三章の5 月下強盗殺人未遂
後ろから、三つの足音が追いかけて来る。こちらは荷物を背負っているのに対して相手は身軽、全力で走っているのだから、そう長くもたずに息は切れる。やがて追いつかれるのは目に見えていた。
暗い道を強盗から逃げながら、どうするのが最善か考える。こちらは土地勘が無く、おまけに3対1。大よそ有利と言える要素は何もなさそうだ。
「(荷物を捨てる……? いや、一人が確保して残りに追いかけられる……! どうにかして……!)」
走りながら周囲を見ても、助けを求められそうな建物や人は見当たらない。唯一、薄暗い路地だけが通りを走る以外の選択肢として残されていた。
「(こっちしか、ないか!)」
相手を撒けるような構造であることを祈り、手近な路地に飛び込む。抜けるのがやっとの狭さ、おまけに雲が出てきたのか、路地に入る光がさらに少なくなる。
「(あのハイエナ人間、夜目が効くとか言わないよな……!?)」
ひときわ暗くなった路地を、両壁に手を突くようにして駆けていく。途中一度曲がり、まっすぐ進んで……行く手を壁に阻まれてしまった。
「(行き止まり……!)」
「馬鹿なやつだ、自分から行き止まりの路地に飛び込むとはよ」
「おーい、出て来いよ、イジメたりしないから~」
「来ないならこっちから行ってやろうかあ?」
行き止まりに追いつめ、余裕綽々と言った声が路地の入り口から聞こえてくる。たとえ出ていったとしても身ぐるみを剥がれるのは確実、その後命があるかどうかは怪しい賭けになりそうだ。仮に命は助かったとしても、この街で持ち物をすべてなくして、果たして何日生きていけるのか。降参という選択肢は間違いなく不正解。となると、残る選択肢は一つしかない。
「(戦うしかない……武器は、ある……!)」
荷物を降ろし、手探りでその中から鉈と弩を取り出した。一つ前の曲がり角まではおよそ3~40メートルの直線、射撃には有利そうだ。近くに胸ほどの高さの樽があったので、それを盾兼台にし、上に矢を並べて、敵を待ち構える。
「……来ねえな」
「ちっ、仕方ねえ、ちょっと痛い目見せてやるか」
「(来る……!)」
構えたまま待つ時間は異様に長く感じられ、心臓の音が響く。徐々に目が慣れ、路地の曲がり角がうっすらとだが見えるようになってきた。三つの足音が近づき、そして角に何かが現れた瞬間、引き金を握り込む。
手に伝わるわずかな反動、空気を切る音、そして。
「ぎゃあっ!?」
「な、何だ!? おいどうした!?」
「(当たった! 次!)」
悲鳴。声はハイエナの物だ。足を弓に引っかけて弦を引き、矢をつがえ、角で動く影に放つ。
「うがっ!?」
無精ひげの悲鳴。当たっていることは確かだが、どこに当たったかまではわからない。
「矢だ! あいつ弓を持ってやがる! あがぁ!」
3本目は再びハイエナ。とにかく撃ち続けるしかない。相手が逃げ出すか、あるいは……動かなくなるまで。
「クソっ冗談じゃねえ!」
縮れ毛の男の声と共に足音が離れていく、どうやら逃げ出したようだ。残る二人は角でのたうっているように見えた。
「痛ええ!! 痛えよ!」
「目が! 畜生俺の右目が! 見えねえ! 畜生!」
まだ元気があるようなので、念のためもう少し撃ち込む。6本目を撃ち込んだところで動きが弱くなったので、狙いをつけたまま樽を乗り越え、慎重に近づいていく。
雲が晴れ、赤い月が路地の中に光を落とし、相手の様子がはっきり見えてきた。ハイエナは右目と右肩、無精ひげは右わき腹と左腕、右足に矢が刺さっている……残る1本は地面に刺さっていた。
「ま、まってくれ! 命だけは!」
「見てくれよ、片目が潰れちまった! もう十分だろ!?」
「(……さて、どうするか……?)」
