三章の2 買うもの、買われるもの
気が付くと、石でできた狭い独房の中に居た。アルチョムが捕らわれていたのよりもさらに狭く、ギリギリ横になれるかどうか程度しかない。壁や床の石はデコボコしていて、入り口の橋に比べて随分と雑な印象を受けるものだった。唯一の窓からは日の光が差しているが、当然のように鉄格子がはめられている。窓の反対側には、古いが痛んだ様子もない木の扉。その下に、掃除の行き届いていない公衆トイレの臭いをさらに濃縮したような悪臭を発している汚い桶と、こちらに来た時着せられていたような、粗末な服が置かれていた。
頭がふらつくのをこらえて立ち上がると、自分が身ぐるみ剥がれていることに気づく。壁や床はお世辞にも清潔とは言い難く、気が進まないがその置かれた粗末な服を着ることにした。ザラザラしたその感触に、馬車で運ばれていたときの事を嫌でも思い出す。
「(結局逆戻り……いや、考えてみれば、ここまで運が良かっただけだったのか……)」
馬車から助け出されたのも、傷を治してもらえたのも、自分が何かをしたからではない。たまたま自分が、その場に居合わせただけ。道中起きた事件も、主体となって解決したのはアルフィリアだった。自分はそれに守られていたに過ぎない。
「(そりゃあ、守るよな……金貨20枚、札束みたいなものだ)」
そもそも、特段高い能力があるでもなく、それどころか各種の常識が欠けていてトラブルの種になりかねない相手を、単なる善意で助けるわけがない。普通に考えればわかることのはずだった。
「(今更気付いても遅すぎるけど……)」
独房の中を見回しても、現状を打破する手段は見つからない。扉を押し引きしても、無駄に疲れるだけだった。鉄格子も同様で、錆が浮いているものの窓自体が小さく、そればかりか、窓の外には石の壁。どうやら自分たちが渡ってきた橋の橋脚部分らしく、下の方から波の音が聞こえてくる。
「(ここは、あの街壁の中? 出られても断崖絶壁か……)」
身長より高い位置にある窓から手を離し、床に降りる。この部屋から脱出する手段はありそうにない。もしその時が来るとすれば、自分が売られる時だろう。
アルフィリアは希望を捨てるなと言っていたが、今の自分の希望はと言えば、せいぜい良い主人に買われることを祈る程度だった。
異世界生活36日目、春の80日。
蒸し暑い独房に入れられて、5日間が経とうとしていた。ただ波の音と窓から差し込む光の色合い、そして日に二度、扉の下にある隙間から差し入れられる食事だけが、独房の中に入ってくる全てだった。
今日もまた、看守の足音が扉の前で立ち止まる。朝の食事が差し入れられるかと思いきや、鍵の音がして、扉が開いた。棍棒を持った看守が、面倒くさそうに一言だけ喋った。
「出ろ」
こちらに行動の選択権などあるはずもなく。木の手枷をはめられて狭い廊下を引っ張られ歩く。廊下は薄暗く、壁のランプが頼りない明かりを灯している。廊下はやがて階段になり、それを上がり切れば、何かの待合室か詰め所のような場所に出た。そこには自分と同じ奴隷服を着た者が、老若男女の区別なく、ざっと20人ほど並ばされており、全員が不安の表情を浮かべている。後ろで扉が閉まって鍵がかけられると、自分たちの前に頭をそり上げ、がっしりした体の男が現れると声を張り上げた。
「よーし、これから貴様らは競りにかけられる! お前たちは犯罪者か、破産者か、元々奴隷か、いずれにせよ屑どもだが……ここで買われたら、ちったあマシな人生になるかもしれん! せいぜい媚びを売って、買われるように祈るんだな!」
場に陰鬱な空気が澱んでいるのを感じる。奴隷生活も、あの牢獄よりはましなのかもしれないが……ふと、あることが気になった。
「もし……誰にも買われなかったら?」
「良い質問だな。ここまで来て、誰にも買われないような奴は……闘技場か娼館送りだ。腕に覚えがあるなら、大金を稼いでのし上がれるチャンスかもしれんぞ?」
