四章の10 君の名は……
「別に構わないよ」
アパートの食堂で交渉に乗り出したアルフィリアに、サンドラの開口一番がこれだった。正直なところ、完全に想定外の展開になっている。
「いいの!? やったぁ!」
「……いや、まってください、狼ですよ!? それも魔獣の! 遠吠えとかして、近所迷惑になるかもしれませんし……」
「今更近所の評判を気にする歳でもないさね。むしろ番犬でもいた方が安心ってもんだ」
「家主の許可も出たんだから、今更文句のつけっこは無しよ、イチロー?」
勝ち誇った口調のアルフィリア。フード越しでも満面の笑みなのがわかる。この状況で毛皮にすると言おうものなら、石でも投げられかねない。
「大人しくしてるかどうか、わかりませんよ……」
仕方なく、部屋の隅に横たえられた子狼の足を縛る縄を解く。その瞬間子狼は駆け出し、部屋の中を走り回りだした。
「こらこら待て待て……ふぎゅっ!?」
「やっぱりこうなった……」
捕まえようとしたアルフィリアの顔を踏み台にして椅子に飛び乗り、尻もちをついた彼女を尻目に椅子を蹴倒してテーブルへ、上にあったランプに突っ込……む前にサンドラがそれを取り上げる。半ば予想していたが、やはり大騒ぎとなってしまった。
「こらこら、飼うんだろ? ちゃんということ聞かせてみせな」
「そ、そんなこと言われても……こーらー! じっとしなさーい!」
しばらくの間走り回っていた子狼だが、口を縛られたままではやはり息苦しいのか、やがて再び部屋の角で動きを鈍らせた。そこを左右からアルフィリアと追い詰めていく。
「さ~、大人しくしなさ~い」
「ほら、縄を取ってやる……もう危害は加えない」
「そうよ、これから家族になるんだから」
「……家族を奪っておいて言うのもしらじらしいとは思うけれど……」
口に手を伸ばし、縄に指をかけて口から取り外す。首を大きく振って、子狼は一声吠えた。ひとまず、もう走り回る様子は無い。
「ほーら、楽になった」
「大変なのはここからですよ。食べ物に水に色々な躾に……」
横で喜ぶアルフィリアは顔にかかった髪をかき上げ……
「……フードが……」
「え? あ……」
この大立ち回りでずれてしまったらしく、青く長い髪が背中に流れている。この世界では『幽鬼』と呼ばれ、差別とまではいわないまでも、かなり悪い印象を与えるものだ。
「なんだい、あんた『幽鬼』だったのかい」
アルフィリアの肩が怯えたように震える。サンドラの信条次第では、ここを追い出されてしまうかもしれない……
「はん、だから何だって話だけどね。それでフード被りっぱなしだったのかい。人の生き血を啜るとか、目を見たら不幸になるとか、そんなもん迷信だろ?」
「そ、そうよそうそう! ただの根拠のない言い伝えよ!」
サンドラに向き直り、安心した面持ちでまくしたてるアルフィリア。それを見上げる子狼が妙な物を見るような表情を浮かべているように感じるのは気のせいだろうか。
「……なんだか疲れたので、休みます」
色々と当てが外れたこともあり、全身をけだるさが包み始めていた。一人食堂を離れ、自室に入ると、荷物を降ろして藁のベッドに倒れ込んだ。そこから眠りに落ちるまで、ほとんどかからなかったように思う。
何の変哲もない、プラスチックの虫籠。そこには水、そして腹を上にして浮かんだ金魚が入っている。
「捕まらなかったら、まだ生きてたかもしれないのにね」
薄い金属のドアを閉め際、母さんが言う。もし自分に飼われなかったら、この金魚はあの水槽で仲間と泳いでいたのだろうか。昨日、自分があの屋台で掬ったからこの金魚は死んだのだろうか。
夕日が、小魚の死骸をひときわ赤く染めあげている。埋めなければと、虫篭に手を伸ばしたとき、木のきしむ音がして、固い小さなものを木の上に撒いたような音が続く。体が跳ねあがり、音の方を見れば、いつの間にか子狼が部屋に入り込んでいた。
跳ね起きたこちらに驚いたのか、2、3歩後ずさる子狼。その後ろには、アルフィリアが続いていた。
「イチロー? 晩御飯作ったわよ?」
開け放たれたドアから、堂々と入ってきている……記憶を手繰れば、鍵をかけ忘れていたような気もするが……
「ああ、その子? 一応、中庭に放してみたんだけどさ。一通り歩き回ってから、あんたの部屋に入りたそうにしてたから。鍵かかってないし、開けちゃった」
「声くらいかけてくれても……」
「私じゃなくてその子が開けたのよ」
「この狼が?」
「そ。かなり賢いわよ、この子。ドアノブの事も何回か見て、理解したみたい……ま、とにかくご飯よ。食べるでしょ?」
