六章の5 ダンプサイト・オブ・ザ・デッド
診療所からまっすぐ南、給水塔に向かい、そこから西南西へ。島中央部の高級住宅街を抜け、その周囲にある普通の住宅地も通り過ぎ、金が六つ鳴った頃、またこの島の新たな地域が目に入る。
全体的な印象としては探検者地区の武骨さに近いように見えるが、手入れをしなかったり、外見に気を払わないため自然とそうなったというよりは、あえてそうしているような印象を受ける。
そして何よりもこの場所の印象を強く決定づけているのが、それら建物の中央にそびえたつ巨大な建造物。楕円形をしていて、周りの建物と比べれば高さは倍以上ある。近づけばそれが大きな石を組んで出来ていて、外壁には彫像が並んでいるのがわかった。正面らしい大きな開口部からは、人の群れが出入りしている。
「あれが、テルミナスで二番目に大きな建物……闘技場さ」
「話には聞いていましたが……凄いですね」
「ああ、凄いよ? 島の中央に住んでる様な金持ち、外から船旅してきた観光客、日々の仕事に疲れた労働者、誰でも入って出し物を見れるんだ。もちろん有料で」
リンランの言葉に、合点がいった。ここはいわばリゾート地なのだ。闘技場がその目玉、そして周囲の建物はそれに合わせて武骨な雰囲気に仕上げてはいるものの、実際には客を出迎えるためにしっかり手入れされているのだろう。少し店を覗けば、いかにも土産物らしい木剣などが置いてある。
「出し物と言うのは……要するに、殺し合いですよね」
「そ。安全なところから他人が危険な目にあうのを見るのは最高の娯楽だからね」
小さく笑うリンラン……つまりその競技の結果出た死人であれば事故にも事件にもならない。そして、おそらく安定した供給も見込めるだろう。『素材』の調達においてはこれ以上ない条件のはずだ。
ひとまず闘技場に向けて歩きながら、次の方針を決めようとしたが……決定を下す前に、鼻に水滴がかかる。上を見上げれば、いつの間にか随分と灰色を濃くした空から雨が降り出し……たちまちその勢いを増していく。
「うわ、降りそうとは思ってたけど来ちゃったか!」
「雨宿りしますか?」
「そうだね、これはもっと強く降るよ!」
駆け足になって、手近な観光客向けの店へと飛び込む。看板も見ずに……と言ってもどうせ読めないが。駆けこんだそこはカフェか何からしい。闘技場イメージなのか、テーブルが樽だったり、壁に剣……恐らく模造品、がかけられていたりする。店員に勧められ、座らないのも不自然とリンランと二人で席に着く。
「そういや、お昼食べてなかったね。なんか食べる?」
「あんな話聞いたら、あの近くでは食べられませんからね……」
流石に観光客向けのエリアで人肉を使っているということは無いだろう。黒パンと野菜のサンドイッチを頼み、来るのを待っているうちに、たちまち雨足は強まっていった。降りしきる雨から逃れるようにまた一人、店へと駆け込んでくる。
「いらっしゃいま……あの、すいませんが動物の入店は……」
「大丈夫よ、すごく大人しいから」
困った様子の店員に返されたその声はよく知った物…そして濡れタオルを振り回すような音。振り向けばそこには、背負子に木箱を積んだアルフィリアと彼女に連れられたサクラの姿があった。サクラがまき散らした水滴がそこら中に飛び散ったようだが……
「……か、噛んだりはしないし! 入り口で大人しくさせとくから! この雨の中放り出すなんてあんまりで……あ」
こちらに気づいたようだ。結局店員を押し切り、サクラを入り口近くに繋いでこちらの席へとやって来る。
「や、アルフィリア。奇遇だねこんなとこで」
「そうね……二人して何してんのよ、こんな所で」
当然のようにこちらの席に着くが……その声はどことなく不満げだ。別に隠すことでも無し、丁度やってきたサンドイッチを食べながら、ここまで来た事情を話すことにした。
「ふーん、帰ってこないからどうしたのかと思ったら、二人でそんなことしてたんだ。私と探しに行くのは断ったくせに」
