六章の10 エンド・オブ・ザ・デッド
起きた時には、すでに夕方。空はまだ青いものの、日は随分と西に傾いていた。まだ寝ているサクラを起こさないよう静かにアパートを出て、再びイルヴァの家を訪れる。ノックをすると、中から足音がして戸が細く空き、琥珀色をした俯き気味の瞳がその隙間に現れる。
「あ……」
「……上がらせてもらっても、よろしいですか?」
「ど、どうぞ……」
明るい中改めて相対したイルヴァは、やはり俯き気味だ。重そうで飾り気の少ない暗色の服と、くせ毛のせいかボリュームが大きく見える長い黒髪が、全体のイメージを暗い物にしている。
「え、えと……それで、なんの用事で……」
「朝、探検者組合に事件の報告をしました。あなたの事は伏せて。変な動きをしなければ、おそらくは露見しない筈です」
「は、はい……」
「さて、それで……ただの善意だとか、同情だとかであなたをかばったわけではありません」
「え、あ、う……」
「率直に言ってしまいますが、あなたにしてもらいたい事があります」
「や……やっぱり、そういうつもりで……」
「無償の人助けをするほどお金持ちではないので」
「……私……あの……お、お願いします……」
「はい?」
「初めて、だから……せ、せめて……優しく……」
「(……ん?)」
「ううっ……捕まるよりは、ましだけど……」
「あのですね……」
「……ちょっと」
「っ!?」
何やら誤解をしているイルヴァに頼みごとの内容を伝える前に、背後から静かに、しかし明らかに怒気を含んだ声が聞こえた。思わず振り返れば、そこには……腕組みをした、アルフィリアの姿……表情が見えないのは果たして良かったのか悪かったのか。いずれにしても、自分の顔が思わずひきつるのを感じる。
「なんかコソコソ出ていくからなんだろうと思ったら……あんた、そういうつもりで助けたわけ……?」
「ご、誤解です……」
「ほーう、どう誤解なのかしら? 返答によってはサクラがあんたの頭に噛み付くわよ」
「人を襲ったら自分で処分するって言いませんでしたっけ……」
「悪人の成敗は別よ」
「た、助けて、アルフィリア……」
「……とにかく、まずは話を聞いてください……」
まずは、アルフィリアを中に引き入れる。もし玄関口で怒鳴りでもしたら、せっかく揉み消そうとしているのに、色々と台無しになりかねない。二人をテーブルの椅子に座らせ……椅子が二つしかないので自分は立ったまま、改めて話を続ける。
「私が頼みたいことは、異界人……つまり、私を元居た世界に戻せないかということです」
「何だ……そういうことか」
「私をどう思ってたんですか……」
「だって、ほら……男って胸のおっきな女の子が好きだって言うし」
「……それで。イルヴァさん、可能ですか?」
「え、と……難しい……って言うか、わからない……んじゃないかな、と……」
「解らない……ですか」
「だって、異界人は基本的に……こっちで役立てるために呼んでるから……だから、それをわざわざ返す、なんて……」
まるで資源か何かの様な扱いだが……それはもう解っていたことだ、とやかく言うまい。
「しかし、魔法でこちらに呼んでいるのですよね? ならばその技術の応用で何とかならないのですか?」
「わ、私、そっちの勉強は……」
「知り合いに、勉強している方は?」
「多分……誰も研究してないんじゃないかと……」
「(くっ……!)」
少なからず期待していただけに、その落胆も隠しがたい。言うべき言葉も見つからずにその場を後にしようとしたとき、背後から慌てた声がかけられた。
「あ、あの……! けど学院の資料を調べて研究することはできるかも……!」
「……本当ですか?」
どこか咄嗟の言い訳めいた印象を受けるが、それでも。いくばくかの可能性が残るのであれば、ゼロよりはマシに思えた。
「た、ただ……その……」
「ただ?」
「……お金が……ものすごく……」
「具体的にはどの程度?」
