三章の3 異世界でも就活は甘くなく
「……一体、何のつもりですか」
「そんなあからさまに敵視しないでよ。ほら、あんたの荷物。ひとまず着替えたら?」
木箱の上に、自分が持ち歩いていたリュックが置かれた。中身を改めてみれば、保存食などの旅行用具を除いて、無くなったものは無い。服もあったので、箱の陰に隠れてそれに袖を通す。
再び、緑ベースのその服をまとい、鉈と弩……は物騒なのでリュックの中。ポーチを身に着けると焼き印の部分に擦れ、痛みが走る。
「それじゃ……アルチョム、これに署名して」
「あいよ。えーと、道中の護衛料として、奴隷1人引き渡します……と、ほら、これでいいか?」
「うん、いいわ。悪いわね、手を取らせて」
「なぁに、これくらいお安い御用さ! おっと、これはあまりの金貨10枚だ。それじゃ元気でな、二人とも! さあミーリャ、何か土産でも買って帰ろう!」
アルフィリアの取り出した一枚の書類にアルチョムはサインすると、手を振ってミーリャと一緒に市場の方へと戻っていった。後に残ったのは、自分とアルフィリア二人。
「で、どう? 何か酷いこととかされた?」
「……たった今、焼き印をされてきました」
「え、あ~……そりゃ、痛かったでしょうね。ちょっと見せて……」
近づく彼女だが、それに合わせるように足が下がった。こちらに伸びようとしていた手が所在なさげに漂い、その顔が少し俯く。
「……わかったわかった、ちゃんと説明するから。でもその前に手当はしないと、痛いままでしょ?」
子供をあやすような口調になるアルフィリア、まるでこちらが駄々をこねているかのような扱いだが、文字通り売られたのだから慎重にもなる。
とはいえ、痛みこそないものの、背中に重い火傷を負っているのは確か。そこから感染症にでもなったらたまらない。不信感を堪えて、服をまくり傷口を見せた。アルフィリアはそこに薬を塗りながら、話を続ける。
「そもそも、あんたの立場って逃亡奴隷のまま。ここは事実上独立してるとは言え、名目上はただの一都市。見つかったら面倒なことになりかねない。だから、いったん手放して『テルミナスの奴隷』ってことにしたのよ」
「……いわば、立場のリセットである、と?」
「飲み込みが早いじゃない。で、私が道中の護衛報酬って形で、そのアルチョムの資産を受け取る。これであんたは正式に私の奴隷だし、私はこの街の住人。つまりあんたは自由にここで出歩けるってわけ」
「そういう計画であったのなら、なぜ事前に話をしておいてくれなかったのですか」
「売られた時、変に落ち着いてたらばれるかもしれないでしょ。もしばれたら、値段を際限なく吊り上げられて終わりよ。一人サクラを仕込んでおけばいいんだから……あんた、演技力に自信あるの?」
「……ありません」
「でしょ? はい、手当終わり」
痛みが治まり、改めてアルフィリアと向き合う。今の話、一応の筋は通っているように思えた。多少の疑問をさしはさむ余地はあるが、少なくともほぼ無事にこの場にいる以上、あまり文句が言える立場でもない。
「それじゃ……あんたとはここで別れるわ」
「……このやり取り、前にもしましたよ」
「今回は事情が違うの。あんたを買い戻すので財布は空っぽ、自分の面倒見るだけで精いっぱい。あんたの食費や宿代まで出してやれない」
「そ、そうなんですか……」
流石に事情が事情だけに、これにどうこう言えない。そもそも、いつまでも彼女に衣食住を頼るわけには行かないのだから、目的地に到着した今が、頃合いと言うものなのだろう。
「ま、この街に居るんならどこかで会うこともあるでしょ」
「ええ……短い間でしたが、お世話になりました」
「言っておくけど、入市税とあんたを落札するのにかかった差額、金貨67と銀貨23枚、あんたへの貸しにしておくからね。ちゃんと働いて返しなさいよ」
「え、ええ……」
「あとはこれ。街門出入りするのに必要になるから、無くさないようにね。それじゃ、月並みだけど、精々頑張んなさい」
