一章の3 第一村人、第一トラブル
森の中を進み、日が随分と傾いたころ。どこまでも続くかと思えた木々に切れ目が見えた。その合間には人家が散見され、煙突から煙が上がっていた。
「ここが、目的地……?」
「そ。どこにでもある木こりと牧畜の村。いつもならもっと早く着くんだけど……今日のうちに着いたし、まあいいか」
切り株の間を抜け、柵に囲われた羊か何からしい動物を横目に見ながら村の中を歩く。家々はアルフィリアの小屋と同じような大きさだが、屋根に藁葺きの物があったり、丸太でなく板が壁に使われていたり、もちろん酷くボロボロでなかったりと、受ける印象は大きく違った。しかしながら、おかしなことにそこに暮らしているはずの村人が見えない。もう家に帰ったにしては、家畜が外をうろつきっぱなしだ。
「人が居ないですね……」
「居るわよ、家の中から人の気配がする……まあ、子供が帰ってこないか何かで出払ってるんじゃないかしら」
「それって、事件なのでは……」
「かもってだけよ。仮に当たってたとしても、私たちには関係ないことだし」
アルフィリアは歩みを止めず、村の中央にある村長の家、もしくは集会所か何かと思われる大きな家の玄関に立つ。どうやら何度も来ているらしく、挨拶も何もなし。だがドアを開けたとたん、一瞬彼女は固まった。それは自分も同様……なぜなら、ドアの向こう、差し込む夕日で赤く照らされた屋内には、大勢の男が集まっており、その顔が一斉にこちらを向いたのだ。皆一様に、今自分が来ている奴隷服ほどでないにせよ、つぎはぎがあちこちにある痛んだ服を着ており、無精ひげを生やしているものも多い。この村の住人達だということは容易に想像できた。
「……何じゃ、薬師殿か」
その中で一番の年寄り、円を組んだ集団の中央に居ることから、おそらく村長だか長老だかが前に出る。他の男たちもそうだが、険しい顔つきをしており、これが村祭りの打ち合わせだとか、そういうものではないことを物語っている。
「いつもの通り一泊と、それから保存のきく食べ物を多めにほしいんだけど……取り込み中みたいね」
「お察しのとおり……おや、そちらの……見たことのない男じゃな」
「ああ、こいつは……私の奴隷。これから長旅だから荷物持ちにね」
「長旅……ふむ、どちらへ?」
「遠く。多分、もう戻らないわ」
「ほう、この地を離れると……」
老人とのやり取りを聞き流していると、他の男たちが声をひそめてボソボソと話しているのが聞こえた。その目線はアルフィリア、そしてこちらにも向けられている。
「……なんか、あやしくねえか?」
「ああ、急にここを出ていくなんて……」
「じゃあ、あいつが……」
「聞こえてるわよ」
アルフィリアにくぎを刺されてその声は止まったが、やはり疑いの目は向けられたままだ。殿付けで呼ばれるほどだから、ある程度この村に受け入れられていたようだが、それでも疑われるとはいったい何が起きたのだろうか。
「申し訳ない薬師殿。実は……」
「あー、どうでもいいわ、興味ないし。話が終わったらここ使わせてもらうから。じゃあね」
アルフィリアはヒラヒラと手を振って、踵を返し家の外に出る。疑われたことに腹を立てたのか、それとも元々こういう性格なのかはわからないが。いずれにしても、村人たちの目はさらに厳しいものになった。詰問を受けないよう、こちらもアルフィリアに続くが……
「やっぱり、あの女が蘇らせたんじゃ……」
蘇り、あまり馴染みのないその言葉が、確かに後ろから聞こえる。その声は恐れや疑いが含まれているように思えた。一方、あの女ことアルフィリア本人はといえば、呑気に柵の中の山羊に手を伸ばしている。
「あたっ!?」
……角で小突かれた。
「あの……いいんですか?」
「え? 何がよ」
こちらの不安半分な問いかけにも、アルフィリアは背を向けたまま何食わぬ声。さっきの対応に本気で問題がなかったと思っているのか、それとも何かあっても対処できるのか……
「村の人たちは、その……ご主人様、を今起きている事件の犯人だと考えているようです。このままだと、こう、まずいことになるのでは……」
「まずいことって?」
「今夜、泊めてもらえなくなるかもしれないですし……食べ物も」