少なくとも自分には縁のないコースであることは分かった。となるとやはり買われるしかないのだが、果たして買いたくなる奴隷と言うのはどんな物なのだろうか。
「(就職活動みたいなもんか……? 元気と体力アピール……あと、笑顔? ……いや、笑顔で元気な奴隷は逆に怪しまれるか……?)」
扉の前に三列で並べられ、一人ずつ外へと連れだされる。自分の順番は比較的前のようだ。
「(そもそも競りなんだから、誰か一人でも入札すれば買われるのは確定するのか……なら、下手に高値で買われると後が怖いか……?)」
「……皆で一斉に飛び出して逃げないか? これだけいるんだ、見張りの一人や二人……」
「逃げてどうするの? ここは島なのよ」
「けれど、このまま売られたらどのみちおしまいだ! だったら一か八か……!」
すぐ後ろの方で扇動をする声……その主は自分と同じくらいの男のようだ。視線に気づいたのか、その顔がこちらを向く……雀の頭のような色をした短い髪、なんとなく、学校でクラスのリーダーをやっていそうな印象を受けるのは、この状況でも前向き……悪く言えば向こう見ずなその発言のためだろうか。
「君だって、そう思わないか!? 今なら、僕たちの方が多い! 手枷をされていても、これで殴れば……!」
「……やめた方が良いと思いますよ……ここの警備隊、槍を持っていました。素手じゃどうあがいても勝てません」
「なら、皆で街中に隠れよう! ここは狭くて複雑な街だ、見たところ枷もそんなに頑丈そうじゃない、石か何かで叩いて壊せるはずだ!」
「(付き合うだけ無駄か……)」
仮に脱走が成功するとしたら、まず客や見張りをすり抜け、どこか人気のない場所で音に気付かれないよう枷を壊し、目立つ奴隷服は捨てて、その辺に干してあるものでも盗み、ほとぼりが冷めるまでは仕事もできないから、食べ物などはゴミを漁るか盗むか。それらをすべて、どこに何があるか何も知らない街でやらなければいけない。彼がこの街出身であれば勝手もわかっているだろうが、自分にとってはあまりにリスクが大きく思えた。
結局、初対面の相手がした提案に命を賭けようと言う者は現れず、自分の前に並んでいた人は居なくなった。
「(変に賛成されて、見せしめに全員闘技場、なんてことにはならずに済んだか……)」
「次はお前だ、出ろ」
扉から引き出されると、そこは小学校の体育館を半分に縮めた程度の、粗末な舞台のようになっていた。自分がいるのは木でできたステージの上。上に張られた天幕の間からは、灰色に曇った空が見える。観客席に当たる場所に居るのは、皆一様に綺麗な服装……少なくとも旅や仕事に使うようなものではない、着心地の良さそうな服を着ていた。大勢の、文字通り品定めする視線が一斉に向けられるのは、正直嫌な気分がする。
「えー、それでは次の商品、商品番号7番! 異界人、男、まだ若く病気や怪我も無し! 前の持ち主によると……簡単な物なら読み書きや計算ができて、物覚えも良く、実用的な異界の知識こそありませんが労働力としては問題なし! 金貨30枚から!」
「31!」
「33!」
先ほどの坊主頭の男が司会を務め、競りが始まった。入札があるということは、ひとまず闘技場送りは避けられそうだが……
「闘技場運営委員会様、33枚! さあないか!?」
「(普通に買いにも来てるのか……! どうする……)」
「おおっと、52番の札が40枚をつけた! しかし申し訳ない、当市場では値段の上乗せは、その時点の値段の十分の一までとなっております!」
「36!」
「ラニエリ商会様、36枚! はい、52番様38枚! 闘技場運営委員会様、42枚!」
後ろの方で、数字を描いた札が上がった。声だけでなくああやって入札もできるらしい。いずれにせよ、まだ闘技場の入札は続いている。
「(やるなら、今か……?)」
別の相手の入札があった瞬間、苦しそうな表情を作って、その場にうずくまって見せる。健康状態に問題ありだと思われれば、激しい戦いを見せ物にするであろう場所では欲しいとは思われないはずだ。狙い通り入札の声が止まり、少しざわついた声が聞こえる。