アルフィリアは一枚の紙を押し付けると、背を向けて、市場の中へと去っていく。中身を見たところ、用事、街の外に出す……と言う単語が読み取れた。奴隷を出入りさせるための許可証、のような物だろう。無くさないよう、荷物の中にしまい込む。
いきなり多額の負債を背負わされたが、まさか彼女もそれだけの額をすぐ稼いでこれるとは思っていないだろう。出世払いか、あるいはそもそも帰ってくることを期待していないか、だ。
「(まずは……街を見て回って宿を探すところから、か)」
この街の事は何もわかっていない。金を返すにしても、まずは日々の生活ができなければそれもままならない。路地を出て市場の喧騒を後にし、第一歩として、この街、テルミナスを歩き回ることに決めた。
表通りらしきところに出ると、石やレンガでできた3~4階建ての建物が並び、大勢の人や馬車が石畳を行き交う。地面にはゴミ一つない、とまでは行かないものの、不快感を覚えない程度には掃除されている。
「(どこぞのテーマパークにでも入り込んだら、こんな光景なのかな……)」
多少くだらない考えを浮かべながらもしばらくの間歩き回り、その結果わかったことは、まずこの街は物価が高い。通りにあるような宿で泊まろうとすれば一泊で銀貨数枚はとられる。今の手持ちは銀貨30枚、気軽に宿を利用することはできそうになかった。
「(何をさておいても、まずは仕事探し……けど読み書きが不完全だから事務系は無理。となると肉体労働系か……)」
店を出している人に聞いて回り、南の方には湾と港があるらしいことを知った。そこなら荷運びなどの仕事がある可能性は高いと踏み、そちらに向かうことにした。
南側に進むにつれて、建物の色は明るい色が多くなり、3階、4階建てが普通だった建物も2階建て程度まで下がり、広くなった空から日光が入ることで、街の雰囲気が全体的に明るくなっていく。
「(旅行のパンフレットなんかで、こんなの見たな……ギリシャか南イタリア、って感じか……?)」
建物の壁には芝居か何かのポスターが張られ、道を行き交う人は大人も子供も楽しげな雰囲気を漂わせている。生活のための地域ではなく、娯楽のための地域……つまり自分には縁遠い場所ということだ。
「(さっさと抜けるか……どうせ仕事なんてあっても接客だろうし)」
細かい常識を知らないまま接客をやるほど、対人能力が優れているつもりはない。こんな所で買い物をするはずもなく、目前にある湾に向けて、坂と階段を下りていった。
湾の周囲は港と、それに付随するレンガの倉庫群になっており、そこに居る人種は船に乗り降りする乗客と、荷を積み下ろしする労働者の二種類にはっきり分かれていた。桟橋に着いた、何本ものマストを持った帆船から降りる意気揚々とした乗客を尻目に、シャツとズボン一枚で作業をしている労働者たちの方へ向かう。
「なんだ? こっちは港湾関係者以外立ち入り禁止だ!」
真っ先にこちらに気が付いたのは、現場監督か何からしい赤い帽子をかぶった髭面の男。がっしりした体つきと日焼けした肌は、いかにも海の男と言った容貌……船乗りではないから正確に言えば違うのかもしれないが。彼の大声に負けないよう、こちらも声を張る。
「こちらで、仕事はありませんか? 荷運びとか、そういうので!」
「なに? 職探しか!? じゃあ、あっちの事務所に行け!」
指さされた方には、倉庫の合間に挟まるようにして小さな建物があった。赤帽の人に礼を言って、そちらに向かってみる。クレーンで船から降ろされ、あるいは台車で、あるいは直接人が担いで運ばれる荷物の間を抜け、周りの倉庫と同じ、レンガの建物に入る。
天窓から光が差し込む室内には机が並べられ、10人ほどの人間が、事務作業に従事していた。見慣れぬ侵入者に、一斉に視線が向けられる。
「すいません……仕事を探しているのですが、こちらで何かないでしょうか? 体を使う物で……」
「何かと思えば、職探しか。ふん……若いし、見たところ健康だが……少し線が細いな」
その一番奥に居た、壮年の男性……恐らくここの責任者が立ち上がり、こちらを間近でつま先から頭までつぶさに観察してくる。