狙いは外さないまま、考える。一人は逃げ、二人は重傷。ひとまず勝ったとみてよいだろう。しかしこの二人をどうするかで少し悩みが生まれた。つまり、殺すか生かすかの二択だ。
生かす。これにメリットは無いように思える。間違っても恩義に感じるような相手ではないだろう。むしろ復讐のために闇討ちしてくるタイプに見える。
殺す。メリットを挙げるなら生かしたときの様な後腐れがないということ。デメリットとしては、事件として捜査対象になるかもしれない点。また、殺人による精神的なストレスも気になる。
「(……殺した方が良いか? 治安が悪いみたいだし、目撃者さえいなければ……)」
鉈を抜き放つと、二人は悲鳴を上げながら体を引きずって離れようとする。
「ひ、人殺し! 人殺しだー!」
「や、やめてくれえ!! 俺が悪かった!」
鼓動は早いが、精神的な動揺は意外と感じない。相手が先に手を出したからか、それとも、案外こんなものなのか。鉈を振り上げ、分厚い刀身が月明りを反射する。
「うわあああああ!!」
「やめときなよ」
男たちの悲鳴と同時に、女の声がした。角の向こう、路地の入口の方向。鉈を男たちに向けたままそちらを覗き込むと……小柄、を通り越して子供の様な身長の人影がそこにある。
「いくらこの辺が治安悪いったって、死体が見つかりゃ流石に調べられるし、取り逃がした一人が何を言うかわかったもんじゃないよ?」
妙に馴れ馴れしい話し方で人影は近づいてくる。どうやら一部始終を見られていたらしい。
「ま、どうするかは君の自由だけど。止めといた方が良いと思うよ? あたしはね」
「(通りすがりではないよな……役人……? って感じでもない……かといってこいつらの仲間でもない……?)」
少し考えたが、第三者に見られた以上強硬な手に出るのは得策ではないと思えた。報復される可能性は残るが、鉈を鞘に仕舞い、路地の入口を指さす。
「有り金全部で手打ちにしましょう。さっさと消えてください」
「は、ひいい!」
ハイエナと無精ひげは腰の革袋をその場に残して、互いに肩を貸しながら逃げていく。悪党の割に仲間意識は一端に持っているらしい。彼らが立ち去るのを確認して、改めて小さな人影の方を向く。低い身長に長い耳、ヘルバニアンだ。
「あっははは! 敬語で有り金巻き上げるなんて、君変わってるね!」
「……あなたは何者ですか?」
「あれ? 覚えてないの?」
「(こんな小さな知り合いは……いや、まてよ)」
唯一、自分と面識のあるヘルバニアンが居た。面識というにはあまりに浅い物ではあるが、他に心当たりは無い。
「ウィアクルキスで……?」
「そうそう! スリに間違えられた!」
「そ、その節は……」
「ま、こんな所で話すのもなんだし、とりあえず表まで出なよ」
革袋は二つ合わせて銀貨が7枚、銅貨が11枚。それと外した一発を回収し、そのヘルバニアンと路地を出て、改めて顔を突き合わせる。
「それで、あなたは……」
「あたしはリンラン。この街で……まあ、便利屋みたいなことをやってる。ウィアクルキスにはちょっとした用事でね」
リンランと名乗った彼女は、近くにあった木箱に飛び乗り、こちらと目の高さを合わせて瞳を覗き込んできた。暗緑色の服は長袖ではあるが、前に出会った時よりも薄手で、街歩きか何かしていたようにも見える。
「で、君は? こんな夜更けに、こんな所で何をしてたんだい?」
「有体に言えば、迷っていたのですが……」
この地区に来てからの経緯を簡単に説明する。リンランはそれを時折相槌を打ちながら聞いていたが、
まるでネズミを見つけた猫の様な目がじっと見つめて来るのは少し心地が悪い。
