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底辺だけど、異世界であがき抜く  作者: ぽいど
第四章 新生活の始まり 編
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四章の7 ウルフハントII

異世界生活40日目、春の84日。


 寝込みを襲われることもなく、火の爆ぜる音で目が覚めた。起き上がろうと無造作に手を突くと、ちょうど網の隙間に突っ込む形になり、一瞬の浮遊感に身を硬くし、網に顔を押し付けて、数秒空中で揺れる。



「おはようさんでさあ、旦那。今朝飯を用意するんで、お待ちくだせえ」



 網の向こうでは、ウーベルトが焚き火を焚いてパンを炙っている。立ち上がり、荷物と共に幹を伝って降りた頃には、トーストが二人分できていた。

 


「それで、今日も昨日と同じように?」


「まあ、ああいう風に上手く行きゃ上々ってところで」


「では、出発しましょう」



 荷物を背負い再び森の中を移動していくが、これと言った成果も無く昼が過ぎ、夕刻に差し掛かった。途中、枝に止まる鳥を撃とうとしたが、角度がありすぎて矢が土台から落ちてしまった。矢を掴んで狙いをつける弓と違い、弩にはそういう欠点がある……この日得られた成果と言えば、それを知れた程度だった。



「……何も出ないとは……」


「狩りってのはそう言うもんです。駆け出しで大事なのは、焦らないことでさあ」


「食料が少なくなれば、焦らざるを得ない筈ですが」


「旦那、まだ3日目ですぜ。焦るのは帰る分ギリギリになってからでも十分でさあ」


「それは、そうかもしれませんが……」


「昨日みたいに狩った相手の肉を食えば猶予はもっと伸びる。慎重なのは構わねえですが、心配しすぎるのも良くはありませんぜ」


「自分の命にかかわることです、慎重にもなるでしょう」


「ははは、違えねえですな。だがその辺りのさじ加減はあっしの方が心得てまさあ。ここはあっしを信用して下せえ」


「……わかりました」



 軽く食事をとり、再びハンモックで眠る。ウーベルトはああ言ったが、時間に限りがある中一日が無駄に終わるというのは、やはり焦りを産む。



「(一日働けば決められた給料が出るって、気楽だな……365日仕事でも、その分収入は増えてるわけだし……)」



 まったく自覚はしていなかったが、日本の社会という物がどれだけ優れていたのか今更ながら実感する。その社会を離れて40日、おそらく世間的には死んだのと同じように扱われている頃だろう。



「(さすがに、母さんは何かしらしてくれてるよな……でも、全部無駄になるわけか。貯金がどのくらい持つか……)」



 浮かぶネガティブな考えを、空気を飲み込むようにして押し込める。考えても無駄なことを考えて意味があった試しなどない、それよりは早く寝て体力の温存をした方がまだマシと、頭から考えを消し、ただ網の上で横たわって朝が来るのを待った。



異世界生活41日目、春の85日。



 前日と同じような目覚めかたをして、同じような朝食を食べて同じような風景の中を歩く。このまま昨日と同じように成果なしかと思い始めたとき、ウーベルトが木々の開けた小さな広場で足を止めた。



「旦那……ちと、まずいことになりやした」


「まずい……とは?」


「目の前の茂みでさ。居やすぜ……」



 弩に矢をつがえながら目の前に目を凝らす。何かが、わずかに葉の隙間で動いたように見えた。



「……見えました、あれは……」


「まあ、狼でしょうなあ……遠吠えが聞こえなかったってことは、向こうにとっても偶然ってことですが……ちと近すぎますな、この距離ならそのうち仕掛けてきやす」


「……こういう時は、どうするんですか?」


「気づかれている以上、先手必勝で仕掛けるか……素早くその辺の木の上に登るってのもありですがね……背中を向けるのはまずい」



 自分達が居るのは開けた場所で手近に木はない。となると、まずは距離を取りたい。繁みを見据え弩を構えたまま、ゆっくりと後ずさりをする。



「(登れる木があれば……)」



 一歩、二歩、距離を取り、近くの木が登れそうかどうか、目を一瞬逸らしたその瞬間、繁みが揺れ、茶色い塊が飛び出す。長い鼻に鋭い目つき、口から覗く牙と赤い舌、狼、数は三つ。一気に近づいてくる。



