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底辺だけど、異世界であがき抜く  作者: ぽいど
第四章 新生活の始まり 編
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四章の8 ハンテッド

異世界生活42日目、春の86日。


 森の中に日が差してもなお、赤い狼はその場を離れようとしなかった。明るくなるにつれて、その姿がはっきりとして来る。赤いとは言ったがそれは体を走る線だけであり、体毛自体は茶色をしていて、大きさはこれまで倒した狼より一回りほど大きく感じる。戦いの傷でか右目が潰れているが、それで睨みつけられる圧力が減るわけではなかった。



「……こういう時、ベテランはどうするんですか?」


「勝つ見込みがあるなら戦う、そうでなきゃ、食料が許す限り根競べ……ですな」


「……」



 結局木から降りられないまま昼が過ぎ、夕方になり、夜が来てもなお赤い光はそこにあった。ハンモックに降りれば牙が届く可能性があるため寝ることもできず、枝の上でお互い交代しながら、軽く休憩をするのが限度だった。



異世界生活43日目、春の87日



 未だ去らない赤い狼に、待っていればどこかに行くというのは希望的観測となりつつあった。朝から雲が太陽を覆い隠していて、元々暗めの森がなおさら薄暗い。どんよりとした色合いの空気は、疲労を余計に高めているような気さえする。このままではろくに休息できないまま体力を消耗してジリ貧になるのは火を見るよりも明らかだった。



「……仕掛けましょう。一方的に攻撃できるなら、勝ち目はあるはずです」


「そうでやすね……少なくともこのままじゃ埒が明かねえでやしょうし」



 弩に矢をつがえ、赤い狼の眉間を狙う。軽く息を吐き、手の震えを抑えて、引き金を引き絞る。放たれる矢、同時に赤い光が残像と共に飛び……矢は地面に刺さった。



「(避けた……!? もう一発!)」



 次の矢を狼に放つ。だが狼はやはり矢を回避した。



「当たらない……!」


「ありゃあ……弓矢ってもんを理解してる。しかも撃つのを見てから避けやがるってことは……」


「当てられない……?」



 試しにわざと狙いを外して撃ってみるが、それでも当たることは無かった。状況が悪化する中、ウーベルトが呟く。



「こうなったら……もうやるしか……」


「一体何を?」


「……二人で、同時に飛び降りて走るんでさ。片方が食われて片方が生き残る」


「2分の1の確率で死ねと?」


「旦那ぁ、力不足で申し訳ねえが、ここに至っちゃそれしかねえ。少なくとも両方やられちまうよりはマシだ」


「……」



 他に状況を打破する方法も見当たらなかった。最低限の荷物を持ち、残る荷物はクッション代わりに落して、枝の上に二人並び立つ。



「あっちにまっすぐ進めば街道でさ……もし旦那の方がやられたら、何か伝えたい相手はいやすか?」


「死んだ後の事に興味はありません」


「そうでやすかい。それじゃ、3つ数えて飛び降りやしょう……」


「ああ、少し待ってください」



 弩につがえてある矢を取り、ポーチから薬入れを取り出し、中にある紫の軟膏を矢と鉈に塗る。気休めかもしれないが、こちらが襲われてもせめて一撃入れれば、生き残る目が出るかもしれないというのは大きいと感じた。



「じゃあ……いきやすぜ」



 身をかがめ、着地に備える。下に落した荷物と、やや離れた場所でこちらを待ち構える赤い狼が目に入った。



「ひとーつ……」


「(確率2分の1……いや、前にもこんな状況で生き残ったウーベルトの運を考えるともっと?)」


「ふたーつ……」


「(……まてよ? そもそも……)」



 ある疑念が頭に浮かぶ。ほんの一瞬よぎった考えだが、それはたちまち風船のように膨らむ。



「(相手が死ねば言い訳はし放題、ここで自分が生き残る可能性を高めたかったら……)」


「みっつ!」


「(飛び降りるより!)」



 カウントの声を最後に、あたりから音がしなくなる。ウーベルトはこちらに両手を向け……矢の先端を向けられて、固まっていた。



「だ、旦那ぁ……冗談きついですぜ……」


「……三つ数えたら、一緒に飛び降りるという話でしたよね?」



 ごく単純な疑念だった。この命のかかった状態で、馬鹿正直に飛び降りる物か? むしろ、相手を突き落としでもして食われている隙に逃げた方が確実ではないのか? そんな、口に出せばまず悪者扱いされるであろう考え。しかし、狙いを付けた弩の先でひきつった薄ら笑いを浮かべるウーベルトを見るに、正解を引いたようだった。