「……その時は、まだ賞金の事を知らなかったものですから」
「じゃあ戻ってきて誘ったって良かったじゃないの」
「(不機嫌だったしなあ……)」
こういう時下手に言い返すと碌なことにならない。サンドイッチが一つ摘ままれたのはやむを得ない犠牲として諦めるしかないようだ。
「それで……そちらは何を? アパートからはほぼ反対側ですが」
「ああ、サクラのご飯貰いに行ってたのよ。ほら、これ」
席の横に置いた木箱を軽くたたく……中身は海獣の肉だ。油をとるために捕獲されているが、肉は食べられていないのでそれをサクラに与えている。貰っている所は、アパートからは南にあるので随分と遠回りで帰っていることになるが……
「サクラの散歩がてらね。そう言えば、こっちの方って来たことなかったなと思って……で、どのくらいまで調べは付いてるわけ?」
「ん~、どうしよっかな~、言ってもいいけどな~。イチローはなんて言うかな~?」
「(面白がってるな……)」
「むぅ……これ以上、私をのけ者にするつもり?」
「……まだ、さほど進んでいないのですが……」
あまり不機嫌になられても後が怖い。事のさわりだけを簡単に説明することにした。
「出所がここかぁ……」
「かもしれない、ですが」
「ま、それでこれからなんだけど……雨も上がったみたいだし、動こっか」
「通り雨だったみたいね。よし、行くわよイチロー」
「……え?」
なぜかついてくるつもりのようだ。『よいしょ』などと言いつつ肉の箱を背負い、店の入り口で待っている……
「一人より二人、二人より三人と一匹! そうでしょ?」
「あたしは別に構わないよ? 一人も二人も同じだしね」
「……わかりました……」
「よーし、それじゃあ……どこ行くの?」
「それを相談しようと思ってたんだけどね~」
「やはり、まずは保管場所を見ておくべきかと……」
「よし、じゃあ行ってみようか。保管って言うほど上等じゃないけどね」
銀貨2枚と、観光地価格の支払いを済ませ、雨でぬれた石畳を、人数を増やして歩く。未だ空は灰色だが、少しその色は薄れているようだ。自分もアルフィリアもこの地域の土地勘は無いため、リンランに任せることにした。
リンランは闘技場……人でごった返す正面ではなく、それを避けるように西側へと回り込んでいった。観光客が行き交う表から、隠れた地元民向けと言う印象の店、つぎは店の運用のための裏路地、さらに共同倉庫だか、従業員の寮か何か……一つ通りを過ぎるごとに、観光地の華やかさとでもいうべきものは薄れ、化粧を剥いだかのように味気ない建物が並ぶようになっていく……そして、そんな建物の中にあって、さらにひっそりとした建物の前に、リンランは立った。見たところ物置小屋か何かのようだが……
「ここが……保管場所、ですか?」
「正確にはその入り口。一応言っとくけど、覚悟はいい?」
「えっと、その……保管、って……死体の、よね……? そんなとこ入って捕まったりしない?」
「ああ、それは平気。あたし何度も入ったことあるから」
そう言いながら扉に手をかけると、鍵がかかっている様子すらなく、あっさりと開いてしまった。中はやはり物置小屋のようになっていたが、真ん中に幅広いスロープがあり……ここが単なる小屋ではないことを物語っていた。
スロープの奥は明かりも無く、ただ闇が広がっている。そしてその闇の向こうへと、車輪の跡が幾本も消えていた。
「よし、明かりはこれを借りて、と。ほら、2人とも持って」
小屋の中にあったランタンを手に取り、リンランが先に行く。一応街中ではあるが、地下に広がる暗闇は、否応も無く警戒心を煽る……片手にランタン、片手に弩を持ち、同じくランタンを持ったアルフィリアとサクラを中央にしてスロープを下りた。深さにして10mは潜ったあたりで、スロープは平らな地下道になる。幅こそあるが、高さがせいぜい2mほどしかなく、圧迫感のある空間だ。ランタンの灯りは余り頼りにはならず、足音が目前の暗闇に響いて消える。地下だけあって少し涼しいが、空気には何とも言えない、腐敗臭が漂っていた。