「やべえ!」



 叫ぶウーベルトの声は頭に留まることなくすりぬけ、意識を10mほどまで近づいた先頭の一匹に集中させた。狙い、撃つ。矢が額を貫き、狼がつんのめった。

 弩を手放して鉈を掴むが早いか、牙を剥いた二匹目が足に噛み付く。衝撃と熱、喉から鈍い声が零れるも、噛み付いた毛むくじゃらの首に鉈の先端を突き立て、体重をかけて沈める。力任せにそれを引き抜くと、手に熱い飛沫。赤い水滴の向こうから、三匹目が飛び掛かってきた。

 腰を落とし、その長い鼻先に鉈の切っ先を向けて腕を突き出す。硬い物に刺さる手応え、暴れる頭に手が振り回され、爪が頬をひっかく。その前足を左手で掴み、鉈ごと振り上げた右手を再度、頭に振り下ろす。

 濡れた板を叩き割るような音、手に伝わる衝撃。掴んでいた前足から力が抜け……周囲は静かになった。

 落ちた弩を拾い上げ、弦を引きながら耳を澄ませる。自分の他に動く物は無く、聞こえるのは激しい心臓の音と飢えた肉食獣の吐息の様な声……これは自分が出しているものだ。矢をつがえ、どれほど経ったか……それ以上狼が襲ってくることは無く、代わりに噛まれた足が痛みだし、背負った荷物に引っ張られるように、後ろへ倒れ込む。



「(ウーベルトは……逃げたか……!)」



 取り残され、痛みで歩くこともままならない。相当に危機的な状況であるのは明らかだった。あまり気は進まないが、まずは怪我の状況を確認しなければならない。座り込んだまま噛まれたところを見ると、厚い革でできた長靴は思ったよりも丈夫で、狼の牙で穴が開いた様子もない。しかし脱いでみれば、足首に黒青い染みが広がっていた。



「(内出血には、効くのか……?)」

 


 アルフィリアの軟膏をポーチから出し、色の変わったところに塗り付ける。ぬめった、気持ちの良いとは言い難い感触ではあるが、痛みが引いていくのを感じる。頬の傷にも塗り付け、靴を履いたとき、背後の茂みから音がした。

 傍らに置いていた弩を取りそちらに向けて、引き金に指をかけた瞬間、その繁みから声がした。



「ま、待ってくだせえ旦那! あっしですあっし! いやいやいや、驚きやした旦那! 狼三匹をたちまちやっちまうたあ、もってますなあ!」



 いつの間にか姿を消していたウーベルトが、いつの間にか戻ってきていたようだ。繁みから出てきて、揉み手でも始めそうな勢いでまくしたてる。逃げ足も速ければ、手のひらを反すのも速いらしい……



「ささ、それじゃあ皮を剥ぐのはあっしに任せて、休んでて下せえ!」


「……そうさせてもらいます」



 こちらの内心を知ってか知らずか、ウーベルトは悪びれた様子も無く、狼の皮を手際よく剥いでいく。せっかく倒した狼、放置していくつもりはないし怪我の痛みも引き切ってはいない。その場に座り込んだまま、深く息を吐き、肺に溜まった濁った空気を入れ替える。



「そう不機嫌にならんで下せえ、旦那。戦いはできねえってのは最初に言っておいたはずですぜ」


「別に文句は言いませんが……」



 溜息を不機嫌の証と取ったか、あるいは単に顔に出ていたか……確かに最初に言われていた以上文句を言う筋合いはないのだが、ああまで見事に見捨てられるとやはりいい気持ちはしない。