「はーん、安宿探してねえ。馬鹿だね~、よりによって日陰地区でなんて。このあたりの宿っていや、立ちんぼ連れ込むか安い薬でラリるかするために使ってるのが相場だよ? んなとこをいかにも『おのぼりです』って顔でふらふらしてたらそりゃ襲われるよ」
一通り話を終えると、世間知らずの田舎者を揶揄する顔で木箱から飛び降りる。そのままクルクルとこちらの周りを歩き回る姿はどうにも小動物のイメージが付きまとっていた。
「色々事情があって、なるべく出費を抑えたく……」
「ふーん。でもそれなら宿じゃなくて、貸し物件借りた方が良いんじゃないの?」
「今日この島に来たばかりで、何もわからないんです。それに予算も……」
「なるほどねえ。その感じだと、まだ市民権も持ってないってとこ?」
「はい……」
「……よし、じゃあ、良い所を紹介したげるよ。君みたいな根無し草でも、安く部屋を貸してくれるところ」
「え?」
「何で世話を焼くのかわかんない、って感じ? 私達ヘルバニアンにはこんな言葉があるんだ。『一度会うは偶然、二度会うは縁』ってね」
「(何か裏がある……? けどこちらをどうこうしたいなら、わざわざ声はかけない……詐欺? 仲間の居る所へ引き込むつもり?)」
「まあ、無理にとは言わないよ?」
両手を頭の後ろで組んでこちらの返答を待つリンラン。彼女の内心はわからないが、いつまでも野宿をするわけにも行かず、そして他にあてがないのも確かだった。少なくとも、ガラの悪い連中がうろつくところで、今にも人の頭を叩き割ろうとしている相手をわざわざ獲物に選ぶというのは不合理な気がする。
「……わかりました、しかし路地に入るのは無しでお願いします」
「はいはい、じゃあ付いといで」
通りを行くリンランの背中を追う。歩幅はだいぶ違う筈だが、不思議と歩くペースは変わらない。ヘルバニアンというのは、すばしっこい種族らしい。
そのまま塔の方に進むと、広さの増した通りにちらほらと街灯の灯りが見え始めた。オレンジ色の光は、地球の蛍光灯やLEDとは比べ物にならない弱さのはずだが、月明りに慣れた目には随分と明るくみえる。道にはときおり馬車が通り、ランタンを持った通行人の姿もある。大分、治安の良い所まで来たようだ。
「ここから東へ向かうよ。探検者地区の中にあるんだ」
「探検者?」
「知らないかい? 東のベスティア大陸に行き、人の住めそうな土地の情報や、未知の植物や動物、果ては前時代の遺物まで。いろんなものを持ち帰るんだ。今この街が一番力を入れている事業さ」
「……危険そうな仕事ですね」
「まあね。でもなりたがる奴は多いよ。で、当然ベスティアに近い東側にそう言う奴は集まる。それで探検者地区ってわけさ。君、異界人でしょ? 多いよ、なってる奴」
「……なぜ、そうだと?」
「襟からちょっと見えてる。異界人の刻印がね。おっと、心配しなくても異界人だからって差別はしないよ、あたしはね」
一応隠してはいたのだが、さっきの戦闘でずれてしまったのだろうか。服を少し整えて、そのまま島の東側を目指すと、やがて集合住宅や飲食店らしい建物が高い密度で集まる区域に入った。赤い月が天頂から傾き、代わりに青い月がそこに収まった頃、リンランは表通りから狭い街路に入り、三階建ての家の前で足を止め、その木の扉をノックした。
「おーい、開けて~」
そのまましばらく待っていると、扉は開き、燭台を片手に持ち、寝るときに被る緩い帽子を被った中年女性が一人姿を現す。
「なんだい、リンラン。あんたはいっつも突然だねえ……こいつは?」
「まあまあ。とりあえず入れてよサンドラ。大丈夫、問題ないから」
「ふん……まあ、入んな」
建物の中に入る二人。腰の鉈をしっかり手で確認してから、それに続く。家の中はごく普通の民家という印象だった。短い廊下の右手に広い食堂兼台所、左手には煙突のついたストーブがある客間。壁には飾り皿や、小さな額縁が飾られていた。