「ねえ……ここ、一体何なの?」
「下水施設……の一部かな。ここがまだ無人島だった時からあるんだって。給水塔と合わせて、前時代の遺跡ってわけ」
「それで、この臭いですか……ところで、前時代と言うのをたまに聞くのですが、何なんですか?」
大体のイメージは付いていたが、きちんとした話は聞いていなかった。話題に出たのでいい機会と聞いてみたのだが……
「え~……知らないの?」
「あんたもまだまだ勉強不足ね……」
どうやら一般常識のようだ。二人分の冷たい視線が帰って来た。
「前時代ってのはね、ずっと昔、滅んじゃった文明があった時代のことを言うのよ」
「(割とイメージ通りだ……)」
「発掘された遺跡からも、その技術は今よりずっと高度だったらしいってわかってるんだけど、それがなぜ滅んだのかはわかってないの」
「(ますますイメージ通りだ……)」
「で、あたしたちはその文明が残した遺産で大助かりってわけ。こんな海の真ん中の島でも、真水をジャブジャブ使えたりね」
「そんな重要な場所に、鍵もかけなくていいんですか?」
「て言っても、下水道だしね。上水道なら話は別だろうけど……あ、こっちだよ」
丁字路に出たところで、右……車輪の跡が続く方へと曲がる。時折上に続く穴と、外の光が漏れる蓋があり、確かにここが下水道なのだということを認識させた。
そのまま歩く事しばらく。時折後から埋められたらしい横穴などはあったが、基本的に一本道なので迷うことは無かった。しかし足を進めているうちに、前の方から何とも言えない悪臭、そして耳障りな……無数の羽音が聞こえてきた。
「う……」
「死体の保管所と聞いて、覚悟はしていたつもりですが……」
「ま、保管所って言うよりも廃棄所だからね」
何らかの目的で作られたのだろう、釣鐘状に広くなった空間。そこには一台の荷車が置いてあった。そしてその真上には縦穴が開いており……おそらく、地上に続いているのだろう。そしてそこに、闘技場で死んだ者が投げ入れられるのであろう。そうでなければ、その荷台に乱雑に積みあがった死体の説明がつかない。
上等とも言い難い荷台の隙間からは、死体から漏れ出したと思われる液体が垂れ、ランタンの灯りに驚いたのか、ネズミやあまり直視したくないタイプの蟲やらが、荷車から離れていく。
「さて……これが華々しいテルミナス闘技場の裏の顔ってわけだ」
「ひっどい臭い……サクラ、平気……?」
名前を呼ばれたサクラはなんともなさそうな顔だ……考えてみれば狼にとって腐肉はごくありふれた匂いなのだろう。
いつまでも怯んではいられない。飛び交う蠅を払いながら、荷台へと近づく。積みあがった死体はいずれも大きな外傷を負っているようだ。切り傷、打撲、刺し傷……いずれも致命傷。
「これなら、首が切られた死体もあっておかしくないですね……」
「そうだね、調達元としてはやっぱり最有力だ。なんたって安定供給されるわけだし」
「でも……決まったわけじゃないでしょ?」
3歩ほど離れた位置で目を逸らしながらもアルフィリアは言う。その声は少し震えているようにも感じられた。
「……気持ちが悪いのなら、いったん戻りますか?」
「べ、別に平気……って言うほどじゃないけど、我慢はできるわ。ただ、見世物にされて、どんな気持ちで死んだんだろうって、考えちゃって」
「感情的だな~。哀れな死に様をしてる奴なんて世の中にごまんといるんだよ?」
「そのうちの一部を見てるだけだって言いたいんでしょう? わかってるわよ。イチローにも言われたし」
「(根に持ってるのか……)」
「ま、見るのが辛いなら離れてていいよ。調査の続き続き」
改めて荷台に目を戻す。死体は当然下の方が古いわけだが……完全に腐りきっているというわけでもないようだ。だが、妙なことに上の方は粗末ながら服と防具を着ているようだが、下の方ではそれがないようだ。
