八章の9 善意は時に棘となる
鉄の門が軋んだ音を立てる。日陰で伸びていたサクラが、それに反応して顔を向けた。
「……ただいま」
挨拶をしてみるが、尻尾を左右に一振りしただけで返される。嘆息と共に部屋に入って荷物を置く……手袋と袖に付いた赤黒い染みが、妙に気にかかった。なんの染みかは考えるまでもないが。
流水でもみ洗いしてみても、やはり簡単には落ちない。時間つぶしには丁度いいのかもしれないが……やや傾いたとはいえ、日光は真夏の厳しさを持って、首や腕を照り付ける。あまり気持ちの良いものではなかった。
「(……このくらいで良いか)」
染みは多少薄くなったように見えなくもない。水だけでは限度という物もあるだろう。後は洗い物用の桶に浸けておき、サクラと共に日陰に退避することにした。
捕まえてから二十日近く。白い子狼は、一回り大きくなったように見える。隣に腰を下ろすと、淡い黄色の目が片目だけ開き、またすぐに閉じる。少しは、慣れてくれたのだろうか。何となしに空を見上げると、赤い月が空の真ん中に浮かんでいた。空の明るさに混じり随分と淡く感じるその赤は、服に着いた染みと同じような色をしていた。
「……あれっ? イチロー、帰ってたんだ。10日くらいって話じゃなかった?」
その人物、アルフィリアは相変わらず白い外套にリュック……は二回りほど大きな物になっていた。不思議そうな顔を浮かべつつも、部屋で荷物を下ろし、サクラの頭をなでる。
「途中で問題が起きて……戻ってきました」
「そうみたいね。ま~た怪我して戻ってきて」
「手当は済んでいます。化膿する気配も有りませんし……」
「ふーん……流石に今日はもう出ないんでしょ? これからサクラの散歩と、ついでに夕食の買い出しに行くから、一緒に行きましょうよ」
「はい?」
「なによ、見た感じ暇そうなんだけど」
「……まあ、暇と言えば暇ですが……わかりました」
特に予定があるわけでも無し、断る理由は……強いて言うなら暑いくらいしかない。杭に繋がれた紐を手にするアルフィリアと共に、サクラの散歩に出ることにした。サクラも散歩をするのは好きなのか、すでに門の前で待機している……
「よし、じゃあいこっか」
帰るころには、少しは染みも取れているだろうか。そんなことを考えながら、アパートの門を閉めた。
散歩コースは町の中心を通るらしく、西に向いて進む。傾き始めた太陽が少し眩しい。伏し目になれば丁度視界の真ん中にアルフィリアの頭。軽く鼻歌など歌い、なかなかご機嫌といった所か。
「そう言えば、なんか上着水に浸けてたけど、どうしたの?」
「いえ……少し、染みが付いたので洗っていただけです」
「そっか……洗剤とか要る? 試作したのを試したかったのよね」
「……色々、手を広げていますね」
「思いついたことって試したくなるじゃない?」
仕事を楽しむ、とはこういうことを言うのだろうか……自分が身に着けた技能を活かして活躍すれば、それは楽しいに決まっているのかもしれない。だが、自分にはその感覚は理解できそうになかった。
馬車が数台並んで通れそうな大路をいくつか渡り、島中央にある公園にやって来た。芝生の上では子供が駆け回り、屋台は人がはけてきて休憩ムードだ。
「ふう、ちょっと休憩!」
基本的に緑、特に樹木の少ないこの街ではあるが、この公園は例外らしく、そこかしこに木が植えられている。何という木なのかまではわからないが。それらの作る木陰の一つに入り、草の上に腰を下ろす。
「本当は、手を離して思いきり走らせてあげたいんだけどね~」
「一応魔獣なのですし、あまり人目に晒すのもどうかと思うのですが」
「だからって、人気のない裏路地とかを連れ歩くわけにも行かないでしょ?」
「それは、そうですが……」
「大丈夫よ、調べたけど別に違法じゃないみたいだし」
顎の下を撫でられ、じゃれるサクラは楽しげな声を上げている。こうしているとただの子犬のようだ……大きさ以外は。探検者地区の喧騒とも、門周辺の賑わいとも離れた、落ち着いた空気の中、ぼんやりと、地を這う虫の姿などを眺めてみたりする。
「……で? 問題って何があったの?」
「それは……」
特段、口止めをされているわけではない。しかし、それは言うまでも無い事だから、なのかもしれない。