「……少なくとも……金貨、200枚は……」
「にひゃっ……!?」
それまで横で聞くに徹していたアルフィリアも、思わず声を上げる。金貨200、物価の違いがあるため一概には言えないが、大衆食堂である直営酒場の豪華な夕食が銅貨15枚、1500円程度と考えれば、金貨200はつまり……1000万円だ。
「だ、だって、本が要るなら写本……持ち出し禁止だったら直接学院で読まないと駄目で、旅費と宿泊費とか……理論ができたら、次は実験で……」
しどろもどろになるイルヴァ。考えてもみれば、新技術の研究に等しい事をするのだ、資金が要るのは当然かもしれない。そして、謝礼代わりにタダでやれと言える額でもない。結局の所、相手にやる気を出してもらえなければ、困るのはこちら……弱者の辛いところだ。
「二百枚……二百枚か……」
金貨200。それ自体は探検者の稼ぎでなら、時間をかければ貯まらない額ではない。だが『少なくとも』という但し書きがつく。果たして実際の所はどのくらいかかるのか、時間はどれほど必要なのか。向こうから持ち掛けたのなら、詐欺を疑う様な内容かもしれない。だが……
「……イチロー?」
「金貨200で、帰還方法の研究をしてくれるんですね?」
「え? え、と……いきなり全部じゃなくて……ちょっとずつでも……」
「なら、まとまった金額ができたら渡しに来ます。それで、研究をしてください」
「え、ええ……ええ……?」
「その『ええ』は承認と取って良いですか?」
「は、はひっ……! や、やってみますけど……」
「では、今日の所は失礼します」
賭けに等しくても、確率すらわからない投資でも、今はこれがたった一つの希望だ。こんな見ず知らずの世界でただ朽ち果てるのを待つよりは、まだ、まだいくらかはマシだ。怯えたような様子のイルヴァに、少々強引にだが約束を取り付け、アルフィリアと二人でアパートへの道を歩く。
「あんたにしては、随分とグイグイ行ったわね……」
「事が、事ですので」
「……テルミナスも良い街だと思うけど」
「比較的マシだとは思いますが……私の故郷とは、比べるべくも有りません。少なくとも、死を覚悟して金を稼がなければいけないなんてことはありませんでした」
「そっか。まあ、そうよね……帰りたいわよね。じゃあ、さ」
「?」
「いつか必要な時が来たら、あんたが帰るのに私の力も貸してあげるわ」
そんな時が来るのかどうかも未確定な『いつか』だが。彼女の笑顔はそれが必ず来る、とでも言いたげだった。何の根拠も有りはしないが……それでも、幾ばくかの励ましにはなる。
「……なら、研究資金を」
「お金以外で!」
「ですよね……ところで、イルヴァさんがタメ口でしたが、いつの間に仲良くなったんですか?」
「ん? 昨日話をしてる間によ。イルヴァって凄いのよ? 実家は普通の商店なんだけど、すごく勉強して授業料免除の特待生だったんだって!」
「それは、つまり……成績がとても良かった、と?」
「100人中、14番だって。そういう頑張ってる人って、私好きなのよね」
「そんなに優秀でも、仕事に就けないことがあるんですね」
「そ、それは、まあ……向き不向き、ってものもあるじゃない?」
とりとめもない話をしながらアパートに帰る。リンランはまたどこかに行ってしまったようだが、賞金の分配については、また改めて話せばいいだろう。それに賞金よりも、もう一つの成果の方が自分にとっては大きい。これまでその手掛かりさえも掴めなかった、帰るための手段。それがほんの僅かながら、実現の望みが出てきたのだから。
対価は、金貨200枚。途方もない金額ではあるが、ただひたすらにその日を凌ぐだけの日は今日までだ。たとえ実際の生活に変わる点が無かろうとも、ゴールができたということが重要だ。少なくとも、死がそれであるよりは。
こうして、動く死体騒動はその真相を闇の中に葬られ、こちらに知り合いの追加と状況の変化をもたらして、幕を引いたのだった。