「まあ、こっちも死にたかあねえんでさ。可愛い息子に会えなくなっちまうのだけは御免なんで」


「息子?」



 意外な言葉が飛び出した。ウーベルトは確かに子供がいてもおかしくは無い年齢に見えるが、あまりそう言った印象は無かった。少なくとも同じ父親のアルチョムとは、なんとなく纏う雰囲気が違う。



「意外でやすかい? これでも前は羽振りが良かったし、成功してる探検者ってのはそれだけで女に不自由しないんでさあ」


「はあ……」


「ま、そんな中でいろいろあって一人を選んで、子供までできたんですがねえ……あっしが指を無くして稼ぎがガタ落ちしたら、あっという間にポイ、ときたもんで」


「それは、お気の毒です」


「結局寄りも戻せねえまま……だが、子供とは時々遊びに行けるんでさ」


「それで、大金の入る探検者を?」


「まあ、もちろん金もそうなんでやすがね。何よりも……やっぱり親父としての体面、ってやつですかねえ」


「体面?」


「年に何度かしか会えない息子、偶に会ったときくらい、良いものを食べさせて玩具も買ってやって、お父さんはこんなすごい冒険に行ってるんだぞ、って言ってやりてえじゃないですか」


「つまり、見栄を張りたいがために探検者をしている、と」


「手厳しいなあ、旦那」


「……まあ、こちらとしてはその見栄っ張りのおかげでどうにかこうにかノルマをこなせたわけですがね」


「へへ、そういうことでさあ。要はお互いに利益があれば何の問題も無えってことで」



 ウーベルトと言いアルチョムと言い、父親と言うのは子供に甘いのだろうか。それともこの二人が特別なのか……少なくとも自分に縁のない物であったのは確かだ。

 ウーベルトの父親感はさておくとして、条件だった5匹は狩った。後は前足を持って帰って皮ともども換金すれば、経費を差し引いても黒字になる。留まって狩りを続ければより儲けは増えるのかもしれないが、初仕事で無理をする気にはならない。

 皮を剥ぎ終わった頃には、歩いても平気な程度にまで足は回復し、顔の傷はほぼ消えかけていた。



「ふーむ、店じゃあっしは横目で見てただけでやすが、こりゃ大したもんだ。あっしも一つ買っておいた方が良かったですかねえ」


「怪我をしてないのだから、不要でしょう」


「おっと、こいつは一本取られた!」


「……とにかく、長居は無用です。引き上げましょう」



 鉈で前足3本を切り落としてから、頭蓋骨を叩き割って矢の回収を済ませ、南へと足を向けた。直にテルミナスを目指すよりも、街道に出て馬車に乗せてもらう方が早く着くとのことだ。

 もはや獲物を探す必要もなくなった以上、獣道を辿る必要もない。森をまっすぐ進み街道との合流を目指したが、この日はその前に日没となった。


 何事も無く夕食を済ませ、木の上に荷物を上げてハンモックを張り横になる。ウーベルトが言うには、もう一日も歩けば街道に出られるとのことだった。



「あとは帰るだけでやすが……こんな時こそ油断禁物ってやつですぜ」


「まだ何かあると?」


「まあ、経験則ってやつでさ。単に気を抜いたところをやられたりだとか、焦って無理な近道をしようとして遭難だとか」


「……それは今の私たちの事では?」


「いやいや旦那、あっしらは街道の北側に居る、街道は東のテルミナスに続いている、なら南に行きゃどうやったって街道に出るってえ寸法で」


「まあ、それはそうですが……」


「そうそう、大事なのを一つ忘れてやした。取り分について内輪もめ、これが中々良くある話で。特に自信の付いてきた中堅辺りから増えるんでさあ。後は、男女関係。この2つはどんなベテラン集団もガタガタにしちまうから、魔物なんかよりよっぽど恐ろしい!」



 げっ歯類の鳴き声の様な笑い声をあげるウーベルト……男女はともかく金銭関係は誰にでも十分起こりうる。だからこそウーベルトは事前に取り分を決めていたのだろう。これも経験則ということだろうか。