その客間のテーブルにつき、サンドラと呼ばれた中年女性はこちらを品定めする目で見て来る。蝋燭の灯りのせいか影が強調され、その皺はより深く見えた。
「……で?」
「日陰地区で追いはぎにあってて……」
「何? まさか助けたのかい?」
「いや、返り討ちにするとこだった」
「ほーう……で、若いの。名前は?」
「そういや、あたしも聞いてなかったね。君、名前なんていうの?」
リンランとこの女性は随分親しい関係のようだ。だからこそ、自分の様な素性のしれない相手を連れてきても入れてくれたのだろうが。
いずれにしても、ここまで来たからにはもう罠と疑ってかかるより、渡りに船と考えた方がよさそうだ。ここがいくらで泊めてくれるのかはわからないが、ひとまずは名前を名乗る。
「イチロー、です」
「まあ、そういうわけでさ、このイチロー行く所がないらしいんだよ。ちょっと置いてやってくれない?」
「うちに家事手伝いは要らないよ」
「仕事は今探している所ですが……その前に、出来るだけ安く泊まれるところを探していて……」
「ふん……」
小じわと三角気味の目のせいか、サンドラにあまり親切という印象は無い。しかし、目を閉じ肘をついた右手の指先でこめかみを叩く姿は、おそらく条件を考えている所だろう。待つ事しばし……やがて彼女は目と口を開いた。
「90日金貨1枚。設備は使っていいが、掃除も自分達でやること。食事は朝だけ。この条件でなら貸してやる。どうするね?」
「金貨1枚……」
まだ物件の相場を完全に調べたわけではないが、普通の宿なら10日も泊まれば金貨一枚取られる。そこから考えるとかなり割安に思えるが、それでも今の自分の手持ちでは足らない。
「まず30日分支払う、というのは可能ですか?」
「はあ?」
「君……まさか金貨1枚も持ってないの?」
二人とも予想外という様子だが、無い物は無いのだから仕方ない。
「……30日で銀貨20枚。残りを払えなきゃ、そこまでで出ていってもらうよ」
「では、それでお願いします」
「いや~……まさかそこまで財布が軽いとは」
「リンラン、あんたの見る目も鈍ったんじゃないかい? 部屋はこっちだ、付いてきな」
サンドラは立ち上がり、短い廊下の奥にある扉を抜けた。その先は中庭になっていて、この建物がL字型をしていることがわかる。四角い敷地の中に、今までいた棟と直角に、二階建てになった外廊下の棟があり、そこに同じ形をした扉が並んでいる。そのうちの一つ、一階の端から二番目をサンドラは開いた。
扉の中は窓が一つ、ベッドが一つだけの小さな部屋。広さは精々3畳程度。安いには安いなりの理由という物があるようだ。
「ほら、鍵だよ」
錆の浮き始めた鉄の鍵。それを受取ろうとすると、ひっこめられる。
「……銀貨、20枚です」
銀貨と引き換えに鍵を渡すと、サンドラは元の棟に戻っていった。窓の鎧戸と扉の鍵がきちんとかかることを確かめ、荷物を置く。ベッドは藁にシーツを被せただけだが、床よりはずっとましだ。
「(考えてみれば、ベッドを使うのは生まれて初めてか……思ったより、大した物でもないな)」
お世辞にも良い感触とは言えない藁に体を沈め、毛布をかける。
「(ひとまず30日はこの部屋を使える。朝食は出るってのが良いな……さすがにおかわりは無理だろうけど……)」
「(10日……せめて15日以内にアルフィリアを見つけて、後は日雇いで何とかすれば、残りは払える……か?)」
「(けど、そこまでやって、ようやく現状維持……帰る方法を探す余裕は……)」
一先ずの安堵と、不透明な先行き。しかしそれよりも体の疲れが勝っていた。大して考え事をする間もなく、意識は闇の中に溶けていった。




