八章の10 良薬はお茶と共に
散歩帰りはこれと言った会話も無く、夕食の材料を買ってアパートへと戻る。2,3日分で、1人当たり銀貨1枚前後。特段代わり映えのしないメニューを用意し、胃の中に収め、皿を洗い……一連の作業を終えた頃には、空はすっかり朱に染まっていた。
「(ああ、服を干さないと……まあ、明日も出かけないし、いいか)」
雨の心配は無さそうなので、上着を物干し縄にかけ、部屋に入る。行きは警備、帰りはチリーノの監視で、まともに寝るのは4日ぶり。早々に寝入ってしまおうと考えていたが、
横になったのとほぼ同時に、部屋がノックされた。
「イチロー、もう寝ちゃった?」
訪問者を迎え入れるかどうか、少し悩んだが……先送りになるだけだと判断し、ドアを開ける。夏用の部屋着なのか、シャツに薄手で半袖のパーカーと、ハーフパンツという出で立ち。手には真っ白なティーポットとカップをもった、アルフィリアの姿がそこにあった。
「……お茶、持ってきたんだけど。飲む?」
「……机も椅子もありませんが、それでよろしければ」
「……買いなさいよ、それくらい。まあいいわ、入るからね」
ベッドと荷物があるだけの、粗末な部屋に上げる。木の床に置かれたポットを挟み、沈黙する中、カップに注がれるお茶の音と、遠く、おそらく広場の方からの微かな喧騒が部屋の中に響いた。
「はい」
「ありがとうございます」
暑い時に熱い物を飲む、という暑気払いがあるそうだが、自分は普通に冷たい物を飲みたい派だ。そういう意味では、このお茶はあまり嬉しい誘いと言う訳でもないのだが……
「(……冷たい?)」
手に取ったカップは湯気が立っておらず、手に熱が伝わることもない。口を付けてみると爽やかな冷たさに、経験のない薄甘い風味……ハーブティー、という物だろうか。少々、傷には沁みたが。
「水出しなの。夏に暑い物を飲むのもね」
「そうですね、同意します」
お互い、カップの中身でのどを潤し……しばし、黙った後。アルフィリアが先に口を開いた。
「その……昼間の事なんだけどね。私が言ったのは、一般論って言うか……あなたが努力してないって言いたいんじゃなくて、その……怒らせたなら、ごめん」
普段よりゆっくりとした口調。言葉を慎重に選んでいるのだろうか。
「あなたが、異界人で……それまで持ってたもの、全部失くしたってのは、解ってるけど……だからって投げ槍になったって良いことないって言うか……」
間を持たそうとしたのか、彼女はパーカーのフードを降ろした……長い青髪が夕日の朱と混ざり作り出す、不思議な色合い。それを見ていると『何をいまさら』とは中々に言い出しづらかった。
「えっと……だから……」
再び言葉に詰まったアルフィリア。濡れた緑の宝石のような目が、どこか所在なさげに揺れ……たのもつかの間。その目に力が籠り、顔が跳ねあがってこちらを睨む。それにこちらが一瞬怯んだと同時に、語気を強めた声が部屋を満たす。
「ああもう! 私はただ、あんたが落ち込んでるっぽいから気を使ってやっただけなのに! なんでこう人生観だとかそういう事になるのよ!」
「(逆ギレ!?)……あなたが才能ないとか言い出すからでは」
「うっさい! タダでさえ命がけの仕事なのに問題続きとか心配になって当たり前でしょ!」
心配するならするで、もうちょっと言い様という物があるのではないかと思うのだが……いや、それよりも……
「心配……何故ですか?」
「何故って……私はあんたの事、友達だと思ってるんだけど」
「友達……」
「……え、ちょっと、なんでそこで疑問っぽい感じなのよ!? やめてよ!? 今更『別に友達だなんて思ってない』とか!」
慌てた様子のアルフィリア……彼女は以前、こちらの事を『対等だ』と宣言した。彼女の中でその評価は変わっていないようだ……それどころか、友達、ときた。何とも耳当たりのいい言葉だ。
「そんなことは言いませんが……なんと、言いますか。最初、心配だとか友達だとか、そう言ったことを言うような人だとは、思っていなかったもので」
「なっ……何よ、私が冷血だとか、そんなふうに思ってたわけ?」
「……初対面では、見捨てられそうになりましたし」
「うっ」
「村で起きた事件も、堂々と無視していこうとしていましたし」
「ううっ……し、仕方ないじゃない! あの時は時間が無かったし、私だって色々……追い詰められてたんだし……余裕ができたら、落ち込んでる友達の心配くらいするわよ」
アルフィリアはいじけた様子を見せながら、口を尖らせる。少し意地悪だっただろうか。
