八章の7 勝利と誘い
「終わった……」
炎に包まれ、首を刺し貫かれ、それでも死なないということは無いと思いたい。鉈を引き抜き、焦げた肉と血の臭いの中、体の中に留まっていた緊張と一緒に息を吐く……
野営地の中は酷い有様だ。突入してきた者たちと合わせ、倒れているのはざっと40人近く。そのうちどれだけが死んでいるのかはわからない。虎の姿をしたあの男も……彼の倒れていた方に目を向けると。
「……っ」
顔を血で汚しながらも、立ち上がった虎人間が、目の前に立っていた……握ったままの鉈を構える。山賊たちと敵対していたことは確かだが、それはあくまで『敵の敵』というだけであり……『味方』であるとは限らない。たとえダメージがあると言っても、一撃で人の首を噛み砕くその牙は健在だ。鉈一本で、勝てるかどうか……
「まて、こちらに争う気はない。その刃物を収めてはもらえないか?」
その容姿に反し、落ち着いた声。後ずさりし、十分に距離を取ってから鉈の血を払って鞘に納める。動きは……無い。
「助けられてしまったな。礼の一つも言うべきなのだろうが、まずはこちらの仲間を手当てさせてもらってもよいだろうか?」
「……どうぞ」
「かたじけない!」
ティーゲリヒは森の中に響く咆哮を一つ。門から彼の仲間らしい2,3人が入り込み、倒れた者を手当てしていく。魔法を使う者は見当たらない……皆異界人ということなのだろうか。
「ど、どうなったんや?」
たき火の傍で座り込んでいると、ヘルミーネの声。静かになって様子を見に来たのだろうか。
「終わりました。あっちは……ひとまず敵ではないようです」
「そっか……助かったんやな、うちら」
「おそらく」
「良かったあ……故郷飛び出してきて、まさか目的地にも着かんまま、異界人なんかに捕まって死んでしまうんか思うたわ」
「テルミナスに行くんでしたか」
「そや。超有名な職人になって、女だからって舐めてた連中をアッと言わせたんねん! ……って、あんた話してる場合ちゃうやん! 血ぃボタボタ出てんで!」
壮大な夢を胸に、テルミナスに来る者も居る。その夢が実るかどうかはさておくとして……少なくとも、可能性は繋がれたのだろう。
血の止まらない鼻と口へ薬を塗り、広がるえぐい味に辟易していたところへ、ティーゲリヒが戻ってきた。流れていた血は止まり、水で洗ったのか毛皮が濡れている。
「まずは自己紹介をしよう。俺の名はティーゲリヒ……と呼ばれている。『異界人解放戦線』に所属する者だ」
「『異界人解放戦線』って……お尋ね者やんか! 凶悪な盗賊集団の!」
「いかにも、世間ではそう思われている節もある……だが、俺たちは村落や旅人を襲うことはない。基本的には自給自足だ」
「嘘こけ。うち、こうして捕まっとったんやぞ」
「む……確かに、規律を破るものも居る。ボッグザッグ……奴はここで物資の調達をする……正確にはその担当の護衛だった」
「裏切った、と言っていましたね」
「ああ。護衛でありながら交渉役を殺し、事故と報告して……まあ、この辺りは言っても仕方ないことだ」
文化も何もかも違う人間の寄せ集め。離反者の一つや二つは出て当たり前なのかもしれない。それゆえに、こうして粛清をする人間もいる……ということだろう。その役目を任されるということは、このティーゲリヒと言う人物は相応に信用を得ている人物らしい。
「とにかく、我々はただ消耗品のように使い潰されるつもりはない。そのため同志を募り、異界人を運ぶ奴隷馬車を襲撃しているのだ」
「……私も、そういう馬車の一つに乗っていました」
「何、あんたも異界人なん?」
「はい。馬車はあなた達『異界人解放戦線』に襲撃され、解放はされたものの、その場でまた別の騎士に襲われ……結局一人に」
ティーゲリヒに、うなじに刻まれた紋様を見せる。下手をすれば発音方法すら異なりかねない相手とも意思疎通を可能にする優れモノではあるが……ヘルミーネの態度を見るに、やはり一般人からは差別の対象であるようだ。
「そうか……そう言えばそんなことがあったとアドルフが言っていたな。さぞ苦労しただろう……よし、ならば話は早い! 俺と共に来ると良い! お前も異界人、ましてやボッグザッグを倒したともなれば反対する者もいるまい!」
手を打つティーゲリヒ……肉球と毛皮で音はしなかったが。彼の提案に少し思案するものの……答えはすぐに出た。