「服が……動物に食われるうちに無くなったのでしょうか?」
「いいや、剥ぎ取られたんだよ」
「剥ぎ取られた?」
「ああ、こんなのでも洗えば着れるし、たまに折れた剣なんかが捨てられるからね。そういうのを拾って売る奴もいるのさ」
「……肉切り取って売らない分マシですかね」
「あははっ、そんなことしても結局自分たちの口に入るのがオチだからね」
「しかし、あの死体は服を着ていました。比較的新しいということでしょうか?」
「ま、わざわざ下の方から腐りかけを引っ張り出して使ったりはしないだろうしね」
色々と推測はできるが、手掛かりにはつながらない、もっと何か、はっきりとした痕跡でもあれば良いのだが……
「……ねえ、これ」
そんな時、声を上げたのはアルフィリアだった。ランタンを近づけた床には、どす黒い足跡……それも、裸足の物が一直線に並んでいる。それはそのまま壁に向かい……その上、3mほどの所に、通路が続いている。
「……調べてみた方がよさそうだ」
「この先は、どこに続いてるの?」
「さあ……あたしだって全部を把握しているわけじゃないからね。……ちょっと高いな」
「この荷車を使いましょう」
死体の詰まれた荷車を通路の下まで押し、踏み台にする。さすがに死体を直接踏むのははばかられるが、外枠の部分に足をかければ、通路に手が届いた。そのままジャンプし、何とか這い上がることに成功する。
「イチロー、どうなってる?」
「……ただの縦穴のようですね」
通路に見えたのは単に光の加減で、実際には1mほどの所で行き止まりになり、そこにホッチキスの針を等間隔に埋め込んだような梯子があった。
「調べてみます、そこで待っていてください」
「一人で大丈夫かい?」
「少し、様子を見るだけです」
「わかった、あたしはこっちをもう少し調べておくよ」
「お願いします」
ランタンは腰に下げ、梯子に手をかけて登る。3~4m登ったところで梯子は終わり、短い通路を挟んで再び梯子。それも登ると、光の漏れる蓋が出口を塞いでいた。押してみると、どこぞのうら寂れた路地に出る。外に出て周囲を探索するが、これと言った物も無く、一旦穴の中へと戻ることにした。
「どうだった?」
「何も……上の路地に通じているだけでした。そちらは?」
「こっちも特には……かな。うーん、困ったね」
ひとまず通路から降りようとしたとき、アルフィリアがこっちを見て小さく手招きしているのが見えた。言いたいことがあるなら言えば良さそうだが、リンランに聞かれてはまずいのだろうか。荷台と死体を調べ続けるリンランから離れ、アルフィリアに耳を貸す。
「見て気付いたんだけど、ここ、魔法が使われたみたい」
「なぜ、そうだと?」
「荷車の周り……わかりにくいけど、塵があるのよ。私の術で……物からマナを抜き切ると、あんな塵になっちゃうの。私の場合はそこから精製して原質にするんだけど……」
「……新しい物でしょうか?」
「解らないけど……」
ここで魔法が使われているというのであれば、動き回る死体と結びつけるなというのが無理というものだ。問題は、ではどうするかということだが……
「うーん、一旦引き上げようか? これ以上調べても仕方なさそうだし」
「いえ……待ってください。ここで張り込みをするというのはどうでしょうか」
「へえ、張り込みか……何か気付いたの?」
「……死体が毎回変わっているのであれば、ここにまた取りに来る可能性は高いのではないかと」
「なるほど。あたしもそれには賛成かな。けどそれなら……用意をしないとね」
一度地下道から出て、アパートまで戻る。携帯食料や水筒を取り、アルフィリアの荷物を下ろして、なんだかんだで買いそびれていたランタンを銀貨8枚で新調した。シャッター付きで明かりを隠せるため、張り込みでも役に立つだろう。その他細々した準備を済ませて再び地下道入り口にまで戻ったときには、すでに夕方を過ぎようとしていた……