「(これで……)」
「あ~……少々お待ちください」
狙い通りに行ったかと思いきや、坊主頭が司会席を離れて、こちらに耳打ちをする。
「たまにいるんだよな、お前みたいに浅知恵を働かす奴が。いいか? 教えてやる。たとえ落札してもな、入札金額の十分の一を払えば辞退できるんだ」
「え……!? そしたら……」
「次に高いやつに落札権が移る、くく、まあよく考えてみるんだな……えー、失敬! どうやら奴隷が将来のご主人様を見下ろすのは失礼と思ったようですな!」
冗談じみた司会の台詞が場内に笑いを起こした。今落札を辞退されれば次は闘技場運営委員会が最高額、キャンセルされるわけにはいかない。慌てて立ちあがれば、再び入札の声が上がる。
「(何か、意味深な笑い方だったな……入札金額の十分の一……つまり今なら金貨3~4枚。それを……ん? まてよ………辞退するってことはもっと欲しい物が出た時ってことで……)」
例えば予算が金貨100枚だとする。今自分を金貨50枚で落札したとして、その後もっと良い奴隷が出て、60枚で落札したとする。予算が足りないので自分はキャンセル。落札権は金貨40台後半の相手に移る。
だが二番目に高い相手もまた、他の奴隷に金を使ってしまっているはずだ。なぜなら、他の入札者の予算など知りようがないのだから、落札できなかったものを「キャンセルがあるかも」と期待するのは不合理だ。
「(つまり、一度キャンセルされたら二番目以降もキャンセルされる可能性が高い……?)」
「闘技場運営委員会様、47枚! さあ、他ないか!?」
「(また闘技場が……いや、まて!?)」
落札者が居ない場合闘技場送り、そしてさっきの仮定を合わせて考えると、一つの事象が浮かび上がる。つまり、闘技場はこの奴隷取引において圧倒的に有利なのだ。同じ予算100枚でも、十人に100枚を付け、すべてキャンセルすれば、まともに落札するよりずっと安く複数の奴隷が手に入ることになる。他の入札者はそれに対抗しなければいけない。
「(つまり……よっぽど『欲しい』と思われる様な上質な奴隷以外は全部闘技場行き……!)」
「52番様、49枚!」
「(入札されたら安心なんて、とんでもない勘違いだ……! どうすれば……!?)」
「闘技場運営委員会様、50枚! 他ないか!?」
入札の声が止まった。何かアピールをしなければ、終わる。
「(何か……自分を買う利点! 地球の知識で何か……ダメだ! 通用しないって言ってた! 実績? 何もない!)
「他ないか!? では……」
何も浮かばない。自分は特別でも何でもないのだから、大金に値するような物など持ち合わせてはいない。出された条件を黙って受け入れるしか、端から許されてはいなかったのだ。競りの終了を告げるハンマーが振り上げられ……
「おおっ! 52番様、55枚!」
「58枚!」
「闘技場運営……いや52番様64枚!」
先ほどから札を上げていた52番が、一気に値段を釣り上げ始めた。その値段は一気に70枚を超え、80枚に達する。
「81枚!」
「闘技場運営委員会様、81枚! さあ……52番様、90枚!」
「(これは、一体……?)」
「90枚! 他ないか!? 他ないか!? ……では、金貨90枚で……落札とします!」
ハンマーが乾いた木の音を立てる。競り落としたのは、52番と呼ばれていた客。後ろの方で、どんな姿なのかはわからない。いずれにせよ闘技場送りは免れたようだ。
「ほら、お前の番は終わりだ、早く来い!」
手枷に着いた鎖を引っ張られ、部隊の脇へと降ろされる。そこには出てきたのとは別の扉があり、その中に押し込まれた。先に引き出された奴隷たちもまた、そこに集められているようだった。
そのまま待つ事しばらく、一人ずつ列に並んでいた奴隷たちがその部屋に入ってきて、最後には全員がそろった。その後も外の舞台では何やら司会が話しているようだが、扉が分厚く聞き取ることはできない。