「せっかくの申し出ですが、遠慮します。こちらもすでに生活基盤を築きつつありますし……そういう、理想を追うような集団は私に合わないと思います」
「む、そうか……強要する物でもないしな……」
大柄な虎の耳が気勢をそがれたように畳まれる。彼は今回確かに味方だったが、その言を信頼する材料は見当たらない。それこそ、死人に口なしで都合のいいことを言っている可能性もあるのだ。少なくとも、体制に逆らう集団に所属して大義のために戦うなどと言う真似をするつもりはさらさら無かった。
その後しばらく焚き火で木が爆ぜる音と、負傷者の声だけが月明りの下響き……
「では、我々は夜明けとともに帰還する。そちらも、動くのは明るくなってからが良いだろう」
「そうします……アイゼンヴァッヘさんは?」
「ん……うちも朝になったら出るわ、別に暗いところでも見えるってだけで夜は普通に寝るし?」
それぞれ行動方針を決める。ヘルミーネとはテルミナスまで同行することになるだろうが……その前に、話を付けておかないといけない相手がいる。山賊たちの貯蔵品を見つけ出し食事を始めた2人を尻目に、物置小屋へと足を向ける。そこには縛ったままのチリーノ。その猿ぐつわを取り、すっかり憔悴した様子の顔を見下ろす。
「ボッグザッグたちは皆死にました。さて、あなたの処遇ですが……」
「い、命だけは……」
「明日の朝一でテルミナスに戻ります。馬車を運転するなら良し。しないならここで他の人と一緒に転がっていてもらいます」
「は、はい! どこへなりと! 運転させていただきます!」
「解っているでしょうが、途中で妙な真似をしたら……」
「はいっ! 貝のように口をつぐんで何も言いません! 約束します!」
チリーノは完全に降参したようだ。このまま歩いてテルミナスまで帰るのは億劫だということもあるが、計画を立てた張本人を殺してしまっては、まるで失敗してそのまま帰って来たかのようだ。報酬は既に望み薄ではあるが、筋という物を通しておいた方が良いだろう。後々面倒なことになっては困る。
チリーノをその場に残して、主の居なくなったテントを適当に見繕い、そこで食事を済ませて眠りにつく。
「ほーお! 女だてらに職人か! 小さいのに感心だな!」
「小さい言うな、もう15や!」
外ではティーゲリヒとヘルミーネが何やら盛り上がっているようだが、寝不足もあって流石に瞼が重い。話声、漂う臭いも押しのけて。眠気が体を包んでいった……
異世界生活66日目、夏の20日
目が覚めた時、ティーゲリヒ達の姿はボッグザッグの首とともに消えていた。日はある程度登っており、少し寝過ごしたことがわかる。
「あ、おはよーさん」
「……おはようございます。早速ですが、テルミナスに向かいましょう」
「そやな。さすがにこんな中でのんびり朝御飯とは行かんわ……」
周囲は昨夜の戦闘の痕がそのまま。夜はまだ暗くて誤魔化せたが、昼間になると赤と黒と時々白の混じった人の残骸が散らばり、ネズミの姿もちらほらする中での食事は、流石に不衛生だ。
物置小屋に転がしておいたチリーノを起こし、馬車の御者台に座らせる。積荷だった武具は、戦利品として持ち去られたのか、影も形も見えなかった。
「(どうせなら残しておいてほしかったな……)」
「ほな、テルミナスまでよろしくな」
「ええ。では出発を。矢はつがえてありますので、そのつもりで」
「は、はいっ……!」
馬車は野営地を立ち去る。それと入れ違いのように野犬か狼らしい影が入り込んでいった。ここが彼らのパーティー会場となるのに、時間はそうかからないだろう……
「はあ、しかしえらい目に遭うたわ。あんたが来てくれんかったら、どうなってたことやら」
「運が良かっただけです。乱入が無ければ、どのみち二人とも死んでいました」
「せやな。けどあんたがおらんかっても、やっぱりあかんかったんちゃう?」
「そうでしょうか」
「せや。まあ、異界人ってあんまり良い印象無かったけど……それは改める。あんたにはお礼言うとくわ。ありがとな」
「……どういたしまして」
揺れる荷台でパンを齧りながら、テルミナスへの帰路を行く。窮地を脱した感慨よりは疲労感の方が勝っていたが、このまま居眠りとはいきそうにない。何しろこの馬車を運転しているのは裏切り者なのだから……矢を向けたまま、木々の間を抜けていき、見覚えのある道まで出る。そこからは東へ、一路テルミナスを目指した。




