一章の1 出会い
馬車から外に出ると、倒れた兵士二人が目に入った。両方とも、頭に開いたコイン大の穴から血を流している。弓を持ち覆面で顔を隠した数人の集団が、彼らの剣や鎖帷子を奪い取っていた。その姿を一目見た印象は、強盗団としか言いようがない。ひとまずこちらに手荒なことをするつもりはないようだが、彼らが兵士の言っていた「賊」なのだろうか。
「あ、あの……あなた、たちは?」
「強盗だ。お前らをかっさらって売り飛ばしに来た……冗談だよ。ほら、手出せ」
ピッケルのようなものを持った賊の一人、おそらくこの兵士たちを倒した人物は、あまり笑えない冗談を返してきた。考えを見透かされたような気がして、どこかばつが悪い思いをしながらも枷を嵌められている両手を出すと、覆面は鍵を外してくれた。三日ぶりに手足が解放され、伸ばしたり回したりすれば、小気味良い音が鳴る。
一先ずの自由を得たが、周りは針葉樹の森で、先を見通せるのはせいぜい幅4~5mほどの舗装もされていない道だけ。文字通り、先行きが見えない状態だった。山を切り開いて作ったのか道は曲がりくねっており、馬車の右から左にかけて急な下り坂になっていて、下には崖と川が見える。覆面達は、右側から高さを活かして弓を射ったのだろう。御者台周辺には何本も矢が突き刺さっていた。
そうして周りを見ている間に、他の奴隷たちも出てきて錠を外してもらっていた。安堵する者も居れば、覆面たちに疑いの目を向ける者も居る。自分はどちらかといえば後者だった。そんなこちらの心情を知ってか知らずか、覆面の一人……荷台を覗き込み、自分たちの錠を外したその男は、覆面をずらしてみせる。その下からは金髪碧眼で彫りの深い、典型的な白人の青年といった顔が現れた。
「驚かせて悪かった……俺はアドルフ・ヴァルツェル! 『異界人解放戦線』のリーダーだ! お前たちを助けに来た!」
「助けに来た!? 俺たち、助かるのか!?」
「いや、まてよ! 『異界人』ってのはなんだ!? そもそも、ここはどこだ!?」
「お前だって、この兵士と同じ種族に見えるぞ!」
口々にぶつけられる疑問。アドルフはそれを手で制する。十秒か、二十秒か……再び奴隷たちがざわつき始めたとき、再びアドルフは口を開いた。
「おそらく全員、うすうす気づいているだろうと思うが……今俺たちがいるこの世界は、お前たちが元居た世界とは、まったく別の場所。つまり異世界だ」
異世界。確かにこの状況を説明するには、夢以外ならそれが一番しっくりくる。とはいえ、それに納得が行くかどうかは別問題ではあったが。
「受け入れがたい事実だろうとは思うが、俺たちは自分の世界からこっちに呼び寄せられ、そして……奴隷として使い潰されている。俺たちはそれに甘んじることなく、脱走し、そして戦うことを決めた集団だ」
「俺たちにも、それに入れって言うのか?」
「無理強いはしない。だが少なくとも、奴隷になるよりはマシだ。腕っぷしに自信がなくても心配しなくていい。戦う以外にもやれることはある。畑を耕したり……何か専門知識があるならそれも歓迎だ」
アドルフは友好的な口ぶりだ。しかし言っていることは、要するにゲリラ組織……あるいは強盗団である彼らに協力しろということ。この「異世界」がどんな社会かは解らないが、仮に地球の……鎖帷子を着ていたような時代と同じようなものだとすると、人権なんてものがあるとは思えない。捕まればその場で死刑だろう。
「ま、まあ……野良仕事なら、慣れたもんだが……」
「お、良いじゃないか! 食い物はなにより大事だからな!」
「俺は、木こりだが……」
「資材はいくらあっても困らん! 歓迎だ!」
「俺は……浮浪者だった。自慢できるものなんてなにもねえよ」
「そうか……だが生まれ変わる時だ。人生に意義を取り戻そう!」
覆面達も、何のかんのとこちらを持ち上げようとしているようだ。他の奴隷たちも、少しずつ乗り気になっているように見える。しかし、自分はといえば、なんとなく嫌な感じを受けていた。
「(こういうのって、何かで見たぞ……そう……怪しいセミナーみたいな……)」
「どうした、浮かない顔だな?」
「え、えっと、アドルフさん、でしたね……不可解なことが多すぎて……」
「ほう、例えば?」
「(流石に、なんとなく嫌な感じと言うわけにはいかないか)……異世界なのに日本語が通じているし、
見た感じ、人間含めて、動植物も地球と似通ってますし……」
「日本語? そうかお前も地球人か! 俺はドイツ人なんだ、同郷の奴に逢ったのは久しぶりだ!」
「ドイツ人……ですか。どうしてこっちに?」
