと色々困るでしょ……余裕出たら買いなさいよね。それじゃ、行こっか」
新しい服、上下でいくらくらいするのだろうかと考えながらもアパートを出て、職人街とやらを目指す。背後でサクラが一声、見送るかのように鳴いた……
職人街は島の南東方面にある地区だ。港に近く、貨物の出し入れが容易なためか、この地区は各種の資源を加工する……いわゆる二次産業が集中しているようだ。職人や資材を運ぶ荷車、丁稚らしい少年が通りを行きかい、そこかしこから聞こえるのは金属を叩く音、鋸が木を切る音、釘を打つ音に、時折怒号。空には黒い煙が幾筋もたなびいている。総じて、生産活動の活発さを表していた。
その職人街で商品の配達をするわけだが、自分にとっては初めて来る場所なのでアルフィリアの後ろにつき、建ち並ぶ職人の店……と言うよりは工房と言うべきだろうか、その間を進む。どこも見本品らしい製作物を表に並べており、見ていて飽きない。
「こんにちはー! 薬の配達に来たんですけどー!」
フードをやや目深にかぶったアルフィリアは、それら工房を訪ねては薬を渡し売買を成立させていく。気難しそうな年寄りから新進気鋭と言った若い職人まで客層は広く、彼女の薬が受け入れられ始めているのがわかる。
「随分人気のようですね……」
「まあね。探検者が行きつけの職人に、職人が他の職人にって感じで、良い噂が広がってくれてるみたい」
口コミが大きな宣伝力を持つのはこの世界も同じ……広告やネットでの価格比較などが無い事を考えれば地球以上だと言えるだろう。アルフィリアの商売はとても順調なようだ……
職人街を右へ左へと歩き回り、背負っていた荷物の大半が無くなった頃、鐘が五つ鳴る。この世界での正午の合図だ。
「うん、配達も丁度終わったし、お昼にしましょうか」
「市場に行くには少し遠いですが……」
「食堂のご飯くらい食べさせてあげるわよ、配達手伝ってもらったしね」
配達中に見かけた食堂へと立ち寄る。地元の職人向けなのか作業服姿の男性が店内を埋めているが、丁度入れ替わるようにテーブルが一つ空き、そこに座ることができた。アルフィリアが適当に昼の定食を二人分注文し……ほどなくして、何やら魚介類と団子状の物に黒いソースをかけられた料理が二皿並ぶ。
「うぇ、何これ、真っ黒!」
「団子に、具は貝と……イカ? ならこれはイカ墨でしょうか」
「イカ墨……って、あの足が沢山ある奴の墨ってことよね……物書くのに使ったりはするらしいけど……ちょっとイチロー、食べてみてよ」
「(毒見役か……)」
フォークで団子を突き刺し、口に運ぶ。見た目のインパクトほど重い味ではなく、やや海産物の風味が強いものの、ベースは塩味に唐辛子らしい辛み、それを全体的にまろやかにしているのが……イカ墨、だろうか。
「……普通に、食べられますよ」
「うぅん……ん~……あむっ!」
アルフィリアは団子をしばし睨み、意を決したように齧りつく。2,3回咀嚼し……
「あ、おいしい」
先ほどの態度はどこへやら、黒塗りの団子を頬張っていく。この団子は小麦なのか、食パンを潰して固めたような食感だ。変わった食べ物ではあるが、とろみのあるソースとの相性は悪くない。
「ごちそうさま。うん、見た目は驚いたけど、おいしかったわね」
ほぼ同時に食べ終え、フォークを置く。量自体はさほどでもなかったが、小麦粉の団子は嚙み応えがあり、濃い味付けも相まってかなりの満腹感がある。アルフィリアもそれは同じなのか、唇に付いた黒いソースを小さな舌で舐めとる顔は満足げだった……
「……さて、これからどうしようかしら」
支払いを済ませ、ひとまずアパートへの帰り道を歩きながらアルフィリアは呟く。
「午後も仕事があるのでは?」
「配達の予定だったけど、あんたが居たから終わっちゃったのよね。どうしよっか……サクラの餌でも貰いに行こうかな。それか……そうそう、図書館があるのよね。一緒に……」
「たーのむってー! あんた名門の出やってゆーやんか!」
「む、無理な物は無理です……」
聞こえてくる声に足を止めると、そこは自分たち2人の知人宅前だった。何か言い争う……と言うよりは頼み込んでいるような声が、中から聞こえてくる。
「何かしら……?」
アルフィリアが怪訝そうにドアに近づく。聞こえる二つの声は双方とも女性……そして、その両方の声に、自分は聞き覚えがあった。
「ちょーっとだけな! 目を良くしてくれたらええねん! それだけやから!」
「無理ですってば……! 目はすっごく繊細な器官、何かあったら見えなくなりますよ!?」
「うちの信用がかかっとるんや!」
「事故起こしたら私の社会生命がおしまいに……」
ここの住人、イルヴァ・メストに組み付いて絡んでいる……のではなく懇願している? のは予想通りの人物。ついこの間知り合った、ヘルミーネ・アイゼンヴァッフェだった。街に一緒に入った時点で別れたのだが、妙なところでの再会となった。
「ちょっとちょっと、一体何の騒ぎ?」
「あ、アルフィリアさぁん……」
「あれ、イチローはん。奇遇やな、もうちょっと落ち着いてから会いに行こ思とったんやけど……」
「ん、イチローの知り合い?」
「ええ、まあ……」
一体何がどうなってこの二人が揉めているのかは不明だが……とりあえず、アルフィリアは首を突っ込むつもりらしく、勝手にテーブルの席に着いた。あまりに堂々としていたからか、2人も何も言わず。結局、それぞれテーブルの四辺に着くことになった……