「別に、それなら野宿すればいいじゃない。食べ物だって別にすぐ補給しないと無くなるわけじゃないし」
「私たちが行った後で、通報されるかも……」
「む……でもだからって自分から面倒に関わるのは嫌よ。何が起こってるのかもわからないし、時間を取られたらそっちが損よ」
「ですが……」
「あーもー! うるさい! あんた自分の立場解ってんの!?」
いらだった様子で体ごとこちらを振り向き、指先を突きつけるアルフィリア。それを言われては、黙り込むしかない。もちろん、彼女の言う通りこのまま関わらずに出発できるのならそれが一番だというのは解る。
「(けど、あの雰囲気はそう上手く行きそうには……)」
「なに、その不満げな顔。いい? あんたは私の奴隷で、私の言うとおりに……」
不満というよりは不安だったのだが、アルフィリアにはそう取られたらしい。そして、こちらに詰め寄ってくる彼女の不機嫌そうな台詞は、背後で木が軋む音と共に中断された。
振り向くと先ほどの男たちが、どやどやとこちらを取り囲む。ざっと二十人程度、薄暗い部屋の中では気付かなかったが、腰にナイフを差していたり、木槌や鎌など作業用の道具を持っている者も居た。
「……ちょっと、何のつもり?」
「多分、暴力的に取り押さえるつもりなんじゃないでしょうか……」
「すまんなあ、薬師殿。やはり、おぬしらしか考えられんのじゃよ」
「私は前に食べ物買いに来てから、ずっと近寄ってないわよ。何があったのか知らないけど、私たちを疑うのは的外れよ」
「確かにおぬしらを見た者はおらんが……来てないということも定かではない」
「それは、悪魔の証明と言う奴では? その場に居ないことを証明することはできません。疑っている側が、その場に居たことを証明するべきです」
「難しい話は良く解らんが……それなら、お主らが犯人を見つければよいのではないか?」
「何で私たちがやらなきゃいけないわけ? あなた達の村でしょ」
「……多分、何を言っても無駄だと思いますよ……」
こちらを取り囲んだ農民たちは皆気が立っていて、今にも襲い掛かってきかねない。いきなり殺されるということは無いにしても、おそらく縛られて、役人に引き渡されるのは確実。そうなれば……
「(逃亡奴隷って、どうなるんだろう……まあ、多分碌な目にあわないんだろうな……)」
「おい、かまわねえからやっちまおう!」
「一斉にかかれば、魔法使いだって怖くねえ!」
「そうだ、この悪魔の使いめ!」
「(それより悪いことになりそうな……!)」
「何それ! これまで散々私の薬使っておいて、その態度!?」
「その薬に、何か妙な物混ぜたんじゃないのか!」
売り言葉に買い言葉、ますます空気はヒートアップしていく。このままだと本当に袋叩きにされかねない。この場を収める方法は、一つしか思い浮かばなかった。
「……わかりました! 何が起こっているのか聞かせてください! 何とかしてみます!」
「ちょっと、あんた勝手に!」
「すいません……ですけど、このまま殴り合いをするつもりですか? まずは話だけでも聞きましょう」
「あんた、今何とかしてみます、って言っちゃったじゃないのよ」
「どうせ話聞いたら何かしないといけなくなるんですから……」
予想通りアルフィリアの怒りを買ったが、このまま叩き殺されてはたまらない。アルフィリアはどうか知らないが、こっちはこの大勢相手に喧嘩をして勝てるような力はないのだから。小声でやり取りしていると、村人たちの中にも彼らを諫める声が出始めた。
「皆、ひとまず落ち着こう。なんでも暴力に訴えるもんじゃない」
「村長……わかりました、村長が言うなら」
あの老人はやはり村長だったようだ。殺気立っていた村人たちも、その一言で包囲を緩める。ひとまずの窮地は、脱出したとみていいだろう。
「それじゃあ、立ち話もなんじゃ。わしの家で話をしよう」
村長は、村人たちを伴って少し離れた位置にある家に向かっていく。アルフィリアも不機嫌な表情ながら、それに続いた。そしてもちろん自分も。
かくして、自分達はこの村に発生している何かに巻き込まれることになった。少しだけ聞こえた蘇りという言葉。それは一体何を意味しているのだろうか……