「俺は……まあ、身の上話は今度にしよう。お前の疑問についてだが、この世界は地球と似た環境みたいだ。酸素もあるし、重力は約1G。だから、生物も同じような進化をしたんだろうな……逆に、まったく違う環境だったら、下手すればこっちに来た瞬間、呼吸ができなくて絶命……なんて事もありえたはずだ」
「それは……運が良かったのか、悪かったのか……」
「少なくとも生きてるんだ、最悪じゃない。で、言葉だが……俺にはお前が流ちょうなドイツ語で話しているように聞こえる。映画の吹き替えみたいにな」
「え? でも……」
「端的に言うと、この世界には魔法がある。ほら、これを見ろ」
アドルフは、服の後ろ襟をずらして、うなじを見せる。そこには入れ墨のような物……長い部分が7~8cmほどの楕円形、内側には奇妙な図形が刻まれている。
「魔法の入れ墨……みたいなものらしい。異界人には必ずこれが入ってる。これのおかげで、会話が翻訳されてるらしい。詳しいことは不明だがな」
「随分と、都合が良い話に聞こえます」
「不思議な話じゃない。何のコミュニケーションもとる当てがないのに、他所の世界から知的生命体を呼び寄せても仕方ないだろう?」
「(筋は通ってる……かな。確かめる方法は無いけど。それに、機嫌を損ねてこんな森の中に置いていかれても困るし……やっぱりここはついていくしか……)」
「アドルフ! まずい!」
少し思案していると、周囲を見張っていた覆面の一人が叫んだ。彼の指さす方向、馬車が向かっていた道から一頭の馬が駆けてくるのが見える。鞍には人が乗っていて、その輪郭はどこか角張っており……夕日が眩しく反射した。
「(金属……鎧?)」
「あれは……魔法騎士だ! 森に逃げるぞ! お前たち、走れ!」
アドルフは叫ぶと同時に走り出して斜面を登り、他の覆面もそれに続く。突然のことに面食らいながらも、自分も彼らを追いかけようとしたが、目の前で何かが炸裂した。熱も風も伴わない純粋な運動エネルギー、そんな何かによって体が吹き飛ばされ、視界がスローモーションになる。同じように吹き飛ぶ奴隷、粉砕される馬車、弓矢を構える覆面達、長い剣を抜く全身を板金鎧で覆った騎士、それが順番に見え……体が、斜面に投げ出された。視界が文字通り二転三転し、全身が打ち付けられる。何秒間転がったのか、浮遊感、その直後に全身に強い衝撃を感じ、そこで意識が途絶えた。
目が覚めたとき、すでに辺りは暗くなっていた。自分はどこかの河原に流れ着いたらしく、下半身が流れる水に浸かっていた。体の下に馬車の車輪があり、そのおかげで溺れずに済んだようだ。立ち上がろうとすると全身に鋭い痛みが走り、四つん這いで何とか水から出て、再び突っ伏した。視界の左半分は地面、右半分は暗い森が見えている。他には何もない。嫌な想像が、次々と浮かんでいく。
「(痛った……動け、な……)」
「(このまま、動物に食われたり……? それとも、飢え死に……? 死んだら元の世界に戻ったり……しないか……)」
「(こっちで死んだら、行方不明、ってことになるのかな……)」
「(……嫌だ……なんでこんな目に……自分が一体何したって言うんだ……)」
「(魔法とか、ファンタジーとか、嫌いじゃなかったけど……自分でなんて……)」
「(……帰りたい……)」
どの位そうしていただろうか。草と葉を踏みしめ、小枝をかき分ける音が聞こえた。それは、だんだんこちらに近づいてくるように感じる。音が間近から聞こえ、そして目の前に、一足の靴が現れた。
「うわ」
硝子でできた鈴が鳴るような、若い女性の声……ブーツを履いた両足が一瞬立ち止まり、そしてこちらに近づいてくる。彼女は屈んで小石を拾い……こちらに投げてきた。
「いた……っ」
「あ、生きてたか」
ひどく雑な生死確認ではあったが、今の自分にとっては天からの助けに思えた。何とか体を反転させて仰向けになり、彼女の姿を見る。
白い、膝まであるフード付きの外套に細いズボン。小さな肩掛け鞄以外に荷物は持っていないように見える。表情はフードの陰に隠れて見えない。
「た、すけ……」
「……この粗末な格好、最下級の労役奴隷ね。しかも異界人。そんな奴助けて、私に何の得があるの」
「……人助けだと、思って……」
「別に冷たい人間のつもりはないけど、見ず知らずの人間を見返りもなしに助けるほど、ヒマじゃないし」
言い分はもっともだった。明らかにトラブルのもとになるであろう、特に何も持ってない見ず知らずの人間。それを助けるような人なんてそう居るはずがない。腕組みをしたまま彼女は続けた。
「大方、北の炭鉱辺りから逃げ出したって所? 自分の策が甘かったと思って……」