「ち、違うんで旦那……ほんの……ほんのちょっと魔が差しただけなんで! こんな状況だ……仕方ねえでしょう!」



 言い訳を並べるウーベルト。その判断を責めることはするべきではないだろう。金で雇われただけの、たかが数日しか経っていない相手に命を張るなどということを求めるべきではない。そしてそれはこちらにとっても言えることだった。



「勘弁して下せえ旦那……あっしには可愛い息子が……」



 泣き落としにかかるウーベルトだが、それで自分の命を投げ出すほど情が深いつもりもない。改めて一緒に飛び降りて、などというのも今更無理だ。必然、こちらが言うべき台詞は限られてくる。



「このまま走るか、矢が刺さって走るか……どっちにしますか?」


「う、く……くそぅ……畜生……」



 体を震わせながら観念したように下を覗き込むウーベルト。何やらぶつぶつ言っていたが、意を決したのか言葉が止まった。



「うおああああーーー!!」



 叫びと共に飛び降りる。ベテランは名ばかりではなく、荷物に着地した瞬間前転で勢いを殺し、ほとんど立ち止まることなく走り出した。



「帰るぞ! 俺は帰るんだあああ!!」



 叫ぶウーベルトに一瞬遅れ、赤い狼が続く。ウーベルトは木立や繁みを巧みにすり抜けていくが、それでも狼がその背中に追いつくまで、あまり時間はかからないように見えた。



「(今なら!)」



 こちらも枝から荷物の上に飛び降りるが、落下の衝撃は予想以上だった。片手を突いて膝を折った姿勢のままその場でうずくまり、痛みと衝撃が抜けるのを待つ間、どちらに走るべきかを考えていた。



「(最短コースだと鉢合わせするか……?)」


「ぎゃああああ!!」


「(ウーベルトがやられた……!)」



 悲鳴はさほど遠くは無い……というか、まだ赤い光が見えている。即死ではないのか、悲鳴は途切れることなく聞こえてきた。



「(食われてる間に迂回するべき……いや、それよりも……?)」



 もう一つの手段が、頭に浮かんだ。リスクはあるが上手く行けばすべて丸く収まる。問題は、ウーベルトがそのリスクに見合うかどうかだが……



「(……行く!)」



 赤い光に向けて駆けだす。少なくとも現状、ウーベルトは唯一自分に付いてきてくれる人物でもある……たとえ裏切ったとはいえ。現状ハンモックすら教えてもらいながら張っている自分にとって、皮剥ぎをはじめとした数々の技能は得難い物だった。

 その上、ここでウーベルトを見捨てて生き延びたとしても、初っ端から仲間を見捨てた相手と一緒に行動する物好きも居ないだろうし、捨てた荷物を買いなおす金も無いのでは、街から出られず詰みになってしまう。リスクを取ってでも、荷物とウーベルトの両方を回収する必要があった……多少納得いかなかろうが。



「(そんなに遠くない……! けど、繁みが……!)」



 枝や低木を強引に突破し、赤い光へと走る。ウーベルトの声が弱まっていく。いくつ目かの繁みを突き抜けたとき、目の前には倒れてナイフを振り回すウーベルトと、その喉に食いつこうとする赤い狼。見えはしない筈の狼の右目が、こちらを睨みつけているように感じた。



「(一発で……確実に!)」



 胴体の中央を狙う。噛み付こうとしていた首が、ゆっくりとこちらを向いてくる。その左目がこちらを捉えるよりも早く、手ぶれを抑え込み、矢を放ったのと、狼の足が地面を蹴ったのはほぼ同時に見えた。