外の声が静まり、しばらく待っていると入ってきたものとはまた別の扉、廊下に出るらしいものが開き、司会の坊主頭が一人ずつ奴隷を連れ出していく。
「お、俺たち……どうなるんだ?」
「そりゃあ、これから新しい主人に引き渡されるんだろ……」
「で、でも、ちゃんと売れたんだから……娼館じゃないわよね? ね?」
不安を紛らわすかのようにお互い言葉を交わす奴隷たち……それを聞き流していると、自分の番が来た。引き出され廊下を歩く間、坊主頭はニヤ付きながら話しかけてくる。
「驚きだな、まさかお前みたいなのに金貨90もつくとは。よっぽど気にいられたと見える。もしかしたら、愛人にされるかもなあ? んん?」
どうやら、自分は随分と相場より上で買い取られたらしい。一体自分の何がそこまで気に入ったのかはわからないが……もし本当に愛人にでもされるとしたらあまり気持ちのいいものではない。しかし労働用よりはまだ楽に生活できるかもしれないという考えもできた。やがて坊主頭は一つの扉の前で立ち止まり、扉を開ける。その瞬間、何か……焦げたような臭いがした。
部屋の中に引っ張り込まれると、もう夏も近い季節だというのに暖炉に火が焚かれ、そこに金属の棒が突っ込まれていた。そして目だけ出した覆面の男が一人立っている。
「じゃあ、さっさと済ますか。おい」
何をされるのかは察せたが、動揺する間もなく坊主頭はこちらを床に突き倒すと、服の背中をまくる。
「暴れんなよ? 余計に苦しむだけだからな」
体重をかけて抑えられ、身動き一つ取れないまま、覆面が暖炉にくべられていた棒を取り、そしてその先端を体に押し付けてきた。
「う、ぐううう!!」
熱された鉄で皮膚が焼き切られ、部屋の中に漂っていた臭いが一層強く鼻を突く。熱と痛みから逃げようと体が反射するのを坊主頭に押さえつけられ、歯が埋まるのではないかと思うほど食いしばり、数秒が過ぎて痛みが薄れていった。
「よし、こんなもんだろ。それじゃあ新しいご主人様にご対面と行こうか」
焼き印を背中に刻まれ、襟首をつかまれて立ち上がらされ、廊下を半ば引きずられるようにして歩く。まさしく家畜、商品としての扱いで、また別の部屋の前まで連れていかれ、扉の前に立たされる。
「それじゃ、ご対面だ。せいぜい粗相のないようにするんだな」
扉が開かれると、その中は机や椅子が用意された待合室と言った様子の部屋。そしてその椅子に腰かけているのは……ニクシアンの親子連れ、アルチョム親子だった。
「(これは一体……?)」
「お待たせしました。商品番号7番、お間違いないでしょうか?」
「ああ、間違いねえ。それじゃ、この通り金貨90枚だ」
声も同じ、人違いでも何でもない。身なりこそ綺麗になってはいるが、まちがいなくアルチョムだ。彼は机の上に金貨を積み上げる。坊主頭はそれを数え終わると、恭しく頭を下げた。
「確かに。是非またお立ち寄りください。きっとまた、お気に召す品が見つかることでしょう」
「あ~、そうだな。よっし、じゃあ行くぞ、ミーリャ」
「うん……」
手枷が外され、アルチョムに続いて部屋から出る。廊下からさらに扉をくぐれば、そこには市場が広がっていた。人が行き交い、祭りの出店のような物から、布一枚を地面に広げただけの物まで、色々な形で物が売られている。各々が客を呼び込み、客は商品を吟味する。活気溢れるという言葉をそのまま情景にしたかのような光景だった。
人々の合間を縫って移動しながら、事の次第をアルチョムに問いただすことにした。いくら何でも、これが偶然ということは無いはずだ。
「……どういうことですか?」
「まあ、いいからいいから。とにかくこっち来てくれ」
市場をまっすぐ進み、徐々に人の密度が下がって、建物の合間にある物陰へとアルチョムは入っていく。それに続いて狭い路地に入れば、行き止まりに乱雑に積まれた空き箱の陰から姿を現すフードの人影。
「上手く行ったみたいね」
自分を売った張本人、アルフィリアだった。