「はい……」
茜色の中庭に出ると、何かを煮ているような匂いが鼻をくすぐる。食堂に入れば、アルフィリアが芋や根菜を煮込んだシチューを皿によそっている所だった。フードを外してお玉を動かす姿は、どことなく開放感があるようにも見える。テーブルにはすでにサンドラが付いており、こちらに顔を向けた。
「聞きそびれていたけどね、まさかあの子狼だけが戦利品ってわけじゃあないだろ? 家賃の目途は付いたのかい?」
「はい。ひとまずツケの分は払えます」
「そうかい、じゃあ食事の前に貰っとこうか」
テーブルに金貨を置き、釣りの銀貨20枚を代わりに受け取る。これでひとまず家賃は清算できた。しかし、今回手に入れたお金はこれでほぼ全てなくなってしまったことになる。出来るだけ早く、次の仕事を見つけなければいけなかった。
「なんか難しい顔してるけど、ひとまずご飯食べなさいよ。冷めるわよ?」
「あ、ええ……では、いただきます」
勧めに従いスプーンで芋を口に運ぶ。野菜ではない何かの味もするが、皿を見る限り野菜しか入っていない。
「ただ野菜だけってのもあれだから、くず肉で出汁を取ってみたの。なかなか美味しいでしょ?」
「その割には、肉が見当たりませんが……」
「ああ、それはこっち。そろそろ冷めたかな……」
アルフィリアは台所のカウンターに置かれていた皿を手に取り、中身を中庭で待っていた子狼に与える。子狼は少し匂いを嗅いでから、がっつき始めた。
「なんだい、一番上等なのをやっちまうのかい?」
「だって、貝は毒だって言うし……やっぱり狼なら肉かな~って」
「あと、ネギなんかもダメだそうですが……入れてないですよね?」
「大丈夫よ、その辺りはちゃんと調べたから」
「それなら、良いですけど……」
3人と1匹での食事を終えて後は寝るだけと、洗い物を済ませて日の沈みかけた中庭に出る。子狼は餌を食べて喉が渇いたのか、水汲み場でのどを潤している。
「後は……この子の名前を決めないとね」
「いつまでも『子狼』ではいけませんか」
「そりゃそうでしょ。でも、この子男の子なのかしら、それとも女の子?」
「ええと……」
水を飲む子狼の後ろから近づいて抱え上げ、それを確かめる。
「……雌ですね」
「女の子か。じゃあ、どんな名前が良いかな……ルキア……狼だしちょっと強そうに、ベアトリクスとか? それとも……」
アルフィリアはあれこれと考えているようだ。子狼の方は、そんな事知らないとばかりに庭で寝転んでいるが。
「……なんだか、体の色が薄まっていませんか?」
「ああ……魔獣の光は興奮すると強まるらしいわ。落ち着いてきた、ってことじゃない?」
「それなら、良いのですが……」
確かに、弱ったというよりは満腹になって落ち着いたという雰囲気だ。暴れて怪我をさせはしないかと危惧していたが、ひとまずは安心してよいのかもしれない。
「オクタウィア……マルガリタなんてのもありかな……」
あれこれ悩むアルフィリア。この世界のネーミングセンスがどういった物かは解らないが、子狼の光……桃色のそれは日本人なら誰でも知るあの花を思い起こさせた。
「……サクラ、というのは?」
「サクラ?」
「私の国では、一番有名な花の名前です。丁度今くらいの季節、あの光のような薄桃色の花を咲かせるんです」
「へ~……」
「国中に木が植えられていて、その花を見て食事や酒を楽しむ花見と言う風習があったり……国を代表する花の一つに数えられています」
「そうなんだ……サクラ、サクラか。うん、いいんじゃない? サクラ! 今日からお前はサクラだからね!」
名前を連呼しながら、子狼改めサクラを撫でるアルフィリア。サクラもいい加減観念したのか餌の恩義か、その場に留まって撫でられている。
「ふふ、二人で一生懸命育てるからね~」
「(やっぱりこっちも数に入ってるのか……)」
かくして、子狼にして魔獣のサクラをアパートの一員に加えることとなった。予定外のペットに色々と面倒ごとが増えそうではあったが、笑顔のアルフィリアを前にそれを言うのは空気が読めていないという物だろう。
ひとしきり触って満足したらしいアルフィリアとお互いの部屋に戻る……こうして探検者としての最初の仕事は、ひとまず無事に終わったのだった。
書き貯め分が尽きたので、これからは毎日更新とはいかなくなると思います。
ここまで読んで、これからも付き合ってくださる方は、どうぞ気長に続きをお待ちください。(2017/6/18)