 


「(来るっ……!)」



 赤い光が跳ねてこちらに猛然と突進してくる。血で濡れた牙が咄嗟に突き出した弩に食い込み、激しく捻じられ……こちらも抵抗したものの、ついには腕からもぎ取られた。狼の黒い目。その眼光に射抜かれ、背筋を寒い物が伝う。もぎ取られた勢いのまま弩を放った狼はこちらに向き直り……そのまま、腰を地面に落した。

 まるで水に落ちたかのように前足がバタつき、それとは裏腹に後ろ足は剥製にでもなったかのように動かず、結果這うようにしてもがいている。その動かない足には浅い角度ではあるが、何とか矢じりを食いこませた矢があった。



「(錬金術の毒……効果は抜群、って所か)」


「だ、旦那ぁ……?」


「怪我の具合は?」


「へ、へへ……首だけは守ったんでやすがね……見ての通りでさ……」



 ウーベルトに近づくと、腕が血だらけになり、わき腹にも赤い染みができていた。ひとまず診るべきはわき腹の方だろう。

 服をまくってみると、狼の歯形がミシン目のように繋がって、つの字型の大きな傷となり、そこから皮が剥けていた。血が染み出し続け、わき腹をベッタリと赤く濡らしているものの、幸いと言うべきか腹が破れて内臓が飛び出す……などということにはなっていない。

 アルフィリアの薬をその傷全体に塗り付ける。薬の緑と血の赤が混ざって何とも気持ちの悪い色合いの粘液になったが、ひとまず血は止まったように見える。



「あ、ああ……だいぶ楽になりやした……ありがとうございやす旦那、まさか助けに来てくれるたあ……」


「腕の傷は自分で治療してください」



 ウーベルトに軟膏を渡し、改めて赤い狼と対峙する。もはや戦うことを諦めたのか、前足だけを使ってどこかに逃げ去ろうとしていた。ある種の哀れさすら覚える姿だったが、背後から近づき、鉈を抜く。逆手で前足の付け根、心臓辺りに突き立てると一瞬痙攣し、全身の光る帯はまるで電力を失った電球のようにその光を失い、それと同じく魔獣の命もまた、消えた。



「……意外と、あっけないな」



 魔獣と呼ばれていようが、毒を受ければ動けなくなり、心臓をやられれば死ぬ。当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、それでもこれはあくまで生物であり、理屈の通じない怪物ではないのだということがわかるだけでも、幾ばくか恐ろしさが減って感じた。



「……やったんですかい、旦那?」


「おそらくは」



 死骸を見下ろしていると、背後からウーベルトが近づく。さすがに万全とはいかないようだが、それでも歩ける程度にはなったようだ。



「はあ……いや、正直に言いやすよ旦那。色々褒めたのはぶっちゃけ半分はお世辞なんでやすが……これは正真正銘本心でさ。旦那のおかげで助かった、感謝しやす、心の底から」


「……もう動けるようですね」


「ええ、全部使っちまいやしたが、大した薬で。あの薬師には足を向けて寝られやせんな」



 アルフィリアが聞けばさぞ喜びそうな言葉と共に、ウーベルトは赤い狼の死体を調べる。これも狼は狼、報酬の対象になるだろう。鉈で足を落とそうとしたとき、ウーベルトが割り込む。



「待って下せえ旦那、せっかくの魔獣の毛皮だ、なるべく綺麗に持って帰りましょうや」


「やはり、珍しい物なのですか?」


「そりゃあもう! 安くても金貨は固え……手もだいぶ動くようになってきた、ここはあっしに任せて下せえ」


「(まあ、肉だけになっても足は足か)」



 ウーベルトに任せてあたりを警戒しながら、ふと赤い狼が逃げようとした方を見る。そちらには小さな崖があって、小さな洞穴が口を開けていた。



「ようし、と。上手くはげやしたぜ旦那……どうしたんです?」


「あの洞穴……あちらに逃げようとしていたみたいです」


「ふうむ……巣穴でやすかね。様子を見た方が良いかもしれやせん。背後からガブリ、なんて事になりかねえですし」


「ここまで来て、それは御免こうむりたいですね」

 