「まあ、良いだろう。市民証明は持ってきているんだろうな?」
「市民、証明……?」
「何? さてはお前テルミナスに来たばかりだな? この街でまともに働こうと思ったら、税金払って市民として認められなきゃいけねえんだ。入市の時に聞かなかったのか?」
「(確かに言ってたけれど……ここまで厳密にされてるとは……)」
「まあ、無いんなら貰ってくるんだな。中央区の市庁舎に行けばすぐ出してもらえる。市民なら、な」
「わ、わかりました……」
最後の一言は含みのある言い方だった。それに嫌な予感を感じつつも、文字通り島の中央……巨大な塔の下にあるという中央区へ向かう。道を聞きながら港から公園や店の間を抜け、何やら豪華な屋敷の建ち並ぶ地区を抜けて、太陽が少し傾きだしたころ、ようやく塔の根元あたりまでたどり着いた。
石畳の通りが何本もつながる広場に、大きな噴水。周りの建物も正面が開け放たれており、不特定多数を入れることが前提になっているように見える。ここまで目印にしてきた巨塔は、濡れたコンクリートの様な色と相まって、地球の高層ビルのようにも見えた。窓がないことを除けば、だが。
「(このあたりにあるはず……どれだ?)」
「そこのお兄さん! お昼はもう食べたかい? まだならうちのフライがお勧めだよ! 芋と、今日は活きの良い海老だ、尻尾まで食べられるよ!」
「ああ……ええと」
辺りを見回していたら、屋台から陽気な男の声がかけられた。確かにもう昼過ぎ、今日は何も食べていない。見たところフライドポテトとエビフライのセットと言った物のようだが……気になるのは値段。
「美味いよ? 一つ銀貨1枚!」
高い。所持金の3%を一食に使うわけには行かない。
「……芋だけで、安く売ってもらえませんか?」
「おいおいおい、兄さん。ここじゃ魚より芋の方が高いんだぜ? なんせ全部税金が乗っかってるからな! さては、この街に来たばっかりだな?」
「ええ……今朝、街に来たばかりです」
「やっぱりな! いやあ思い出すね、俺もあんたみたいに右も左もわからないまま、しゃにむに働いたもんさ。よーし、若いあんたの未来に投資ってことで、銅貨5枚に負けといてやる!」
「はあ……それなら、一つ買います。それから、市庁舎はどの建物かわかりますか?」
「毎度! それから市庁舎は、あの噴水の後ろの建物だ。これから住民登録か? 金持ちになってもうちの屋台に来てくれよな!」
妙にテンションが高い揚げ物屋台から少し離れ、中をくりぬいたパンを容器代わりにしたフライを口に運ぶ。味付けは塩だけのようだが、それなりに腹には溜まった。そして、噴水を回り込み、薄いクリーム色をした3階立ての四角い建物……市庁舎へと足を向ける。静かな建物の中では書類仕事の音が響き、時折番号を呼び出す声がして、いかにもお役所という雰囲気だった。とりあえず、手近のカウンターで住民証明とやらをもらうにはどうしたらいいか聞くことにしたのだが……
「まず住民税として金貨20枚を収めて頂きます」
予想はしていたが、その一言で追い返されてしまった。奴隷の自分が市民になれるのかどうかはさておくとして、金貨20枚、銀貨にすると1000枚という大金。そう簡単に稼げる額ではない。
「(そもそも、働いて収入を得るために市民になるのに、その時点でまとまった金が必要って……つまり、ある程度余裕のないやつはお断り、ってことか……)」
「(かなり徹底しているみたいだし、市内で働くのは難しいか……? 泥棒や強盗ってわけにも行かないし……となると……)」
市庁舎周辺は街を一望できる高台になっていて、目指すべき方向はすぐにわかる。市内でダメなら市外。橋の前にあった小さな町でなら、証明は不要な可能性はある。それを確かめるべく、市庁舎から西、来るときにもくぐった街門へと向かうことにした。
「(……戸籍ってありがたい物だったんだな……)」
異世界の不便さを痛感しながらも、足を動かす。一先ず手に入れた自由ではあったが、その代償は相応に重い物として、伸し掛かっていた……