「……そういうのは、どこも同じなんですね」


「人間のやっていることですからなあ。ま、どっちもある程度稼げるようになってからの話。旦那にはまだちと早いかもしれやせんな」


「そこまで行くのにどのくらいかかるか……そもそも行けるのかどうかもわかりませんがね」


「なあに、こうして最初の依頼を無事達成したんだ、本当に駄目な奴はここで根を上げまさあ」


「噛まれましたが」


「そのくらいは無事のうちでさ。動けないような大けがでもねえんですから」


「そういう物ですか……」


「そういうもんで。まあ無傷に越したことはありゃあせんがね……ま、帰って報酬を受けとりゃ、そんな痛みなんてすぐ忘れちまいまさあ! で、そん時はお約束の取り分もお忘れなく……」


「別に反故にしたりはしませんよ」


「いやいや、ほんの確認でさ! それじゃあ、お先に休ませていただきやす」



 誤魔化すように言って、毛布に包まるウーベルト。確かに口約束である以上反故にするのは簡単そうではあるが、ベテランの彼がそのことを見落とすとは思えない。



「(事前に大勢の前で2割と決めたのが一種の担保になってるのか……なんだかんだ言って探検者って信用商売っぽいしな……)」



 いくらか考えてみたが、当初の取り決め通りに2割出すのが無難だという結論に達し、毛布に包まって、上手く馬車を見つけられることを願いながら眠りに付く。


 まだ日も昇らない時間、ふと目が覚めた。寝なおそうにも眼が冴えてしまっている。ふと横を見れば、ウーベルトの姿がない。既に起きて朝食の用意でもしているのかと思ったが、それにしては下が暗いままだ。



「(……?)」



 下を向いていた顔を前に戻すと、暗闇の中に光が見えた。ゆっくりと移動し、光の粉を時折浮かべるそれは松明か何かのようにも見えるが、それにしては光の位置が低い。

 しばしその光を見つめていたその時、上から肩を叩かれる。顔を向けると、緊張した面持ちのウーベルトが居た。



「旦那……あれが見えやすかい」


「あの光ですか?」


「へえ……とにかく枝の上へ上がって下せえ」



 促されるまま、ハンモックの端から枝の上へと移動する。そうしている間にも、光は少しずつ移動し、こちらに近づいてくるようだ。



「ありゃあ……間違いねえ、魔獣でさあ……」


「魔獣……?」


「獣から生まれる、化け物の事で。産んだ親は死ぬとか、兄弟を食い殺して生まれるとかいろいろ言われやすが、はっきりしてるのは親よりずっと強いってこと、そして……」



 話している間に、その光はこちらに近づいてくる。やがてはっきりするその輪郭は、狼の物だったが、その体には赤い光を放つ線が何本も横切っていた。まっすぐ近づいてくるその様は、気づかれていないという考えが甘いものであると語っているかのようだった。



「ああやって、体が光るんでさ……」



 ウーベルトの言葉が終わるか終わらないかの所で、赤い光が走る。一直線に距離を詰め、跳んだ。狼の鋭い目がこちらを見据え、牙の並ぶ口が開かれこちらに迫る。軽く数mを超える跳躍に息をのむこちらのすぐ下、数十㎝のところで上昇は限界に達し、赤い狼は地面に落ちた。



「……ふう、寿命が縮まりやした」



 あれだけ助走をつけて届かないということは、向こうにとってもそう簡単に届く高さではないと見ていいだろう。しかしそれは安心できる材料にはならなかった。その赤い光は、自分達の下を立ち去ろうとはしなかったのだから。



「……諦めるでしょうか?」


「腹具合によるでしょうなあ……少なくとも、今夜はもうぐっすり休む、ってわけには行かなくなりやした」



 少し離れた位置で、こちらが降りて来るのを待ち構える赤い狼。持久戦と言う言葉が、頭をよぎっていた。


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