「逃げたんじゃ……馬車が、襲われて……」
「襲われた? 誰に……まさか、最近聞く『異界人解放戦線』とか?」
「そう……それで、追いかけてきた、騎士が……」
「騎士まで!? ってことは……近々山狩り!? こうしちゃいられない……!」
「まっ……」
彼女は踵を返し、どこかへ立ち去ろうとする。引き留めようにも、そのための材料は何も持っていない。このまま野垂れ死にするのかと、諦めかけたが……彼女はその足を止めて、こちらに振り向いた。
「……あんた、このままだとまず間違いなく死ぬけど。助けてほしい?」
心変わりか、気まぐれか、他の意図があるのか……とにかくこちらを助けようかという気が少し出てきてくれたらしい。今は、ただそれに縋りつくしかなかった。
「欲しい……です……」
「助けてやったら、私のいうことなんでも聞く?」
「聞き、ます……」
「死ねって言われたら死ぬ?」
「……死ぬのは……嫌です……」
「そこは死ぬって言いなさいよ。ま、嘘はつかないやつみたいね」
彼女はこちらに戻ってきて、傍らにかがみこんだ。その表情はフードで見えないが、見捨てるならそのまま立ち去るはずだ。つまり……
「助けて、くれるんですか……」
「この恩は忘れません、とかじゃ済まさないわよ。少しじっとしてなさい」
お世辞にも、優しいとは言えない口調ではあった。しかしそれでも、今の自分にとっては窮地に差し伸べられた救いの手に他ならなかった。彼女が右手の人差し指を立て、こちらの胸元に当てると、その指先が青く光り出す……より正確に言うと、光を放つ何かがその指先から滲み出るというか、どこからともなく表れてまとわりついている、という様子だ。
「それ、は……?」
「魔法よ。見たことな……異界人なら当たり前か」
指先が動くと、光はその場に残り線になる。まるで空中に書けるペンのようだ。その光で円を描き、その内側に線や図形らしいものを書き込んでいく。そして魔法陣のような物を書き終えると、その中央に掌を添えた。魔法陣から無数の光の粒子が綿毛のように体に降りかかり、同時に自分の体に異変が起きた。
「あ、いたっ、いたたっ!?」
例えるなら、長時間正座をして立ち上がったときの、痺れた感覚。それが全身くまなく襲い掛かってくるような、何とも言えない不快感。苦痛と言うほどではないが、それでも声を上げてしまうような、ある種の耐え難さがあった。
「大人が情けない声出すな。もうしばらく続くからね」
一分ほどの時間その不快感が続くと魔法陣が消え、同時に全身の痛みも消えていた。体を起こし、立ち上がっても何ともない。
「どうやら、もう大丈夫ね」
「あ、ありがとうございます……」
「それじゃあ、今度はそっちが約束を果たす番よ。ついてきなさい」
改めて、助けてくれたその女性を見る。寝そべっていたので良く解らなかったが、背は意外と低く、自分の肩より低い程度しかない。こんな森の中を一人で居るのだから、当然大人だと思っていたが、どうも自分とさほど変わらないか、少し下のように見える。その彼女はと言うと、こちらの視線を意にも介さず、背を向けてさっさと歩きだしてしまった。置いていかれてはたまらないと、こちらもそれに続く。
一応はこちらを気遣ってくれているのか、時折振り向きながら彼女は進む。しばらくの間、踏みしめられた枝と木の葉でできた道を行くと、小さな空き地に建てられた小屋が目に入った。丸木で作られた、いわゆるログハウスだが、テラスだったであろう所は朽ちて廃材となっており、外開きの窓は枠が外れ、内側から板を打ち付けられていた。そのボロ家、むしろ廃屋と言った方が近いかもしれないそれに、二人で入る。真っ暗で埃だらけかと思いきや、中の空気に廃屋特有の埃っぽさは無い。先に入った彼女は、竈らしきところに残った火で2,3本の蝋燭に明かりをつけ、それを小屋の中にある燭台へ立てていく。複数の明かりで照らし出された室内は、一言で表すなら『魔女の家』という印象を受ける物だった。
種類ごとに束になって並べられた、薬草か何かと思わしい乾燥植物。怪しげな液体の入った、色形が異なる瓶がいくつも。円と線と文字からなる複雑な紋様の刻まれたテーブル、光を反射して輝く色とりどりの粉末、本棚に並ぶ分厚く古そうな書物……それらおどろおどろしさを感じる物品に混じり、姿見や櫛、花柄のティーポットなど、そこかしこに少女の一人暮らしを思わせるものが散見された。
だが、それらを差し置いて最もこちらの目をひきつけたのは……この家の主、自分を助けたその人だった。
「ふう……」