 矢をつがえ、その洞穴へと近づく。入り口付近の草は踏みしめられており、何者かの出入りがあることがうかがえた。そして、その中に弩を向ければ、日の差し込むその先に居たのは動物が二匹……ではない。片方は明らかに体が崩れかかり、白い蟲が湧いているのが見えた。

 そしてもう片方……大きさは中型犬程度。白い体毛に覆われ、長い鼻を持つその姿は狼のそれだが、どうにも全体的に迫力がないというか、丸みのあるフォルム。しきりに外の臭いをかぎ、洞穴の奥で縮こまるその姿も相まって、まるで子犬ならぬ子狼をそのまま拡大したようにも見えた。



「……子供、でしょうか」


「どれ……? ううむ、確かに見た目は子供……いや、大きさ以外はでやすが」



 一先ず危険は無いと見たのか、ウーベルトも巣穴を覗き込み、こちらと同じ感想をつぶやく。だがその姿に反応したのか、そのままウーベルトに……ではなく、その持っている皮へと飛び掛かった。



「うわ! こら、なにしやがる!」



 皮を奪い取った子狼は、赤い線の残るそれを見下ろし、鼻を擦り付け、前足で触れ……小さく甲高い、悲しげな声を出し始めた。



「……泣いているようにも見えますね」


「おそらく……こいつらは親子、なんでしょうな。この魔獣が親父、中で死んでるのは、お袋……兄弟が居ないのが気にかかりやすが……」



 弩を向けたままその子狼をよく見ると、ただ大きいだけではなく体にうっすらと桃色の線があることに気づいた。



「この狼も、魔獣……」


「まさか噂の通り、兄弟を食い殺して生まれたってえ……」


「……それが本当かどうかはさておき」



 腐ってしまった方はともかく、この子供の方は毛皮としての価値がある。このまま置いていったとしても野垂れ死にがオチ。なら有効活用してしまうべきと鉈の柄に手をかける。しかし、ふとある考えが浮かんだ。



「……この狼、連れて帰ることはできますか?」


「ええ? まあ……縄はあるし、生け捕りはできるかもしれやせんが……」


「なら、お願いします」


「それじゃあ……うわ、くそ、この! 暴れるな! あたっ、いたたた……!」



 ウーベルトは子狼の背後から縄を持って近づくが、暴れる相手に苦戦しているようだ。相手としても、親の毛皮を担いできた相手に捕まりたくは無いだろうし当然と言えば当然だが。

 それでも何とか口と手足を縛り、子狼を生け捕りにすることに成功した。縛られてなお激しく暴れてはいるが、抱えて持っていくことはできそうだった。



「ふう……それじゃ旦那、申し訳ありやせんがこいつを抱えるのはお願いしまさあ。こちらも、ちょいと荷物が多くなってきやしたし……傷口が開くのは御免こうむりたいんで」



 ウーベルトの申し出を了承して、子狼を後ろから抱え上げ、再び南へと向かう。縛られてるとは言え腕の中で暴れる獣を抱えていくのは一苦労だった。



「大人しくしろ……別に殺そうってんじゃない、少なくともここに残っても野垂れ死になんだぞ」


「旦那、狼が人の言葉をわかるはずないでしょう」


「それは、まあそうなんですが」



 連れ帰ることにした以上、大人しくしていてほしいのだがなかなかそうもいかない。怪我をさせては元も子もないし、出来ることと言えば声をかけてみることくらいだ。意味は伝わらずとも、殺す気はないことを察してくれるかもしれない……正直なところ効果は期待していなかったものの、幾ばくか抵抗が弱まったようにも感じる。単に疲れただけかもしれないが。

 そのまま、魔獣の子供を抱えて森の中を急ぐ……追いかけてくる存在は、今の所居ないようだった。

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