「……そんなに、落ち込んでいるように見えましたか」
「まあ、ね。ズーン、っていうか、どよ~ん、って言うか? そんな感じ」
「自覚は無かったのですが……」
疑問を呈しながらもお茶に口を付けようとして……カップが空になっていることに気付いた。今まで茶と言えば精々ペットボトルのウーロン茶程度しか飲んだことが無かったが、このお茶は何というべきか……味が柔らかいというのか。とにかく、今まで飲んだものとは別格だと思えた。
「おかわり、要る?」
「……お願いします」
空のカップに、再びお茶が注がれる。夕日を受けて赤く透き通ったその液体を口に運ぶと、なんとなくではあるが……気分が落ち着いたような気がした。
「あんたの状況考えるとさ、探検者やめるわけには行かないってのはわかるけど……だからって、どっかで人知れず死んじゃうとか……嫌なのよ、そういうの」
「私も、別に死にたいわけではありませんが……仕方がないでしょう、こういう仕事をしている以上は」
「そう、なのかもね……けど、何かあったら、話くらいはしなさいよ。必ずしも助けられるってわけじゃないかもしれないけど……こうやって、お茶くらいは出すからさ。話すだけでも楽になるかもしれないし」
再びアルフィリアが自身のカップを満たした所で……ポットのお茶は無くなったようだ。これで、このささやかなお茶会はお開きだが……一つ、疑問ができた。訊くべきではないのかもしれない、しかし……
「何故……そこまで私を気にかけるのですか?」
「ん? 何故って?」
「一度市場に流してそれを買い戻すまでは、義理を果たしたということで、まだ理解はできます。しかし……顔色を窺って、散歩に誘って、お茶を淹れて……友人に対してとしても、気を使い過ぎです。なぜ、そこまで」
「ん~……ん~。そんなに変かしら?」
小首をかしげるアルフィリアだが……単なる隣人、友人一人に対してこれは、明らかに入れ込み過ぎだ。人生相談のみならず、異性の部屋に茶を持って訪れるなど、したこともされたこともなかった……さほど広い交友関係は無かったとはいえ、だ。
「あなたは……今後大勢友人ができるでしょう。その一人一人にこんなことをできるかと考えてみたら、わかるのではないですか?」
「うーん……そうかもしれないけど。別にそれが今あんたを心配しない理由にはならないでしょ?」
「それは……」
「それに、あんた良い奴だし。狼に襲われた時もウィアクルキスでも、私を放って行けたのにそうしなかった」
「見知らぬ土地で、孤立無援で行動したくなかっただけです」
「まあ、そういうことでもいいけど……あとはそうね、前にも言ったと思うけど、私頑張ってる人って好きなのよ」
アルフィリアは小さく笑い、こちらの胸元を軽く指先でつつく。
「『諦めた狐は賢明』なんて言ってたけど、あなたも頑張ってるじゃない。だから、たとえ友達が増えようが、あんたが沈み込んでたら手を伸ばすわ。……迷惑じゃなければ、ね」
最後の一言は、少し自信のなさげな表情と共に発されたが……その言葉が本気だとしたら、彼女は冷血どころかお人好しの部類だ。もっとも、いざ実際に状況が変われば、掌を返すのが人の常ではある、が……
「いいえ、迷惑など……お茶、ありがとうございました」
「どういたしまして。じゃ、体もちゃんと休めなさいよ」
今は、その言葉を受け入れておくことにした。お茶は確かに美味しかったし、不思議と気が楽になったように思える。会話かお茶か……いずれかの効果で、ストレスが軽減されたのだろう。
ティーセットを持って部屋を去るアルフィリアを見送り……ふと、もう一つの理由が頭に浮かぶ。だがそれは、あまりにも子供じみた理由で、考えを及ばせることさえも躊躇われた。
「(心配してもらえてうれしかったから、なんてな)」
赤色の濃くなった日差しを木窓で遮り、暗さの増した部屋の中、ベッドで横になる。依頼人の裏切りと言う大きなアクシデントに見舞われたものの、結果として生きて帰ってくることはできた。
「(頑張ってる、か……)」
あの童話に対しての考えを変えたわけではない。とすると、今の自分は届かない葡萄に必死に飛びついているだけなのだろうか。地球に帰ることを諦め、この街で普通に生きていく方法を模索した方が賢明な生き方……それはその通り、考えるまでも無い。しかし……かといって帰らないという選択をするわけには行かないのだ。
「(ひとまず、寝よう)」
事後処理が気にならないわけではなかったが……今は疲れと、お茶とアルフィリアの優しさの後味に身をゆだね、体を休めることにした。