一息ついてフードを脱ぐと、その中から青灰色の髪が現れ、まるで清流のようにさらりと背中に流れる。
「さて」
振り向いたその顔立ちは、大理石から削りだされたかのごとく白く整っており、大粒のエメラルドのような深い緑色をした双眸がこちらを捉える。淡い桃色をした薄めの唇、細筆で引いたような眉、そして華奢な体とあわさって、まるで脆い細工物のような印象を受ける外見だった。
「じゃあ……あんた私の奴隷ってことで」
だがそんな外見の印象は、友人の弱みを握った子供のような少し意地悪い笑み、当然のように言い放たれる奴隷という言葉、両手を腰に当てた堂々たる態度の前に掻き消えることになる……厳密に言えば、ここに来る前の言動ですでに消えていたようにも思うが。
「奴隷……ですか」
「そ! 私の行く所どこにでもついてきて、不平不満を言わず、力仕事やら荷物持ちやら、とにかく何でもするの。わかった?」
「は、はい……」
「よろしい」
「(嫌だと言ったらこの森の中に放り出されるだろうし……)」
「じゃあ、初仕事よ。裏に菜園があるから。これで穴を掘って。できるだけ大きく深く。植えてあるものは気にしなくていいから」
彼女は壁に掛けてあった大きめのシャベルをこちらに手渡すと、小屋の中にある物品をテーブルの上に並べ、何やら考えながら唸り始めた。
「これは必須……これも、要るか。これは諦めるとして、こっちは……うーん……」
邪魔をしても何なので、ひとまず外から裏手に回ると小さな菜園が小屋から洩れる明かりに照らされていた。言われた通りそこに穴を掘り、自分が埋められる程度の大きさになったころ、彼女が一抱えもある木箱を持ってきて、それを埋めるように言ってきた。
「これは?」
「あんたには関係ない物よ」
穴の中に木箱を三つ、四つと積み、土をかぶせて元の菜園のように戻す。これで初仕事は終了、ということだろうか。
「……あの」
「明日にはここを離れるわ……それで」
「それで……?」
「あんた、名前なんていうの?」
「い、一郎です。春日一郎」
「イチロー? 変な名前ね。私はアルフィリア……でも、そうね。せっかくだし、ご主人様って呼ぶように」
「は、はあ……」
「わかった?」
「はい……ご主人様」
「よし、んじゃ今日は寝るわよ。あんたは床ね」
アルフィリアは小屋に戻り、蝋燭の灯を消すと片隅にあるベッドに早々に潜り込んでしまった。薪を追加された竈の明かりで照らされた小屋の中は、色々なものが無くなっていて、床に横になる程度のスペースはできていた。そこに寝て、今日の事を思い返す。
「(解放戦線、魔法騎士……それから魔法を使える少女……か)」
あのまま馬車で行けば、間違いなく奴隷としてどこかで重労働をさせられていただろう。なので、そこから助け出されたことは運が良かったと言える。しかし、ドイツ人だというあのアドルフと名乗った男。できれば彼とはもっとしっかりと話をしたかった。信用すべきかどうかは別として、この世界の事を色々と知っていそうだったし、何よりも地球人だったのだから。
魔法騎士。あれに捕まるのは一番まずかっただろう。騎士と言うからには体制派、つまり奴隷を使う側の人間のはずだ。
アルフィリア。彼女の事はまだ良く解らない。確かに助けてもらいはしたが、必ずしも善人であるとは言い切れない。彼女は山狩りを恐れているようだったし、持ち物を埋めて隠したりするその様は、何か見つかってはいけない理由を持っているように思える。とはいえ、当分の間……少なくともこの世界の事を学んで、自分で判断を下して行動を決められるようになるまでは、彼女に従うことになりそうだ。
「(この世界……そう、異世界、なんだな……やっぱり)」
異世界。変な格好の人間のみならず、魔法を自分の身で体感してしまった以上は、それを認めざるを得ない。なぜ自分がここへ来てしまったのかはさっぱりわからないが、とにかくここは地球ではない、別の世界なのだ。
ここが異世界であるということを認めた上で、考えなければいけないのは、これからどうするか、だ。もちろん、元の世界に帰ることを目指さないといけない。自分はおそらく、社会にとっては居ても居なくても変わらない、どうでもいい人間だろう。しかしそれでも、たった一人の母親が居る。家に、帰らないといけない。
「(どうしたら帰れる……? やっぱり、『魔法』が一番怪しい、かな……それに、この世界の事も聞きださないと……)」
いろいろ聞きたいこともあるが、それはおいおい尋ねる事にして、目を閉じた。少なくとも、他人と肩が触れ合うほど狭い荷台の中で座って寝るよりは、よく眠れそうではあった。