「何? 言ったらまずいの?」
「おそらく、大丈夫だとは思うのですが……」
「じゃあ言っちゃいなさいよ。ほらほら」
「……もう私の手を離れていて、言ってどうにかなる類の話ではないんです」
「何よ、あんたタダでさえ陰気なのに。それがさらに暗い雰囲気してるから、話せばちょっとは楽になるかと思って言ってやってるんじゃない」
「(陰気と来たか……)」
別に、暗い人間のつもりは無かったが……そう言われてみればそうなのだろうか。確かに、少なくともこちらの世界に来てからというもの、明るい話題をした試しは無いのだからその評価は仕方ないのかもしれない……むしろ、そんな評価の相手にわざわざ話しかけるあたり、彼女は人間ができているというべきなのだろう。
だが、だからと言って何を言えと言うのか。『依頼人に騙されました』と愚痴を言えば良いのか。それとも、『人を3人殺してしまいました』? あるいは『いつ死ぬか不安で仕方ない』か? いずれにしても、無意味なことだ。
「……あ、えーと。別にあんたが嫌な奴って思ってる訳じゃないわよ? けど、やっぱり気になるから……」
とはいえ、当人に諦めるつもりはないらしい。黙っていても余計詮索されるだけなのは明らかだ……ここは、当たり障りのない範囲で教えておくのが良いだろう。
「……依頼の条件を違えられて、お金を払う払わないの話になっているだけです。組合も動いてくれるそうですので、おそらくそうかからずに解決するでしょう」
「本当に……? まあ、それなら、いいんだけど……」
一応は納得したのか、サクラを抱えて撫で始める。さすがに……人を殺したの何だのという話はすべきではないと思えた。言われたところで彼女も困るだろうし……変に気遣われても、こちらも対応に困る。変にギクシャクするよりは、多少怪しまれるくらいの方が良い。
「それにしても……この前は危険なんか無い筈のお祭りで大怪我、今度は上手い話に飛びついて、依頼人に騙されたって……あんた、探検者の才能ないんじゃない?」
「それは、自分でもそう思っています」
「あら、あっさり認めちゃうんだ」
「ほとんどの人は素質も才能も無しに仕事をする物ですから。私もそうだと言うだけです」
「もっと自分に向いてる仕事があるはず、とか思わないの?」
「あったとしても、どうせ就けませんので」
「そんなの、わからないじゃない。やりもせずに諦めるって考え方、好きじゃないわ」
ここに向かう道中、そんな話をしたことを思い出す。『狐と葡萄』の寓話……アルフィリアは、頑張るなり工夫をするなりして葡萄を取るべきだ、という考えらしい。だがそれは……
「それは……あなたが恵まれているから、そういう考えができるのでしょう」
「恵まれてる、って……私が?」
「少なくとも、数十枚の銀貨のために、命を危険にさらす必要はない筈です」
「それは、そうだけど……私がそうなるために、どれだけ努力したと思ってるの?」
「その努力は否定しませんし、結果を掴み取ったことは素晴らしい事なのでしょう。ですが、努力が実らなかった人、そもそも努力をできる環境にない人も居るわけです」
「それは……甘えよ。努力が足らなかったり、努力をしなかった人の」
思わず、苦笑が漏れる。姿形に文化も似通っていると、思想すらもここまで似通うのか、と。
「ええ……そうですね。そして私はその結果、切った張ったで日銭を稼いでいるんです。他の仕事をしようにも、文字も書けないし、そもそも市民権が無くて雇ってもらえない。詰みと言う奴です」
アルフィリアの言い分を全面的に認め、この話は終わりにする。これ以上は、不毛だ。
「もう、休憩は良いでしょう。夕食の買い出しも有りますし、帰りましょう」
「え? ええ……うん」
あるいは、彼女はこちらの身を案じて探検者は止めた方が良いと言いたかったのかもしれない。だが、異界人で市民権も無い自分に、探検者以外の仕事は無い。あったとしても、金貨200枚を貯めるのにどれだけかかるかわかった物ではない。
それを考慮せずに、向いていない、止めておけ、と言われても、それは……無責任な、善意の押し付けという物だ。
立ち上がって芝を掃い、振り返って商店街の方への道を行く……背後で慌てて立ち上がる気配を感じたが、声がかけられることは無かった。




